第184話:惑わしの音魔法

1.


 身体能力の差から来る移動速度の問題で綾乃をお姫様抱っこしつつ俺たちは森の中を疾走する。

 何故おんぶじゃないかって?

 俺が前かがみになって走りにくくなるからだ。


「やっぱりいつ触っても凄いですね……」


 綾乃は綾乃で俺の胸筋とか二の腕とかをぺたぺた触ってるんだが、あんまり惚けてるみたいに口開けてるとそのうち舌噛むよ君。

 で。

 前を走るスノウが立ち止まって制止の合図をしてきたので俺も立ち止まる。

 目の前は茂みみたいになっていて何も見えないが――

 魔力は確かに感じるな。

 それもかなり強い……ルルよりもほんの少しだけ少ない程度か。

 最近、ルルくらいの強さの奴がわんさか現れてて感覚が狂ってきたな。


「……もうバレてるわね。行くわよ」


 そう言って今度はスノウは歩き出す。

 名残惜しそうな綾乃を降ろして、茂みをかきわけ進むとそこには一振りのマチェットみたいな刃物を持った女性がいた。

 ぱっと見は若い。

 シエルのような例もあるので一概には言えないが、外見年齢から考えれば俺や綾乃とほぼ同年代と言ったところか。


 長い桃色の髪、切れ長の目にすっと通った鼻筋。

 理知的な顔立ち、とでも言うのだろうか。

 なんというか、背筋にぞくりと来る感じの美人だ。


 身長は高く、170以上はあるように見える。

 流石に俺よりは低いようだが、女性としてはかなりの高身長だ。

 黒いチャイナドレスのような服も相まって、全体的にはスレンダーな印象を受ける。


 そして一番の特徴は、耳と尻尾である。

 犬――いや、のそれらしい、桃色のものがぴょこんと頭と尻から生えているのだ。

 チャイナドレスみたいな作りなのにお尻側はどうなっているのだろう。めくれあがってんのかなもしかして。

 などという考えがふと脳裏を過る。

 その瞬間に左側に立っていた綾乃にぎゅっと腕をつねられ、スノウには足を踏まれた。

 お前らエスパーかよ。


 当の彼女は突然現れた俺たちにきょとんとした様子だ。

 オレンジっぽい色の瞳と目が合う。

 その瞬間、薄い唇がほんの少しだけ笑みの形を浮かべたような気がした。


「どちら様かしら……?」


 甘い声だ。

 ゆったりとした喋り方で、まるで誘われるかのような――


 パチン、と俺の目の前でスノウが指を鳴らした。

 その瞬間ハッとする。

 何故か俺は今、無意識にあの女性の方へ歩いていこうとしていたのだから。


「なるほど、今のが狼獣人固有の音魔法って奴? 聞いてた感じとは随分違うけれど――初対面の相手にかけるには随分不躾な魔法だわ」


 スノウの声音には鋭いものが含まれている。

 今の、魔法をかけられていたのか? 全く気付かなかったぞ……

 

「御免なさい、刺激するつもりはなかったのよ? そちらの男性がとっても素敵に見えたから、つい、ね」


 女は微笑を浮かべながら謝罪する。


「……確かに悪意は感じないわね。でもはあたし達のよ。あんたには渡さないわ」


 ぐいっとスノウが俺の腕を引っ張る。

 『これ』扱いだが、なんだか悪くない気分だ。

 うん、悪くない。


「あら、そうなの。それは残念だわ。とっても残念」


 そして俺の方を見ると色気たっぷりのウインクをされた。

 うーむ。

 悪くない。


「あんたね……」


 スノウにジト目で睨まれる。

 だって仕方ないじゃないか。

 

「……あの、ワーティア族の方……ですよね?」


 綾乃が恐る恐ると言った感じで訊ねる。

 別に取って食われやしないんだから、と言いたいところだが、どう見てもあの女性は捕食者側で綾乃は獲物だ。

 それこそ狼と兎が向かい合っているように見える。


「ええ、そうよ? それがなにか?」

「ここってミーティア族の領地だと思うのですが――」

「――あら」


 ス、と女の目が細められた。

 一瞬ひりつくような空気感を纏ったのは気のせいだろうか。

 

