第六章:侵攻と親交
第135話:異変の始まり
1.
「ん?」
一人で廊下にいた俺は柳枝さんに母さんの件を連絡しようと思って電話をかけたのだが、何故か途中で切れた。
画面を見るとネットワーク接続無しと表示されている。
ていうか、圏外じゃん。
なんだこれ?
そうスマホを見る俺の目の前に。
ずずず――と。
不気味な音と共に、何かが空間を裂いて現れた。
「――は?」
一瞬、目の前の光景に思考がフリーズする。
その何かは、人だ。
それも、女……か?
墨汁をぶちまけたかのような真っ黒な長い髪に、この世の光を全て否定しているとでも言わんばかりに深い闇を湛える瞳。
「わ、わわわわたしよりもつつつつつよいちからをかんじるるる――」
まるで壊れたラジオのような不明瞭な音声をそいつが発した――のと同時に。
ぽと、とそいつの首が落ちた。
もはや何が起きているのかさっぱりわからん。
やがてその頭は黒い霧のようになって霧散し、そこには何も残らなかった。
「ぎゃー!!」
完全にホラーだった。
自分がぎゃー!! なんてわかりやすいテンプレートな叫び声を上げる人間だとは思わなかった。
「落ち着きなさい、うるさいわね」
後ろから声をかけられ、肩をぽんと叩かれる。
「ぎゃーー!! ぐあっ!」
ビシ、と額に氷の礫をぶつけられ、ようやく落ち着く。
「す、スノウ!?」
「だから落ち着きなさいって。さっきの奴を倒したら異界化も解けたみたいだけど、まだ油断はできないわね」
呆れたように俺を見るスノウは一つ溜め息をつくと、何事もなかったかのようにてくてくとリビングの方へ戻っていく。
俺も慌ててそれについていくと、ウェンディ、フレア、シトリーの三人が何やら話しているところだった。
ウェンディがこちらに気付く。
「マスター、お怪我はありませんか?」
「無い……けど、さっきのはなんだったんだ?」
どうやらスノウだけではなく、先程の異変は精霊たち全員が感じ取っていたものらしい。
スノウだけが来たのはそこまでの脅威ではないという判断だろうか。
母さんと綾乃は何が起きているのか分からないようで、きょとんとしている。
知佳は……まあいつも通りだな。
ノートパソコンと何やらにらめっこしている。
「簡易的な結界が貼られていました。時間経過で自然に消えてしまうようなものですが、5分程度は保つであろうものです」
「結界?」
ウェンディに説明されたが、俺にとっては何のことやらである。
いや、結界という言葉自体はもちろん知ってはいるが……
「その結界を通じて――恐らくは異世界から、侵入者がありました。そして自然消滅以外にも、その侵入者が倒れることもあの結界が消えるトリガーとなっていたようです」
「……異世界?」
ウェンディは淡々と続ける。
「ですがご安心ください。既に結界の解析は私たち三人で終えていますので、二度とここへ同じものを張ることはできません」
あ、スノウだけ来ていたのは三人の方でやることがあったからか。
結界の解析とやらがどういうものなのかは知らないが。
「お兄さま、フレアがんばりました!」
「お、おう、よく頑張ったな?」
「ふふふ」
褒めて! と言わんばかりに近づいてきたフレアの頭を撫でる。
髪の毛さらっさらだなー……じゃなくて。
「……とりあえず話を整理すると、さっきの貞子みたいな奴は異世界から来た人間で、同時にここらに結界とやらを張っていたと。そしてそれは倒すのと同時に解除され、更に解析は終えているから二度と奴がここに来ることはできない……っていう認識であってるか?」
うーむ、整理してもなおよくわからん。
そもそも異世界って……
スノウたち精霊がいた世界なのだろうか。
いや、でもあの世界は滅びてるわけだから……また別の世界?
アスカロンたちがいた世界……も多分違うよな?
色んな異世界があるということだろうか。
そしてその数ある異世界のどれかから、わざわざここへ来たと。
「そうねえ、後はスノウが倒さずに捕えてくれてたら目的も聞き出せたかもしれないけど……」
ちらりとシトリーはスノウの方を見る。
スノウはちょっと顔を赤くして、
「思ったより弱かったのよ、あいつ」
いや、多分お前が強すぎるだけだと思うぞ?
