第170話:言葉

1.


 アスカロンとリズエットさんが結婚するということになって、里の中が一気に活気づいた。


 結界の外が大変なことになっているのに自分たちだけ……と渋るアスカロンは俺の魔力を結界に提供するしないということを人質にすることでなんとか封殺した。

 

 あと数日もあれば滅びを迎えるかもしれないという絶望的な状況の中、妖精王が帰還して問題を解決し、しかも幼馴染と結婚してそこに定住するともなれば喜ばないはずもない。

 

 で、当の二人は式の準備やらなんやらで忙しそうにしているし、シエルも基本的には結界の拡張作業の方に時間を取られているので暇なのは俺とルルだけだ。


 そんな暇そうにしている俺たちをエルフたちは手厚く――ちょっと手厚すぎるんじゃないかと思うくらいもてなしてくれた。


 エルフはどちらかと言えば貞淑な人が多いようで、酒池肉林……という訳にもいかないのだが酒池肉林から肉林を取り除いたら大体こんな感じになるよなってもてなされかたである。

 しかもアスカロンから何を聞いているのかは知らないが、俺に気を遣っているようで今俺の身の回りには女性しかいない。


 エルフなので言わずもがな全員が美女だ。

 もちろん手は出さないけどね。

 ……出さないよ? ほんとだよ?


「悠真様、お代わりは如何ですか?」

「あ、もう結構です。大丈夫です」

「そうですか……」


 特別酒に強いわけでもないので、あまり飲みすぎるとべろんべろんになってしまう。

 そして人はアルコールで駄目になるのではなく、アルコールで駄目なところが露呈してしまうのだ。

 俺の駄目なところなんてもう言わなくてもわかるだろう。


 しかし俺が次々と注がれるフルーツ酒(みかんっぽいやつとか桃っぽいやつとか色々ある。美味い)を拒否すると、注いでくれようとしていたエルフのお姉さんがしょんぼりする。

 それを見た俺は「じゃ、あと一杯だけ……」と言ってしまうのだ。


 それをかれこれ10回くらい繰り返している。

 ちなみに少し離れたところではルルが色んな食べ物や酒に囲まれて楽しそうにしていた。

 何も悩みとかなさそうで羨ましい限りだ。

 傍から見ると今の俺もそうとしか見えないんだろうが……


 だってしょうがないじゃん。

 結界の拡張はシエルにしかできないので仕方がないのだが、それ以外の式の準備の為の力仕事なんかを手伝おうとすると全力で拒否されるのだから。

 お客人にそんなことを手伝っていただくわけには! みたいな勢いで。


 で、夜になると戻ってくるアスカロンに稽古を付けてもらい、それが終わった後はシエルと稽古(意味深)をしてから寝たりしないで寝たりという日々を送っていた。


 そして俺がアスカロンとリズエットさんに結婚するよう強要して9日目。

 結婚式の前日である。

 アスカロンとリズエットさんは二人して最後の大詰めということで夜になっても帰ってきてない。

 そしてシエルはと言えば、こちらもこちらで今日で結界の拡張を終わらせてしまうので遅くなると言っていた。


 エルフのお姉さんたちも流石に夜まで付き合ってくれるわけではなく、既に帰宅済み。

 なので俺とルルは恐らく早朝あたりまで二人きりという状況になっていた。



「暇ニャー……暇だニャー……」

「俺はそこまで暇じゃないな」


 筋トレなうである。

 魔力による強化があるとほとんど意味がないのでほぼゼロにして、生身の状態で。


 最近は筋肉も昔鍛えていた時のものにかなり近づいてきている。

 元々親父と違ってムキムキにはなりにくい体質なのでそこまでゴリゴリにはなれないのだが、それでも海で水着になっても恥ずかしくないくらいの体にはなっているだろう。


 そういえば、ルルはうっすら腹筋割れてるんだよな。

 見た目は細身なので筋肉質というわけではないのだが、余計な脂肪も胸以外にはついていないし世の中の女性からしたらかなり羨ましいスタイルなのではないだろうか。


 というか俺の周りにはその辺り完璧な奴が多すぎる。

 今もエルフの里にいてスレンダー美人ばかりなので感覚が狂いそうになるが。


 知佳はほとんど動いている様子が見られないのに何故か太らない不思議体質だし、綾乃は俺の筋トレ器具でちょこちょこダイエットしてるし、精霊たちはそもそも何しても太らないだろうし……


