第216話:実験結果

1.



「むんむんむんむん……」


 新宿ダンジョン12層。

 公園型の安息地があったのでそこで休んでいる最中なのだが、綾乃が怪しげな声を出しながら目を瞑って唸っている。


 正直絵面だけ見るとかなり面白いのだが、やっていることは至って真剣なことである。

 指を二本、鬼の角のように立てている辺りはウケ狙いにしか見えないのだが、本人は真剣なのである。


「何か聞こえた?」


 傍から眺めていた知佳に訊ねられ、俺は首を横に振る。


「いや、なんも」

「うーん……やっぱり契約している人たち同士じゃないと念話は難しいんですかねぇ……」


 綾乃がつまらなさそうに言った。

 俺とスノウたちが念話をしているのを見て、<幻想ファンタジア>で模倣できないかと試しにやってみたらしい。


「ちなみに何考えてたんだ? 綾乃」

「え? えっと……なんでしょうね?」


 何故か顔を赤くして目線を逸らされた。

 本当に何を考えていたのだろうか。


「シエルやレイともできるんだっけ?」

「できるな。魔力的なパスが繋がってるっていうのは重要なのかもしれない」

「なるほど……」


 知佳が何事かを考えるように少し黙り込む。

 俺はそれをどことなく嫌な予感がしつつも、水筒で持ってきた茶を飲みながら眺める。

 そしてぽん、とわざとらしく手を打った。


「シた直後なら念話もできるかも」


 お茶が変なところに入った。

 

「お前なぁ……」

「体液に魔力が含まれてるから粘膜同士の接触が効率良いって先輩も言ってたし、体内に悠真の魔力が入っているような状態なら理論上は可能」

「そもそも魔力的なパスが繋がってるのが重要かどうかは俺の勝手な推察だからな? シエルやウェンディたちにも念話が実際のところどうなってるかはわかってないみたいだし……」


 そもそも俺と姉妹たちやシエル、レイさんとの魔力的な繋がりは物理的な距離で薄れるものだ。

 ダンジョン内外でも違ってくるし、異世界へ行くともなればもってのほかである。


 だからこそ俺から離れていても魔力を定期的に補給さえすれば変わらないパフォーマンスを発揮できるシエルが異世界で活動しているのだ。


 なのに念話に関してはどれだけ距離が離れていても通じるし、異世界からでも聞こえる。

 魔力的な繋がり以外の何かが関係している、というのもやはり濃厚な線なのだ。


「わ、私も流石にここまで開放的な場所でするのはちょっと……」

「別にここでするとは言ってない。綾乃はえっち」

「ええっ!?」


 知佳にからかわれた綾乃が涙目になっているのを苦笑しつつ眺める。


「念話ってどんな感じでやるの?」

「えっと……一応私が作ったのはこんな感じです」


 そう言って綾乃が知佳の頭に手を触れさせる。

 あれは<幻想>で創り出した魔法のイメージを共有しているのだろう。

 

 そういえば、あのイメージの共有の仕方も<幻想>の延長線上にあるものなのだろうか。

 そう考えると色々便利だな、綾乃のスキルって。


 ちょっとやそっとの魔石じゃ強化が実感できないのも頷ける話である。


「なるほど」

 

 しばらくしてイメージの共有が終わったのか、知佳が頷いた。

 

 そして目を閉じて何やら念じているようだが……


「聞こえた?」

「いや、なにも……何を考えてたんだ?」

「知らない方がいいと思う」

「仮に聞こえてたらどうするつもりだったんだ!?」


 何を考えていたんだ。

 怖すぎる。


「ちょっと実験」


 ちょいちょいと知佳に手招きされる。

 若干嫌な予感がしつつも素直にそれに従うと、ちっこい手でくいっと顎を持ち上げられて――

  

 唇を奪われた。

 

「!?」


 バニラのような香りが鼻腔をくすぐる。

 それに面食らっていると、にゅるりと舌が滑り込んできた。


(――聞こえる?)


「……!」

 

 知佳の声が頭の中に響く。

 それに反応すると、つい、と知佳が離れ、口元に少し垂れた唾液をちろりと舐め取る。


「実験せーこー」

「おまっ……お前なあ! そういうのやるならやるって言えよ!」

「でもびっくりしたでしょ?」

「したよ!」

「うん、そういうこと」


 くっ……!

 一部始終を見ていた綾乃は羨ましそうに自分の唇に触れているし、ツッコミが俺以外にいない空間では明らかに形勢不利である。


 それにまあ、びっくりはしたが別に悪い気はしないし……


 ていうか。


「実験って、キスしながらなら念話が使えるかもってことか?」

「違う」

「……違うのか?」

「ベロチューしながらなら念話が使えるかもってこと」

「…………」


 こいつには恥じらいというものが無いのだろうか。

 なんて思っていたら、綾乃が俺たちの間に割って入ってきた。

 

「あの! 知佳ちゃんだけじゃなくて他の人でもできるかの検証をした方がいいと思うんですけど!」


 

2.



