第197話:強さの理由

1.



「大丈夫ですか? ご主人様」

「あ、ああ……」


 地に背中を付けて寝転がっている俺にレイさんは手を差し出してくる。

 それを手に取ると、まるで力を入れているようには見えないのに、自然と体が起き上がった。

 いやまじで、どうなってるんだこれ。


「……まさかここまで歯が立たないとはな」

 

 ポンポンと何も言わないでも衣服についた土を払ってくれてるレイさんをちょっとした畏敬の念を込めて見る。

 レイさんが姉妹たちとの再会を果たした翌日。

 午後から出かけるとのことだったので、午前中の内に稽古を付けて貰っているのだ。

 ウェンディに体術を教えていた人と聞いてどうしても気になっていたし。

 

 魔力による強化が無しの段階で負けるのはまだわかる。

 俺は弟子であるウェンディにも勝てないのだから。

 しかし、俺が魔力による強化を解放してもなお勝てない。


 しかもほとんど全開の状態でも、だ。

 

「ご主人様の動きは、些か素直すぎますね」

「素直?」

「はい。フェイントや『遊び』が分かりやすいのでとても合わせやすいです」


 レイさんの使う武術は、恐らくだが合気に近いものだ。

 その手の武道に疎いので完全にそうかまではちょっと断言できないが、こちらの力を上手い具合に利用されて気付けば転がされている。

 そんな感じだ。


「フェイントって言ってもなあ……」


 いや、俺だって全くそういうのを使わない訳ではない。

 右足で蹴ると見せかけて左手で抜き手を狙うとか、目線を全然違うところに飛ばしたりとか、そういうシンプルなのは使う。

 しかし全てスカされてしまうのだ。

 

 アスカロンとの組み手で使った<限界突破リミットブレイク>とでも呼ぶべき魔法を使用しても、恐らく完全に体術オンリーでは勝てないだろう。

 スピードやパワーで凌駕できない技術の壁とでも言おうか。


「そろそろ良いか? 次は私の番だな」


 一生転がされ続ける俺を少し離れていたところで眺めていた未菜さんが立ち上がる。

 昨日はローラと一緒にそのままうちに泊まっていたのだ。

 なんでも、本来飛行機に乗って帰ってくるはずの分が転移石で浮いたのだからちょっとくらいサボってもバレないとのことで。

 多分、同じく転移石を知っている柳枝さんからすれば筒抜けだと思うんだけど。


 ウェンディにジャージを作ってもらってそれを着ている未菜さんだが、恐ろしくスタイルが良いので普通のジャージでもサマになっている。

 そのまま雑誌とかに乗れそうなくらい。

 いや、マジで。


「見ていたところ、基本的なスタイルとしては武器は使わないか、あるいはナイフのようなものを持って戦うのだろう?」

「はい。主にナイフを」

「ふむ、ではちょっと待っててくれ。獲物を持ってくるから」

「え、まさか本気でやり合うつもりなんですか?」

「大丈夫さ。寸止めルールにするから。私も彼女も手元が狂うなど有り得ない」


 未菜さんはウインクするが、いやそういうことじゃなくて。

 確かに二人の技術ならばうっかり刺しちゃったとか、うっかり斬っちゃったみたいなのはまず発生しないだろうが……


「止めてくれるなよ悠真君。君との組み手を見ていて、本気でやりたいと思ったんだ」

「ご主人様、わたくしも全力を出してみたいです」


 レイさんまでそんなことを言い出す始末。

 ……もういいや。

 どうせ何言っても止まらないだろうし。



2.


 5分後。

 ダンジョンで使用している、俺が取ってきた素材でできている刀を持ってきた未菜さんが恐らく同じ素材から作られているであろう大ぶりのナイフをレイさんに渡して、5メートルほど離れた位置で二人が向き合う。


 ここが中庭じゃなかったら外から見られて一発で通報される案件だな。


 刀を紛失した際に全く戦闘力を持たない状態になるのはまずいので、普段から持ち歩いているものなのだろう。

 持ち歩いていると言ってももちろんダンジョン内での話だが。


 俺が知る限りでは、アスカロンを除けばどちらも武術に関しては最高峰の実力だ。

 俺の見立てでは多分、素手同士ならレイさんの方が強い。

 しかし武器有りだとどちらになるかわからない。


 ぶっちゃけた話、刀とナイフという時点でそれなりのハンデはある。

 どちらが有利かなんて言うまでもないだろう。

 どう考えたって長い方が有利に決まっている。

 槍と刀でさえ槍の方が三倍くらい有利だという話を聞いたことがあるくらいだ。

 しかしそれでも構わないという二人の判断からして、恐らく武器の差があってなお互角ということなのだろう。

 

