第307話:帝国の思惑

1.sideルル



「いつ来てもこの国は物価が高いニャあ」


 八百屋に並ぶ果物や野菜を見て、ルルは右目に眼帯を付けた店主へ聞こえるようにわざと大きめの声で言った。


「おいおい嬢ちゃん、これでもウチは安くて美味くて新鮮だってのを売りにしてんだぜ?」


 30代半ばくらいだろうか。

 八百屋の業務は大変なのか、白髪交じりの茶髪に同じく茶色の無精髭を生やした彼は肩をすくめる。


「安いかどうかはともかく、美味くて新鮮かどうかっていうのは食べてみないとわからないニャ」

「オレぁ見ればわかる」

「あたしはそうでもないニャ」


 ルルは自分のことを指差す。


「あたしは外国から来て右も左もわからない哀れニャ観光客だニャ」

「つまり?」

「親切心で安くしてくれても罰は当たらないニャ」

「あんた、ルル=ミーティア=カーツェだろ」

「ニャ? ニャんで知ってるニャ?」

「ニャんニャん言ってるミーティア族なんてそうはいないからな。本物の彼女なら、金なんて腐るほど持ってるだろ」

「流石に金を腐らせたことはないニャ」

「こんな八百屋から値切ろうとすんなよ。コーンの野郎も金持ってる癖に毎度値切ろうとしてくるが、金持ちほどケチって法則でもあんのか?」

「金なんてどれだけあっても大事なもんだニャ。大抵のことは金で解決するニャ」

「まあ、それは否定はしねえけどよ……しゃーねーな、あんたがどれだけここにいるかは知らないが、次もうちで買ってってくれるんなら安くしてやるよ」

「いつまでいるかは知らニャいけど、次も利用するっていうのは美味さと新鮮さによるニャ。自信があるんニャら問題ニャいと思うけどニャ」


 店主は「噂より頭回るじゃねえか」とぼやきつつ、指を3本立てた。


「全体から3割引いてやる。次からは正規の値段で買ってけよ」

「仕方のない奴だニャ」

「なんであんたが妥協する側みたいな体なんだよ」

「ところで、最近空から落ちた黒い塔のこと、知ってるニャ?」

「うん? ああ、魔石が周りに湧いてくるっていうトチ狂った訳わかんねえ塔のことか」

「この国は魔石エネルギーにかなり頼ってるニャ。ああいうのもやっぱり重宝するもんニャ?」

「そりゃそうだろうな。噂じゃ、アレが落ちてきたところの土地が個人の持ち主だったもんで、国が買い上げようとしたら渋られたからしちまった、とかって話すら聞くくらい皇帝はご執心だぜ」


 店主は手刀の形で自分の首をトン、と叩く。


「物騒だニャあ」

「噂は噂だけどな。とは言え、そこまで行かずとも強制退去くらいはしてもおかしくはねえと思うが」

「皇帝はそんな過激な奴なのかニャ?」

「徹底的な現実主義者リアリストだな。最優先は国益――帝国のことだ。他の国や地域のことはどうでもいいと思っている節がある」


 店主は苦々しい表情でそう言い放った。

 自国の主に対する態度ではない。

 ルルはそう思ったが、それをおくびにも出さないで話を続ける。


「ニャるほどニャ。じゃあその皇帝が例の黒い塔を手放すとしたらどんな時ニャ?」


 悠真はルルのことを戦いの才能に溢れていると表現するが、本当のところは違う。

 ルルは『生きるための才能』に特化しているのだ。


 直感的というより、野性的な勘でもって踏み込んではいけない一線を決して超えずに、上手い立ち回り方を選ぶ。

 伊達に長くソロでやってきた探索者ではないのだ。


 とは言え。

 それが十全に発揮されるのはこうして単独行動している時くらいで、信頼できる仲間がいるとそちらに全てを任せてしまうのでほとんど機能しなくなるのだが。


「それ以上の利益をもたらす何かが交換条件で手に入る場合、くらいだろうな。恒久的に生み出される魔石よりも割のいいエネルギーが見つかったとか、それ以上の何かとか……そういや、シエル=オーランドが各国を回ってあの塔を破壊してるって話を聞いたことがあるな。それとなにか関係あるのか?」


