第277話:魂の繋がり

 見事な庭園をフローラと二人で歩く。

 視線を感じるのは気の所為ではなく、スノウ、フレア、ウェンディ、シエルの四人に見張られているので当然だ。


 いや、四人ではなく五人……か。

 過保護だな、うちの仲間は。

 

 さておき。

 

「見事なもんだな、流石王宮……と言いたいところだけど、雨しか降らないこの国でなんで植物が育つんだ?」

「魔法で太陽の光を再現して育てるの。それだけ強ければ魔法のことにも詳しそうなのに、そんなことも知らないなんてあなたってやっぱり少し変よね」


 くすくすと笑うフローラ。


 背中にちくちくと視線が突き刺さる。

 フレアはあの性格で何故か俺が他の女性に手を出すことに対してあまり感情を昂ぶらせないのだが、一見その辺りサバサバしてそうなスノウと本来あまり感情を表に出さないウェンディがむしろそうじゃない。


 フレアが感情を表に出すのはむしろ内輪の方だ。

 例えば昨日は『スノウと○回なになにをしたからフレアには○回してください』、とかそんな感じ。


 そういう意味では結局全員のご機嫌取りを平等にする必要がある。

 天鳥さんに強力な精力剤の開発を依頼する日もそう遠くないかもしれない。

 エリクシードを上手いことなんかちょちょいとできればそれなりの代物ができそうな気もするが。


 しゃがんで植え込みに咲く藤色の花を愛でているフローラの横顔を見る。

 初対面の時には死人のようだった血色も今ではすっかり良くなっている。


 実はエリクシードをほんの少量ずつ料理に混ぜていたのだ。

 欠損部位をも治してしまう程の超常的な回復力を発揮できる量ではないが、本来の用量(実まるっと一つ分)に比べれば眠気も抑えられる代わりにエナジードリンクよりはよほど体力を快復することができる。


 俺くらい魔力も体力も多い人間だとそんなちょっとだけ食べてもほぼ意味はないのだが、弱っているフローラならばその限りではない。


「……ねえ悠真、わたしね……」

「うん?」

「もしあなたが悪魔祓いに失敗しても、すごく幸せだと思う。もう後は……死ぬだけと思ってたから。なるべくお父様やお母様にも迷惑をかけないように。悲しくならないように、二人とも会わないようにしてたのよ。もちろん……」


 右手で鈍い輝きを放つ指輪にぎゅっと触れる。


「ここにいる悪魔が、誰かを殺しちゃうかもっていうのもあったわ」

「ちょっと会わない程度で親が子供のことを忘れるかよ。10年以上会ってなかった息子の顔を一発で判別できた母親だっていれば、見も知らずの土地で10年間、ひたすら自分のガキと妻に会いたくて旅を続けてたおっさんだっている」

「そうなの? ……もしかしてそれって悠真の……」

教えてやるよ。悪魔をぶっ飛ばした後にでもな。だから悪魔祓いに失敗した場合のことなんて考えなくていい」


 ぽん、とフローラの肩に触れる。


「ま、晴れた日にでもピクニックとか行って8年分の親子の交流を埋めるんだな」


 フローラは空を見上げる。

 雨は弾かれているし、比較的明るいとは言え。

 やはり太陽は見えない。

 光はそこに確かにあるはずなのに。


「その時はあなたも一緒に来てくれる? 悠真。お父様とお母様に紹介したいから」

「いきなりご両親に挨拶はハードルが高いな。できれば最初のデートは二人きりが理想だ」

「さ、最初のデートって――」

 

 フローラが顔を赤くして振り向いた瞬間。

 

 俺はにいた。



「――なるほど、すっかり出てこねえから諦めちまったかと思ったぜ、クソ悪魔」


 前後不覚になりかねない真っ黒い空間。

 そこに、一見柔和そうにも見える茶髪の青年が立っていた。

 無表情で俺のことをじっと見て――いや、睨んでいる。


「……皆城悠真」


 俺の名をぽつりと呟く悪魔。

 その表情が憎悪に満ちたものになる。


「皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真皆城悠真!!」

「野郎に、それも悪魔にそんな熱烈に名前を呼ばれたって嬉しかねえ――な!!」


 不意打ちでの飛び蹴り。

 渾身の一撃だった。

 しかし、外れた。

 

