第185話:煩悩
1.
明日、恐らく相手がエリナに変わっているワーティア族との決闘が行われるということで俺たちの間で緊急会議が行われた。
「うーん、音魔法への対策かぁ……」
俺の話を聞いたシトリーが困ったように腕を組む。その腕の上に大きな胸が乗っている。
もしや顔をおっぱいで挟んでしまえば音魔法も届かないのではないだろうか。
シトリーか綾乃くらいのサイズならばそれも可能だろう。
「音より速く動く……のは無理にしても、音魔法が発動する前に倒しちゃうのはどう?」
「一切話を聞かないで戦闘開始っていうのは多分現実的じゃないからなあ……」
大声を出すタイプの音魔法だったらそれでも良かった。
しかしエリナは普通に喋っているだけでも音魔法を発動することができる。
「精神に直接働きかけてくるようなタイプよ。今の悠真じゃ
スノウが言う。
「俺の魔力量でもか?」
大抵のことは魔力ゴリ押しでどうにかなってきたが。
しかしウェンディが首を横に振った。
「五感を通じて発動する精神作用型の魔法は魔力量でどうにかなる問題ではないですから、マスターでも難しいでしょう」
「お兄さまを誘惑するようなメス犬は決闘なんかより先に燃やし尽くしてしまえば良いのではないでしょうか」
ニコニコとしながらフレアが言い放った。
怒りながら言うのならまだしも、にこやかな分めちゃくちゃ怖い。
「絶対駄目だからな。絶対だぞ。振りじゃないからな」
「もちろん冗談ですよ?」
本当に冗談なのだろうか。
俺が止めなければ下手すりゃワーティア族の町ごと燃やしていてもおかしくはない迫力だったのだが。
「鼓膜をあらかじめ破っておくとか」
知佳が両手の人差し指で自分の両耳を突くような仕草をした。
知佳らしい容赦ない提案ではあるが……
「お姉ちゃん的にはおすすめはできないかな。鼓膜を破っても完全に音って聞こえなくなるわけじゃないから、デメリットの方が大きいと思う」
「……鼓膜破っても音って聞こえるの?」
マジかよ。
完全に聞こえなくなるもんだと思ってた。
まさか知佳がそれを知らないわけもないだろう。
「てへ」
「てへじゃねえよ」
まあシトリーが止めなくても同じ知識を持っているであろうウェンディか綾乃辺りが止めてはいただろうが。
「決闘って言うからには、先に悠真さんへ遮音魔法を誰かがかけておく……っていうのは駄目なんですよね?」
「そうだな。俺が自分でやるにはまだしも、他の誰かにやってもらうっていうのはちょっと」
綾乃の言葉に俺は頷く。
仮にルール上OKだとしてもちょっとやりたくない手段ではある。
相手が女だからといって戦えない、なんて言うつもりはないが、一対一の決闘としての流儀は守るべきだろう。それとこれとは話が別ってやつだ。
「ルルの言ってたでかい声を出す程度の音魔法だったら気合いで我慢するってのも有りだったんだけどなあ」
それなら一撃耐えている間に俺が一撃食らわせて終わりだっただろう。
しかし精神に働きかけてくるとなると、そう一筋縄ではいかない。
「相手が美人じゃから、悠真にはなおさら難しいじゃろうな」
「ぐ……」
シエルにまでこう言われる始末だ。
まあ事実なのでどうしようもないのだが。
「……あ、一ついい案を思いついたかも。ちょっとみんな集合してちょうだい」
腕組みをしていたスノウが何かを思いついたようで、何故か俺以外の女性陣を集めてこそこそ囁き始めた。
なんだろう、この疎外感。
俺のことのはずなのに。
その後結局俺にもその対策法が伝えられたのだが……
案外本当になんとかなるかもしれない案だった。
2.
翌日。
つい三日くらい前にようやく屋台がなくなったというのに、再び屋台が猫の街に並んでいた。
決闘は申し込んだ方の町で行われるのが通例だそうで、今度は猫だけでなく犬……じゃなくて狼も混ざった光景を俺は土俵の上から眺めていた。
その様子を見るにミーティアとワーティアは争い合っているとは言ったが、どうやら特別仲が悪いわけでもないようだ。
あくまでもそういうものとして決闘という形で争いはあるが、いがみ合ってはいないというべきか。
その中に当然、知佳たちもいる。
案の定相手の戦士はレオから聞いていたでかい狼男ではなく桃色の狼少女(?)、エリナに変わっていた。
その背筋の凍るような美しさに思わず観衆も息を呑む。
こちらと同じようなルールで戦士が入れ替わるのだとしたら、元の狼男はエリナにこてんぱんにされたのだろうか。
強い奴を虐めるのが好きというドSな性格からして、ろくな目にあっていなさそうだが。
目が合う。
「昨日ぶりね、悠真さん」
相変わらず甘いゆったりとした喋り方だ。
まだ開始の合図はされていないが、既に魔法を使っていてもおかしくない。
「そうだな。まさかこんなに早い再会ができるとは思ってなかったぜ」
「私からの思いが通じたのかしら。悠真さんとはぜひまた会いたいと思っていたのよ」
「それは光栄だ」
昨日はエリナはマチェットのようなものを持っていたが今日は素手。
もちろんそれはお互い様である。
「エリナ、先に言っておくが――俺には負けられない理由が二つある」
「……二つ? 何と何?」
「一つは今回の決闘の条件である黒い塔を手に入れる為。もう一つは……秘密だ」
「あら残念。もし私が勝ったら教えてくれる?」
「もし勝てたら、な」
さて。
例の対策はバッチリだ。
今の所は、だが。
魔法を使っているか使っていないのかも俺には判断できないが、少なくとも今の所はエリナに手加減しようとかその手の絆されるような傾向はない。
「双方準備は良いな?」
今回開始の合図をするのはルルパパである。
これもまた決闘を申し込んだ方の族長がする、というルールらしい。
「ああ」
「ええ、いつでも」
「では――はじめ!」
ルルの時のコインを弾くのではなく、合図によって始まった決闘。
その瞬間、エリナは両手を合わせてパチン、と拍手をした。
――だけのはずだったのだが。
ッパァンッ!!
