第141話:ダンジョン内だから我慢する

1.


 動画を撮り始めて数十分。

 俺たちは6層に辿り着いていた。


「そろそろ一旦引き返すのも視野に入れないとな」


 転移石があるので戻るのは簡単なのだが、ダンジョンへ入場した際にばっちりライセンスを見せてしまっているのでちゃんと出口から出る必要がある。

 これが新宿ダンジョンのような攻略済みのそれだったら、ボスを倒した際に出現する出口から出ましたと言えば通る話なので楽なのだが。


「そうね。残念だけど今日は戻りましょ。残念だけど」


 スノウが微塵も残念じゃなさそうな表情で言う。


「大丈夫。さっきダンジョンで泊まるかもって連絡しておいたから」


 いつもの無表情で無慈悲に言い放つ知佳。

 その手にはダンジョン内からでも外へ通じる通信機器がある。

 そういやこれ結構な値段がしたが、どんな原理なのだろうか。

 確か1セット5万くらいする。

 円じゃない。ドルだ。

 日本では売ってないからな、これ。

 魔力測定器と同じでブラックボックスな技術が使われているらしいことはほぼ確定しているのだが、如何せん謎である。


 これも天鳥さんに調べて貰ったりするのは……

 なんらかの法に触れたりするのかな?

 後で綾乃に聞いておこう。

 

 無慈悲な知佳の宣告にガッカリするスノウの横で、フレアは何故か知佳と頷きあっていた。

 結託してスノウを困らせている……というよりは他の意図を感じるが、女子陣の考えていることが俺にわかるはずもないか。


「ま、安心しろよスノウ。安息地を探し出せばゾンビだってそこには入ってこないって」

「そういう問題じゃないのよ、そういう問題じゃ」


 と小さく呟いていたが、聞こえないフリをするのだった。



 さて、6層の探索だが……

 5層までとは少し異なる様相を呈していた。


 と言うのも、オークやゴブリンの姿がほとんど見えなくなり、ゾンビが主な出現モンスターとなっているのだ。

 木の影なんかから現れるのならまだしも、地面から急に手が生えてきてボコボコと出てくる感じなので、ここまでになるとスノウでなくとも薄気味悪く感じるだろう。


 というか俺も若干嫌になってきてるし。


 あと、ゾンビの強さに関しても、あくまで感じる魔力やドロップする魔石の大きさから類推するしかないが既に他ダンジョンの新階層に出現するモンスターより若干弱いか、ほぼ同等と言っていいところまで来ている。


 要するに相当強い。

 少なくとも二級探索者がパーティを組んで潜ってももう攻略できない程だろう。

 一級探索者が数人で組んだパーティで辛うじて、というレベルだろうか。

 

「もおー!!」


 スノウが倒しても倒しても湧いてくるゾンビに対して癇癪を起こした。

 俺達の周りの地面が一瞬にしてかなりの広範囲で凍りつく。

 

「ふん、どうせ人は居ないんだから最初からこうして進めば良かったのよ。知佳、ついでに悠真。靴の裏にスパイクを生やすようにイメージして歩きなさい。今のあんた達ならそれくらい余裕でできるはずよ」


 ついで呼ばわりされた俺だが、なるほど確かにスノウの言った通り、靴の裏にスパイクを生やすようなイメージを持つと全然滑らずに歩けるな。

 イメージで行使できる魔法。

 なるほど、こういう便利な使い方もできるわけだ。


 でも、ウェンディみたいに空を飛んだりしようとすると難易度が跳ね上がるんだよな。

 綾乃の<幻想>で魔法自体は覚えられるかもしれないが、難易度そのものが高ければやっぱり使えないだろうから意味はない。


 しかし、スノウも考えたな。

 地面が凍っていれば、少なくとも下からゾンビが出てくることはない。

 こんな無茶ができるのもスノウならではということだ。 

 ついでに、俺たちの周りは綺麗に避けてはいるものの、現在湧いているゾンビたちは足ごと凍らされているだろう。

 新しく湧きでもしない限り、あの気持ち悪いうめき声をあげながらこちらに迫ってくることはないわけだ。


「だけど知佳、これいいのか? ちょっと魔法としては強力すぎる気もするんだが」


 多分だが、今の知佳の魔力量ではもちろん、柳枝さんや未菜さんでもここまではできない。

 俺が同じことをやろうと思ったらできるにはできると思うが、もう少し氷の感じが歪になるだろうし。


「ボスを倒せるくらいの探索者っていう触れ込みだから、これくらいは大丈夫。あまりやりすぎると作り物を疑われそうだけど」

「ふぅん……」


 この動画、スノウもフレアも(というか精霊はみんな)魔法使いタイプなので派手なアクションシーンなんかは無い。

 なのでその分、魔法で派手な絵面が出るのはウェルカムということなのだろう。

 