「悠真ちゃんの前に出てくるものだから、心配で焦っちゃって力加減を間違えちゃったのよね~?」
「ち、違うわよ!」
微笑ましそうにするシトリーと顔を真っ赤にして否定するスノウ。
まあ、仮にスノウがやらなくてもあんな隙だらけで出てきてたら俺が思い切り殴ってて終わってたと思うしあれはどうしようもないだろう。
「まあ、そもそも拘束ができる相手かどうかもわからない――というより、情報を抜き取られないようにあの結界が時間経過で消えるようになっていたかもしれないから、私でもやってたと思うけどね」
「シトリー姉~!」
恨めしそうにするスノウにシトリーは笑ってごめんごめんと謝っていた。
ウェンディに対してもそうだが、スノウは姉にはとことん弱いな。
姉ではあっても双子であるフレアとは対等っぽいが。
「結界が時間で消えることと情報を抜き取られないようにすることに因果関係があるのか?」
「恐らくですが、先程の侵入者はあの結界内でしか行動できないと思うのです、お兄さま」
「へえ……」
しかもさっきスマホが圏外になっていたことから考えて、その結界内では電話やネット環境も遮断される。
まるでダンジョンの中と同じだな。
「ちょっと状況がよくわかってないんだけど、何が起きてたの?」
母さんがきょとんとしている。
綾乃は話を聞いている中で大まかに内容を理解したようだが、そもそも魔法なんかについての基礎知識がないとそんなものだろう。
俺が詳しい事情を説明しようと口を開いたタイミングで――
知佳が少し焦ったような声を出した。
「悠真、やばい……かも」
「やばい?」
ノートパソコンを見ていた知佳がこちらを振り向く。
「ダンジョン管理局のビルだけが局所的にネットワークや電気から遮断されてる。原因は、不明」
2.side柳枝利光
勝手に扉が開かれ、そこに立っていたのは気の弱そうな青年だった。
ぼさぼさのくすんだオレンジ色の髪に、覇気のない目。
それにボロボロの白い服を身に纏っている。
(……皆城君の関係者か?)
奇抜な格好のものを見るとそう思ってしまうようになったのは、柳枝に罪はないだろう。
変なことばかりを持ち込んでくる悠真が悪い。
「悪いが、君。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
柳枝がこの少年を悠真の関係者かもしれないと思ったのは、奇抜な格好をしているから、というだけではない。
その弱々しい立ち姿からは想像もできない程強力な魔力を柳枝は感じ取っていた。
そして――
その少年が卑屈そうな笑みをにんまりと浮かべた瞬間、柳枝は自分の認識が間違っていたことを悟る。
邪悪な気配。
机の下に隠しておいた武器――悠真が取ってきた素材で作られた短刀を手に取り、構える。
「僕を……虐めるんですか?」
「……なに?」
「虐めるんですね……その刃物で」
口が裂けそうな程に笑みを深くしていく少年。
異質。
異常。
異形。
もはや化け物としか言いようがない。
「ああ、僕は何もしていないのに――何も悪いことをしていないのに。それで虐め――虐めるんだ。斬って、刻んで、踏みつけて、ぐちゃぐちゃにするんだ。せっかく適当に理由つけて××××さんから離れられたのに……また僕は虐げられるんだ」
「何を言っている……?」
途中、聞き取れない単語があった。
どうやら日本語ではない――というより。
この世界の言葉ではないように感じる。
(人物の名前……か?)
