第193話:守るべき場所
1.side???
「し、しかし奥様。わたくしのようなものが大切なお嬢様を抱っこするなどと……」
「良いのよ、<レイ>。私は貴女も家族だと思ってるから」
そう仰った奥様は、恐縮するばかりのわたくしに赤子を抱っこさせました。
重い。
最初にそう思ったのを覚えています。
命は、重い。
お嬢様がわたくしをじっとその金色の瞳で見つめます。
奥様と同じく髪も輝くような金色で、瞳にまでその因子が現れている。
このお方はきっと、魔法の天才に育つのでしょう。
「どう? 温かいでしょう?」
「……はい。とても」
小さくて軽いのに、重くて、温かくて、とても不思議な気持ちになります。
これが生命の誕生ということなのでしょう。
「名前はもう決めてるんだ」
旦那様がお嬢様の顔を覗き込むようにします。
「この子の名はシトリー。優しい子に育ってくれるようにね」
「……絵本に出てくる、導きの妖精ですね」
「ああ、その通り」
旦那様は頷きます。
シトリーお嬢様はきっと、皆を導くようなお方に育つことでしょう。
「私とこの人は家を空けることが多いから、レイにはこの子の姉のように、時には母のように接してあげてほしいの」
「わ、わたくしが母などと、恐れ多い……」
「もう、レイったら。私の言うことが聞けないのかしら?」
冗談めかして仰る奥様。
ああ、温かい。
わたくしはなんと恵まれているのだろうか。
わたくしはこの子を――この家族を守ろう。
この家族が帰ってくる場所を、ずっと守り続けよう。
そう心に誓ったのでした。
2.side???
仕事を終えて部屋で本を読んでいると、扉が遠慮がちにノックされます。
ノックのしかたでどなたなのかは察しがついていましたが、返事をして扉を開きにいきます。
そこには最近幼学校へ通うようになったシトリーお嬢様がいました。
まだまだ幼いですが、美しく成長しております。
ゆくゆくは世の男性を惑わす、輝くような美女へなることでしょう。
変な虫がつかないよう、わたくしが気をつけなければ。
「……ちょっといい? レイ」
「どうなさいました? シトリーお嬢様」
「レイのお仕事を教えてほしいの」
「わたくしの、ですか?」
「うん。だって、もうすぐ二人も妹が増えるんだもん。ちゃんとお姉さんできるようにしなきゃ」
ウェンディお嬢様が生まれた時はまだ物心つく前でしたが、当初から今まで変わらずしっかりと姉としての役目は果たしているように感じます。
今度生まれる双子のお嬢様方の為に、更に高みを目指すということなのでしょう。
シトリーお嬢様はとても責任感が強いようです。
「今でもシトリーお嬢様は頑張っておられますよ」
「でもね、もっと頑張りたいの。だって大切な家族だから。それにお母様やレイにも楽をさせてあげられるかもしれないし」
「奥様はともかく、わたくしはそれが仕事ですので……」
「でも仕事をする時間が減ったらたくさん遊べるでしょ?」
なんとお優しい方なのでしょう。
まるで天使……いえ、女神のようです。
こんな方がわたくしを頼られているのですから、精一杯力になってさしあげなくては。
「ねえねえ、どう? 上手にできた?」
「…………はい、とても美味しいですよ、シトリーお嬢様」
どうやら料理だけはさせてはいけないようです。
3.side???
