クリスマス特別短編

※本日更新分はクリスマス特別短編になります。時系列は作中1年前になっております。



1.



「寒っ!!」


 扉を開けて外に出ると思いの外――というか予想以上の寒さに身を竦ませる。

 寒い。

 あまりにも寒すぎる。


 引くわ。

 寒すぎて。


「っと」


 危ない危ない、忘れ物をするところだった。

 玄関に置いておけば忘れないだろうと先に用意しておいたのに、そのこと自体を忘れているのが我ながら間抜け極まりない。


 今度こそ忘れ物をポケットにしまって、鍵を閉める。


 ……浮かれてるんだろうな。

 別に恋人と会うわけではない。

 あくまで友人だ。


 それでも楽しみになってしまうのは仕方がないだろう。



2.


 

 待ち合わせ場所――ハチ公の前に来ると、待ち合わせ相手の知佳はまだ来ていないようだった。

 まあ、時間より10分早いからな。

 あいつはいつも時間ぴったりに現れるのだ。


 一度行ったことのある場所なら信号が変わるタイミングを覚えているから、遅れる理由もなければ早くなる理由もない、というのがあいつの言葉である。


 流石に電車が遅延したりしたら普通に遅刻するんだけどな。

 信号のタイミングくらいなら一度行ったことのある場所であれば本当に覚えていそうなのがあいつの凄いところである。


 流石というかなんというか、カップルばかりになっている周りをぼんやり眺めながら待っていると――


「おぐぅ!?」


 突然脇腹を突かれて悶絶した。

 

「まさかそんなに反応するとは」

「て、てめ……!」


 顔を上げるとそこにはもこもこの桃色のマフラーと桃色の手袋、そして茶色のコートで身を包んだ知佳がいた。

 ちなみにマフラーと手袋は俺が一昨年と去年にプレゼントしたものだ。

 物持ち良いよな、こいつ。


 律儀に大事に使ってくれてるあたり、やっぱりこいつ俺に気があるんじゃ……と勘違いしそうになるのだが。


 周りで恐らく同じく待ち合わせをしている人たちの視線を感じる。

 「おぐぅ!?」なんて恥ずかしい声を出す失態をしてしまったのだから当然だ。


「お前いつかやり返すからな。絶対やり返すからな」

「今ここでどーぞ」


 そう言って知佳はぱっと両腕を広げる。

 …………。


「…………」

「意気地なし」


 知佳はぱたんと腕を閉じた。

 そりゃお前、こんなところで女子にそんな風にイチャついたらカップルだと勘違いされるだろ。


「……というかいつもは時間ぴったりなのに今日はちょっと早いんだな」

「楽しみだったから、つい」

「……本気で言ってるのか?」

「顔赤くなってる」

「寒いからだ」


 実際の答えは言わずに知佳は前を歩き出す。

 何を言うにしてもいつもの眠そうな目と無表情なので本気かどうかがわかりにくいんだよな。

 まあ、さっきのは冗談だろうとわかるのだが。


 大学の話だったり就職の話だったり、他愛のない話をしながら町中を歩く。


 ふと、クリスマスのイルミネーションに隠れるようにして貼られていたポスターが目についた。


「…………」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 ポスターの内容は『一緒にダンジョンを探索しませんか?』な内容の求人ポスターだった。

 名前は見たことのない会社だったので、恐らくは最近立ち上がったベンチャーだろう。

 ダンジョン管理局くらいになるとあんなポスター出さなくても勝手に人が寄ってくるしな。


 わざわざ愛知から東京まで出てきた俺のように。


 少し前まで。

 俺はダンジョン管理局にずっと入りたいと思っていた。

 正しくは、ダンジョン管理局所属の探索者になりたい、なのだが。


 その理由はいくつかある。


 単に探索者が楽しそうだと思ったということもあるし、親父が死んだダンジョンを攻略したのがダンジョン管理局の柳枝利光――そして顔も名前も知らないが確かに存在していると言われる、ダンジョン管理局の社長だということもある。