「いつの間にかそんなところまで来てたのね、ごめんなさい。あなた方はミーティアの関係者なのかしら?」

「関係者も何も、あんたらのとこと戦うのがこれよ」

 

 再びスノウにこれ扱いされる俺。

 

「……ミーティアには見えないけれど? あのヤンチャな猫ちゃんの旦那様だったりするのかしら」


 ヤンチャな猫ちゃんって多分ルルのことだよな。

 ミーティアとワーティアで争い合ってるとは言え付き合いはあるようだし、知っていてもおかしくはないか。


「そんなようなものよ」

「そうなの。じゃあ、私も出ようかしら。今のワーティアの戦士は頼りないと思っていたところだし――その男性と戦えるのなら悪くないわね。あなた、お名前は?」


 俺に聞いているのだろう。

 目があってるし。

 一瞬偽名を名乗ろうかと思ったが、素直に答えることにする。


「皆城悠真だ」

「私はエリナ=ワーティア=ベリル。ぜひエリナって呼んでちょうだい、悠真さん」


 そう言ってエリナは踵を返して俺たちの元から去ろうとする。

 穴が空いててそこに尻尾を通してるのか……


「待ちなさい」


 そんなエリナをスノウが引き止める。 


「なにかしら?」

「何をしにここまで来てたの。あたし達にはミーティアへこのことを報告する義務があるわ」


 そんな義務あるの? と綾乃の方を見たがこくりと頷かれた。

 どうやらあるようだ。

 

「狩りに来てたの。趣味のね」

「……趣味?」

「ええ、この辺りは強い魔物が出るから。私、強い子が大好きなの。たくさん抵抗してくれて楽しいから。とっても」


 どこか恍惚としながらそう言うエリナ。

 俺は直感した。

 こいつ、ヤベえ女だ。



2.



「エリナ? 聞いたことあるようニャないようニャ……」


 はて、と首を傾げるルル。

 ギルドへ戻ってきた俺たちはちょうどルルが何かの用事の途中なのかギルドにいたので、早速話を聞くことにした。


「ピンクな髪の奴よ。悠真に色目を使ってたしきっと頭の中までピンクだわ」


 若干ご機嫌斜めなスノウ。

 確かに相性は悪そうな二人だったな。


「ああ、思い出したニャ。そういえばそんな奴もいたのニャ。でも確か確か自分より強い奴を探す為に旅に出るとか言ってたはずニャ」

「たくさん抵抗してくれるから強い子が好きとか言ってたけど……」

「あいつは根っからのイジメっ子気質ニャ。えっちする時の悠真みたいな感じだニャ」

「…………」


 なんともまあコメントのしづらい表現をしてくれるものだ。

 しかしそう表現されるとエリナの言っていることもちょっとわかるかもしれない。

 ちょっとくらい抵抗された方が燃えるよな、うん。

 本気でそうしてるんならまだしも。


「スケベ」


 スノウに睨まれた。

 そうそう、そういうの……じゃなくて。


「けとエリナは反抗的な態度がどう、とかじゃなくて、強さを基準にしてそれを求めてるんだろ?」

「そういうことニャ。でもあたしが知ってるエリナは普通の声に魔法を載せて他人を操る、みたいなことはできなかったはずニャ。ここ数年で強くなってる可能性は高いと思うニャ」