「体術を教えてほしい、ですか?」
「はい。私にはシトリー姉さんや妹たちのような魔法の才がないので……」
最近、初等学校へ通い始めたウェンディお嬢様はそう仰りますが、わたくしはそうは思いません。
確かに、シトリーお嬢様もちろん、まだ幼いフレアお嬢様、スノウお嬢様も類稀なる魔法の才をお持ちです。
髪色にもそれは顕著に現れていて、そういう意味ではウェンディお嬢様が自分を劣っていると捉えるにも仕方のないことなのでしょう。
しかしウェンディお嬢様の魔法の才は贔屓目抜きにしても他のお嬢様方に引けを取りません。
髪色や瞳の色はそうなっている傾向が多いというだけで、才の量を確定させるものではないのですから。
それをお伝えしますと、ウェンディお嬢様は少し泣きそうな表情を浮かべます。
「……でも、シトリー姉さんと比べてお前は駄目だという人もいますから……」
「誰ですかその不届き者が。わたくしが殺……ではなく、お説教しに行きます」
奥様と旦那様へも情報を共有しなければ。
わたくしの可愛いウェンディお嬢様を泣かせるなど絶対に許せません。
「それに、魔法だけではどうにもならない場面はあると思うんです。レイは体術に優れているとお父様から聞きました。なので、鍛えて欲しいんです」
「……わかりました。ですが、旦那様と奥様へ一度お話させていただいでもよろしいでしょうか?」
「ほんとですか!? やったぁ!」
ウェンディお嬢様は無邪気に喜んでおられます。
ああ、可愛い。
ウェンディお嬢様は何故こんなに可愛いのでしょう。
抱きしめてしまいたい。
いっそ食べてしまいたい。
「そういえば、レイは何故強いのでしょうか」
「わたくしですか? それは……秘密、ですかね」
「えー……じゃあ、私がレイより強くなったら教えてください」
「ふふ、強くなれたらいいですよ」
4.side???
「レイ! ちょっと匿って!」
「スノウお嬢様?」
バターン、と扉が開いてスノウお嬢様が部屋へ飛び込んでまいりました。
中等学校へ通い始め、大人とも見間違えるほど優れたスタイルを持つようになったスノウお嬢様。
身長はまだわたくしより低いのですが、脚なんてもうわたくしより長いかもしれません。
そんなスノウお嬢様はすぐにクローゼットの中に隠れます。
しばらくして、フレアお嬢様が追いかけてきました。
「レイ、スノウがこちらへ来ませんでしたか!?」
またいつものか、と思いつつも訊ねる。
「どうかなさったのですか?」
「スノウが私のおやつまで食べたんです! 昨日もそうだったから、今日は私がスノウの分まで食べていいという約束だったのに!」
なるほど、それはスノウお嬢様が悪いですね。
わたくしは黙ってクローゼットを指差します。
「ス~ノ~ウ~~!! うわっぷ!」
鬼の形相をしたフレアお嬢様(怒っていても可愛らしいです。流石はフレアお嬢様)がクローゼットの扉を開け放つと、雪がフレアお嬢様の顔を直撃いたしました。
そしてその隙にさっとスノウお嬢様はクローゼットから飛び出し、部屋の外へと走っていってしまいました。
あの調子では館の外にまで出てしまいそうですね。
どうせ最後は奥様か旦那様に叱られているのに、毎度毎度よく飽きないものですね。
それがまた可愛らしいのですが。
ああ、わたくしは本当に幸せです。
こんな日々がずっと続けばいいのに。
5.side???
「不思議な飛翔物体、ですか?」
「ああ、北の方に飛んでいったらしいんだけどよー」
「旦那様が仕事帰りに見たと言っていましたデス」
メイド仲間の、男勝りな性格で癖のある短い赤髪のフランと、ブロンドヘアーを縦巻きのロールにしている、ちょっとだけ口調に癖の出るベアトリーチェから報告を受けます。
二人ともわたくしの可愛い後輩です。
なんでも、黒く長い隕石のようなものが北の方角に墜落したのだとか。
どうやらこちらに影響を及ぼすような距離に落ちたものでもないらしく、今の所は特に影響が出ている様子もなさそうですが……
「ま、こっちに影響はなさそうだけどよー」
「旦那様のご友人が様子を見に行った仰っていたデス」
「なるほど、それならば心配はないでしょう」
この時はまだ、何も悪いことなど起きない。
わたくしはそう思っていたのです。
6.side???