 それに……

 ダンジョン管理局ほど優れた探索者が多く集まる会社に入れば、いつかは……


 親父の骨くらいなら見つけられるかもしれない。

 そういう淡い期待も無いわけではない。


 とは言え、今はもう正直どうでもいい。

 いや、どうでもいいと言ったらちょっと言い過ぎかもしれないが……


 ここだけの話、俺には管理局の探索者になれないのならいつ死んでも構わない、くらいに思っていた時期がある。

 

 母親は蒸発し、親父はダンジョンで死んだ。

 婆ちゃんに引き取られて育ったが、ぽっかりと空いた穴はどうしても塞がらなかった。

  

 もっと言えば――

 管理局の探索者になって、ダンジョンの中で死にたいと思っていた節もあったかもしれない。

 

 日本……いや、世界最高峰のダンジョン攻略会社の一員になるくらい頑張って、でも駄目で、ダンジョンの中でモンスターに殺される。

 そんな悲劇的な生き方にどこか盲目的な憧れのようなものを抱いていたのだ。


 そんなあれこれを正してくれたのが今隣を歩いている知佳だ


 俺は多分、そんな知佳のことが好き……なんだと思う。


 そして同時に感謝もしている。


 だからこそ、知佳には迷惑をかけたくないし――その気持ちを表に出すことで関係が壊れるかもしれないと考えると身が竦んでしまう。



「――悠真、話聞いてる?」

「あ? 悪い、なんだっけ」

「猫派か犬派か」

「そんな議論され尽くした内容を今更またぶり返すなんてことはお前の記憶力に限って絶対に有り得ないと断言できるが、一応言っておくと俺は猫派だ」

「そう、私も猫派。一緒で良かったね。将来揉めることがない」

「将来ってなんだ、将来って」


 思わず顔が赤くなってしまう。

 こいつはすぐにこうやって俺のことをからかってくるのだ。

 俺に対して恋愛感情があるのかないのかはよくわからない。

 少なくとも嫌われてはいない――というか好ましくは思われているのだろう。


 ただ、正直なところそれが仲の良い男友達の延長線なのだろうかと考えてしまうのだ。


 母さんがいなくなってから、俺は誰かの心の内側に踏み入るのが怖くなってしまった。

 俺たち家族は仲が良かった方だと思う。

 それもかなり。


 しかし母さんは何も言わずにいなくなった。

 親父に理由を聞いても教えてくれない。

 結局、真実を知る前に二人ともいなくなったのだ。

 

 表面上はどう見えていても、内側で何を考えているのかなんてわからない。

 それが人間だ。


 知佳は良い奴だ。

 それは間違いない。

 けれど――それでも。


 俺は一歩引いてしまう自分のことが嫌いで、踏み込むことができないのかもしれない。


「……もしかして忙しかった?」

「うん? いや、別に。バイト先の先輩にはいやそーな顔されたけどな。イブは用事があるんでって言ったら」

「忙しいから嫌そうな顔したんじゃなくて、バイトの後輩にイブに用事があること自体が嫌なんだと思う」


 ああ、それはちょっとわかるかもしれない。

 俺も逆の立場だったらなんか嫌だし。

 とは言え、知佳と俺はデートしているというわけではなく――


「やっぱり恋愛映画を見るならクリスマスに見ないと」


 映画館の前で知佳は言う。

 そう。

 俺たちはデートをしにきたわけではなく、知佳がその時に気になっている恋愛映画を、クリスマスにカップルっぽく見に行くことで最大限楽しもうというプロジェクトに巻き込まれているだけなのだ。


 まあ――役得みたいなものだとは思ってるけどさ。



 

 正直なところ特に面白いわけでもつまらないわけでもない映画を見終わり、例年通り一応クリスマスだということでプレゼントを渡し合って解散、という流れになるのかと思ったが。

 

 知佳が驚くべき提案をしてきた。

 

「映画つまらなかったし、不完全燃焼。私の家、来る?」


 俺は少し迷った挙げ句――頷いたのだった。



3.



