第296話:炎蛇の男
1.
「
「ああ、シエルを起点にして、ミナホの過去を見たいんだ」
綾乃の部屋。
あちらでは真夜中、こちらでは真っ昼間である。
シトリーもレイさんも事が済んだ後はぐっすり眠る。
特にレイさんはサキュバスの特性もあって激しくなりやす……いや、それはまたの話として。
そのぐっすり眠っている間に俺は再び宿を抜け出して、シエルを連れて転移して綾乃の元へやってきたのだ。
「うーん……一度やっている魔法ですし、できないこともないとは思いますけど……悠真くんで言えば例の黒歴史に該当するようなものの根源なんですよね? 勝手に見て良いのでしょうか……」
綾乃はすぐには首を縦に振ってくれなかった。
そしてその懸念は当然のものである。
「仕方がない。あの状態のミナホを放っておく方が……俺は危険だと思う」
「……なるほど……」
もちろん直に聞くのは本当に最後の手段だ。
それだけでトラウマスイッチを押す可能性があるわけだし。
綾乃が
干渉できるタイプと、できないタイプだ。
おそらく今回は後者になると思われる。
既に現代に生きるミナホと出会っている以上、干渉できてしまうと現在――つまり未来が大きく変わってしまうからだ。
アスカロンの場合は既に死んでいる彼にしか会っていなかった上に、俺たちが観測していない世界の話だった。
なのでなにかあったところで魔法の発動者である綾乃や、当事者の俺に及ぶ影響が少なく干渉できた……のではないか、というのが今の所の仮説である。
しかし干渉できなくとも問題の解決には繋がる可能性が十分ある。
その為の魔法を俺が取得するパターンでもいいし、そうでなくとも何があったのかを知れるだけでも十分だ。
「具体的には824年前。日付までは流石に覚えておらんが……そこはわしのイメージで補助すればなんとでもなるはずじゃ」
「……わかりました。やってみましょう!」
というわけで。
綾乃がシエルと額をくっつけて、なにやら念じている。
俺はシエルと手をつないでいる。
俺の過去を見た時や、アスカロンの時のように周りにいる人物が巻き込まれるパターンだと思われるので単純に体を接触させておこうというわけである。
――しばらくして。
「多分……行けると思います」
綾乃がそう呟いた。
「よし。じゃあ、頼む」
「――はい」
2.
目の前の光景が切り替わった。
何もない荒野だ。
もう2回も経験しているのですぐに直感でわかる。
過去へ来たのだ。
で……
隣にはシエルと綾乃もいた。
二人ともこれが2回目か。
つくづく過去という時間の括りに縁があるものである。
俺たちの体はまるで幽霊のようにふわふわと浮いていて、自在に動けはするが周りのものに触れることはできない。
なるほど、やはり干渉できないタイプか。
「……自分でやっておいてなんですけど、私のこの力ってなんなんですかね?」
「明らかにわしの知る『スキル』の力の範疇は超えているような気がするのう。一度綾乃も調べてもらった方が良いのではないか?」
綾乃とシエルがそんなことを言っている。
実際問題、確かに綾乃の『幻想』はいろんな意味で便利すぎる。
魔法を作る、魔法を強化する、という名目で過去へ行っていた二度とは違い、とうとう今回は過去へ行くこと自体を目的としてタイムトラベルをしてしまったわけだ。
戦闘能力に直結しないので目立たないが、どう考えてもオーバースペックだ。
スキルの強力さ、という点だけで見れば他の追随を許さない。
「む……」
「あ!」
シエルと綾乃が同時になにかに気づいた。
下を見ているので俺もそちらを釣られて見ると、そこにはむすっとした顔で大きなリュックを背負って歩く幼い見た目の銀髪のエルフがいた。
まあシエルなのだが。
「むすっとしてるシエルさんかわいいですね……」
「べ、別にむすっとしているわけではない! ……はずじゃ」
シトリーと同じような属性を持つ綾乃がちょっと怪しい表情になっている。
綾乃の場合はそれが全方面に向いているわけではなく、ショタとロリに特化しているような感じなのだが。
ただ不思議なのはフゥにはさほど反応していない点。
何故なのかと聞いてみたら、YESロリータノータッチって知りませんか? と真顔で聞かれた。
彼女は本物だったのだ。
というか、わかってはいたが今と全く見た目が変わらないな。
流石はエルフだ。
そしてこのむすっとしている表情も、綾乃の言う通り確かに可愛い。