 あいつが何かしたのではない。

 俺が外したのだ。

 それもそのはずである。


「なん……だこれ……」


 俺の左腕が

 千切れたとか切断されたとかそういうことではなく、まるで元々そこに存在していなかったかのように、当たり前のように無いのだ。


 あまりにも自然だったせいでそれに気付かず、バランスが崩れたまま飛びかかったので俺が無様に一人でコケたのである。


「ここは現実とは違う」

「がっ……ぐっ……!」


 いつの間にか目の前にいた悪魔が俺の首を掴む。

 物凄い力だ。

 両腕があればなんとか抜け出せたかもしれないが、片腕では――


「貴様が表で姫と愛を育む間、僕は僕自身の憎しみ恨み怒り欲望嫌悪無念軽蔑殺意苦しみ悲しみ悩み絶望空虚焦燥嫉妬――負の感情を貪って力を蓄えていた。ここへ貴様をに魂を削り殺してやるつもりだったが、左腕しか奪えなかったのは想定外だった――だが」


 首にかかる力が更に強くなる。

 チカチカと視界が瞬く。


「う――ぉぉおおおお!!」


 苦し紛れに右手で魔弾をに放った。

 その衝撃で後ろへ吹っ飛び、拘束から逃れる。


 悪魔に魔法は効かない。

 そう聞いていたから自分に撃ってみたが……くそ、流石俺だな。

 もう一回同じことをやったら自滅するだけだぞこれ。


「無駄だ、皆城悠真。貴様はここで死ぬ。魂の死は肉体の死も意味するのだ。姫を奪おうとした報い、その命をもって償え」

「……あ?」


 何か俺の中で引っかかるものがあった。

 そして奇跡的に頭の中でピースが埋まっていく。


「……なるほどな、ようやく合点がいったぜ」

「……なに?」

「俺ァてっきり、お前のことを鍛冶屋の息子が呼び出した悪魔だと思っていたが……違うんだな。そういう魔法があるかどうかは知らねえが、お前自身が鍛冶屋の息子なんだろ」

「…………」


 ギロリと俺を睨む悪魔。

 この反応は恐らくビンゴだな。


 500年間もの間、この世界に留まり続け影響を及ぼし続けていた悪魔。

 ウェンディとシエルが言っていた。


 通常の悪魔はここまで人間が露骨に不利な取り引きを持ちかけることは、本来できないはずだと。

 

 つまりこいつは普通ではない。

 では、何が普通ではないのか。

 それがわからなかった。


 しかし先程、こいつは――


「自分自身の負の感情を貪って、って言ってたな。人の悪感情を食料とする悪魔が、なんで自分テメェ自身の負の感情を貪ることができるんだ?」

「…………」

「500年もの間理不尽な契約でこの世界に留まり続けることができたのも人間の体に受肉したから、とかそんな感じなんだろ」

「……だったら――どうした!!」

「ぐあっ!!」


 距離を詰められ、腹に蹴りを入れられる。

 ダメージが蓄積しすぎているせいで、魔力による身体強化がままならない。

 緊急事態とは言え、魔弾を強く打ちすぎたか。

 そもそもこの魂の世界とかいうのが動きにくいんだよ、くそ……!


「馬鹿そうな面だが、頭はそこそこ回るようだな。そうだ、僕は悪魔を呼び出し――この身に宿したのさ。未来永劫、この国の姫を呪い続ける為に!!」


 伏せる俺の髪を掴んで頭を持ち上げられる。

 

「……好きなんじゃなかったのかよ」

「彼女は僕に応えてくれなかった!!」


 空いている方の手で俺の顔面を殴打する悪魔。

 凄まじい威力な上に、防御へ回す魔力を練る気力がない。

 意識が飛びそうだ。

 いや――死にそうだ。


「……だから奪ったのか。相手の命も――好きな奴の未来も!!」

「貴様に何がわかる!!」


 衝撃。

 ぼたぼたと血が垂れる。

 左目が見えない。

 潰れたか。


「わからねえよ……」

「だったら貴様は黙っていろ!! 黙って!! 死ね!!」


 殴られる衝撃音が頭の中で直接鳴ってるみたいだ。

 クソが。

 こんなクソ野郎に負けるのか。


「……テメェみたいな屑の考えることが、わかってたまるかよ」

「死――」


 霞む視界の中。

 世界がゆっくりになる。

 これが走馬灯というやつなのだろうか。

 

