第208話:神鳴り

「こ、ロ、す……!! しネぇぇエェエぇぇエ!!」


 次の瞬間。

 叫んだ豚悪魔の全身に無数のが生まれた。

 集合体恐怖症の人が見たら卒倒間違いなしの気持ち悪すぎる光景。

 

 というかその気のない俺でも流石にキモすぎて全身が粟立つ。

 

「ウ゛ァあ゛……か、み、ィ゛……神、ぉ……おレ……わたシ、はァ゛……!!」


 不明瞭な言葉で何事かを呟きながら、豚悪魔は腕を振り上げた。

 ヤバい雰囲気を感じ取って、シエルと共に後ろへ飛び退る。


 すると巨大な腕は俺たちのいた地点に叩きつけられ、しかもそこが不自然な抉れ方をしている。


 腕にある無数のがもごもごと動いている辺り、恐らく今のは床を――大理石もどきを喰ったのだろう。

 もし避けずに受けようとしていたら俺も肉を持っていかれていたかもしれない。


「……強欲に全てを求めた醜悪な権力の象徴がそれを果たす為に変貌した結果じゃな」

「だからって大理石まで喰っちゃうのは強欲ってレベルを超えてんぞ……」


 さて、どうしたものか。

 まともな魔法は喰らわない――というか喰らわれるし、今の奴に物理攻撃を当てる勇気はちょっと出てこない。

 

 とは言え逃げ回ってばかりも限界がある。

 最悪、町の方に行かれてしまえばだ。


理論魔法ホワイトゼロならなんとかなるか?」

「……危うい賭けじゃな。通常の魔法とは原理からして次元の違うものじゃが、もし取り込まれてしまったときに壊滅的な被害をもたらす可能性がある」

「……だよな」


 俺の勘は十中八九大丈夫だと言っている。

 しかし魔法を喰らわれ、利用される危険性がある中で使うにはリスクが大きすぎる。


 恐らく俺の理論魔法はスノウの氷やシエルの<在るもの>を利用する魔法でも防御は不可能だ。

 なにせフレアの魔法ですら破壊できない<滅びの塔>を消滅させることができる魔法なのだから。

 

「或いは喰われても奴には使えんという可能性もあるが……まあやはりどのみち博打であることには変わりないのう」

「……チクチクやるしかないか」


 アスカロンから託された剣を構える。

 未菜さんのような飛ぶ斬撃を使えるわけではないので、自分より圧倒的にでかい上に再生能力まである相手には意味がないと思っていたが。


 この剣、付与魔法エンチャントを施していなくても冗談みたいな硬度を誇るのでこれであれば恐らく喰われてしまうということはないだろう。

 まあ、最悪喰われてもアスカロンなら許してくれるさ。多分。

 施している付与魔法が喰われることはあるかもしれないが……


「わしも奴の足場を奪ったりして出来る限りの援護はする。攻撃には当たるなよ。おぬしでも一撃で肉を持ってかれる可能性があるからな」

「わ、わかってらぁ」

 

 言われなくても死ぬ気で避けるさ。

 後は既に魔力を練り始めているスノウたちの方に奴の意識が向かないようにするだけである。


「おら豚野郎、こっちに来やがれ!」

「――――!!」


 声にならない声をあげて、真っ黒な顔で怒り狂う豚悪魔が地団駄を踏む――というかそれで俺を踏み潰そうとしてくる。

 ただ踏みつけられるだけならまだしも、あの気色悪いに捕食されるかもしれないと考えると足がすくみそうだ。


 一歩ごとにシエルが床を陥没させたり、逆に隆起させたりして豚悪魔の動きを阻害しようとしているが奴も学習しているのか、先程倒れた体勢から立て直した時のようなスライム状になる技(?)を上手く利用して全く動じていない。


 アスカロンの剣でちょこちょこ斬りつけてはいるが、スライム状になって元に戻る際にその傷も消えているのでダメージが蓄積されているかも微妙なところだ。


 未菜さんのような達人やアスカロンのような超人ならば明らかに剣長より太いこいつの腕なんかもぶった切れたりするのかもしれないが、今の俺にはまず無理な芸当だ。


 効いてんだか効いてないんだかよくわからない攻撃を繰り返すしかない。

 今度未菜さんに泊まり込みとかで剣を教えてもらおうかな、マジで。


 未菜さんの主武器は刀だが、多分こういう両刃の剣も使えるには使えるだろうし。


「神ィ……神ィィィ!!」


 豚悪魔が抉っていく地面をシエルが魔法で整えてくれるので今の所は特に問題なく躱せているが、これもしシエルがいなかったらとっくに足場が悪すぎて捉えられているんだろうな。


 そんなこんなで躱し続けていると、不意に豚悪魔が頭にある自前(?)のをガパッと大きく開いた。

 口裂け女でもこんな開かないぞという開き方だが、まさかこのまま突進してくるんじゃないだろうな――と俺が思うのも束の間。


 なんと口から巨大な炎弾を発射してきたのだ。


「――ッ!!」

「まずい!!」


 シエルの声が遠く聞こえた。

 フレアの炎だ。

 

