第144話:究極の薬
研究所へ到着すると、天鳥さんが駐車場が待っていた。
どうやら相当気が急いているらしい。
今日は本来ウェンディとフレア、として綾乃と樹海ダンジョンの新階層へ行く予定だったのだが、それを返上して研究所へ来たのだ。
ちなみに前回がスノウとフレアだったのに今回もフレアが選抜されているのは、樹海ダンジョンを実地で経験している人手がほしかったからである。
その次はウェンディとシトリー、そして知佳か綾乃のどちらかという事になる予定である。
俺はもちろん出ずっぱりだ。
俺の仕事はそれくらいだからな。
会社のことは残った人たち、最近では母さんも手伝ってくれるようになっているので心配はいらない。
「これで大したことじゃなかったら恨みますよ、天鳥さん。フレアがむくれてたんですから」
車から出て、珍しくうきうきしている様子の天鳥さんに話しかける。
「ふっふっふ、転移石の効果にも匹敵するとんでもないモノだったとだけ約束しておくよ」
「それ電話でも言ってましたけど、迂闊に電波に乗せないでくださいよ」
「それは本当にうっかりしていたよ。でもそれほど興奮するものだったんだ。キミがダンジョンに入っている間、200回以上は電話をかけたからな!」
「もはやストーカーですよそれ」
しかし天鳥さんがうっかり電話で転移石のことを口走ってしまう程、そして200回も電話をかけてくる程に興奮した内容か。
ちょっと怖いな。
なんだろう、あの赤い実を食べると化け物みたいになるとか……
もしそれでここまで興奮しているんだとしたらマッドなサイエンティストにも程があるが。
うきうきで先導する天鳥さんの後ろをついていく。
この人、後ろからおっぱい見えるんだよな。
というのも、大きすぎて体の横からはみ出しているのだ。
シトリーや綾乃もそうなのだが、もはやここまで大きいと重すぎて日常生活に支障をきたすのではないだろうか。
大きいおっぱいを下から支えるだけの仕事とかないだろうか。
巨乳の人は肩が疲れなくなる。
俺は大きいおっぱいを触って幸せになれる。
Win-Winの関係ではないだろうか。
力と体力には自信あります。
誰か雇ってください。
知佳あたりにこの戯言を聞かれたりしたらお仕置きされそうだ。
物理的な意味で。
女性は自分の胸へ視線がいっているのを敏感に感じ取ると言うが、流石に背後からの視線には気付かないようで、天鳥さんは放っておけばスキップでも始めそうなテンションへと向かうのだった。
「さて、まずは結論から伝えるべきなのはわかっているが、それではつまらないので僕は過程から説明していくことにするよ」
「つまらないって」
「それくらいインパクトのあることなのさ」
研究室に雑に置かれている机に、俺と天鳥さんは向かい合って座っている。
「まず、僕が一番最初にしたことは成分分析だ」
脇に置かれていたファイルから1枚のプリントを取り出し、机の上に置く。
そこには恐らく俺でもわかるようにだろう、図解となにやら難解な成分名があれこれ書かれていた。
しかしこれを見るに……
「……見た目通り、苺に近い食べ物ってことですか?」
「そういうことになるね。キミに細かい説明をしても意味はないだろうから端折るけれど、端的に言えばほぼ苺だ。匂いは桃のそれに近い」
「人体に有害な成分なんかは?」
「確認できた限りでは少なくとも常識的な量に収めるのなら影響は出ないと言っていいだろう」
「へえ……」
まあここまでは俺も知っていたことだ。
見た目は苺だし、匂いは桃。
食べられるだろうなというのも想定済みである。
こんなことであそこまで興奮して呼び立てるようなことはないだろう。
「次にしたことは、実際に食べたらどうなるかという実験だ」
「え、早くないですか?」
「食べるのはマウスだがね」
「つまり動物実験ですか」
「キミはそういうのに反対かい?」
「いえ、特に」
思うところがないという訳でもないが、反対する程でもない。
特別危険な実験という訳でもなさそうだし、尚更だ。
それに多分、その結果が芳しくなければそもそも天鳥さんはわざわざこうしてその話題を出すこともないだろう。