「やられる前にやらなきゃ――××××さんをちゃんと見張っておかないと、また怒られちゃうし。僕ばっかりは可哀想だし――」
右腕に鋭い痛みが走る。
そして、いつの間にか柳枝の右側に立っていたその少年は言うのだった。
「おじさんも可哀想になってください」
「――断る」
柳枝は冷静に自分のスーツの袖を引きちぎり、簡易的な止血を己の右腕に施した。
傷は深い。
この程度の止血では5分も経てば動けなくなるだろう。
力は……入らなくもない、という程度か。
(一瞬で利き腕を潰されるとはな……)
少年はぶつぶつと何事かを呟いていて、追撃を行ってくる様子はない。
遊ばれている……というよりは、舐められているのだろう。
事実、先程の動きは全く柳枝の目には止まらなかった。
実力の差は言うまでもなく大きい。
「ああ、おじさん……血がたくさん出てるよ。可哀想ですね……」
「貴様がやったのだろう?」
「だってそうしないと、僕を虐めるんでしょう? そんなの、僕が可哀想じゃないですか」
支離滅裂と言うよりは……
恐ろしい程に自己中心的、か。
(情報を聞き出すのは無理だな。この少年は自分にしか興味がない)
柳枝は冷静にそう判断した。
実力の差は大きく、情報を聞き出せる算段も無い。
なら――
殺すしかない。
「僕が可哀想になるのは可哀想だから、おじさんに可哀想になってもらうんです。おじさんは可哀想だけど、僕は可哀想じゃないでしょう?」
「貴様と話をしていると頭が悪くなりそうだ」
ピッ、と血を払いながら、柳枝は右手で短刀を握った。
「そ、それで僕を斬るんですか?」
「ああ、これで貴様を斬る。同じ目に遭わせてやろう」
「そんなの――そんなの許せない」
「ならばどうする?」
「斬る前に斬らなきゃ――斬る前に――」
フッ、と少年の姿がかき消える。
その直後――
大量の血が部屋中に飛び散る。
ごとん、と音を立てて柳枝の右腕が落ちた。
だが――大量の血の出処はそこだけではない。
「あ、ああ……あ……あ、あ……!」
今にも千切れてしまいそうな首を抑えて少年はうずくまっていた。
荒い息を繰り返す柳枝の左手には短刀が握られている。
「なん……なんで……!」
狼狽える少年に、柳枝は静かに答える。
「右腕に持っていた短刀はダミーだ」
元々、右腕に入る力などたかが知れていた。
だからこそ、柳枝は右腕を囮として使うことを決断したのだ。
使い物にならないのなら、使い道を変えてやればいい。
右腕の短刀は事前に悠真から聞いていた<物質創造魔法>で作り出したものである。
当然、精霊ほど精巧かつ完璧なものとは言い難い。
しかし、自分のことしか見えていないこの少年を騙す程度のことならば容易いと考え――実行した。
本物は左手に隠し持っていたのだ。
そして斬られる箇所がわかっているのなら、実力が劣っているとしてもカウンターを合わせる程度の技量は柳枝には十分に備わっている。
そもそも、物質創造魔法は悠真や――知佳、そして綾乃にもできない。
現状、精霊のみに許された魔法だったのだ。
それを柳枝は情報のみからその性質を割り出し、再現までしてしまった。
未菜のように高い技量もなければ、悠真ほど飛び抜けた魔力を持っている訳ではない。
しかし柳枝は、分析力だけは図抜けていた。
そしてその分析した結果導き出した最善の道を冷静に追い求めることができるからこそ、長いこと未菜のサポートをしてこれたのだ。
「僕、僕は生身で来てるんだ! 死にたくない――死にたくない!」
「そうか」
少年は喚く。
その喚いている意味はよくわからないが。
(僕は生身……? 生身じゃない者もいるということか? そういえば、先に何者かから離れることができた、というようなことを言っていたな。つまり仲間がいる――それは間違いないだろう)
「そんな戦い方可哀想だ……! 腕が可哀想じゃないかぁぁ……!」
少年は血の涙を流しながら、ずるずると崩れ落ちていく。
「腕などくれてやる」
魔法で切断面を焼きながら、少年を弔うように柳枝は目を閉じた。
「――ただし、貴様の命は貰い受ける」
柳枝は少年にとどめを刺した。
戦いが一つ、終わったのだ。
3.side伊敷未菜