 これを防げるのは恐らくスノウだけだが、そのスノウの手を煩わせるわけにはいかない。

 今何かを――こいつを倒すための準備をしているのだから。


「ぐっ――おおおおおお!!」


 咄嗟に小さなホワイトゼロを作って前に展開し、そこに触れた部分は掻き消えたので直撃は避けた。

 だが、炎は熱の塊だ。


 直撃して灰になるのは避けられても、その熱で体が炙られた。


「くっ……!」


 大した火傷ではない。

 しかし流石はフレアの炎というべきか。

 全力で魔力による強化を体に施したのだが、それでもダメージを負ってしまった。


 そしてその隙を逃すほど豚悪魔は優しくなかった。


 シエルの魔法によって地面が隆起し、熱によるダメージで咄嗟に動けなかった俺を逃がそうとするが――

 

 その直前に、豚悪魔が大きく体勢を崩した。

 そして俺はシエルが急ぎで跳ね上げさせた地面で後ろにぶっ飛ばされる。


 受け身を取って慌てて正面を見ると、豚悪魔が


「――なんだ?」

「……間に合ったようじゃな」

 

 俺の傍らに立つシエルがほっと息をついた。

 見れば、豚悪魔の周りの地面が全て完全に熔解している。

 

 この光景を俺は一度見ている。

 お城ダンジョンで視認することのできないモンスターを倒した時のことだ。

 

 つまり――


「フレアか」

「フレア以外にこんなことができる奴はおらんじゃろ。恐るべきはこれが魔法ではなく、魔法によって生み出された純粋な熱で為されている事象だということじゃな」

「……つまり?」

「魔法を喰らって強化されるあやつもどうしようもできんということじゃな。まさかマグマを飲み込むわけにもいかんじゃろ」


 豚悪魔は溶けた地面に沈みながらも、こちらに向かってこようともがいていた。

 しかし先程まで全身にあった口はいつの間にかなくなっている。

 流石に体内に高温のマグマを取り込むのは無理なのだろうか。

 

「これでも決定打にならないとは、呆れた頑丈さですわ」


 いつの間にか背後に立っていたフレアが言う。

 

「ここからどうするんだ? 魔法そのものじゃなくて、熱を利用しての攻撃なら通るとは言え――」

「大丈夫ですお兄さま。あれを」


 フレアが上空を指差す。

 そこには――


「雨雲……?」


 戦いに夢中で気づかなかったが、いつの間にか空は暗い雲に覆われていた。

 言われてみれば辺りが暗くなっている。

 魔力強化は夜目も効くようになるから、うっかりしているとこんなことにも気付けないのだ。 


「積乱雲です」


 フレアがにっこり笑いながら言う。


「積乱雲て……」


 まさか作ったのか?

 どこまで続いてるんだこの雲。

 下手すりゃ国を丸ごと覆っていてもおかしくないくらいのデカさじゃないのか?

 

「幸い、この国は水の国。それにフレアたちがいれば、天気を変えるくらいのことは造作もないのです!」


 えへん、と胸を張るフレアだが――


 フレアが熱し、スノウが冷やし、ウェンディが風で雲を掻き集める。

 それを精霊たちにしかできないとんでもない大規模でやればこんな雲――積乱雲だって作れるというわけか。

 

 最初に熱するだけの役目なフレアの手が一番最初に空くのは当然。

 つまり……


 別方向を見ると、スノウとウェンディが両手を空に向けて難しい顔をしていた。

 積乱雲を作って何をするつもりなのか。


 俺はうっすらとだが気付いていた。


 なにせ、雲を作る三人に加え――その雲が引き起こす自然現象を司る精霊がここにはいるのだから。



 というか、流石に上空でしている雲を見ればわかる。

 

「シトリー姉さん、もう限界よ! これ以上は暴発するわ!」


 スノウが叫ぶと、シトリーが右腕を天に掲げた。 


 次の瞬間。


 視界を真っ白な光が埋め尽くし、まるで世界そのものが割れてしまったのではないかと思うほどの轟音が既にボロボロになっていた聖宮の残骸を完全に吹き飛ばした。


 俺の強化された感覚は、<光の束>が落ちてきてから、音が届くまでのラグをこの至近距離でも感じ取ることができた。


 そしてシトリーの導いた雷に貫かれた豚悪魔が一瞬にしてその身を塵と化すのも。

 スノウとウェンディが限界まで帯電させ、シトリーがそれを導いた結果、通常起こり得る雷など遥かに凌駕したものが出来上がったのだ。


 すぐ近くにいた俺やシエル、フレアが感電した様子もない。

 それだけシトリーの制御が完璧だったということなのだろう。


 鼓膜が破れたんじゃないかと錯覚するほどの静寂の中、雨がざあざあと音を立てて降り始めた。

 

 マグマにしてしまった床も急速に冷えていく。



「……皮肉なもんだな」

 

 神を信奉していると騙っていた聖王は、神の怒りだとも恐れられた<神鳴り>によって討ち滅ばされたのだった。

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