「それは良かった。僕にとっても予想外の結果になったからね」
「予想外……ですか」
「僕は実を食べると力が強くなったり魔力が増えたりするのではないかと考えていたんだ。ようはドーピングだ。そういうゲームは結構あるだろう?」
「確かに。ていうかゲームとかやるんですね」
「いや、ゲームはやらない。攻略本を読むのが好きなんだ」
「……ゲームをやらないのに?」
わかってはいたことだが、変な人だな、この人も。
確かに俺も攻略本を読むのは結構好きだが、それはそのゲームをやっているからこその話だ。
「何をどう操作したらどういう結果になるか、というのがわかっているものをわざわざやる事はないだろう?」
「同意を求めないでください。絶対独特な考えですよ、それ」
「そうかい? そういえば知佳も微妙な表情をしていたな。話を戻そうか。答えから言うと、僕の予想は外れた。少なくとも、ドーピングアイテムではなかった訳だ」
「マウスの力が強くなったり、魔力が増えたりということはなかった、と」
「魔力に関してはそもそもダンジョンに入ったことのあるマウスは用意できなかったのでなんとも、というところだが。少なくとも力が強くなったということはなかったし、魔力に関しても違うということが後にわかっているので問題はない」
後にわかったとはどういうことだろうか。
そもそも、天鳥さんがここまで言うことって本当になんだ?
しかしまだ焦らすつもりのようで、すぐに核心には入らない。
「さて、ここからが興味深い内容なんだが、赤い実を摂取させたマウスは数分すると深い睡眠状態へと陥った。この睡眠状態にはどの個体も全く差はなく、180分ジャストで目を覚ました」
「ジャスト?」
「ああ、目覚めの悪さ程度の差はあったがね。それでも1分にも満たない程度の差さ」
「それは……確かに興味深いですね」
180分。
つまり3時間か。
何か意味のある数字なのだろうかと少し考えてみたが、何も思いつかなかった。
どうやらそれは俺だけではなく、天鳥さんも同じだったようで、
「180分ジャストになる理由はわからないがね」
とのことだった。
「そして起きたマウスの状態を見た僕は、思いきって自分で実を食べてみた。さっき言った魔力が増えることがないというのは、僕自身が自分で試したからだ」
「ストップ」
「……どうかしたかい?」
後ろめたいことをわかっているようで、少し俺から離れ気味で言う天鳥さん。
「そこで思いきらないでくださいよ!!」
もっと自分の体を大切にしてほしい。
「まあ、話の続きを聞いてくれよ。マウスの状態を見た僕がすぐに自分でも試してみようと思ったのにはちゃんと理由があるんだ」
「どんな理由なんですか」
「目を覚ましたマウスに、一切の異常が見られなかったからだ」
「……だからってすぐに自分でも試そうと思います?」
もうちょっと他のマウスでも試してみるとかしてもいいと思う。
「異常が出なかったからって、そんなすぐに――」
「異常が出なかった、ではない。一切の異常が見られなかっただ」
俺の言葉を訂正する天鳥さん。
「……同じことじゃないですか?」
「いいや、違うのさ。この異常が見られなかった、というのはつまるところ、目を覚ましたマウスは赤い実を摂取する以前よりも健康になっていたという意味なんだ。もちろんこれは僕の判断ではなく、その専門家の診断だよ」
「健康に……」
「異常が出なかった、程度で済んでいれば僕ももう少し慎重に動いたさ。だが、異常が消えていたともなれば自分の体で試すしかないだろう!」
そう言う天鳥さんの目は妖しく輝いていた。
ダンジョン産のものにある意味誰よりも触れている彼女だ。
人体に影響を及ぼすようなものではない、というのは半ば確信に近い仮説だったのだろう。
「……次同じようなことやったら怒りますからね」
「キミにお仕置きされるというのなら吝かでないが……」
目を細めて俺を見る天鳥さん。
それでちょっとむらっときてしまう自分が憎い。
そしてこの人のことなので吝かでないを正しい意味で使っているに決まっている。
「で、どうなったんです」
