第286話:ミャ
1.
「茶トラの猫か。小さいような気がするけど、まだ成長するのか?」
「もうちょっと大きくなるとは思うけど……お医者さんいわく、チャチャはそもそも小柄な子みたい」
にしても、茶トラの猫だからチャチャか。
安直な名付けなのかと一瞬思ったが、アメリカとフランスのハーフなティナからすれば日本語で名付けてる時点で捻ってるのか。
どうやら人懐こい上に大人しい猫のようで、ティナの膝の上に置いてあるキャリーの上でじっとしている。
久しぶりに使うような気がする車の助手席には天鳥さんが座り、後ろにスノウとティナがいるような形である。
「よし、そんじゃ出発するぞー」
行き先は新宿ダンジョン。
転移石での転移も考えたが、人に見られてはいけない都合上それなりの深層へ行くしかないか、浅めにあるにしてもある意味ティナにはあまりお見せしたくない場所にあったりするので車での移動だ。
まあ深層へ行ったところで俺とスノウがいるのだから危険という危険はないのだが。
念には念を入れて、だな。
「スノウ、今のチャチャに魔力はあるのか?」
「今の所は全く感じないわね。普通の可愛い猫よ……それよりティナ、あんたこの間より魔力がほんの少しだけ増えてるわね。あたしに黙ってダンジョン行ったでしょ」
「い、行ってないわよ……?」
「そんなんで誤魔化されるわけないでしょーがー!」
ぐりぐりとスノウがティナの頬を両手で挟んでいるのがルームミラー越しに見える。
柔らかそうだな、ティナのほっぺ。
微笑ましい光景である。
「ティナちゃんは本当にダンジョンに行っていなくて、悠真クンとイチャついただけという可能性もあるね」
さらりととんでもないことを言う天鳥さん。
「ええっ!?」
「悠真ぁ~!?」
驚く声をあげるティナと、ドスの効いた声で後ろから俺を威嚇してくるスノウ。
「事実無根だ!」
「そ、そうよ! スノウとこの間会ってからはユウマに会えてないもの!」
「じゃあやっぱりダンジョンに行ったってことじゃない!」
「や、
再びほっぺをぐりぐりされるティナ。
墓穴を掘ったな。
「パパと一層までしか潜ってないから大丈夫よっ! もう、スノウもユウマも過保護すぎ!」
「確かに、条件を満たしているのなら君たちにとやかくいう権利はないのではないかい?」
天鳥さんがティナに助け舟を出す。
それは確かにその通りだ。
アメリカが彼女に手を出す可能性も今はゼロと言って良い。
今更俺たちに喧嘩を売るような真似はしないだろう。
「そんなことはわかってるわよ。でもティナのパパには悪いけどあたしや悠真がついてった方が絶対安全だわ。なのに黙ってたからオシオキしてるの」
「こっそり強くなってびっくりさせようと思ったのに~……」
「ティナちゃんの気持ちもスノウさんの気持ちもわかる僕としては、そうだな。双方に得のある折衷案を提案しようか」
「へ?」
「悠真クンかスノウさんのどちらかが、最低でも一週間に一度はティナちゃんへ会いに行って魔力が増えていないか確かめればいいのさ。それで双方時間がある時は、一緒にダンジョンに潜ってあげればいい」
「天鳥さん、ティナは俺たちみたいなある程度自由のある社会人じゃなくて、学生ですよ? そんなのティナにとっても迷惑に――」
「そ、それいいわね! そうしてちょうだい! ね、スノウ!」
俺の言葉を遮るようにしてティナがスノウにせがむ。
信号で止まって、後ろの様子をミラー越しに見るとスノウが何かを納得したかのように「はーん……」と呟いていた。
「……ま、良いわよ」
どうやら俺の意思は関係ないらしい。
いやまあ、別にそれくらいの時間は捻出できなくもないが。
ティナにあまり会わなかったのは交友関係だったり学校関係だったりで忙しいだろうから、というのが大部分を占めてるわけだしな。
2.