「……いつ来ても綺麗だよな、お前んち」

「散らかる理由がない」

「ぜひとも世の中の片付けられない人たちに聞かせたい台詞だな」

「去年くらいまでは悠真もそうだったでしょ」

「ごもっとも」


 知佳が家に来る度に片付けをしてもらっていた。

 何度もしてもらっているうちに俺自身も片付けのコツのようなものを覚えたのであまり散らかることはなくなったのだが。


 知佳の家には今までも何度か上がったことがある。

 どうやらこいつも上京してきたクチで、一人暮らしをしているのだ。

 

 普通なら一人暮らしの女性(知佳は見た目は中学生だが、中身は立派な成人女性だ)の家に上がり込むなんて緊張しまくりそうだが、流石にもう慣れた。


 まあクリスマスイブに来るのは初めてなのだが。

 

 道中のスーパーで適当に買った最後のローストチキンを食べながら、何やらITな感じの在宅ワークでそれなりに稼いでいるらしい知佳の家にあるでっかいテレビで何故かホラー映画を見る。


 ぶっちゃけ俺も知佳もホラー映画にビビるタイプの人種ではないのでただ淡々と見るだけなのだが。


「なんか思ってたのと違う……」

「何か言ったか?」

「なんでもない」


 エンディングまで見終わったタイミングで知佳が何事かを小さな声で言ったが、よく聞き取れなかった。


「あ、そうだ」

 

 どことなく白々しい感じで呟いたそんな知佳がふらりと立ち上がり、台所の方へ向かう。

 ちなみに俺の住んでいる安いアパートと違ってこのアパートはセキュリティ付きな上に2LDKだ。


 どれくらいのお家賃なのかは聞いたことがないが、確実に俺の住んでいるところの3倍以上はするだろう。


 知佳が冷蔵庫から取り出してきたのは……


「梅酒?」


 一升瓶に入った梅酒だ。 


「実家から送られてきた。私だけじゃ飲みきれないから、手伝って」

「飲みきれないって、お前俺よりずっと酒強いだろ?」

「量が多すぎ」

「まあ……別にいいけど」


 いやでも本当にいいのか? 知佳の家で酔っ払うってことだろ?

 しかもクリスマスイブに。

 ど、どうしよう。

 俺も酒癖がそこまで悪い方ではないがテンションが上がって知佳に襲いかかるなんてことになったら。


 そうなったら腹を切るどころの騒ぎじゃないぞ。


 そんな風に悩む俺の気持ちは知ったこっちゃない知佳が氷を入れたグラスと炭酸水を持ってきた。

 これで割って飲むということだろう。


「つまみもある」


 とピーナッツだのなんだのをざらざらと出してきた皿へ移す知佳。

 

「いつもつまみと酒で飲んでるのか?」

「いや、家では全然」

「……にしては用意が良くないか?」

「気のせい」


 このつまみもさっきチキンを買った時に一緒に購入したものっぽいし、手際の良さからしてもまるで今日、ここで俺と梅酒を飲むことが決まっていたかのような――


 いや、流石にそこまでは考えすぎか。

 というか自意識過剰だ。

 あらゆることに対して知佳の手際が良いのは今に始まったことじゃないしな。


 俺の10倍くらい要領がいいからな、知佳。


「あ、そうだ。飲む前に今年のプレゼント渡しとくわ」


 俺はポケットから小さな箱を取り出して、知佳に手渡す。


「開けていい?」

「どーぞ」


 許可を出すと、知佳は箱を開ける。

 その中には特に目立つ要素のない、青色の髪留めが入っていた。


「ふぅん……悠真にしてはセンスがいい」

「にしてはってのは余計だ」

「ちょっと待ってて」


 知佳が立ち上がり、部屋の方へとてとてと歩いていった。

 そして何かを持って戻ってくる。


 律儀に髪留めもつけていた。

 ……くそう、こいつマジでかわいいな。

 

「はいこれ。プレゼント」

「……手袋?」

「編んでみた」

「マジで!?」

「マジ。嬉しい?」

「超嬉しい。手編みの手袋かー、マジかー。俺も髪留め自分で作りゃよかったなあ」

「流石にそれは無理なのでは」


 紺色の毛糸で縫われた手袋はサイズもぴったりだ。


 ふと知佳の方を見ると、何故か台所の方を向いて何かを気にするようにしていた。

 あっちに何かあったか?