 ――いや、違う。

 

 これは。

 この感覚は――


「――なっ!?」


 悪魔の体を

 その間に、俺は自らの体を生成した氷で弾いて立ち上がらせた。

 そのまま氷で体を支える。


「……何故動ける、貴様」


 魔法で作り出した氷だからか、悪魔は難なくそれを砕いて出てきた。

 だが、俺の頭は冴えている。

 今までない程に――いや。

 今までに一度だけ体験したことのある状態、と言うのが正しいのか。


「今回は――」


 ベヒモスと戦った時に、一瞬だけ感じた念話が

 

「動けるわけじゃねえよ。動かしてんだ、無理やりな」


 氷はどう足掻いてもそこに存在する物質だ。

 それを細かくあらゆるところに生成させながら、その確かな反動で俺は前に一歩踏み出す。


 ここまでの演算能力も、氷を生成するセンスも俺にはない。

 だからこれは恐らく、知佳とスノウの能力を一時的に借りている――共有リンクしているような状態なのだろう。


 この世界が闇で包まれているのではなく、影というものが存在していたのならば<影法師>さえ使うことができたかもしれない。


「意味の――わからないことを!!」


 殴りかかってきた悪魔の周囲にを発生させ、強制的に転ばせる。

 なるほど、こんなこともできるのか。

 

 ということは――


「ガッ――あぁああああああああ!!!!」


 悪魔の体が激しく炎上を始め、その場にのたうち回る。

 魔法が効かないはずの悪魔が、明らかにダメージを受けている。

 炎による直のダメージではなく、それで発生する熱によって……ということだろう。


 もちろん相手の動きを強制するほどの細かく強力な風も、熱のみでダメージを与えるほど強力で濃密な炎も、普段の俺ならば作り出すことはできない。


「な、なん――だこれは! 有り得ない!! こんなものはッ!! 有り得ない!!」


 全てをかなぐり捨てて襲いかかってきた悪魔は、今の俺の演算能力でも動きを追いきれないものだった。

 だが――


「か……はっ……」


 俺はそちらを見もしないで、完璧なカウンターを悪魔に決めていた。

 雷を肉体に這わせ、で体を動かしたのだ。

 

 顔面を殴り飛ばされた悪魔が鼻を押さえてよろめいている。

 どうやら、それがこの世界での俺の肉体の限界だったようだが。

 もはや右手も動かない。立っているだけで精一杯だ。


 だが、それで十分だった。

 

 魂の世界が歪む。

 俺だけが追い出されようとしているのだ。


「馬鹿が――お前はここで死ぬんだよ、クソ悪魔」


 悪魔は服を着ている。

 体がどうかは知らないし、この世界がなんなのかも知らないが――

 服は確かにだ。


 悪魔の服を起点にそいつを掴むようなイメージで、俺が追い出されるのと同時に




 世界に色が戻る。





 知佳が心配するように俺を覗き込んでいる。

 フレアは泣いているし、スノウは泣きそうな表情だ。


 ウェンディは俺の右手を、シトリーは左手を握っている。

 シエルは少し離れたところで呆然としているフローラの肩を抱いていた。


!!」


 謝るより先に、俺は叫んだ。

 悪魔がこの世界に姿を現す。

 青年の姿ではなく、どす黒い肌に異形の角、形相のそれが飛び出してフローラの方へ向かう。

 

だけは――だけは渡してたまるか――!!」


 もはや人の声ともつかぬ異質な声。

 しかしその悪魔の執念が彼女に届くことはなかった。


 ぞっとする程冷たいフレアの声が響く。




「お前か」




 紫炎が悪魔の体を包み込み、それがウェンディの風によって空高く巻き上げられる。

 周囲の温度が即座に下がったのはスノウが咄嗟に魔法を使ったのだろう。


 でなければ、俺たちはともかくこの国そのものが消し飛んでいたかもしれない。

 

 後には何も残らなかった。

 フローラの指にあったリングは、いつの間にか砕けていたのだ。

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