そんなこんなありながらも、新宿ダンジョンへ到着した。
スノウによる認識阻害の魔法で白髪の超絶美少女、白衣の合法ロリ巨乳、金髪ツインテールのJK、そしてキャリーに入った猫という中々に異色のパーティも目立たない。
とは言え、誰か個人を認識した時点でその魔法の効果は薄れる。
特級のライセンスを入り口で見せると、明らかに意味のわからない組み合わせに受付の人はぎょっとしていたのはちょっと可哀想だった。
元々彼ら彼女らには守秘義務があるのだが、特に
もし情報漏えいがあれば、記憶を消すスキルを持ったエージェントが飛んできてチョメチョメするとかしないとか。
この辺は俺も噂で聞いた程度な上に、柳枝さんや未菜さんクラスでも詳細は知らないらしい。
ただ、どういう手段かまではともかく、記憶を消すという処理を行うことができるのは確かなのだとか。
「で、ダンジョンに入ったわけだが――どうだ? 魔力の方は」
入り口近くは認識阻害魔法があっても人がごった返しているので、広大な敷地面積を活かして奥の方まで来てからスノウに確認してみる。
「んー……」
じっとスノウがチャチャを見つめる。
チャチャも琥珀色の瞳でスノウをじっと見ている。
「あたし達の魔力とはちょっと違うような気もするけど、ほんのちょっとだけ魔力を感じるわね」
「え、マジで?」
俺もチャチャをじっと見る。
魔力は感じない……ような気がするが。
いやしかし、言われてみれば確かにほんの僅かな……魔力に近いものを感じるような気がしないでもない。
「……ティナ、ちょっとケージから出してみてもいい? 大丈夫、そのまま逃したりするようなヘマは絶対にしないわ」
「う、うん。いいけど……」
猫は素早く動くが、本気で動けばスノウや俺の方が圧倒的に速い。
スノウの言う通り、逃がすようなヘマは打たないだろう。
キャリーの入り口をティナが開くと、チャチャは初めて見る環境に特に戸惑う様子もなく、ひょこっと外に出た。
そのまま走り去っていくでもなく、ティナの足元でじっと座って、スノウを見ている。
「ちょっと触るわよ」
「ミャ」
まるで頷くかのように短く声を発したチャチャにスノウが触れる。
「うわ、すっごいもふもふ……じゃなくて。やっぱりこの子、魔力あるわよ。香苗、計測器を」
「了解」
天鳥さんが計測器をチャチャに向ける。
すると――
「――12という数値が出ているね」
「……潜在魔力も測れるはずの機械ですよね、それ」
「人と動物では勝手が違うのかもしれない。しかし<覚醒>した後ならば正常に測れるのか……ふむ」
天鳥さんが考え込むようにする。
「12……って多いの? 少ないの?」
「確か、天鳥さんの一番最初の数値が50いくつとかだったから……魔力としては普通の人よりはだいぶ少なめなんじゃないか? 猫の中で多いのか少ないのかまではわからないけど……」
ちなみについでにティナも測ってみたところ、ティナの魔力は7021だった。
既に身体強化を施すことができるラインには乗っているし、探索者として見ても中級者と言って良い程度の魔力はある。
ぶっちゃけ、保護者なんていなくてもある程度戦闘に慣れて無意識に強化ができるようになれば1層どころか2層、3層までいけるだろう。
ティナには魔法もある上にスキルの<気配感知>を使えば群れに囲まれることもないだろうから、もしかしたら6層辺りまでは……
まあそれでもやはり子どもに潜らせるには危険すぎるのがダンジョンだが。
「次の実験だ。悠真クン、チャチャに触れてもらえるかい?」
「へ、なんで?」
「君との単純接触で魔力が増えるのは実証済みだろう」
「あー……」
そういえばそうなのか。
別にえっちいことをしなくても魔力は増えるには増える。
効率があまりよろしくないだけで。
「ティナ、この子って触れても大丈夫な子か?」
「え、うん大丈夫だと思うけど……大丈夫よね? チャチャ」
「ンミャ」
チャチャは頷いた。
……頷いた?
「今の見ました? 天鳥さん」
「……見たぞ。まさかチャチャ、君は僕たちの言葉がわかるのかい?」
「ンミャ」
もう一度頷く。
「えっ……えっ? チャチャ、本当にわかるの? 本当にわかるなら……えっと、尻尾を3回振ってみて」
ティナがチャチャにそう指示すると、チャチャは3回ふりふりと尻尾を振った。
「……チャチャ、君は喋ることはできるかい? できるなら3回、できないのなら5回尻尾を振ってみてくれ」
そう天鳥さんが言うとチャチャは5回尻尾を振った。
「これ、どう考えても意思疎通できてるわよね。チャチャ、ティナのことは好き?」
尻尾を3回振る。
「あたしのこと覚えてる?」
尻尾を3回振る。
「こいつと以前会ったことは?」
スノウが俺を指差した。
チャチャとは初対面のはずだが……
チャチャは少し迷ってから、尻尾を5回振った。
「……すごい、これ本当にあたし達の言葉を完璧に理解してるわ」
「明らかに僕の知る猫の知能ではないね。ティナちゃん、チャチャは頭がいいと言っていたが、以前からこうなのかい?」
「う、ううん……」
「ふーむ……『僕の言葉がわかるかい?』」
今度は英語で話しかける天鳥さん。
チャチャは尻尾を3回振った。
「『こちらの言葉は?』」
チャチャは困ったようにティナを見る。
今のは多分……フランス語だな。
「ティナちゃん、家で普段喋っているのは日本語と英語という認識で間違いないね?」
「え、う、うん。基本的には日本語で喋るようにしてるけど、パパはまだ日本語を覚えきれていないからたまに英語も混ざる感じかな」
「つまり、君たち家族が普段喋るような日本語や英語は理解できている。人間の子どもと同じだ。喋ることができないのは……発声器官の問題かな」
「てことは……少なくとも人間の子どもと同じくらいの知能がある、と?」
「細かいことはもう少し調べてみないとなんとも。けれど、これは……人間と動物の在り方が根底から覆る可能性すら孕んでいる、とんでもない大発見だ」
全員が呆然とした視線をチャチャに向ける中、当の本人……もとい本猫は「ンミャ」と短く鳴くのだった。
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