「一応、危ないと思ったら俺が止めに入りますからね。あと、魔力による身体能力強化は無しで」

「はい」

「わかった」


 二人共が達人級とは言え、使っている武器の強度が俺の強度に勝っていない限りは無理やり止めることは可能だ。

 付与魔法エンチャントさえなければ、幾らダンジョン産の素材で作った武器とは言え本気で防御する気の俺には傷一つ付けられない。

 

「それじゃ――はじめ」


 俺の合図と共に未菜さんの気配がかき消え、それだけではなくほとんど魔法みたいな動きで間合いを詰めた。

 予告なく使われた<気配遮断>での奇襲。

 俺はこれに呆気なく一本取られた過去を持つが、レイさんは違った。

 

 右手に持っていたナイフの峰で未菜さんの刀での一撃を受け流すように地面へと誘導したのだ。


 しかもさりげなく自分の方へ引き込むようにして。

 刀の間合いで戦うのは不利だということは素人でもわかる。

 だから、未菜さんの刀を振り下ろす力を利用して自分側に引き寄せたのだろう。


 レイさんの左手が抜き手の形を取って未菜さんの首へと吸い込まれるようにして放たれる。

 しかしそれを未菜さんは自分の肩でレイさんの手首を跳ね上げるようにして躱した。

 

 未菜さんが刀の間合いを取り戻す為に後ろへ引こうとするのを、レイさんもそれに追従することで意図を潰す。

 かと思えば未菜さんが再び<気配遮断>を使い、レイさんとの位置を入れ替えるようにして距離を引き離すことに成功した。

 

 ここで互いに一息。


「おいおい……」


 魔力で強化した動体視力で傍から見ているので辛うじて理解できる攻防だが、今の一瞬でとんでもない数の駆け引きが行われていた。

 あそこに自分で立っていたら動体視力がどうこうというより、視野の狭さが災いしてどこかで刺されていただろう。

 一体二人にはどんな世界が見えているのだろうか。

 

 というか、今は二人共身体能力の強化をしていない状態のはずなのだが、人間ってここまでの領域に到達できるものなのか?

 達人という言葉を何気なく使っていたが、境地へ達している人という意味での達人という言葉を初めてちゃんと理解した気がする。


 また差し合いが始まるのかと思いきや――未菜さんが構えを解いた。


「参ったな。全く勝てそうにない」

「いえ、素晴らしい腕でした」


 未菜さんが肩を竦め、レイさんがお辞儀をする。

 ……今のは未菜さんが押されていたのか?

 いや、確かにそういう風にも見えたが、全く勝ち目がないという程に差があるようには見えなかったのだが。


「……これで終わりですか?」


 不思議そうにする俺に未菜さんは苦笑する。


「これがただの腕試しではなく殺し合いだったら、私は今の交錯で最低でも二回は死んでいる」

「いえ、殺し合いだという前提ならば、未菜様はわたくしを初撃か、それに次ぐ攻撃で仕留めることもできたでしょう」

「その場合は私も無傷では済んでいないがな」


 何を言っているんだろうか、この二人は。

 正直全然会話についていけないぞ。


「それにわたくしはもう殺しはしないと誓っておりますので」

「……やはり元は殺しの技か?」

「はい」


 未菜さんの問いかけにレイさんはあっさりと頷く。

 ただのメイドであるはずの彼女がここまで異常な強さを誇ることと関係のあることだろうか。

 いや、間違いなくそうだろう。


「ご主人様、実はどのタイミングで話そうか迷っていたのですが、わたくしの過去を聞いて頂けますでしょうか」

「私は席を外そうか?」

「いえ、口外するようなお方でもないでしょうから」

 

 未菜さんの提案にレイさんは首を横に振る。


「過去って……もしかして暗殺者だったとかそんなのだったりして」

「はい、その通りです。流石はご主人様、慧眼でございますね」


 半分……というか半分以上冗談のつもりだったのだが、どうやらドンピシャで当たっていたらしい。

 元暗殺者でメイドって、属性盛りすぎじゃないか?

