第300話:信頼
赤髪のオールバック。
エルフのように長い耳。
800年前の映像で見たように裸ではないので蛇の入れ墨を確認することはできないが、その容姿だけでもすぐにそうだと断ずることができる。
こいつが。
ミナホのトラウマの元凶だと。
「歯ァ――食い縛れ!!」
渾身の力を込めて、押さえつけた顔面に拳を叩き込む。
――が、しかし。
その拳が届く直前に、奴の掌が間に挟まれた。
とは言えマウントポジションからの全力をそれで防ぎきれるはずもなく、そのままその掌ごと床へと減り込ませる。
ちらりと横目で確認すると、天鳥さんもミナホも無事なようだ。
「――っ゛……!」
奴の頭を掴んでいた左手に激痛が走り、反射的に離してしまう。
その隙を見て俺の下から跳ね上がるようにして飛び出た男はこちらを忌々しげに睨みつけた。
左手は……火傷だな、これ。
俺の治癒魔法でも治るレベルだ。
「お前……何だ? 何故俺に攻撃をする」
男の顔にあった傷――俺が今しがた殴りつけた為ついた傷だ――が治って行きながら、警戒するような声音でそう問われる。
「何故もなにも、お前どう見ても敵だろうが」
なんだ、この男は。
こうして目の前にいても魔力を感じられない。
いや、それに近い何かしらの圧のようなものは感じるのだが……
「……その男は自らを悪魔ないしは魔人と名乗っている。そして恐らくだが、どういうわけかキミの魔力を感知できていない。動転していたミナホはともかく、直前までキミの接近に気づいていなかったからね」
「悪魔……魔人?」
天鳥さんから短めの報告を受けて、俺は改めて男の方を向いた。
そして俺の魔力を感知できてないってのはどういうことだ。
初対面の時の柳枝さんみたいな感じか?
それとも別の何かが――
「魔力を感知できていない? まさかお前、魔力を持っている人間なのか?」
男にそう確認される。
何を言っているんだこいつは。
「……魔力なしでここまで動けるわけねえだろ」
「まさか、そんな…………有り得ない」
ぼそりと男は呟いた。
「そんなことは!! 有り得てはならないのだ!!」
男の体の周りから炎が迸る。
俺一人なら多少油断して何かを喋ってくれるかと思ったが、ここらが限界だな。
「スノウ!」
「わざわざ名前を呼ばなくてもわかってるわよ」
何もない空間から空中に突如現れたスノウを男が驚愕の眼差しで見上げる。
姿を隠していたわけではない。
転移召喚だ。
ここまでは俺が一人で物理的に幅跳びの要領で跳んできたので、その後にスノウが合流する予定だったのだ。
それがちょっと早まったというだけの話。
スノウは流石の判断力で出てきた瞬間に魔法を発動し――
男は驚愕の表情を浮かべたまま氷に囚われていた。
まぁ――終わりだな。
ここから逃げられるはずがない。
急に発狂しだしたお陰で情報はろくに拾えなかったが……
「……天鳥さん、ミナホ、無事ですか?」
「ああ、無事だよ。ミナホもね」
天鳥さんに続いてミナホも戸惑い気味に頷く。
「にしても……なんだったんだ、急に発狂しやがって。スノウ、俺ってちゃんと魔力あるよな?」
「魔力なしで数百メートルも幅跳びできる人間がいるわけないでしょ」
澄まし顔のスノウは答える。
そうだよな。
なら何故あいつは俺の魔力を感知できていなかったんだ?