 未菜さんは普段からあれだけ動いていればむしろ大食いしなければエネルギーが保たないくらいだろう。


 真面目に考えてだらしのない体をしているのは親父くらいかもしれない。

 一見俺よりもムキムキなのだが、腹がちょっと出てるんだよな。

 仕方がない。

 だってオッサンだもの。


 俺も十数年経ったらああなるのだろうか。

 ……やだなあ。

 ここ一週間くらいの暮らしを見ていると説得力がなくなるが、今後アルコールは控えた方がいいかもしれない。

 ビール腹とか言うしな。


 そんなあれこれを考えつつスクワットする俺に、ルルが話しかけてきた。


「熱心だニャあ、ユーマ」

「うん?」

「ニャんでそこまで頑張るのニャ? アスカロンやシエルババアもそうニャ。なんでそこまで他人の為に頑張れるニャ。それだけの力があれば自分だけは幸せに生きるなんてワケないはずなのニャ」

「んー……他人の為に頑張るなんて考えたことがないけどなあ。結局俺は俺のやりたいようにやってるだけだ」


 10年以上前、親父はこんなことを言っていた。


 ――誰かが困っているのなら助けたいだろ?

 

 アスカロンの精神に近いのはどちらかと言えば親父だ。

 だが俺は違う。


「俺は後で嫌な気分になりたくないから動いてるだけだ」

「嫌な気分……ニャ?」

「例えば目の前に泣いている、3歳くらいの女の子がいたとしよう。その子は母親とはぐれて困っているそうだ。どうだ、母親を探すのを手伝うか?」

「……まあ、多分手伝うニャ」


 ルルは少し考えるようにしてから答えた。


「俺もそうだ。けど、俺の場合善意とかとはちょっと違うんだよ。そこで仮にその女の子を無視して素通りしたとしよう。そうしたら俺は後で超絶嫌な気分になる。あの女の子、俺がスルーした後にヤバい大人に見つかったりしたらどうしよう。まだお母さんに会えてなくて泣いていたらどうしよう、てな感じでな」

「はあ……」

「だから困ってる人がいたらできる範囲で助ける。俺の魔力でそのできる範囲ってのが広がってるんなら、その広がった分だけなんとかできるようにする。アスカロンみたいに全部助けようとかは考えてないのさ」

「よくわからんニャ。難しい理屈をつけてるだけで、結局やってることはアスカロンと大差ないニャ」


 そんなこともないと思うが。

 あいつも俺と同じにされるのは嫌がるだろう。

 俺は――いざとなれば他人を見捨てるからな。

 今もダンジョン化は広がっている。

 大勢の犠牲が出ているだろう。

 だが、俺はそれを無視して里の中でのほほんとやっている。

 そのことに罪悪感を覚えないとは言わない。


 だが、そこまで罪の意識に苛まれているかというとそうでもない自分がいるのだ。


 俺はともかく、今回はアスカロンにそれを強要した形になる。


 それを分かっていないあいつではない。

 ということをルルに話すと、呆れたように溜め息をつかれた。


「そもそも自分がここでのほほんとしてなければ助かる人数が増える、なんて思ってる時点で思いあがりだニャ」

「別に思い上がってるつもりはないが……」

「実際お前は大したことないニャ。魔力はアホみたいに多いけど、それ以外はアスカロンやシエルババアに比べたらカスみたいなもんニャ」

「そこまではっきり言わなくてもよくない?」

「あたしよりも下ニャ」

「聞き捨てならねえぞオイ」

「要はお前は大したことないけど、お前が助けたシエルババアやアスカロンは大した奴ニャ。これからお前の何千倍、何万倍という人数を助けることになるニャ。つまり実質お前が助けたみたいなもんニャ。ニャんで結婚したらアスカロンが死ににくくなるとかはよくわかってニャいけど、そうすることでお前が助けられなかった人をアスカロンがより多く助けることになるのニャ」