 事実、魔力量は相当なものだった。

 レオが勝ったり負けたりだと言っていたワーティアの戦士よりは確実に強いだろう。

 となれば、彼女の宣言通り次の決闘の際は戦士が入れ替わっている可能性がある。

 ちょうど、レオから俺に変わった時のように。


「だとすると、気合いで耐えるとかよりはもっと根本的な解決を図ったほうが良さそうだな……」


 話を聞いているだけだった


「手っ取り早いのは始まった瞬間にぶっ倒すことよ。もう情け容赦なく全力全開でぶち殺しちゃいましょ」

「ぶち殺しちゃ駄目だろ」

「言葉の綾ってやつよ」


 そんな可愛らしいもので済むものだろうか。


「悠真がもっと魔法そのものに精通してれば直接抵抗レジストできるけど、そうもいかないのが問題ね」

「声を聞くだけでアウト、となると遮音魔法みたいなのを作ったほうが良さそうですね。もう始まる前にも何も聞こえないくらいの強い奴を」


 綾乃がそう提案する。

 確かにそれをするのが一番ではありそうだが……


「できるのか? そんなこと」


 虫除け魔法も作れるくらいなので不可能ではないのだろうか。

 しかしただ漠然とこんな感じの魔法作りたいな、では流石に実現できないだろう。


「音は結局空気の振動によって届くものですから、その振動自体を届かなくしてしまえば理論上は可能だと思います」

「……どうやってそんなことを?」

「自分の周りを真空にする、とかですかね」


 それしたら俺も死んじゃうじゃん。


「気合いで耐えなさい」

「無理だよ!?」


 多分ね。

 魔力によるガードがどれくらいまで有効なのかにもよるだろうが。


「幾つかの層を重ねて……真空ガラスのようなイメージで相手との間に真空を作れば音が届かないような状況になると思います」

「おお、なるほど」


 そういえばうちのガラスも真空ガラスらしいからな、あれ。

 防音性だけでなく熱を逃がしにくくなってるとかなんとか。


「難しいようなら悠真が真空を気合いで耐える感じでもいいのよ、綾乃」

「なんでお前は俺に人間の限界を超えさせようとするんだ」

「あんな得体のしれない女相手に鼻の下伸ばしてるからよ」

「べ、別にそんなことねーし!?」

「ふーん、あっそ」


 だ、だって仕方ないじゃないか。

 あんなの男なら誰だって反応してしまう。

 俺の意志力が弱いとかは関係ないはずだ。


「まあ良いわ。知佳やフレアがどう判断するかだし」

「……何卒あの二人にだけは黙っておいて頂けないでしょうか」


 後が怖すぎる。


「そ。じゃあウェンディお姉ちゃんとシトリー姉さんには言うわね。もちろんシエルにも」

「ぐぬぬ……」


 そこに伝われば間違いなく知佳とフレアにも伝わるから結局意味がないのだが。

 今日の夜が楽しみ……じゃなくて怖い。あー怖い怖い。まんじゅうも怖い。

 さて、そんなコントをしている間に綾乃が魔法を完成させたようで、


「はい、できました。幻想スキルで共有するので、後は悠真さんの方で練習もしておいてください」

「あいあい、よろしく」


 綾乃とのイメージの共有は額同士を合わせるというシンプルなものだ。

 なんだか500年くらい先の未来で意志共有に使われていそうな方法である。

 というわけで額と額を合わせて魔法の共有をする。

  

 こうして近くで見ると本当綾乃って可愛いんだよな。

 狼と兎に例えたが、まさにそんな感じで可愛いらしい。

 同じ小動物なはずのルルにはない可愛らしさだ。


「ニャんか失礼なことを考えられてるような気がするニャ」

「気のせいだニャ」

 

 ……うん、こんなもんか。

 なるほど、確かにこんな感じの魔法なら俺でも再現可能そうだ。

 

「後はどこまで練習できるか、だな」

「どうでもいいけど、こんニャところでそんニャにくっついてると周りの視線が痛いことに気付いてほしいのニャ」

「あ」

「ああ」


 綾乃の顔がぼっと赤くなる。

 もちろん俺は気付いていた。

 綾乃が気付いていないのを良いことにそのまま続行していたが。

 周りの視線を独り占めである。


 悪いね、ここだけでもスノウに綾乃、そしてルルと綺麗どころ三人も独占しちゃって。

 まあ、冒険者は探索者よりも比較的荒くれ者が多いらしいのでさっさと撤退することにしよう。




 ということで泊まっているホテルへ戻ってくると、ウェンディが出迎えてくれた。


 ちなみにルルは途中離脱である。

 あいつマジで忙しそうだな。

 半分くらいは遊んでそうでもあるが。

 

「マスター、決闘の日程が決まっています。先程連絡が来ました」

「え、マジ? いつ?」


 遮音魔法がきっちり完成するの間に合うだろうか。

 この数日間が勝負――


「明日です」

「……マジか」


 絶対間に合わないやつじゃん。

 どうしよ。

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