第199話:温泉宿
1.
高い空。
澄んだ空気。
いい湯加減。
俺たちは温泉に来ていた。
シエルから<滅びの塔>破壊の目処が立ったとの報告があったので、2日後にある面会へ向けてこちらの世界へ来たのだ。
いや、別に早く来る必要はないのだが、シンプルに温泉へ入りたかったのである。
しかしどうやらこの国の温泉、混浴が存在しない。
シエルとルルから聞いているだけの話なので事実確認までは取れていないが、多分本当に存在しないのだろう。
ここはハイロン聖国。
いわば宗教国家である。
どこか禁欲的な考えが国全体に普及しているような雰囲気を感じる。
今回こちらへ来ているのは俺と精霊たち四人に加え、レイさん。
そして知佳に綾乃、シエルとルルである。
明日は未菜さんとローラも都合を付けて温泉に浸かりに来るそうだが、ひとまずそれは置いといて。
少し外を歩いている際にも女性陣に囲まれた俺への視線は結構不躾なものだった。
いやまあ、現代日本でもハーレムは認められていないので物珍しい目線で見られることは多いのだが、ここだとちょっと違う。
もはや敵対視されていると言っても過言でないようなイメージだ。
この温泉宿でも受付からジロジロと無遠慮な視線を向けられている。
シエルに聞いたことなのだが、この国では一夫一妻制度な上に浮気や不倫はかなりの大罪になるらしいのだ。
執行猶予無しで懲役20年とかになるくらいの。
俺なんて下手したら死刑になりかねないぞ。
まあ、そんなこんなでこの国は俺にとっては居辛い。
せっかくの温泉なのに混浴じゃないとか誰が得するのか。
少なくとも俺は得してない。
覗きでもしたいところだが、普段裸なんて見られまくっているくせに何故か風呂は恥ずかしがる奴が何人かいる。
知佳やフレアなんかは平気で突撃してくるので別にしても、スノウあたりは普通にキレるし綾乃とかは悲鳴をあげる。
こんな国で、複数の女性の覗きをして悲鳴なんてあげられてみろ。
死刑になりかねないぞ(二回目)。
なので悶々としながら俺は我慢しているのだった。
高さ4メートルくらいの衝立で仕切られているだけなのでぶっちゃけ俺からすればこんなもの無いも同然なのだが、それでも我慢しているのを褒めて欲しい。
いやほんとに。
この温泉宿ごと買い取れば混浴もできるのだろうかとふと考えるが、その時は良くても買い取った後の経営のことまでは責任が取れないので流石にやめておこう。
それならもう日本で混浴できるところに行った方が早い。
貸し切りにすれば別な奴に裸を見られるということもないだろうし。
まあそもそもここも貸し切りにはなってるんだけどな。
シエルがいると他の客にバレたりすると面倒なので、向こう10日分は先に料金を払ってある。
常識的な視点から見ればかなりの出費なのだが、この世界だと魔石が高く売れるので正直痛くも痒くもない。
というわけで、俺は仕切りの向こうから聞こえてくるきゃっきゃうふふで楽しそうな声を聞きながら一人寂しく湯船に浮かぶのであった。
無性に涙が出そうになるぜ、ちくしょう。
2.
翌日。
未菜さんとローラ、そして何故かついてきた母さんを加えた女性陣が町へ繰り出す中俺は一人寂しく部屋で待っている。
俺がいるとめっちゃ睨まれるからな。
で、それを見たフレアとかウェンディとかレイあたりが不機嫌になるので結局俺はついていかないのが一番なのだ。
多分あんまり参考にならないんだろうな、なんて思いながら合気道の本を読んでいると、扉がノックされた。
店員かな?
そう思って扉を開くと、そこにはザ・成金って感じの金髪の男と、その後ろに護衛ですと言わんばかりに筋骨隆々でデカイスキンヘッドの男が二人立っていた。
成金男の歳は40くらい。
護衛はどちらも30前後ってところか?
男は明らかにこちらを見下すような目でニヤニヤとした気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「……どちら様でしょーか」
やな感じだな、と思いつつ訊ねる。
「アヌリエル伯爵……と言えばわかるかね」
小馬鹿にするような感じで言われる。
わからん。
誰だこいつ。
重要人物なら抜け目のないシエルが先に俺へ伝えておかない理由もないので、多分取るに足らない人物なのだろう。
「先日もシエル殿の元へ伺おうと思ったのだが、野蛮な獣人風情に邪魔をされてな。その点お前は人間だろう。シエル殿の使用人か? それとも荷物持ちか?」
野蛮な獣人?