「大方の予想通り、それまで見られていた肩こりや関節の痛みなどが綺麗さっぱりなくなっていた。ちなみに、僕が寝ていた時間も180分ジャストだったよ」
「……昏睡状態に入るのに体の大きさは関係ない、ということですかね」
「僕が比較的小柄な方だということを加味しても、マウスと比較すれば大きいなんてものじゃないからね。大きさによる時間の変動はないと考えていいだろう」
比較的小柄な方というか、かなり小さいのだがまあそれは置いといて。
「そして驚くべきことに――」
天鳥さんは白衣を脱いだ。
その下はノースリーブのシャツだ。
「何してんすか!」
「おっと、えっちなことをしようとして脱いだんじゃないぞ?」
「もしそうだとしたらあんたはただの変態だ!」
「キミに言われたくないなあ……」
心外だと言わんばかりの天鳥さん。
よく考えたら俺も俺だけには言われたくなかった。
「注目して欲しいのは、ここだよ。見てくれ」
そう言って天鳥さんは自分の左腕を指差す。
厳密には、左腕の上腕外側。
見るが、別に何もない。
どちらかと言えば不摂生な生活を送っているだろうに、綺麗な肌だ。
赤ちゃんみてえ。
ちゃんと肌ケアしてるんだろうか。
「見ましたけど、それがどうかしましたか?」
「僕はこの歳になってもBCG接種の痕があったんだよ。俗に言う、ハンコ注射ってやつだ」
「え……」
そうだっけ?
記憶を掘り起こしても流石に思い出せない。
「まあ、他の人は気にしない程度の薄さだったがね。それが赤い実を食べて起きたら消えていたんだ。気付いたのはお風呂に入る時。ちなみに僕は体を洗う時はおっぱいから洗う。次に腕だ」
「後半の情報いります?」
「いらないかい?」
「いります」
いるのだった。
「……赤い実を食べる前から消えていたけど、たまたまその時に気付いたという可能性は?」
「ないな。ちょっとしたコンプレックスだったというのもあるからね」
「少なくとも俺は気付かなかったですけどねえ……」
「誰しも、他人は気にしないようなものなのに自分の中だけでコンプレックスになっているものはあるものさ。キミのお尻にあるほくろのように」
「俺のケツってほくろあんの!?」
自分すら知らないもんがコンプレックスになるわけないだろ!
「ああ、二つあるよ。可愛らしいのが。それはともかくとして、僕がコンプレックスに思っていたハンコ注射の痕まで消えていた。それを見つけるまで、僕はこの赤い実を食べると、体の凝りなどを取る、いわばマッサージ代わりのような効果が出るのだと思っていた。180分、つまり3時間とは言え、それだけ寝るだけでも体調がよくなったりもするからね」
「でもそれだけだと確かにハンコ注射の痕は消えませんね」
ちなみに俺は中学生くらいの時には既に消えていた。
知佳や綾乃は……どうだろう。
今度見てみよう。
「そこで僕は所属する研究員達から有志を募り、三名に赤い実を食べて貰った。大丈夫、ちゃんと事前に契約書は交わしている」
「それって何かしらの法に抵触したりしないですか?」
「少なくともダンジョンでドロップした食べ物を勝手に他人に食べさせてはいけない、などという法律は日本どころかどこの国にもないね」
そりゃそうだ。
ドロップなんて今まで確認されなかったのだから。
ちなみに、新宿ダンジョンのように店の中に食べ物があるようなパターンもあるのだが、それらは食べてはいけないという法律が存在する国もある。
日本は特に定められていない。
「一人は肩こりが改善されたと言っていた。もう一人は慢性的な頭痛が改善されたと。そして最後の一人は、肩こりの改善に加え、視力が回復した」
「……視力が回復って……」
「その人の視力は元々0.1以下だったそうだ。けれど現在では眼鏡もコンタクトレンズも無しで日常生活を送れる程になっている。ちなみに、僕や他の研究員も少しだけ目が良くなっているようだった」
「……つまりあらゆる不調を治す、というような効果があると?」
「僕も最初はそう思った。だが、視力の向上が見られた研究員は生まれつき目が良くなかったんだ。それは不調と呼べるようなことだろうか?」
あれ……確かにそれはどうなんだ?