それに恐らくだが、シエルとスノウの魔力も感知できていない。
800年前はシエルが遠方にいることに気づいてすぐに逃げていたのだ。
なのに今回はそのレベルが最低でも二人――俺を合わせれば三人もいるところにのこのこ現れたということになる。
「ミナホ」
「……!」
俺はミナホの傍まで歩いていって、自覚していたのかどうか、ずっと震えていた肩に触れる。
「俺とスノウの魔力が動いたのに気づいてシエルも直に来るはずだし、知佳にフレアたちも呼んできてもらってる。もう安心だ」
すると……
ぺたん、とミナホはその場に座り込んでしまった。
800年越しのトラウマが目の前にいて怖くなかったはずもない。
むしろ今まで良く普通に立っていられたな、というくらいだ。
「さて……後はこいつをどうするか、だな」
「どうするもこうするも、このまま殺すのが最善よ。シトリー姉さんかウェンディお姉ちゃんなら氷の上からでもそのまま消し飛ばせるから」
「フレアは?」
「……まあ、できなくはないでしょうね。あたしもこれが本気ってわけじゃないし。もしできたとしてもフレアの方が上って話ではないわよ」
本当この双子は……
まあ実際、本気でぶつかりあったらどうなるかはともかく、スノウの言う通りその三人の誰かに安全に処理してもらうのが一番だろう。
スノウの氷に殺傷能力はない……というわけではもちろんないのだが、天鳥さん曰くこいつは悪魔だという話だ。
悪魔には魔法が効かない。
魔法で作り出した氷では当然トドメまでは刺せないだろう。
スノウが劣っているという意味ではなく、氷という属性が悪魔を殺すのには向いていない。
逆に言えば今みたいに、殺さずに無力化するのなら一番向いているのだろうが――
「――悠真!!」
スノウが鋭く叫ぶ。
それと同時に、男を捕えていた氷が噴出した炎の勢いで弾ける。
氷のドームが天鳥さんとミナホを即座に包んだので二人は無事だろう。
問題は――
「舐めた真似をしてくれる……人間風情が」
上半身がまるで炎そのものになっているかのように燃え盛っている男が立っていた。
ただしその炎はよく知る赤いものではなく、真っ黒い黒炎。
ミナホの前で遊女を焼いてみせた例の炎だ。
その表情は憤怒に染まり、今にも俺たちを焼き殺そうとしているように見える。
周りには黒い影のようなものでできた蛇が無数にその鎌首をもたげ、こちらを睨んでいる。
「我が名は『アイム』。誇り高き魔人なり。人間風情に――負けるわけにはいかぬのだ!!」
男の周りにいた黒蛇たちがこぞって襲いかかってくる。
「チッ――」
スノウが舌打ち混じりにそいつらを凍らせるが、氷を食い破っているのかなんなのか、まるで物ともしないでこちらへ向かってくる。
このままでは俺たちはともかく、今はドームに守られている二人まで危ない。
「仕方――」
スノウが両手を合わせた。
その魔力が一気に膨れ上がる。
「――無いわね!!」
地面から氷がせり上がり、アイムごと俺たちの体が天へ向かって突き上げられた。
研究所の天井をぶち破り、雲ほどの高さまでそのまま到達する。
天鳥さんとミナホの二人は地上に残ったまま。
器用かつダイナミックなことするな。
流石だ。
ついでと言わんばかりに蛇たちも凍っていたが、やはりと言うべきかなんというべきか、それを食い破ってこちらへ向かってきた。
「舐めんじゃないわよ!!」
再び氷が蛇たちを包む。
今度は食い破ろうとする度にどんどんその氷が分厚く、硬くなるようになっているようだ。
やがて蛇たちは息絶えたのか、氷の中でその動きを停めた。
「甘い」
アイムがいつの間にかスノウの目の前にいた。
その振り上げられた拳が直撃する直前、俺が割って入って受け止める。
その体自身が燃えているせいで受け止めた腕に激痛が走るが、即座にスノウが治癒魔法をかけてくれている。
痛みはともかく、燃え落ちることはないだろう。
「誇り高き魔人? 笑わせんなよ。800年も女のケツおっかけて振られたただの情けねえ男だろ」
「邪魔を――するな!!」
炎の勢いが強くなって、そのまま後ろに弾き飛ばされる。
「いっつつ……」
氷に受け止められたお陰で墜落するのは防がれたが、あいつ……
どんどん強くなっていってないか……?
「ここで死ね、下等生物共」
男の手に黒い炎が浮かび上がる。
魔力はやはり感じられないが、凄まじいエネルギー量なのは肌で感じる。
や、やばいぞあれは。
下手すりゃ俺の魔弾と同じくらい……いや、それ以上の……
「ちょ、ちょっと……アレはヤバイわよ……!」
スノウも俺と同じように判断したのだろう。
氷で包んで受け止め、威力を軽減したとしてもその余波はこの雲とほぼ同じ高さから地上まで届いてしまうだろう。
ちょうど俺の魔弾が新宿ダンジョン内部の町並みを跡形もなく吹き飛ばしてしまったように。
いや、そもそもこんなのここにいる俺たちがまず耐えきることはできないだろう。
逃げるか?