「……ルル、お前もしかして賢いのか?」

「ふっ……バカの振りをしてる方が世の中うまく立ち回れるのニャ」


 ちょっと褒めたらすぐに調子に乗りやがった。

 良かった、やっぱりこいつはバカだ。

 しかし言っていることの理は通っているようにも思う。


 アスカロンがこの先も生きていることによって多くの人を救う。

 俺ができないことを俺より凄いやつがやる。

 それについては別に何も問題はないのだ。


「それと、いい機会だからついでに言っとくニャ。シエルババアを助けてくれてありがとニャ」

「……そういやお前、シエルと随分仲良さそうだよな」


 ルルがシエルに失言して折檻されるのはもはや日常風景だが、どちらもそれを嫌がっていない。

 それこそコミュニケーションの一部みたいなやり取りだ。


「あたしの名付け親があのババアだからニャ」

「へえ?」

「あたしが生まれる前、母上が身重の時にババアに助けられてるのニャ。それで命の恩人にあたしの名前をつけてもらった感じニャ」

「へえ、そんな経緯が……母上?」


 ルルが自分の母親のことを母上って呼んだのか?

 え、なに?

 ギャグ?


「あたしはこれでも猫の獣人の中ではまあまあ偉い血筋なのニャ――ニャ!? 胸を触るニャ!」


 胸を張られたので揉んだだけなのだが。


「偉い血筋ってもしかして本当にお姫様とかそういう感じだったりするのか?」

「そういう感じだったりするのニャ」


 マジかよ……

 俺そんなのを異世界から連れて帰ってきちゃったのか。

 ……いや、いいや。

 実際に連行してきたのは実質ウェンディとシトリーだし。


「ニャのでいずれはマジで責任を取ってもらうことになるのニャ」

「ニャ、ニャんだと……」

「冗談じゃないニャ。ガチだニャ」

「せ、責任とはどのような……」

「お前があたしより強いことを一族に証明して、子を産むだけニャ。そんな難しいことじゃないニャ」


 あっけらかんと言い放つルル。

 俺は思わず天井を仰ぎ見た。


 難しいとか難しくないとかそういう問題じゃない。

 とんでもねえことになってるじゃねえか。

 どうしようこれ。


 いやほんと、どうしようね。

 今までルルも表面上はツッコミを入れていたがどちらかと言えば乗り気っぽかったので気軽にセクハラしてきたが、まさかそんなことになっているとは思いもしなかった。


「あと言っておくと、ウェンディにもシトリーにも本気で嫌だったら解放するとは言われているニャ。それでもお前らといるのはあたしの意志だニャ」

「え、なんだそれ……告白か?」

「そんなようなもんだと思ってもらって問題ないニャ」


 なんでこんな男らしいのだろう。

 

「というか、人を舐めすぎニャ。本気で嫌だったら本気で抵抗してるニャ。いくらウェンディたちが化け物でも逃げるくらいはできるニャ。……できるニャ?」

「それはちょっと保証しかねるけどな」


 どうだろう。

 そもそも嫌なら解放すると言っているらしいので有り得ない仮定ではあるのだが、仮にマジで逃走しようとしてもウェンディやシトリーから逃げ切れるかと言うと……

 

「まあいいニャ。どうせあいつら帰ってくるの遅いのニャ。話ついでに一発ヤってみて相性を確かめるのニャ」

「は?」

「いや、シエルとあれだけしてるのニャ。一発とは言わずに何回か試してみるニャ。ほら、早く脱ぐニャ!」

「助けてー! 襲われるー!」

「逃げるニャ!!」


 

 まあその後どうなったかを詳しく言うのは控えよう。

 ただし、これだけは言わせてほしい。

 ルルの威勢が続いたのは最初の3分くらいまでだったと。



2.