後天的に悪くなったのなら不調とも呼べそうな気はするが……
そもそも視力が悪くなるのって目のなんとか筋が弱くなるからだっけ?
それがそもそも不調の内にカウントされることなのかもわからないぞ。
「さて、ここで僕は一つの可能性に行き着いた。肩こりや、慢性的な頭痛。それに視力が悪いという話だったり、僕のハンコ注射の痕。全てに共通する事がある。それらが不調に当たるかどうか、というのを飛び越えた確実な共通点だ」
「全てに共通すること?」
「全員、それらを改善したい、と望んでいたということだ」
「……!」
肩こりのひどい人は当然肩こりが治ることを望んでいるし、慢性的な頭痛がある人だってそれがなくなればどんなに良いことかと思うだろう。
ハンコ注射や目の良し悪しは人によって差があるかもしれないが、天鳥さんがそういうと言うことは少なくともどちらもなんとかしたいと思っていたということなのだろう。
「こう思ったのにはもう一つ理由がある」
「理由……ですか」
「実は先程募った有志の中に、手首に幼い頃に負った火傷痕がある人がいるんだ。目立たない程度なんだがね。その人の火傷痕は、治らなかった。僕の注射痕は消えたのに、だ」
「それは……その人が火傷痕に消えて欲しいと思っていなかった、ということですか?」
「本人にヒアリングしたところ、全く気にしていなかったそうだ」
天鳥さんはハンコ注射の痕を気にしていた。
だから消えた。
その男性は火傷痕を気にしていなかった。
だから消えなかった。
肩こり、頭痛、そして視力。
消えた痕と、消えない痕。
それらを統括して天鳥さんは『改善したいという共通点』を見出したのだろう。
そうなるとマウスも己の体の不調を不便に思っていたのだろうか。
生物である以上、より本能的なところでそう思っていた可能性は否めない……か。
「そして、ここからはまだ絶対に公開できない部分なんだが――」
天鳥さんが怖い前置きをしてから続ける。
「この『改善したい点を治す』という効果には病気や、体の欠損までもが含まれる可能性があるんだ。もしかしたら、不治の病に罹った人や事故で体の一部を失ってしまった人も治るかもしれない」
そんな衝撃的な話を聞いて、俺の頭の中に様々な可能性が過ぎった。
もし病気さえ治すことができるのだとしたら。
もし欠損さえ治すことができるのだとしたら。
それは確かに、転移石にも匹敵するインパクトだ。
「それに、生まれつき視力の悪かった人の視力が良くなったことを考えれば、生まれつきの病、あるいは体質などを含め――その人が望んでいるのならば、治る可能性すらある」
「それは……」
全ての医学の常識が一発でひっくり返りかねない話だ。
しかも、それをもたらすのがダンジョンというのも厄介なところである。
……待てよ。
欠損すら治る可能性があると言うのなら――
「――柳枝さんの腕も……?」
「治る可能性は、十二分にあるだろうね」
天鳥さんは当然のように言い放つ。
それはつまり。
あの赤い実は、人々が追い求めていた究極の薬――エリクサーになり得るかもしれないという話だった。
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