第295話:在りし日の
1.
翌朝。
目を覚ましたウェンディと綾乃を見送ってから、シエルの部屋を訪ねるとまだ眠っていた。
普段は老練なエルフの魔法使いだが、こうして寝顔を見るとマジでただの少女なんだよな。
だらしなくへそが出ている。
ふむ。
えいっ。
「ぎゃー! なにをする!」
飛び起きたシエルに顔を蹴られた。
「なんだよ、ただへそに指を突っ込んだだけなのに」
「……次やったらおぬしの眼球に指を突っ込むからの」
こわっ。
「ふむ、ミナホがいつからあの調子になったのか?」
ご機嫌を取る為にシエルのあんよをもみもみしながら話を聞く。
昨日はたくさん歩いたから疲れたらしい。
おばあちゃんなのか幼女なのか。
というか治癒魔法かければいいのに。
「ああ、何か知らないか?」
「いや、少なくともわしは知らんよ。そこまで確かにやや自虐的……というか自罰的な傾向はあったが、そこまでではなかったからのう」
先日あった話を聞いたシエルも眉をひそめている。
どうやら本当に何もわからないようだ。
「となると、やっぱり研究職員が何かを知ってるのかな……」
「どうじゃろうな。ミナホが来たのはここ50年くらいの話らしいし、それ以前に何かがあったのかもわからぬ。そもそも何かがあったとして、それが劇的な出来事とは限らんからのう」
「というと?」
「小さな出来事の積み重ねでも人は十分変わるじゃろ。あるいは、長年思い詰めていたことによって煮詰まった、なんてこともあるかもしれん。ちょうど、わしがベヒモスに対してそうじゃったようにな」
ベヒモスは強敵だった。
しかし、結果論にはなるがあの時の俺たちの戦力なら決して撃退不可能というわけではなかった。
シエルならそれがわからないはずもない。
それでも、長年の先入観からまず退くことを提案してきた。
確かに、思い込みってのは効果が大きいからな。
もしそうだとしたらどうしようもないが、はたして……
「ところでおぬし、寝てないじゃろ」
「うん? まあな」
夜のうちにあちらへ戻って知佳たちから話を聞いて、その後まだ用事が済んでいないとのことだったので俺だけ家に帰ってきたらスノウとレイさんが帰ってきていたのでちょっと雑談してから戻ってきた。
少しだけ眠っても良かったのだが、朝一でシエルや研究員たちから話を聞きたかったのでそのまま起きていたのだ。
「仕方ない奴じゃのう」
そう言いながら、シエルは俺の頭に触れる。
暖かな感覚。
治癒魔法をかけてくれたのだろう。
夜は色んな意味で忙しいので、一睡もしないことなんてぶっちゃけ珍しくもないので全然平気なのだが。
まあ、最低でも3日に1回エリクシードで睡眠を取れば全快できる。
「まったく、あまり無茶をすると肝心な時に動けなくなるんじゃぞ」
「……肝に銘じておくよ」
今日は休みなシエルがもう一眠りするということなので部屋から出る直前。
「あ、そうじゃ。一つわしもあやつについて知らんことがある」
「なんだ?」
「ミナホが遊郭にいて、火事になって孤児になったからわしが引き取ったという話はしたじゃろ」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたな」
「ミナホはその日のことを頑なに喋ろうとはせんかった。もしかしたら、そこに鍵があるかもしれんぞ。ただ……トラウマであることも間違いなさそうじゃから、引き際もちゃんと見極るんじゃぞ。当時のわしは踏み込めんかった。今も、かもしれんがの」
2.