謎の飛翔物体の周りが徐々にダンジョンのように変化している。
わたくしがそれを知った時には、既にその飛翔物体が落ちた国と、それに隣接している国が二つ完全に滅びてしまった後でした。
情報がダンジョン内外で遮断されてしまうので発覚が遅れたのです。
様子を見に行った旦那様のご友人も、恐らくは犠牲になってしまったのでしょう。
そして異変を止める為に、旦那様と奥様――そしてお嬢様方に白羽の矢が立ちました。
旦那様も奥様も魔法のエキスパートです。
そして、お嬢様方の実力はそれを更に超えています。
各々の得意属性では世界中を見ても並び立つ存在はいないでしょう。
どんな障害だって打ち砕くことができる。
それがわかっていても、わたくしの胸の内にある漠然とした不安は消えてなくなりませんでした。
そして出発当日。
わたくしはいつものように旦那様方を見送ります。
いえ、いつものように――とは言えないかもしれません。
何度引き留めようと思ったかわかりませんから。
何故か、今引き止めないと二度と会えなくなってしまうような。
そんな気がしていたのです。
ですが、わたくしはあくまでも一介のメイド。
世界が危機に瀕している中、奥様方を引き止めることはできません。
見送った後、せめてわたくしと、他のメイドたちだけでも家を守ろうと。
そう決意しました。
すると、玄関の扉が開いてちょっとだけ照れくさそうにシトリーお嬢様が顔を出しました。
「ごめんね、レイ。ちょっと汗を拭くものを忘れちゃったから、取ってきてくれない?」
もしかして異変が起きている地へ赴くのをやめたのかと、一瞬だけ期待しました。
しかしそうではありませんでした。
シトリーお嬢様はもう覚悟を決めていたのでしょう。
お手拭きを渡したわたくしに、シトリーお嬢様は微笑みます。
「必ず帰ってくるから、家のことはお願いね、レイ」
「……はい。ご武運を」
わたくしがお嬢様と言葉を交わしたのは、これが最後でした。
数日が経って。
数十日が経って。
なかなか戻ってこない旦那様方の様子を見に行く為に、フランとベアトリーチェが屋敷を出発しました。
とうとうわたくし一人になってしまいましたが、きっと奥様も旦那様も、お嬢様方も帰ってきます。
だから、いつでも帰ってこれるように館を綺麗にしておきましょう。
いつでもおかえりなさいと言えるように。
帰る場所を、わたくしが守るのです。
7.side???
あれからどれだけの時間が経ったのでしょうか。
いつしかわたくしがどれだけほうきを動かしても、どれだけはたきを動かしても埃は落ちなくなってしまいました。
ずっと、何も動かない。
何も変わらない。
そんな中で、彼らはわたくしの前に姿を現したのです。
女性二人はわたくしのことが見えていない様子でした。
しかしツンツンとした黒髪の男性はわたくしの姿が見えているようで、語りかけてきます。
それにわたくしは答えるのですが、何故かこちらの声は届きません。
すると女性二人が部屋を出ていって、倉庫からほうきを持ってきました。
そしてなんと掃除を始めたのです。
一向に部屋を綺麗にすることができなかったわたくしと違い、彼らがはたきを動かす度に埃はしっかりと舞っています。
途中、男性がウェンディお嬢様のよくされていた掃除方法を使い、思わず涙を流してしまいました。
フレアお嬢様の部屋のお掃除が終わった後、スノウお嬢様の部屋へ移った男性は突然何かに取り憑かれたかのように走り出しました。
続いてウェンディお嬢様の部屋へ、そしてシトリーお嬢様の部屋へ。
何故か下着を物色しています。
き、気でも狂ってしまったのでしょうか。
わたくしにまだ体があれば、あの男性を羽交い締めにしてでも止めるのですが。
しばらくして。
男性は打って変わって落ち着いた様子を見せました。
そして――
「この館に住んでいたのは、スノウ、フレア、ウェンディ、シトリー……そして恐らくその両親たちです。間違いありません」
男性は確かに、そう言ったのです。
お嬢様方の名を出して。
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