 と。

 前方を行くフレアとスノウが同時に立ち止まった。


「どうした?」

「いえ、心配いりませんお兄さま。少し離れた位置に大きな個体がいるのを感知しただけです」

「あたしが凍らせておいてあげたわ。感謝しなさい」


 お前は自分でエンカウントするのが嫌なだけだろうに。

 動画で撮ってるんだから、足元を凍らせて動けなくしましたはともかく、あらかじめ倒しておきましたは不正を疑われそうだ。

 実際は何も不正などしていないのだが。


「スノウ、次からはちゃんと見えるとこで戦って」


 知佳がチョキチョキとカットの仕草を指でしながらスノウへ伝える。

 そのスノウは、恨めしそうな目をしつつも、動画のことに関しては知佳に逆らわないようにしているのか、しょぼくれた声で「わかったわよ……」と言うのだった。



2.



 7層へ続く階段から少し離れた位置に安息地を見つけ、俺たちは一旦そこで休憩を取ることになった。

 安息地にモンスターが入り込んでくることはない。


 それがわかっているのでスノウもやや落ちついたようだ。

 でかいゾンビが毒液のようなものを吐きかけてきた時はもはや半狂乱で6層の樹海を氷漬けにしていたが。

 ちなみにその毒液を被るようなヘマはもちろんしていない。

 ちゃんと氷で防いだ上で、それはそれとして発狂していた。

 まあアレはキモい。

 知佳ですら若干引いたような顔をしていたくらいだ。


 休憩中にゾンビ共が外側にたむろするようなことはあるかもしれないが、そうなっていればフレアかスノウか俺が魔法で一気に殲滅すればいいだけの話だ。


 しかもこの安息地は……


「こんなお誂え向きの洞窟が安息地っていうのも、なんか最近は不気味に感じるようになってきたなあ」


 10人くらいなら入っても窮屈に感じることはないであろう洞窟内部。

 仄かに暖かく、風魔法を応用してやれば明かりの為に火をつけても煙で窒息死するなんてことはない。


 まあそもそもフレアの出す炎は煙を出さないのだが。

 魔法だもの。

 なんでもありだわな。


 わざわざ制御を行わずとも半永久的に宙に漂ったまま燃え続けるそうだ。

 これがあったらエネルギー問題が綺麗さっぱり解決するな。

 そもそも魔石でほとんど解決しているようなものだが。


 そういえば、浦島太郎状態だった母さんが一番驚いていたのは電気代の安さだ。

 どうやら母さんが想定していた2分の1以下の料金になっていたらしい。

 水道代はほとんど変わっていないので、それを見て安心するという謎の行動に出ていたくらいである。


 ちなみに電気代に関しては本来もっと安いのだが、知佳のモンスターPCが常にフル稼働しているお陰で割高である。

 それでも安いらしいけどね。


 荷物からシートだの座布団だのを出してくつろいでいると、知佳が俺の膝に入ってきてスノウとフレアを呼び寄せた。

 何が始まるのかと思えば、どうやら撮った動画の鑑賞会のようだ。


 知佳のバニラのような香りがすぐ近くにある。

 そしてフレアとスノウが左右から顔を寄せてくるお陰で天国か何かと思いかねないような状況になっている。

 心臓の弱い人だったらこの状況だけでもう三回は死んでるのではないだろうか。

 もし俺がこんな状況の男を見たら嫉妬心だけで殺せるかもしれない。

 俺自身で良かった。

 本当に良かった。



「ここなんて使えるのではないでしょうか?」

「ちょっとフレア、さっきからあんたが活躍してるシーンばかりじゃない。あたしの尺がなくなっちゃうわよ」

「ちゃんとバランス見て編集するから平気」


 あと……

 スノウは普通にしているのだが、知佳が膝の上に乗っけたちっちゃな尻を定期的にぐりぐりしたり、フレアはもう完全に胸を俺の肩というか首というか顔に押し付けてきているのだが、これは据え膳なのだろうか。

 ダンジョンの中で襲っちまっていいということなのだろうか。

 我慢すべきか、それともしないのが正義なのか。


 ここはあれか。

 天国なのか。

 それとも地獄なのか。

 