「ユーマは獣人よりよっぽど獣ニャ……狼だニャ……」

「おぬしも盗み見しておったのなら返り討ちに遭うことはわかっておったじゃろうに……」


 翌朝。

 体の疲れを取る為シエルに治癒魔法をかけてもらっているルルを横目に、俺たちは里の広場での登場を待っていた。


 このエルフの里にはどうやら200人弱のエルフが住んでいるようで、子供を除けば全員が美男美女だ。

 まあその子供も将来的にはそうなるであろうと断言できるような容姿なのだが。


 すげえなあ。

 美人は三日で飽きるなんて言う輩がいるが、ありゃ嘘だ。

 俺は全然飽きないもん。


 なんてことをぽけっと考えていると、カンカンカンカン、と澄み渡るような甲高い金属音が鳴り響いた。

 ざわざわとしていたのがピタリと鳴り止む。


 ルルですら空気を察して黙るほどだ。


 そして――


 広場から少し離れた位置にある、集会場から主役の二人が出てきた。


 

 驚いたことに、和服に近い黒っぽい着物を着ているアスカロンに、同じく和服に近い赤い着物を着ているリズエットさん。

 どこの文化がどう伝わってそうなったのかはわからないが、美しさを求めると異世界だろうと過去だろうと同じような形に落ち着くのかもしれない。


 普段の朗らかな表情とは違って真剣なキリッとしているアスカロンはもはや嫉妬心すら湧かないほどかっこよく、その隣のリズエットさんは思わず見惚れてしまう程に綺麗だった。

 人生一度の晴れ舞台――なんていうが、エルフの人生は人間のものよりも遥かに長い。


 そして離婚をするようなこともほとんど無いという。

 二人を別つものは正しく死のみなのだ。


 それだけ重い意味を持つものだからこそ、これだけの美しさなのかもしれない。

 そう思った。


 恐らく、俺以外――ルルやシエル、そして他のエルフたちも同じようなことを思っているのだと思う。

 まるで全員が呼吸をすることすら忘れたかのような静寂の中。


 アスカロンが口を開いた。

 事前に聞いている内容では、ここであいつが何かスピーチをして、そこからは披露宴のような感じになるらしいのだが――

 果たして何を言うのか。



「みんな、聞いてくれ」



 誰も喋らないで、アスカロンの次の言葉を待つ。



「俺たちエルフは命が長い。他にも長命の種はいるが、その中でも飛び抜けている。そして俺は――妖精王オーベロンなどと呼ばれている立場。一体自分に何ができるのか、ずっと考えていた。そして最近になって、ようやくわかったんだ。俺がやるべきことは未来を守ることなのだ、と」


 

 未来を――守る。

 俺はすぐにその意味を理解することはできなかった。


 アスカロンがこちらを見る。

 気のせいかと思ったが、どうやらそうではないらしい。



「その為に俺は、俺自身を蔑ろにすることをやめるよ」


 

 ――ふと。

 知佳が俺に対して怒っていたことを思い出した。

 

 ああ、そうか。


 俺がアスカロンに感じていることは、周りの人が俺に対して思っていることと同じなのか。

 ならば俺もそうするべきなのか。


 でも――

 


「でも、それだけじゃ俺が俺でなくなってしまう」



 アスカロンはまるで俺の思考を先読みしたかのように言う。

 


「だから――」


 

 そして、更にその先へ。

 彼は答えを出していた。

 


「みんなも手を貸してくれ。未来を守るために。一人じゃない。仲間がいることが大切なんだ」



 ともすれば、ありふれた台詞だ。

 俺が今まで読んできたどんな漫画にだって一回は出てきているようなもの。


 だが、何故その言葉がありふれているのかについて考えることはなかった。

 

 こんなにも心を打つ言葉だったのか。

 だからこそ、ありふれた台詞になり得るのか。


 シィン、とした広場の中で、誰かが拍手をし始めた。

 どうやらこの文化も異世界とで共通らしい。

 やがてその拍手は空気を揺るがさんばかりの大きなものとなって、アスカロンの挨拶の締めとなるのだった。

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