レア感がある。
「シエル、これがどれくらいか思い出せるか?」
「うーむ……」
触れないことを言いことに、シエルは過去の自分に重なるようにして前を見る。
辺りの風景から思い出そうとしているのだろう。
ミナホがいないことから考えても、少なくとも彼女と出会う前だということはわかるが……
「ん、思い出したぞ。これはあれじゃな、多分ミナホと出会う数時間前じゃ。日没後に出会ったのをよく覚えておる」
「てことは、この先にミナホがいるってことか?」
「じゃろうな」
俺たちは顔を見合わせ、800年前のむすっとシエルから離れてその先を目指す。
結構な荒野だが……
少し離れたところに大きめの山がある。
そこを宙に浮いている俺たちは簡単に超えて行くと、その先少し離れたところに大きめの町のようなものがあった。
遊郭、と聞いていたので江戸時代チックなものを想像していたのだが、見た目は普通に中世ヨーロッパな感じの建物が並んでいる町だ。
しかし、少し特殊な点がある。
「これって……」
「和服、ですよね……?」
俺と綾乃は顔を見合わせる。
町を歩いている女性が着ているのは、明らかに和服なのだ。
京都や祭りの最中に和服を見るのならともかく、レンガ作りのヨーロッパ風な建物が並ぶ中に和服の女性が普通に歩いているのを見るのは途轍もない違和感があるな。
シエルは特に何も感じていなさそうなので、俺たちの慣れの問題なのだろうか。
「そういえば、フレアが似たような着物を何着も持っていたのう。ここで見るまですっかり忘れておったわい」
しみじみと呟くシエル。
だが、俺にはそれ以上に気になることがあった。
「異世界言語が翻訳されている都合上で遊郭って言ってるんだと思ってたけど、和服まで着てるってなるとちょっと事情が変わってくる気がするな……」
「同じような文化がこの世界のどこかにあるんですかね?」
「どうだろう……」
似た文化が生まれる可能性はあっても、和服のような特殊な民族衣装(?)まで似るとはちょっと思えない。
絶対に有り得ないわけではないとは思うが……
「おぬしらの世界に似たものがあるのなら、普通に転移者がいたということじゃろ」
「……転移者? なんだそれ」
けろっと知らない単語を出してくるシエルに聞き返すと、呆れた表情をされた。
「おぬしが知らんわけないじゃろ。和真も転移者じゃぞ」
「え……」
いや、そうか。
親父はダンジョンにいた時に何故か急にこの世界へ来ていた。
確かに、言われてみれば転移だ。
しかも世界を跨いだ転移。
わざわざダンジョンの底にある世界と世界の狭間を歩いて移動しなければ異世界間は移動できない、転移石でも再現不可能な正体不明の転移。
転移石があるんだしダンジョンだしそういうこともあるんだろう、となんとなく思っていたが……
そもそもダンジョンも何も関係ない事象だったかもしれない、という可能性があるのか。
「わしも実物は和真しか見たことがないがの。それ故転移者の存在には半信半疑じゃったが、実際おぬしらを見て考えが変わった。和真以外にも、過去に何人かこちらの世界に来たおぬしらの世界の人間がいるんじゃろうな」
遊郭だったり和服だったりという文化を持ち込んでいる辺り、江戸時代くらいに生きていた俺のようなスケベか、あるいはそこで働いていた遊女その人だったのかもしれない。
「と、いうか……この町の雰囲気、ちょっと独特ですよね。なんだか、その……女の人と男の人の距離が近いというか」
「……だから言ったじゃろ? ここは遊郭じゃぞ。そういう町じゃ」
「町全体がそうなのか!?」
「そうじゃ」
結構でかめだったぞ、外から見た感じ。
多分、ちょっとした市くらいの大きさはある。
マジかよ……
干渉できないのが悔やまれる。
ちくしょう。
何故俺は幽霊みたいな状態で漂っているだけなんだ。
「悠真くん、本題忘れてません?」
「わ、忘れてないよ? もちろん」
綾乃にジト目で睨まれて慌てて佇まいをなおす。
しかしあれだな。
ここからミナホを探し出すのはなかなか骨が折れそうだな。
「遊郭が燃えたって言ってたけど、どの辺が燃えたんだ?」
「全部じゃよ」
「……全部?」
「この町すべてが焼け落ちた。全焼じゃ」
……マジで?
いや、遊郭という言葉からイメージする通り、全てが木造の建物ということならまだわからないでもない。
だが、この建物群はほとんどレンガでできている。
そんなに延焼することなんてあるか?
