第207話:豚悪魔

1.


 聖王の心臓に<滅びの塔>のコアとやらがぶち込まれ、その体と魔力が肥大化して膨れ上がった赤黒い肌の豚顔の巨人。

 

 一見オークに近いのだが、明確に異なる点がある。

 それは頭部に生えている禍々しい巨大な二本の角だ。

 でかい豚型というよりは、でかい豚型みたいな印象を受けるな。

 

 神を崇める聖教会のトップである聖王が悪魔じみた姿になるとは、なんとも皮肉な話である。

 

 こうなったらもう元に戻すことなんて不可能だろう。

 ここまでの巨体、そして巨大な魔力。

 暴れ始めれば町に甚大な被害が出る。


 その前に仕留めるしかない。


 豚悪魔が体を揺らすと、口元から大量に分泌された液体が床まで滴った。

 どうやら強力な酸になっているようで、大理石のような素材の床があっさりと溶けて窪んでしまう。

 そしてとんでもない異臭だ。

 

 早く倒したい理由が増えたな。


「まずは小手調べよ」


 豚悪魔の前に巨大な氷柱が浮かび上がった。

 30メートルくらいはあろうかという豚悪魔の全長に及ぶほどの大きさのそれがそのまま容赦なく顔面へ炸裂したかと思うと、ガッチリとそれを受け止めてなんと――


「うぇ……嘘でしょ」


 スノウが渋面を浮かべる。


 なんと豚悪魔はそのまま氷を貪り食い始めたのだ。

 ガリガリ、ボリボリと自分と同じくらいでかい氷柱を見る見る間に平らげていってしまう。


「そんなもの食べたらお腹を壊しますよ、豚さん」

「ちょっと、それどういう意味よフレア」

「冷たいものを食べるとお腹を下すでしょう? 別に他意はないわよ」


 フレアが軽くスノウと言い合ってから、今度は炎弾を豚悪魔へかました。

 しかしそれも左手でがっしり掴まれて、燃え盛るそれをそのまま口へ持っていって飲み込んでしまう。


「おいおい……腹を壊すどころの騒ぎじゃねえぞ……」

「あらら……」


 流石にフレアにとっても想定外だったようで目を丸くして驚いている。



「もっとだ――」



 辺りに響く重低音。

 元々は聖王だった豚悪魔の声だと気づくのに少し時間がかかった。



「よっと寄越せ――オレにもっトよこセぇぇエェええェ!!」


 

 慟哭と共に豚悪魔を中心として衝撃波が発生する。

 離れた位置にいた兵士や聖騎士たちが身を低くしてなんとかやり過ごす中、既にボロボロだった聖宮は跡形もなく吹き飛んでしまった。


 俺たちの周りはウェンディが風で瓦礫と衝撃を吹き飛ばしてくれたのでなんともないが、今のは――


「原理は音魔法に近いものじゃな。それに、スノウとフレアの魔力の籠もった魔法を<喰らった>ことで少し体が大きくなっているぞ」


 シエルが兵士や聖騎士たちを守る防壁を辛うじて残った大理石を変化させることで作りつつ分析する。

 魔法を喰らって巨大化する?

 そんなことができるのか?


「ならお姉さんやウェンディの攻撃ならどうなるのかしら?」

「……実体を持たないフレアの炎でさえ喰えたのじゃから、魔力そのものを掴むような特殊な能力を持っていると考えて良いじゃろうな。先の喪服の男とは別の意味で、ある種の魔法無効化じゃ」