 

「どうした?」

「時間見てた」

「…………そこに時計あるじゃん」


 わざわざ台所――後ろを向く意味はないように思うのだが。

 しばらくしてこちらに向き直った知佳は、梅酒をグラスに注いで俺の方へスライドさせる。

 

「はい、飲んで。消費して」

「わかったわかった」




 ちなみに。


 この後俺が酔っ払って知佳へ襲いかかるという事件は起きなかった。

 というか酔えるわけがなかった。


 一升瓶の8割くらい梅酒を飲んだのだが、全然酔えなかった。

 片思いをしているかもしれない子の家で酔うとか、無理だ。

 童貞の俺には刺激が強すぎる。


 だがアルコールは確実に入っているのだろう。

 見れば見るほど知佳が可愛く見えてくるという深刻な症状が出ていた。

 一刻も早く帰らなければ、マジで俺の理性がもたない。


「こんなはずじゃ……」

「何か言ったか?」

「なんでもない」


 靴を履いている最中に知佳が何事かを呟いた。

 今日は独り言が多いな、こいつ。

 どうしたのだろう。


 立ち上がり、玄関から出る前に――くん、と袖を引かれた。


「どうした?」

「…………」


 しかし知佳は何も答えない。

 視線すら合わない。

 下の方を向いているだけだ。


 そんな様子ですら可愛い。

 ごくりと生唾を飲む。


 今引き止められたのは、このまま帰ってほしくないという意味ではないのだろうか。

 

「悠真、ちょっと屈んで」

「なん――――」


 俺の言葉は最後まで続かなかった。

 言われた通り少しだけ屈んだら、口を封じられたからだ。


 口で。

 口を。


 な――

 き――


 え――?


 体内の血が沸騰するような錯覚。

 そして俺は――


 そのままぶっ倒れたのだった。


「悠真!?」


 知佳の珍しく慌てたような声が最後に、聞こえたような――聞こえなかったような。




4.



「痛え……」


 俺は知佳の家で目覚めた。

 昨日、一升瓶を半分くらい空けたところから全く記憶にない。

 慌てて着衣を確認してみるが、乱れているような様子はない。


 つまり何か粗相をしたということもないのだろう。

 記憶が飛ぶまで飲んでしまうとは……


 俺としたことが一生の不覚である。


 台所の方から水を流す音が聞こえる。

 そちらの方へふらふら歩いていくと、知佳がなにやら洗い物をしていた。


 なんというか、知佳が家庭的なことをしているところを見ると不思議な気分になるな。


「おっす」

「……おっす」


 おや?

 知佳に元気がないように見える。


「どうした?」

「……昨日のこと覚えてる?」


 知佳が手を止めて聞いてくる。

 真剣な表情だ。

 冷や汗が流れる。


 き、昨日のことですか。


「その……覚えていないのですが、何かやりましたかね、お……僕」

「本当に何も覚えてない?」

「な、何も……」


 何をしてしまったのだろう、俺。

 念を押すように確認してくる知佳に、今までに覚えのない迫力のようなものを感じる。


「……じゃあ、よかった。昨日は色々おかしかったから」

「……へ?」

「なんでもない。悠真、朝ごはんはご飯派? それともお米派? あるいはライス派?」

「……選択肢、ねえじゃねえか」


 結局その後、それとなく昨日あったことを聞いてみてもなにとはなしに躱されて、何があったのかは知れずじまいだったとさ。




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作者Twitterへ来ると今年のクリスマスの様子を描いた前後篇を見られるかもしれません。

(ただし18歳以上の方に限ります)

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