 知佳やフレアはもちろん、スノウも俺がたとえ手を出すようなことになっても多分本気で怒りはしないだろう。

 ツンデレの流儀として若干嫌がる素振りは見せるかもしれないが、それはスノウがツンデレである限り避けられないことである。


「悠真、今真剣な話してるから」


 とある理由でいち早く俺の異変に気付いた知佳が俺の方をちらりと見上げてくる。

 その目は明らかに挑発するような色が含まれていた。


「どうしたのですかお兄さま? 顔色が優れないようですが……」


 フレアは俺の顔を真横から覗き込んできた。

 うっ、可愛い。

 双子だけあってスノウにそっくりなのだが、ツンケンしているのがスノウだとすればいつでも柔らかいのがフレアだ。

 柔らかいっていうのは体がじゃなくて雰囲気がであって、しかし体が柔らかくないという意味ではないので注意されたし。

 自分でも何を言っているのか訳わからなくなってきたぞ。


「なに、悠真体調悪いの? だったり帰りましょ。すぐ帰りましょ!」


 スノウのあまり見せない素直な笑顔(状況が状況なので本人としては不本意だろうが)に不覚にもときめいてしまう。

 

 と、そのタイミングでまた知佳が尻をぐりっと動かした。

 こいつにはもう完全にバレている。

 間違いなくバレている。


 俺が戦慄しながら知佳を見ると、その知佳はフレアと目を見合わせてほんの少し小さく頷いていた。


 わかった。

 こいつらグルだ。


 スノウは多分天然だが、知佳とフレアは結託している。

 思えば、ダンジョンへ泊まると言った辺りも二人の間には不思議な結束感のようなものが生まれていたじゃないか。


 あれだ。

 あそこからこの作戦は始まっていたのだ。


 なるほど、つまり俺は今試されているのだ。

 どのタイミングで我慢の限界が訪れるのか。

 ダンジョン内部というイレギュラーな環境。

 樹海、更にはその洞窟内という、絶対に人目にはつかない場所。


 しかしよく考えてみて欲しい。

 自分に置き換えてよく考えてくれ。


 ついさっきまでゾンビに追われ(別に追われてない)命からがら逃げてきた(全然命からがらではない)ので、生存本能が刺激されているのだ。

 なので仮に俺のごく一部が元気になっていたとしても不自然ではないと思う。

 誰だってこうなる。

 俺だってこうなる。

 

 数ヶ月前までは知佳の誘惑に耐える鋼の如き硬い意思を持つ悠真くんとして俺の中で定評のあった俺だが、最近はもはや爛れた生活を送っていると言えるだろう。

 母さんがうちに来たことによって、それに見つからないようにする謎の背徳感のようなものが最近気持ちよくなってきたことは認めよう。

 しかし背徳感とはつまり悪いことをしている状況からして感じるものであって、それが普通になると刺激が落ちついてきてしまうのでマンネリ化に繋がる。

 だが今この瞬間なら母さんは居ないわけなので誰に咎められることもなくおおっぴらにできるのだ。

 ここで補充した気分はまた帰った時の背徳感に……


 ……あれ?

 俺は今どうしたいんだっけ?

 我慢したいのか? したくないのか?


 いやまあ待て。

 素直になれ皆城悠真。


 最近……

 俺は頑張っていたと思う。

 

 別にそういうことを我慢してたというわけではないが、色々あって、色々苦労してるのだ。

 そう、俺だってただ幸せを享受しているだけの男ではない。

 それなりに頑張っているのだ。


 つい最近あった襲撃事件の時だってそうだ。

 きっとあの時の俺はかっこよかったはずだ。

 だからご褒美があってもいいじゃないか。

 未菜さんからご褒美(意味深)を既に貰っている件は置いといて、ここで別のご褒美があったって誰も怒らないだろう。


 そもそもここでしたところで誰にバレるわけでもない。

 妙に鋭い知佳は当事者だし。

 つまり俺がこの状況を受け入れる理由はあっても、拒否する理由はないのだ。


 ダンジョン内だから?

 大丈夫、ここ安息地だし。

 そもそもスノウと本契約を交わしたのはダンジョン内の安息地だっただろう。


 あの時はそういう行為こそ伴わなかったが、後でウェンディに知らされたことによってそもそもそういう行為と結びつきかねない行為だということがわかったではないか。

 つまり本来ならばあの時点で既に一線は超えている。

 要するに今この場でしてもなんら問題はないというわけであって、要するにダンジョン内というのがいい感じにスパイスになることはあってもストッパーになることはないのだ。


「本当に顔色悪いわね。どうしたのよ」


 しかし――何も知らないスノウを巻き込んでいいものか。

 そう、俺は彼女を守らなければならないのだ。

 

 本当に俺の体調が悪くなっているのではないかと純粋に心配しているスノウを裏切るわけにはいかない。



 結局これから数分後にそんな考えは吹き飛ぶことになるのだが、そこは俺の名誉の為に割愛させて貰おう。

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