 数時間後。

 ダンジョンの外へ転移石で転移して、俺はフレアへと念話を飛ばしていた。

 直にフレアのところへ飛ぶのではなく、しかも携帯電話を使わずに念話をしているのは早くこの能力に慣れるためである。

 ちなみに転移石を隠してある場所はよほどのことがない限りはバレない。

 こういうこともあろうかと綾乃が準備しておいてくれた場所だ。

 いずれここに何かの建物を建てるかもとか建てないかもとか。

 

(というわけで、色々ごたごたがあったから遅くなる)

(わかりました、お兄さま。それと、知佳さんにあの件はお願いしますねとお伝えしておいてくださいますか?)

(……あの件?)

(ふふふ、秘密ですよ?)


 ……なんだろう。

 転移石を使って戻ってくると、知佳と綾乃はティーセットを出してくつろいでいた。

 安息地とは言え気を抜きすぎではなかろうか。


「とりあえず遅くなるってことは伝えたけど……なんでフレアなんだ? 飯とか用意するレイさんに言う方が早い気もするんだが……」

「フレアが一番話が早いから」

「どういう意味だ……?」


 知佳の提案でフレアに念話を行ったはいいものの、結局何故フレアなのかはわからなかった。


「ああ、それとあの件はお願いしますとかなんとか言ってたけど」

「わかってる。準備したから大丈夫」

「……準備?」

「こっちの話」


 ううむ、なんだろう。

 俺の知らないところで知佳とフレアが結託しているとどことなく怖さを感じるのだが……


「まあいいや。とりあえず進めるだけ進んでみるか」


 外はもう暗くなりはじめていた。

 遅くともてっぺんを回る前には帰りたいが……

 

 安息地で休憩……が十分に取れたかはともかく、知佳とも綾乃とも現状は念話が繋がる状態になっているのでせっかくだしということでもう少し先へ進むことにしたのだ。


 そしてこの手の外が丸見えな安息地は出た瞬間に――


「やっぱり来たな」


 脇にあるビルの中にでもいたのか、潜んでいたヘドロのようなスライムを風魔法で吹き飛ばして魔石に変えてやる。

 ついでにオークが三匹ほどいたが、それもまとめて吹き飛ばした。


「ああっ! や、やっぱり見られてたじゃないですか!」

「ユニークとかならともかく、普通のモンスターには何やってるかわからないと思うけどな」


 顔を真っ赤にして恥じらう綾乃。

 女性探索者が襲われた、なんて話も聞かないし、取り越し苦労だろう。

 情報統制が敷かれている可能性もあるが、知佳や未菜さんがそれを知らないということもないだろうからやはりそういう事案はないのだろう。


 オークやゴブリンは性の権化みたいな風潮があるが、どうやら実際のモンスターはそんなこともないようだ。


「しっかし、開けた安息地の近くで待ち伏せするくらいの知能はあるのがまた不思議だよなあ……群れたりもするし、ボスに従う奴もいればボスから距離を取る奴もいるわけで」

「生存本能みたいなものだ、ってスノウさんは確か言ってましたよね」

「言ってたな。もうちょっとその生存本能が進んで、明らかに勝てない相手には襲いかからない、とかになると楽でいいんだが」

「でもそうなると魔石を集めるのが大変」

「……それもそうか」


 そもそもモンスターを生きていると定義するのも難しい話なんだよな。

 異世界で見た魔物は明らかにのだが、ダンジョンのモンスターはそれとはまたちょっと違う感じというか……


 ユニークモンスターはまあ、アスカロンの例もあるしと区分しても良いような気はするが。

 ……いや、ある意味死んでる状態なのか?

 うーん、難しいな。


 

「――ねえ」

「うん?」


 誰かに声をかけられた。

 知佳か綾乃に話しかけられたんだと思い、後ろを振り向く。


「なに?」

「どうかしましたか?」


 しかし知佳も綾乃も怪訝そうにするだけだ。


「あれ、誰か今俺に話しかけなかったか?」

「話しかけてないけど……」

「ええ……ちょ、ちょっと怖いこと言わないでくださいよ」


 綾乃が俺に近づいてきてきょろきょろと辺りを見渡す。

 ううむ、やはり小動物のようだ。


 

「――ねえ」



 再び、あの声。

 今度は先程のものよりもはっきりと聞こえたぞ。


 だが、だからこそわかった。


 この声は知佳でも綾乃でもない。


「……あそこ」


 知佳がすっと指差した方向には、ビルとビルの間にある小さな脇道があった。

 そしてそこに、長い黒髪で大きなマスクを付けた、赤いコートを着ている女がいた。


「……おいおい」

「~~~~~!!」

 

 綾乃が声にならない悲鳴をあげて俺の腕にぎゅっとしがみついた。



「――ねえ、わたシ、きれイ?」



 マスクを外した女の口は大きく耳元の方まで裂けていた。

 血のように真っ赤な口内が露わになる。

 まるで鮫のような歯がびっしりと口の中にあって、本能的に存在を否定したくなるような風貌だ。


「口裂け女……!」

「岐阜発祥だって聞いたことあるような。なんで新宿ダンジョンに?」


 知佳がとぼけたことを言うのと同時に、口裂け女がとんでもない勢いで突進してきた。

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