第299話:3の理由

sideミナホ



「駆動系のものはほぼ全て魔法円陣に置き換えられるな……となると二次元的に展開できる都合上、大きくサイズも減らすことができるし、原材料のコストも大幅に減ることになる。素晴らしいな!」


 わたしの渡した資料を見て、目を輝かせながら香苗は嬉しそうに叫んだ。

 『地球』という、香苗や悠真たちの住む世界には決して存在しないらしい技術、魔法円陣。


 しかしわたしからすれば、香苗の言っていた数百トンもある『飛行機』という物体が魔法も魔力もなしで大勢の人間や物を乗せて空を飛ぶ、という方がよほど凄い。


 そう言うと、香苗は「僕たちの世界が優れているわけではない。魔法があったのならあったなりに進化していただろうし、その逆もまた然りだからね」と言っていた。

 わたしも――どちらかと言えば知的探究心が強い方だと思う。

 知らないことを知っている間は、


 

 けれど。

 

 

 忘れたところで、現実は平等に訪れる。


 

 その男は唐突に現れた。

 

「銀毛の狐獣人。そうか、記憶のある魔力があると思って寄ってみれば、あの時のガキか」

 

 冗談みたいに似合わない白衣を着た、薄汚れた赤髪をオールバックにした男が部屋の扉近くで腕組して壁によりかかっていた。

 

「……え」

「……その白衣は、僕の記憶が正しければ2号館にいた小太りの男性のものだったはずだが。キミとは似ても似つかない」


 資料から目を上げた香苗は男を一目見ると、さほど興味もなさそうにそう言い放った。

 先程までわたしと談笑していたとは思えないほど冷たい声だった。


「……白衣なんてどれも同じだろ?」


 男は言うが、職員に支給される白衣は裾部分に小さく数字が刻まれている。

 それがないのは、いつかいなくなることがわかっていたわたしだけだ。


 しかしそれを記憶していて、一目で思い出せる香苗はやはりわたしの目から見ても異常な記憶力をしている。


「持ち主には同意を得たのかい?」

「さあな。少なくとも文句は言われてないが」


 よく見ると、白衣の袖が少し焦げていた。

 あの白衣を着ていた職員に何が起きたのかは考えるまでもない。


「にしてもお前、なかなかに美味そうだな、ガキ」

「残念ながらガキという年齢ではないし、僕を食べていいのはただ一人だけなんだ。悪いね」

「なるほど、銀狐。お前というメインディッシュの前に、オードブルを用意したわけか」

「…………」

「なんだ、その目は。まさかオレのことを忘れたのか?」


 忘れるはずもない。


 わたしは知っている。

 全ての人間は不平等に生きているということを。


 同じ仕事をしても、国や地域によって賃金は変わる。

 同じ子供でも、国や地域によって受けられる教育が変わる。


 わたしは知っている。

 全ての人間は平等に死ぬということを。


 病気や事故、あるいは誰かの恨みを買ったり、戦争だったり。


 その中で。

 わたしだけは、他の人に比べて一つだけ、絶対的な死のルールを多く持っていた。


 あの日。

 あの火。

 

 燃え盛る炎の中。


 わたしは忘れてなどいない。

 

 わたしは、ここで喰われて死ぬ。


「……この人は関係ない。喰うのなら、わたしだけ喰って。それで、終わり」


 男は笑みを浮かべた。

 これから一方的に弱者を甚振って良いと言われた嗜虐者サディストのような笑み。


「そうか、本当に覚えていたのだな。800年もの間、ずっと。這い寄る蛇の気配に怯えていたわけだ。どんな気分だった? どんな気持ちだった?」

「……別に、なんとも」

「そうか。ちなみにオレは。偶然近くを通りがかって、昔感じたことのある魔力を見つけたから寄っただけだ。偶然にも――幸運だったわけだ」


 こうして目の前にいても何故か魔力を感じることすらできない。

 しかし魔法のようななにかは使う。

 不思議な存在だ。


 それでも、もしかしたらなら――


 そう思って。

 すぐに諦めた。


 わたしがあの場で潔く死んでいれば、誰も死なずに済んだかもしれないのに。


 この期に及んで望むものなど何もない。

 ただ生かされていた800年間。

 普通の人間や獣人に比べればずっと長い時間を生きた。


「もういいかな……」


 いつ終わっても良かった。

 いつ死んでも良かった。


 わたしが育った場所は、ある日。

 炎に巻かれて消えた。


 わたしもそうやって消えよう。

 

 一歩前へと出ると、男の顔が醜悪に歪んだ。

 

「良い気分だ。に魔王様復活の作戦を聞かされた時以来の高揚感。お前を喰っておけば、魔王様が蘇りし時オレはより完璧な魔人として仕えることができる」

「魔王復活?」


 香苗が反応する。


「そうだ。今時の若者は知らないだろう、我々魔人がこの世界を統べていたということを。悪魔の世界が誕生し、全ての人類を滅ぼし。今度こそ天界へと弓を引く。澄ました顔でオレたちを監視している神をこの手で殺すのだ」


 天界――。

 そういう神話があったはずだ。

 悪魔の世界……魔界?