 シトリーやウェンディでも駄目なのか。

 雷撃や風を喰うというのは、炎を喰らうよりも更に想像のしづらい案件ではあるがシエルが言うのなら間違いないだろう。


「ならどうする? スノウ、あいつ自身を凍らせることはできるか?」

「できるけど……」

「吸収できるのが口からのみとは限らんぞ。先程の男の雰囲気からして、そんな簡単に倒せるようなものじゃとも思えん」

「……だよな」


 スノウ自身も同意見のようで、シエルの言葉に頷いていた。

 くそ、こっちの主力が精霊なのを分かっているせいか、明確にメタってきてやがるな。

 厄介極まりない話だ。


「――どうやらゆっくり話す隙もないようじゃな」


 シエルが見上げる先、豚悪魔は大きく右腕を振り上げていた。

 視線の先にいるのは俺たち――ではなく。


 シエルが防壁を作って守っている、少し離れた位置にいる聖騎士や兵士たちだった。


「スノウ!」

「分かってるわよ!!」


 豚悪魔の極太の腕が振り下ろされた先に氷の盾が生まれる。

 ガガァン!! と大音響を立てて一瞬止まったはいいが、接触しているところからまるで熱によって溶けていくかのように消えて行く。


「チッ。やっぱり口からだけじゃないみたいね、あの吸収」

「くっ……!」


 シエルの防壁も似たようなものだろう。


「ウェンディ、下にいる人たちを多少手荒でもいいから動かしてくれ!」


 そう言って俺は走り出す。

 スノウが出した氷の盾が全て喰われ、防壁ごと押しつぶそうという寸前で俺が間に割って入った。


「こんにゃろが!!」


 奴の腕を渾身の力を込めて空中で蹴り返す――が。


 スノウの盾を喰ったことによって更に巨大化した豚悪魔の攻撃は重すぎた。

 腕は弾き返せたが、俺もその反動で吹き飛ばされる。


 床に激突する寸前に風でふわりと浮かされて助かったが、力の差は歴然としている。

 そして――


「悠真避けて!!」

「――は?」


 スノウの悲鳴のような声に上を見上げると、眼前に巨大な氷柱が迫っていた。

 横合いから飛来したフレアの炎が辛うじて氷柱の形を変えたことで俺に直撃こそしなかったが、今の氷柱は……


「さっき喰った、スノウの……」

「どうやら喰らった魔法を使えるようじゃな。威力もさほど変わっているようには見えん」

「……てことは、あとフレアの炎も使ってくる可能性があるのね。悠真ちゃんのホワイトゼロも迂闊には使えないわ」

「……あたしの魔法がフレアに邪魔されたのがなんとなく釈然としないわ」

「ふふ、お兄さまを守りたいという愛の力です」


 俺を守るようにみんなが集まってくる。


「少々手荒ではありましたが、聖宮周辺にいた聖騎士や兵士の方々、そして野次馬に来ていた住民の方々を遠ざけておきました。大丈夫ですか、マスター」

「……ああ」


 戻ってきたウェンディの流石の手際の良さに感心しつつ――

 自分の不甲斐なさを感じる。


 スノウの調の魔法だったが、恐らく当たれば死にはしなくとも大ダメージを受けていただろう。

 それを咄嗟にいなせるフレアもそうだし、そんな俺の元にすぐに集まってきてくれたみんなも本来は心強いものだ。


 だが、現状明らかに俺だけが足を引っ張っている。

 俺は――


 バシンッ!!


「いでっ!?」


 思い悩んでいると、背中を叩かれた。

 後ろを振り向くと、


「し、シトリー……?」

「どう? 悠真ちゃん、気合いはいった?」


 にっこり笑いながらそう聞いてきた。

 

「き、気合いて……」

「それぞれ得意なことで頑張るのよ。ね」


 とウインクしてくる。

 そして何故かちらりとウェンディの方を向いた。

 ウェンディも心得ているとばかりに少しだけ顎を引く。


「マスター、私たちがアレに有効打を与えます。シエルさんと共に

「時間を……けど、魔法を喰らってでかく強くなる相手だぞ?」

「いいからあたし達のことを信じなさい。あたし達もあんたを信じるから」


 スノウが腰に手を当てた憮然とした様子で言い放つ。

 が、いい加減付き合いの長い俺にもわかった。

 これはただの照れ隠しのポーズだ。


「……わかった。時間稼ぎだな。1分か? 2分か?」

「5分くらいね」


 ……結構長いけど大丈夫かな、俺。



2.