「え、ミナホさんに変わった様子、ですか?」
「ええ、何か知りませんか?」
例の如く採血の時間。
何も見たくない俺は掌で目を覆い隠しながらエルフの看護師さんに訊ねる。
「うーん……あまり親交が深いわけでもない……というか、あまり
「そうなんですか?」
と言ってみたものの、あの性格なのでまあ想像はつく。
実力はあるから皆に頼られるが、必要以上に馴れ合おうとはしないのだろう。
実力という部分を除けば黒歴史時代の俺と同じだな。
…………。
自分で言ってちょっと虚しくなってしまった。
それはともかく。
「はい、終わりましたよ」
流石に注射も連続すると多少慣れるらしい。
雑談している最中に済ませてくれたので痛みも感じなかった。
情けない姿を見られたくないという理由で他の面子には別室待機してもらっているのだが、それももう必要なさそうだな。
ちなみに今日あちらから来ているのはレイさんとシトリー。
フレアはスノウと一緒に動画の撮影があるそうだ。
この二人の組み合わせは動画的に特に人気があるのだとか。
顔は似ているのに、雰囲気は真逆だし性格も全然違うからな。
フレアもスノウと二人でいる時がある意味、素の性格なのだろう。
生き生きしているように見える。
そういう点が人気に繋がる秘訣と言ったところか。
『妖精』サイドだけではなく俺の動画も継続的に投稿しているようだ。
いつ撮っていたのか、主にダンジョン攻略の様子だな。
コンテンツの規模としては『妖精』サイドとさほど変わらないレベルまで成長しているとのこと。
最近は基本的に魔法で認識阻害をかけているということもあって、町を歩いていてもその影響は全く感じないのだが。
すっかり顔馴染みになりつつある看護師さんに別れを告げ、部屋から出るとレイさんとシトリーが待っていた。
ちなみに今日はシエルとルルはいない。
連日働いてもらっているので、たまには休んでもらわないとな。
天鳥さんは相も変わらず興味津々で今日も元気だが。
「ご主人様、痛くありませんでしたか? わたくしが変わってさしあげられれば良かったのですが……」
「大丈夫だって。流石にもう慣れたもんだよ。別に痛くもないし」
「お姉ちゃんも見たかったなあ、悠真ちゃんが注射こわいよーって泣いてるところ」
「別に泣いてはないからな!?」
シトリーは俺のことを時折弟だと思っている節があるし、レイさんは油断していると無限に甘やかしてくる。
この組み合わせはある意味危険かもしれない。
色んな意味で。
「さあ、悠真クンの用事も済んだことだし早速行こうか。今日も色々調べることはあるのだろう?」
天鳥さんはもう新しいゲーム機を前にした少年みたいなキラキラした目をしている。
楽しそうでなによりである。
ミナホは朝が弱いらしく、昼頃から合流するらしい。
それまでに色々と話を聞いておきたいな。
というわけであれこれ検査したり試験みたいなのを受ける中でそれとなく研究員たちに話を聞いているのだが、何も進展がない。
どうやらミナホはほとんど研究員たちとコミュニケーションを取らないそうだ。
ますますいつかの誰かさんを彷彿とさせるぼっちっぷりだな。
う、思い出すだけで目眩が……
なんてことを考えていると。
「おはよう」
脳波測定(?)っぽいなにかをしている最中に、白衣を着たミナホがとろんとした目をしながら入ってきた。
寝起きなのだろうか。
「お、おはようございますっ」
なにやら機械を触っていた若い女性研究員が緊張したように挨拶する。
「後はわたしがやるから」
「は、はいっ、お疲れ様です!」
腰の低い彼女はそのまま部屋から出ていってしまった。
「……いいのか?」
「…………?」
ミナホは首を傾げる。
「ご主人様は同僚に対してあのようなぞんざいな扱いで良いのか、とお訊きです」
レイさんがすかさずフォローを入れる。
流石痒いところに手の届くメイド。
出来る女。
「なるほど。別に、平気。いつもそうだから」
「いつも? いつもあんな感じなのか?」
誤解を恐れずに言うと、あれはほとんど交流がなくて人となりのよくわからないぱっと見で怖そうな上司に接する平社員みたいな態度だったぞ。
というか、これは比喩じゃなくて全くそのままその通りっぽいのだが。
「……なるべくわたしと同じ空間にいないようにお願いしてる」
「僕たちはいいのかい?」
天鳥さんが至極当然な疑問を投げかける。
同僚は駄目で、俺はともかくほぼ部外者な天鳥さんやシトリーやレイさん、なんなら昨日だって一昨日だって知佳たちにもスノウたちにも何も言っていない。
「うん」
特にそこから先、理由を言うつもりはないようでそのまま機械を弄り始める。
うーん。
仮説1。
知佳から聞いた『悠真の恋人』というのを間に受けて、まさにその恋人たちである天鳥さんたちには気を遣っている。
これは多分だが、違うと思う。
そういう忖度をするようなタイプには見えないという薄めの根拠だが。
仮説2。
部外者だからこそOK。
見知った人が近くにいるとやりづらい?
しかしそうなると俺と天鳥さんは連日顔を合わせているわけで、よくわからなくなってしまう。いずれは天鳥さんも追い出される日が来るのだろうか。
仮説3。
その他。
ぶっちゃけ思いつかなかった。
しかし仮説1も2も違いそうなのでこの仮説3のその他が有力候補なのだろう。
まあ、聞くのが手っ取り早いな。
「なんでだ? 集中できないとか?」
「うん」
あれ、案外普通な理由だったな。
……でもそうなると尚更天鳥さんたちはOKな理由がわからないな?
やっぱり忖度か?
でもなあ……
そうであってほしくなかった仮説4かもしれないな。
シエルから聞いた、ミナホのトップシークレット。
彼女のいた遊郭が燃えた日。
何があったのかが、やはり鍵なのだろうか。
どうやって聞き出したもんかねえ……
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