 この男は一体何を言っているのだろう。


「天界だとか魔人だとか初めて聞いたけれど、魔王という単語と悪魔という単語には覚えがある。確か、たった一人の人間の勇者に負けた弱者と、人と契約しなければこの世にいることさえできない半端者のことだろう」


 香苗は煽るようにそう言った。

 男の目が冷たいものになり、香苗を睨む。


「死にたいのか、ガキ」

「話から察するに、キミは悪魔か――それと同族か何かの魔人、という種族なのだろう? なんだ、人がいなければ満足に存在もできない上に、頭の出来も半端なようだね。さっきも言った通り、僕はガキという年齢ではない。残念ながらね。それから、僕に対してその手の脅しは効き目がない」

「なんだと……?」


 男は明らかに苛立っている。

 何故挑発するのか。

 香苗は賢い。

 わたしが見てきた人間の中でも群を抜いて。

 だからこそ魔力を感じることはできなくとも、その雰囲気から異様なことは察することができるはずなのに。

 

「理由は3つある。まず1つ。キミは元々僕のことを殺すつもりだろう。でなければそこまでべらべら喋る意味がわからない。キミがただの馬鹿だというのなら納得もできるが、流石に生まれたての赤ん坊ですら分かるようなことを判断できないとは思えないからね。ああ、過大評価だったとしたら言ってくれ。いつでも訂正しよう」

「…………」


 男は無言で手を振り上げた。

 次の瞬間には香苗の体は燃え上がっているだろう。


 わたしはその前に立ちはだかる。


「約束が違う。わたしのことを喰うことが目的なら、香苗は殺さないで。もし殺したら、わたしは舌を噛み切る」

「……ちっ」


 男は舌打ちした。

 どうやら、わたしが思っている以上にわたしを『喰う』ことに執着しているらしい。


「2つ目の理由だ。僕は怒っている。こう見えても僕は友達の少ない人間でね。いや、最近はこれでもとある人物のお陰でそうでもないのだが……この見た目でこの性格だ。コミュニケーション能力はさほど高くないと自覚している。で、まあそんな僕の数少ない友人がそこにいるミナホなわけだ。そのミナホを害すると言っている以上、それを黙って看過することはできない」

「……香苗、もう挑発しないで。わたしは……大丈夫だから」


 香苗がこの男を挑発しているのは、わたしを助けようとしているからだろう。

 そんなことは無駄なのに。

 絶対的な死の気配は。

 もうすぐそこまで迫っている。


「3つ目。そもそもキミは僕たちに指一本触れることはできない」

「……もういいから、お願い。わたしのことは見捨てて、逃げて」

「何かあるかと思えば、ただ不愉快なだけの余興だったな。お前の言う通り、どのみち生かしておくつもりはない。先に殺してやる」


 男は。

 その手に炎を纏わせ、香苗の方へと向けた。


「ミナホ。僕はお人好しではない。だから、キミの口から聞いておきたい。本当にその死を受け入れるつもりでいるのかい? 僕もキミもまだまだ知らないことはたくさんあるだろう。知らないことを知ることができる人生というのはいつだって劇的だ。何者にも邪魔されて良いものじゃない」

「わたしは――」

「はっきり言うんだ、その口で。自分の意思で」


 わたしは――

 

 まだ知らないことがたくさんある。

 何も知らない。


 わたしは――


「――死にたく、ない」


 香苗がふっと微笑む。

 


「よく言った」



 男の手から炎弾が発射される直前、その後ろの壁から蛇男の頭を乱暴に掴む。

 

「なっ――」

 

 そしてそのまま、受け身を取らせることもなく地面に引き倒した。

 鈍い音と共に男の体が床にめり込む。



 そこには、黒髪で黒目で、ここ数日間で何度も目にした男がいた。

 しかし見慣れた表情ではない。

 初めて見るような激情に駆られた顔だった。


「言っただろう、魔人くん。キミは僕たちに触れることすらできない。なにせ、ここには他人の為に本気で怒れるようなお人好しがいるんだからね」

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