 先程俺が腕を蹴り飛ばしたことで大きく体勢を崩して寝転んでいた豚悪魔がゆっくりと立ち上がろうとしている。

 どうやら体が重すぎて上手く動けないようだ。

 この様子なら、案外5分間の時間稼ぎも立ち上がれないように妨害しているだけで済むかもしれない。


 まず地面に突いていた右腕に蹴りで足払い……もとい腕払い(?)してやるとあっさりとズズン、と重い音を立てて再び仰向けに寝転がった。


 魔法を喰らって成長する上に俺の蹴りもまともに効いてる様子のなかった豚悪魔だが、どうやら完全に無敵というわけではないらしい。


 これが単に性能の限界なのか、あの男の言う通り、に落とした結果なのかまではわからないが……

 こういった弱点を突かない理由は俺としちゃ一切ない。


「悪いが、あと5分ずっとそこで寝てて貰うぜ」

「油断は禁物じゃぞ。スノウの氷は一度使ったからもう一度は恐らく使えん――と思いたいが、フレアの炎はまだ温存しておるからな」

「……だな」


 スノウたちはなんらかの用意をしているようだし、その邪魔をするわけにはいかないだろう。

 ちらりとあちらの様子を見るとなにやら話し合っているようだが、作戦でも立てているのだろうか。


 姉妹のコンビネーションはちらほら見るが、それが本気ともなると珍しいなんてレベルの話じゃない。

 一人一人がそれぞれ必殺級の威力を持つ魔法を放てるのだから、わざわざ本気でコンビネーション攻撃をする理由がないのだ。


 普通ならば。

 しかし今回の場合は違う。


 魔法を喰らう相手をどう倒すつもりなのかまではわからないが――


 まあ、そこは信じるしかないか。


 立ち上がろうとする度に邪魔をしてくる俺を鬱陶しく思ったのか、


 

「――喰わせろォおおおおオオオ!!」



 と叫びながら寝転がったまま腕を振ってきた。

 今度も音魔法っぽいものを使っていたようで、一瞬立ち竦んでしまったがシエルが俺の足元を隆起させるアシストしてくれたお陰で難なく躱せたが……


「……そろそろヤバそうじゃな」

「やっぱりシエルもそう思うか?」


 豚悪魔の顔がどんどんどす黒くなっていき、表情も険しいものになっている。

 ブチギレ寸前――というかもうブチギレてる時のそれだ。

 

 時間稼ぎの方法としては最適とは言え、ちょっとばかしおちょくりすぎたかもしれない。

 

 ――と。


 豚悪魔の体がぶよぶよとした半個体のようなものに突如として変化した。


「き、キモッ!?」


 思わずシエルを抱えて後ろに飛び退ってしまった。


「別にわしは自分で逃げられたのじゃが……」

「あ、悪い、つい……ていうかなにあれ、マジでキモすぎるんだけど……」


 赤黒い巨大なスライムのようなものに変化してしまった豚悪魔は、再び元の形に戻って行く。

 ただし寝転がった姿ではなく、立った姿の。


「……なんでもありじゃな」

「もはや元人間だったってことも信じられねえな……」


 

 完全に化け物だ。

 ダンジョンのモンスターでもこんなにフリーダムな変化する奴はいないぞ。


 豚悪魔がこちらを睨む。

 やべえ、超怒ってるよあれ。

 怒髪天を衝くって感じ。

 

「シエル、あとどれくらい時間稼ぎって必要だと思う?」

「……まだ5分経ったか経ってないかくらいじゃな」


 豚悪魔は唸るような声で呟いた。



「こ……ロ゛……す……!!」


 

 正直言うと、今俺は人生で一番ビビってるかもしれない。

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