いや、下にいる天鳥さんたちを見捨てるわけにはいかない。
そうでなくとも、俺たちがここで逃げれば下にいる無数の人々が死ぬことになる。
「くそっ……!」
フレアたちはまだか。
直接的なエネルギー量での太刀打ちはともかく、炎を操ることのできるフレアならばなんとかできるかもしれない。
魔力はまだ感じられない。
シエルをここへ転移召喚することも少し考えたが、空の上ではできることは少ないだろう。
しかしそうしなければ天鳥さんたちが危なかったのだからもはやどうしようもない。
戦慄する俺たちを見て気を良くしたのか、男は語り始める。
「どうだ、素晴らしいだろう。この1000年で人を燃やし――大量に喰ってきたお陰で――もはや当時の魔王様に匹敵すると言っても過言ではないだけの力を手に入れているのだ! 最後にあの銀狐を喰って、オレは魔王様に続く完璧な魔人として覚醒し――今度こそ!! 我らが悲願を達成するのだ……!!」
1000年という期間に何かが引っかかるような気がしたが、その引っかかりはすぐに他の情報によって流された。
「人を大量に……」
「お前ら人間は下等でどうしようもない雑魚だが、味は良い。魔王様もよく好んで食していたが、特に――」
とんとん、と自分の頭を指で叩く。
「親を喰らった後にデザートとして食す、子供のここが格段に美味いのだ」
悪魔は人の悪感情を食い物にする、という話は聞いていた。
しかしこいつの喰う、というのは文脈からしてまた別の意味なのだろう。
そもそも800年前にも言っていたじゃないか。
恐怖で味が良くなると。
「クズ野郎が……!!」
「……さて、どうする? これに込められている魔力がどれ程のものか――如何にお前ら下等生物と言えども理解できるだろう? 逃げるか? そうすればオレはあの
糞野郎が。
逃がすつもりなんてないだろう。
それに、そもそもミナホがいるからと言って止める保証もない。
「死んでくれるなよ、人間。もっと恐怖と絶望を湛えてから――俺に喰われて死ぬのだから」
そんな言葉と共に黒い炎弾が打ち出された。
どうする。
どうすればいい。
俺が死ぬ気で抑え込めばあるいは、スノウだけでも――
スノウがぐっと俺の手を握る。
「あたしを信じて」
「ああ、信じる」
カチッ、と何かがハマるような感覚。
それと共に、夥しい量の経験が俺の中に流れ込んできた。
これは――念話だ。
いや、違う。
それ以上の思考共有とでも言うべきか。
体中の魔力が自ら意思を持ったかの如く自然に、スノウと俺との中で魔法へと変換されて行くような感覚。
炎弾が小さな氷の弾に包み込まれた。
そしてそのまま、ぱふっ、と。
まるで蝋燭の火が消えるかのように、呆気なく消滅した。
「っ……!」
スノウがその場に膝を突く。
限界を超えた力をスノウ経由で引き出した弊害だろう。
「……馬鹿な。オレの、最大の一撃だぞ。魔王様にも匹敵する!! このオレの!!」
「じゃあその魔王ってのは俺たちより弱いんだろ」
取り乱すアイムに、一歩俺は近づく。
膨大な魔力が、純粋な暴力へと。
変わっていくのが自覚できる。
「な、なんだ、その力は……なんだその力は!! 有り得ない、そんなことは有り得ないはずなのに!!」
逃げようとしない――否。
逃げられないアイムの目の前まで来た俺は、拳を握る。
いつの間にか湧いた黒い蛇たちが俺に近づこうとする度に、ボロボロと崩れていく。
「お前はまさか、勇――」
アイムの言葉は途中で途切れた。
代わりに、まるで巨大な金槌が振り下ろされたかのような轟音と。
氷の割れる音だけが、響き渡ったのだった。
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