と。
「――!?」
凄まじい衝撃と破裂音が鳴り響き、思わず体が浮きかけてしまう。
慌てて踏ん張ったので飛ばされずには済んだが、今のは拍手の音を増幅させてその勢いで俺を吹き飛ばそうとしたのか?
催眠をしかけてくるような音魔法しかないと思っていたが、どうやらそういう訳でもないようだ。
普通に力業も使えるんだな。
「……すごい。どちらにも耐えたのはあなたが始めてよ、悠真さん」
搦め手(洗脳)と力業(拍手)のどちらにも、って意味かな。
「万事休すか? 降参するなら今のうちだぞ」
先程の破裂音のせいで若干音が聞こえづらくなっている。
鼓膜が破れたという程でもない。
十秒程度ですぐに治るだろう。
エリナがルルレベルの体術を使う可能性も考えてそれまでの時間を稼ぐ。
念の為耳への防御へ回す魔力は少し多めに割いていたのだが、どちらかと言えば搦め手の方への警戒の方が強かったので爆音への対策が少し疎かだったのだ。
全く、戦う度に反省点が見つかるなちくしょう。
しかしそのかいあって今の俺には搦め手の方は一切効かないみたいだ。
スノウの考えついたシンプルな対策法が功を奏しているな。
「ううん、降参はしないわ――だってとっても楽しくなってきたもの!」
エリナの方も俺が三半規管にダメージを負っていることには気付いているようで、あちらから距離を詰めてきた。
速い。
しかしルル程ではない。
振られた左の拳を余裕を持って腕で受け止め――
そこでエリナは不思議な行動を取った。
右の掌で、俺に受け止められている自らの左の拳を叩いたのだ。
「――ぁ」
血が沸騰するような感覚。
意識が一瞬遠のく。
一見意味のわからない行動だったが効果は絶大だった。
音とは振動が波のように伝わるものだ。
搦め手は効かず、不意をついた拍手も鼓膜を破るに至らず。
そんな俺にエリナが次に打った手は、俺の体内を直接振動で攻撃するというものだったのだ。
思えば、どちらにも耐えたと言われたことで俺はエリナにもう打つ手がないと思い込まされていたのだ。
本当駄目だな俺は。
反省点ばかりだ。
だが――
「嘘……」
エリナが目を見開く。
俺は倒れなかった。
恐らく本来ならば一撃必殺と言っても過言でないほどの威力だったのだろう。
だが、ここに来てようやく俺の純粋な魔力量が物を言った。
直接体内にぶち込まれたとは言え、魔力による強化はその体内にまで及ぶのだから。
エリナの両腕を捕まえた俺はそのまま真横にエリナを投げ飛ばす。
ルルパパのように風魔法なりなんなりで復帰してくる可能性も考えていたが、奥の手まで効かなかったことがよほどショックなのかエリナはそのまま場外へぽとりと落ちた。
「場外! ミーティアの勝利!!」
ルルパパが宣言するのと同時に場が湧き上がる。
図らずも横綱相撲のような試合展開になったのも彼らの盛り上がりの要因として大きいだろう。
終わってみればこちらはほとんどダメージを受けていない……というか実質ノーダメみたいなものだ。
耳鳴りも収まって普通に聞こえるし、体内を揺らされたダメージだって大したことはない。
脳震盪を起こしていたらやばかったかもしれないが、魔力の強化によってそこまで甚大な被害を及ぼす前に振動自体が消えてしまったからな。
舞台から降りると、当然あちらもノーダメではあるエリナが待ち構えていた。
「……私の魔法が通用しなかったのは何故?」
「洗脳とか魅了に対抗するには強い精神力か魔法への高い理解力、そのどちらかが必要になるそうだ」
シンプルな話、スノウたちならばそもそも魔法そのものを無効化できるし、多分だが未菜さんや柳枝さんなら精神力で跳ね除けることができるだろう。
要は特別俺が暗示にかかりやすい性格をしているのが問題なのだ。
単純とも言う。
で、今回の一番の問題点は魅了系の洗脳かつ、相手が俺好みの美人だったということ。
アホみたいに思えるがまじでこれがネックだったのだ。
なのでそれを解決する為に、スノウが提案した対策とは。
俺がエリナに勝ったら、ハーレムプレイをさせてくれると言われたのだ。
流石に全員を同時に相手にしたことのなかった俺はそれにまんまと乗せられ、エリナの魅了すら跳ね除けるほどの強い精神力を手に入れたわけだ。
アホみたいに思えるだろ?
でも本当に効果があったんだ。
正直自分で自分にビビってる。
俺はなんて単純な男なのだと。
しかし流石にハーレムプレイに負けたのだと正直にエリナに言うわけにもいかない。
「……煩悩を捨てたのさ」
本当は煩悩で勝ったようなものなのだが。
明らかに納得のいっていないエリナだったが、それに構っている暇は俺にはない。
一刻も早くドリームを叶える為。
何人たりとも今の俺を止めることはできないのだ。
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