 

「元々わたくしは、お嬢様方のご両親を殺害する為に雇われた暗殺者でした」


 そう語りだしたレイさんの過去とはこうだ。


 半魔、それもサキュバスと人間のハーフだったレイさんにはずっと居場所がなかった。

 まともに働くのもサキュバスという種族であることが弊害となり不可能だし、だからと言って体を売って稼ぐようなこともできなかった。

 サキュバスなら引く手数多だろうと思うのだが、それもやはりサキュバスだということだと欲しがる人がいなかったそうだ。


 そんな彼女が生きる道として見出したのが暗殺者としてのものだった。

 

「もちろん、他に幾つでも道はあったでしょう。それでもわたくしは、他人を害することを選んだのです」


 半魔として虐げられ続け、誰にも必要とされず、見向きもされなかった。

 そんなレイさんは探索者として生計を立てていたそうだ。

 しかし体術は抜群だが、魔法の才能は彼女にはなかった。

 モンスター相手にナイフで立ち回るのにも限界があり、どのパーティに入ってもすぐに追い出されていた。

 ときには半魔であることを知られ、体を求められたこともあったそうだが、それは断っていたらしい。


 そんな中で、彼女の身のこなしと出自に目を付けた貴族がいた。

 そして専属の暗殺者としてレイさんを莫大な金で雇うと、レイさんに暗殺術を仕込むことにした。


 本来は半魔――サキュバスの血を引く暗殺者として色仕掛けの暗殺をするように命じられていたのだが、幸いにもレイさんは色仕掛けなどする必要もないほどに暗殺者としての才に優れていた。

 

 数年という長い準備期間を経て対魔法使い専用の暗殺術を仕込まれ、準備万端となり――

 

 そして運命の日が訪れる。

 

 貴族が狙っていたターゲットは過去に探索者として名を馳せていた、スノウたちの両親の殺害。

 一介の探索者でありながらその圧倒的な実力から莫大な富と、国王にさえ口出しできるほどの権力を持っていた彼らをその貴族は邪魔に思っていたらしい。


 しかし。


「寝込みを襲おうと寝室へ忍び込んだところあっさりと奥様に返り討ちにあいました。シトリーお嬢様を身籠っておられる時のことでした」


 しかもその貴族のことを聞き出したスノウたちのお父さんにあたる人物が手を回した結果レイさんを雇っていた貴族は処刑されたそうだ。

 どうやら元々その貴族はレイさんが首尾よく仕事を果たしたとしてもその後に彼女のことを口封じに始末するつもりだったらしい。

 それ以外にも数々の悪事に手を染めていたので、もはや情状酌量の余地もなかったのだとか。


 そして結局未遂に終わっているとは言え、本来ならばレイさんも極刑に値するような罪だったらしいのだが、これをスノウ達の両親が庇ってあまつさえ自分たちのところで雇い出したので誰も何も文句を言えなくなったらしい。


「シトリーお嬢様が生まれた際、奥様はわたくしのことを家族だと言ってくださいました。その時からわたくしの人生はお嬢様方に捧げられているのです」


 要するに誰も殺めてはいないが、元暗殺者であることは変わりないということか。

 

「シトリー達は知ってるのか?」

「……いえ」

「じゃあ俺も黙っておくよ。これは俺と未菜さん、レイさんの間だけの秘密ってことで」

「気をつけろよ、レイ。悠真君はこの秘密を黙っておくからと体を要求してきたりするかもしれない」

「か、体をですか……しかしご主人様、わたくしは夜伽の方は全くできないのです……」


 未菜さんの冗談を本気にしたレイさんが申し訳なさそうにしているが、俺も別にそこまでの鬼畜ではない。

 それを聞いた未菜さんが首を傾げる。


「半分サキュバスなのにそういうのはできないのか?」

「お恥ずかしながら……半分だけだからか、淫夢を見せるなどの特殊技能も持っていません」

「つまり男を知らないのか」

「は、はい。暗殺者として雇われた際も当初は色仕掛けをする予定だったのですが、ターゲットである旦那様が奥様一筋だということがとても有名で……断念しました」

「ふむ」


 未菜さんは頷く。


「ではそこは私の勝ちだな。悠真君としか経験はないが、毎回満足はしてもらっているはずだ」


 ドヤ顔でとんでもないことを言い放ちやがった。


「え゛」

「そ、そうなのですか? 」

「うむ、今度教えてやろう。その代わり、暗殺術とやらを私に教えてくれ。等価交換だ」


 その等価交換の真ん中で俺だけ得をするような状況になっているような。

 

「ぜ、ぜひお願いします! お話は昨晩お嬢様方から伺っていて、実はお師匠様が欲しかったのです!」


 思わぬところで協定が結ばれてしまった。

 しかし精霊たちもそうだが、未菜さんもレイさんも俺がいつか手を出すと決め付けている辺りが釈然としない。

 

 俺の下半身への信頼の無さはどうやらかなり取り戻すのに時間がかかりそうだった。

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