「……誰かが火を放ったということでしょうか? それも、計画的に」
綾乃が俺より一足先に推理した内容は、しかしシエルによって否定される。
「遊郭はその特性上、怪しいもんには厳しいからの。組織だって動くのは恐らく無理じゃろおうな……しかしわしも昔のことすぎて言われるまで忘れておったが、確かにこの規模の、この材質の町が全焼するのは変じゃな」
「火事の原因ってのはわかってないのか?」
「…………ぶっちゃけ当時のわしも相当暗かったからのう……興味がなかったというか……」
「…………」
シエルが気まずそうに顔を逸らした。
なるほど、俺に黒歴史があるように、シエルにも黒歴史があるわけだ。
まあ、ベヒモスの一件で判明したことではあるが、シエルもシエルで相当重い過去を背負ってるからな。
あの時はもう振り切ったと言っていたが、この時点ではそれがまだできていなかったということなのだろうか。
それともまた別のなにかがあったのかもしれない。
ちなみに、メカニカの図書館で800年前にあった遊郭の大火ってのを探してみたがどこの記録にもそんなものは残っていなかった。
あまり嗅ぎ回りすぎるとミナホに勘付かれる可能性もあったし、そこまでちゃんと調べたわけではないが……シエルの言葉から察するに、この手の遊郭都市は他にもあるっぽいしそもそも実際にどこにも記録はないという可能性の方が高そうだ。
なにか残ったのならともかく、全焼だしな。
「ともかく、この中からミナホを探し出さなくてはいけないわけじゃな」
シエルの言葉に辺りを見回していると――
「あ」
青みがかった銀色の髪に、同じ色の耳ともふもふの尻尾。
そして恐らく7、8歳くらいと見られる幼い子供だが、今の面影が確かにある。
「見っけた」
3.
「かかっかっか……!」
悪役の笑い声ではなく、興奮しすぎた綾乃がどもっている声である。
念の為。
「かかっかかわいい……!! ど、どうしましょう悠真くん、あ、あれっ、持って帰りましょう! 今すぐ! 保護しましょう!」
「それができれば苦労しないんだって」
まあ、綾乃の気持ちもわかる。
それくらい可愛い。
おつかいでもしているのか、両手いっぱいの布袋を持っててちてち歩いている。
「ほら、正気を取り戻せ綾乃。後を
「狐耳の幼女を追い回す男……もし見えていたら間違いなく捕まっているじゃろうなあ」
「うるせい」
というわけでロリミナホの行き先へついていくと、そこもレンガ造りの建物であることには代わりないのだが……他に比べてちょっと豪華な作りになっているように見えた。
高級遊郭ってやつかな?
もちろん俺たちは誰の目にも見えていないわけで、そのまますいっと中へ入るとそこはまるで高級ホテルみたいな構造になっていた。
和服を着た獣人たちが働いている。
お座敷のような感じになっているのかと思っていたが、どうやらこの世界の遊郭は俺の感覚に照らし合わせて言うとホテヘルみたいな感じなのかな?
あんまりこの話を詳しくすると謎の直感力で知佳あたりに怒られそうなので突っ込んで考えたくはないが。
で、どうやら見た感じ、ミナホはそこで随分と可愛がられているようだ。
「あら、ミナホちゃん! おつかいできたの! えらいね~!」
20代くらいに見える、茶髪の猫(かな?)の獣人のお姉さんにミナホが頭を撫でられる。
「うん! おかいものしてきた!」
ミナホが満面の笑みで答える。
今からでは想像もできない明るい顔である。
「あ~! かわいい! ミナホちゃん、かわいい!!」
「わぷっ、く、くるしい~!」
猫のお姉さんに抱きしめられて、笑うミナホ。
それを見て各部屋へ給仕かなにかの仕事をしている様子のお姉さんたちも笑う。
遊郭で育てられていたと聞いてなんとなく暗い境遇を想像していたが、どうやらそんなことも全くないようで、むしろかなり可愛がられている部類のようだ。
「…………」
見ると、シエルが深刻な表情を浮かべていた。
「どうした?」
「いや、わしがいた時はあの表情を見ることはなかったの……と思って、少し……うむ、自責の念じゃな。当時、わしがもっとミナホに向き合ってあげていれば……」
「……ま、お前にも色々あったんだ。なんでもかんでもできるわけでもないんだし、気にすんな」
――と。