 ルルはニヤリと笑う。


「だとしたらどうするニャ?」

「どうもしねえよ。そもそも、オレはあんなもん胡散臭えと思ってるからな。帝国軍の連中もそうだぜ。急に降って湧いた魔石を生み出す塔なんてどう考えても怪しいだろ。噂じゃ、アレが世界を滅ぼすとかなんとか聞いてるけどよぉ」

「はい、お会計ニャ」


 話の間にも袋へ詰めていた野菜を店主の前に置く。


「あいよ、約束通りの3割引だ」

「ありがとニャ」


 そう言ってルルが立ち去ろうとすると、店主はニヤリと笑う。


「次はシエル=オーランドも一目見てみたいもんだな」

「……ニャ」


 ルルは舌をぺろっと出す。

 

(意外とぺらぺら喋るもんだから、油断したニャ)


 話しているうちに、ルルはこの店主がではないことを見抜いていた。

 しかし、逆に店主もその話をしているうちに何かを勘付いたのだろう。


(帝国も一枚岩じゃないのは間違いないニャあ……それに)


 ルルは野菜の入った袋を持ったまま、露出の高い服を着ているが故に注目を浴びているのを自覚しつつぴょんと飛び上がって屋根の上に立つ。


 人々の目も上に上がる。


「おーい、危ないぞー」

「こらー! 屋根の上に登るなー!」


 

「……ニャるほど、最低でも5人かニャ」


 屋根から裏路地へと飛び降りると、すぐさま5人の男に周りを囲まれる。

 見た目は普通の町人だ。

 高度な変装魔法。

 しかし、ルルの鼻と直感を騙すには至らなかった。


 

「どうやって我々の尾行に気づいた?」


 男の中の一人が低い声で訊ねる。


「そりゃ気付くニャ。お前らからはニオイ消しの薬草の匂いがするニャ。あと、さっき屋根に飛び上がった時。視線が不自然に外れた奴が5人ほどいたニャ。こんな格好の女が屋根に飛び上がって、むしろ視線を外すなんて普通じゃニャいからニャ」

「なるほど、単なる薄着の痴女獣人というわけではなさそうだ」

「ちなみに薄着なのはそもそも服が嫌いだからニャ。裸でいいもんなら裸が一番気楽ニャ」


 ぷらぷらとルルは腕を振る。

 手には野菜の入った袋を持ったままだ。


「あまり時間をかけると鮮度が落ちるニャ。手短に頼むニャ」


 


2.



 俺たちが宿へ戻ってくると、ルルがソファで寝転がっていた。

 

「どうしたニャ、疲れた顔して」


 俺の顔を見るなり、怪訝な表情を浮かべる。


「そりゃ疲れるさ。戦争に加担しろ、なんて言われりゃな」

「ああ、そういうことだったのかニャ」

「なにがだ?」


 ルルは合点が行ったように手をポンと打った。


「いや、狙われる理由が思い当たらなかったニャ。でもそれが今わかったってことニャ。人質にしようとしてたんだろうニャ」

「……は? なんだそれ、どういうことだ?」


 詳しく話を聞いてみると、ルルが町であれこれ聞き込みをしている最中、常に嫌な感じの視線が付きまとっていたらしい。

 俺からするとそりゃそんな格好してりゃ注目も浴びるだろうというところなのだが、それとはまた別種の視線だったのだとか。


 それで釣ってみたら案の定なんか怪しい連中が5人ほどいたので、ぶっ飛ばしてきたらしい。

 喋れる程度に加減してやったら逃げられてしまったようだ。

 

「……シエル、ウェンディ。知佳とルルを頼む」


 俺は立ち上がる。

 