もしかしてルルのことだろうか。
なるほど、シエルを訪ねて来たが留守か何かにしていて、対応したルルがこいつの態度にムカついて叩きのめした上で放り出したとかそんな感じだろうな。
「あー、使用人でも荷物持ちでもないっす。ほんじゃ忙しいんで」
と言って俺が扉を閉めようとすると、ガッ、と扉の間に護衛の足が挟まれた。
それなりに鍛え上げているようで、思い切り閉めたら扉の方がイカれるな。
「この二人は先日、あの野蛮な獣人にのされた役立たずな護衛とは一線を画す実力者だ。死にたくなければ、大人しく話を聞いてもらおうか」
何故かすげえ偉そうなので既に俺はイラッとしているのだが、まあ落ち着け。
伯爵って言ったらそれなりに地位ではあるのだろう。
爵位についての知識には乏しいので断言はできないが、まあ貴族であることには変わりないはずだ。
聖国とか言って宗教国家らしいのに、貴族がいるというのもなんとなく変な話のように感じるが案外そんなものなのだろうか。
結局は金の力が物を言うってやつ。
「えっと、この宿貸し切りになってると思うんですけど。なんで入れてるんすか?」
「私が伯爵だからだ」
それって職権乱用って言うんじゃないの?
それとも別の相応しい言い方があるのだろうか。
いずれにせよ印象は良くないな。
どうでもいいんだが。
「そうですか。で、シエルに何の用でしょうかね」
「今度選挙がある。その際に私の伴侶として隣に立っていただくだけで良いのだ。簡単な話だろう?」
とりあえず俺は扉に足を挟んでいる護衛を一発殴って気絶させた。
多分、こいつの目にはおろか護衛の目にも今の掌底は見えちゃいないだろう。
「……は?」
ルルに来たときよりも強い護衛を連れてきたようだが、別にこんなのは俺じゃなくてそれこそルルでも対応できる案件だ。
どうやら前回の護衛は力の差を正しく自分らの雇い主に伝えることができていなかったらしい。
「シエルはあんたみたいな成金には靡かんよ」
「な、成金だと……!? 私は由緒正しきアヌリエル家の当主だぞ!!」
目を真っ赤にして唾を飛ばしながら叫ぶなんとか伯爵。
汚いなあ。
親の七光りってやつか。
それとも先祖の七光りだろうか。
まあどっちにしてもあまり興味はないのだが。
というか成金って俺が人のこと言えないんだよな、まず。
だって俺も成金だもん。
「俺にも勝てないような護衛を引き連れてイキがっててもシエルは絶対あんたみたいなのには力を貸さないぞ。別に強さだけが全てってわけでもないだろうけどさ」
――と。
護衛の太い腕がこちらに伸びて、俺の首を掴んだ。
そのままぐいっと引っ張られたのでその腕を掴んで逆に引っ張ってやると思い切りつんのめって依頼主のなんとか伯爵ごと前に転んだ。
扉が半開きだったので伯爵は角に額を思い切りぶつけている。
痛そうだ。
「ぐっ……殺せ!! このガキを殺せ!!」
レイさんみたいに技巧を凝らしての動きならともかく、力ずくで俺に勝てるはずもないのに。
魔力を表に出してないからというのもあるかもしれないが、それでも彼我の戦力差くらいは見抜けるレベルの護衛を連れてくるべきだったとしか言いようがない。
護衛も流石に今ので俺に勝てるわけがないのを理解したのか、こちらを見上げて動こうとしない。
「悪いんだけどさ、伯爵。俺、今あんまり機嫌が良くないんだよ」
昨日混浴できなかったからね。
部屋も別々だし。
温泉宿に泊まる楽しみが全て台無しだったのだ。
「だからこれ以上やるなら骨の一本や二本は貰うけど」
多分だが、わざわざシエルに助力を願いに来て、下っ端(と勘違いしている)である俺に声をかけてくるくらいだ。
シエルの方が立場的には上なのだろう。
こいつは俺が使用人だの荷物持ちだのと勘違いしているので強く出ているだけだ。
つまり、俺が多少強く出ても大丈夫。
多分。
虎の威を借る狐ならぬ、シエルの威を借る俺で行かせてもらおう。
「お、お前、シエル殿のなんなんだ!?」
「…………」
なんなんだろう。
恋仲……というのもなんか違うような気がするし、夫婦というわけでももちろんない。
かと言って他人でもなければ友達という距離間でもない。
友達以上恋人未満?
でも魔力契約がある以上、恋人未満というのもおかしな話のようにも思える。
実際、体の関係はあるし互いに愛情のようなものもある。
「詳しくは言えんが、対等な関係にあるとは言っておこう」
「く、詳しくは言えん……ま、まさか!!」
伯爵は立ち上がって後ろにずり下がっていった。
どうしたんだろう。
「まさかお前、シエル殿と浮気しているのか……!?」
「いや、それは違……」
……うとも言い切れないのか?
なんと言うのが正解なのだろうか。
公認だから浮気ではない。
しかしそれ以外に正しく状況を示す言葉が思いつかない。
妾とかもなんか違うしな。
そういう感じじゃない。
「こここ、この国でそんなことをしたらお前、神罰が下るぞ……!!」
「……神罰?」
何故かひどく怯えた様子の伯爵はノビている護衛も置いて逃げ去っていってしまった。
もちろんノビてない方の護衛も一緒に。
……いや、ノビてる護衛も連れてけよ。
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