ミナホが新たな仕事を、同じく狐のお姉さん(こちらは金髪で、より狐っぽい)に頼まれていた。
「ミナホちゃん、ハの部屋にこれを届けてもらえる?」
「うん、わかった!」
ニパッと笑ったミナホが手渡された布に包まれた荷物を持って、てててーと走っていく。
その先には――
「あれ、日本語ですよね?」
「……だな」
カタカナでイと書かれた扉があった。
やっぱり日本人がいたのか。
この町にという意味ではなく、遊郭と和服を持ち込んだ日本人が。
俺たちのそんな考えとは知る由もなく、ミナホは扉をノックして中に入っていく。
「しつれいします!」
「あっ」
「……!」
綾乃が口を押さえた。
そこでは、一人の男と一人の女が行為に及んでいたのだ。
中の作りは予想通りラブホのようになっていて、ベッドの上でまるで狼獣人の女性の頭を押さえつけるかのようにして、乱暴に男は腰を振っていた。
裸の男の右半身には禍々しいヘビのような入れ墨が入っている。
真っ赤な髪の逆立つようなオールバックで、耳が尖っている。
エルフ……だろうか。
銀髪か金髪しかいないと思っていたが、赤髪もいるのか。
組み伏せられている女性は息も絶え絶えという様子だったが、あれは善がっているというよりただ苦しそうにしているように見える。
「あ、えっと……」
その光景を見たミナホはいくらか及び腰になったものの、務めを果たすのが先決と考えたのか、
「これ、ごちゅうもんのものです! しつれいしました!」
と荷物を置いて部屋から出ようとした。
しかし。
「おい、子供」
男が低い声で呼び止めた。
「お前、銀色の狐か。珍しいな。質もいい上に見た目もいい」
「えっと……」
「こっちへ来い。喰ってやる」
「はあ!? このロリコン男! 最低ですよこいつ! 悠真くん、やっちゃってください!!」
「いや、やっちゃえたら楽なんだけど……」
こいつ。
なんかヤバイ感じがする。
なんだ、この感覚。
喰ってやる?
こいつの喰うってのは、もしかして本当の意味での……
干渉できないはずの過去から、ひしひしと感じるなにかがある。
ミナホは動けずにいた。
そういう仕事はやっていないのだろう。
当然だ。
どうみたって7歳か8歳の子供である。
「来いと言っているんだ」
「あっ……!」
男は立ち上がり、狼獣人のお姉さんを蹴り飛ばした。
こいつ……
「3、2、1……」
男はなにやらカウントを始めた。
そして右手をゆっくり、先程蹴り飛ばしたお姉さんの方へ向ける。
ま、まさか。
「やめろ!!」
俺の声は過去に届かない。
「ゼロ」
男の手の先から、黒い炎が放たれた。
それに呑まれたお姉さんは声もあげずに――死んだ。
真っ黒な炭になって、その場に崩れる。
「え」
ミナホは状況を飲み込めていない。
「言うことを聞かないせいで、一人死んだぞ。もう一度だけ言う。こちらへ来い、
俺の伸ばした腕は男に届かない。
一か八かで<
ぶるぶると震えるミナホに向かって、男は凶悪な笑みを浮かべた。
「まあ、そういう趣向もたまには悪くはないか。恐怖で味が良くなる、と魔王様も仰っていたしな」
――魔王様?
そう言って。
男の周りへ一気に、今度は赤い普通の炎が迸った。
それは瞬く間に辺りを包み込む。
「あ……あ……」
ミナホはぺたんとその場に座り込む。
体は震え、涙も流していた。
俺は。
見ているだけで、何もできない。
「ほう。無意識に魔力でのバリアを貼るか。流石は青銀の妖狐……半分とは言えこの素質、やはり喰うに値する」
一歩。
男が近づく。
また一歩。
そこで。
ぱっと横を見た。
そこにある炎……でもなく、その先を見据えているように見える。
「……強い。厄介だな。今戦うのは得策ではないか」
それはシエルがいる方角だ。
異変に気づいたシエルが駆けつけている最中なのだろうか。
「子供。覚えておけ。お前は、いつかオレが必ず喰う。その時にまた拒否すれば、お前の周りの人間はこうしてゴミクズになるわけだ」
にたりと男は笑った。
「忘れるなよ」
そして、男は消えた。
まるで転移をしたかのような消え方だ。
俺たちはその光景を呆然とみやっていた。
燃え盛る炎が当時のシエルの魔法によってすべて巻き上げられるのは、その数分後のことである。
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