「どこへ行くつもりじゃ?」


 椅子に座って落ち着いているシエルに問われる。


「皇居だ」

「何をするつもりじゃ?」

「ぶん殴る。そんで、問いただす」

「根拠がない。捕まるぞ、おぬし」

「じゃあ仲間に手ぇ出されて黙ってろって言うのか?」

「ルルは無事じゃ。一旦落ち着け」

「結果論だろ」


「悠真」


 知佳の静かな声で、ハッとさせられる。


「駄目。シエルの言う通り、落ち着いて」

「…………わかった。シエルも、すまん」

「ま、おぬしの気持ちはわしもわかる。じゃが今はその時じゃない、というだけじゃ」

 

 皇帝から戦争を持ちかけられた後。

 俺たちからの返事を聞く前に、次に予定があるので、と皇帝はすぐに退出していった。


 恐らくはこちらの顔色を見て、このまま交渉を進めるのは難しいと思われたのだろう。

 

 いや、タイミングからして……

 元々渋られることはわかっていたのかもしれない。


 ルルとシエルの繋がりは、それこそ国単位で少し調べればすぐにわかることだろう。

 特にここ最近は常に一緒にいたからな。


 流石に表立って敵対はしないだろうが、ルルを事実上の軟禁でもして、シエルの首を縦に振らせるのが目的だったのか。


「あたしでそんな怒るんならもし手を出されたのが知佳だったとしたら、今頃この国はなくなってるニャあ」

「お前だって俺にとっちゃ大事な存在だ」

「ニャ!?」


 ピーン、と変な姿勢で背筋を伸ばしてそのまま固まるルル。

 背中でも攣ったのだろうか。

 腹筋を攣ったことが一度だけあるが、あれやたらめったら痛いんだよな。


「しかし、何故帝国はルルを狙ったのでしょう」


 ウェンディが静かに呟く。


「……シエルに言うことを聞かせたいからだろ?」

「シエルさんとルルの関係を知ってそうしたのだとしたら、むしろわからないのです。その気になれば国ごと滅ぼせる存在にわざわざ喧嘩を売りますか?」

「…………言われてみれば」


 シエルに喧嘩を売るってのは、要するにウェンディやフレアに喧嘩を売るのと同じくらい危険なことだ。

 今挙げた二人に比べれば幾らか穏健派なのは間違いないとは言え、それでも逆鱗に触れればどうなるかはわからない。


 国の長としては随分危険な橋を渡っているように感じるが……


「ざっくり言って、可能性は2つじゃな。1つは、そもそもルルを攫おうとした奴らと帝国が全くの無関係。これに関してはタイミングからして有り得んとは思うが……」

「だな。証拠がないだけで、間違いなく帝国側の思惑が絡んでるとは思う」

「なら、2つ目じゃ。わしを敵に回してもなんとかなるだけの戦力が帝国にある」

「……そんなわけないだろ?」


 もし本気でシエルに対抗できると考えているのなら、皇帝は大馬鹿野郎だ。

 

「しかしそうとしか考えられん。そもそも、このタイミングでラントバウやハイロンへ攻め込むというのもおかしな話じゃ。確かに国そのものの在り方は変わっているとは言え、それで各国の軍事力が著しく下がっているわけではない。わしらを味方にできんでも、圧倒するだけの何かがあると考えるのが自然かもしれん」

「……だとしたらどうする?」

「どうするもこうするも……おぬしはもう決めているんじゃろ」

「当然。ハイロンもラントバウも見捨てるわけにはいかない。なんとかするしかねえ」

 

 具体的に何をどうするのかはまだ何も決めていないのだが。


「とりあえず、もう一回?」

 

 知佳がなんでもないようなことのように切り出す。


「釣る?」

「私の顔はもう覚えられてるだろうから。私が明日、出歩いてみる」

「そんなの駄目に決まってるだろ。最低でも俺かウェンディが一緒にいることが条件だ」

「悠真が強いのはもう相手もわかってる。それに、ウェンディも。ベヒモスの時に帝国軍がいたから」


 ……そうか。

 いやしかし、流石に……


「大丈夫。出歩くと言っても一人じゃない。帝国に強さがバレてない人たちと一緒に行くから」

「人……たち?」

「伊敷未菜。ローラ・ルー・ナイト。この二人なら悠真も安心できるでしょ?」

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