激しい金属音が部屋中に響く。
「ハッ――ハハハハハァ!! こんなもんか、女ァ!!」
「ちっ……」
未菜は焦っていた。
今の所、こちらの攻撃が全て防がれているからだ。
どの角度から攻撃してもとても硬そうには見えない腕に阻まれ、硬質な音と共に弾かれる。
何かを仕込んでいる訳ではない、と未菜は半ば直感的に悟っていた。
魔力による肉体強化。
恐らくその一つのみで自分の剣術が抑え込まれているのだ、と。
(そうでなければもう10回は斬っているはずなんだがな)
「脆弱だなぁ、この世界の人間ってのはよ。うちのポンコツ共でもきっちり役目は果たせそうじゃねえか」
「役目……だと?」
未菜は自分の呼吸を整える為に、相手の会話に乗ることにした。
それに情報を少しでも聞き出す必要もある。
最終的に――自分が生還することが最低条件だが。
「上から50人を全員拉致ってこいって任務がオレらには出されてんだ。万が一にもオレが相手を殺しちゃいけねえからってお目付け役につけられた雑魚がこの建物にいるもう一人、50人の中にゃ入ってねえがそこそこやりそうな奴のとこにも行ってるぜ」
ニヤニヤとしながら言う紫髪の男。
こちらが絶望するのを誘っているのだろうか。
冷静に未菜は分析した。
そして、恐らくは『そこそこやりそうな奴』というのは――
(柳枝……だろうな)
この建物には探索者が大勢いるが、自身に次ぐ2番手は間違いなくあの男だという確信が未菜にはあった。
「貴様の言い分では、お目付け役とやらが向かった相手は上から50人とやらに入ってないみたいだな」
「あァ? それがどうしたよ」
「だとしたら貴様らの目は節穴だという話だ」
それを聞いた紫髪の男は未菜を馬鹿にするように大口を開けて嗤った。
「何かと思えば、笑わせやがって! 魔力の少ねえカスなんざどう足掻いてもカスだろうが」
(魔力か。もしやWSRの50位以内を狙っているということか?)
何人かの知人が脳裏を過ぎる。
過去に共に戦った強者たち。
それに、戦友であり、友人でもあるローラ。
そして――
「心配は要らなさそうだな」
「あン?」
「こっちの話だ」
(この程度の――私が戦えている程度の相手に、悠真くんや彼を守る精霊たちがどうこうされるという心配は一切ないからな)
強いて言うならローラは多少心配だが、そもそも自分でも彼女と真正面から戦って勝てるかどうかはわからないのだ。
心配するだけ無駄というものだろう。
「さァてぇ……少し難易度を上げるぞ、女。ちゃんと生きてついてこいよォ!!」
ひゅん、と再び風のようなものがすぐ横を通っていった。
「くっ……」
不可視。
そして刃のように鋭利な切れ味。
直撃すれば一撃でバラバラにされるだろう。
未菜は心を落ち着けて考える。
祖父――そして柳枝に教わってきたことだ。
力でも、技術でも圧倒的に未菜の方が上。
しかしそれでも未菜は柳枝に対する敬意を忘れたことはなかった。
己には無いものを持っている。
それが間違いなく尊敬に値することだからである。
――お前の悪い癖だ、伊敷。勝負は常に一瞬で決まるものと思え。実力の高さ故に遊びばかり入れていると、いざという時に命を落とすことになる。
柳枝の言っていた遊びとはつまるところ余計な動きだ。
相手に何もさせず勝利する。
それこそが究極である。
しかし、この現状。
相手の方が格上であるというこの状況、何もさせずにというのは不可能だ。
ならば――
(肉を切らせて骨を断つ。この一撃で決める)
不自然に映らない程度に――
未菜は大きく被弾した。
脇腹を鋭い風の刃が通過していく。
かなり深く入った。
致命傷とすら言えるだろう。
それがわかった紫髪の男は愉悦の表情を浮かべ――すぐにその違和感に気付いた。
「消え――は?」
男にとっては、自分の体が逆さまに見えていることだろう。
なにせ、上半身と下半身が分断されているのだから。
それは、男にとってはほんの一瞬の油断だった。
伊敷未菜には切り札が二つある。
一つは、<気配遮断>のスキルである。
伊敷は一瞬の油断をついてスキルを発動させた。
彼我の戦力差から考えても、この一度しか通用しないことは重々承知である。
しかしここが勝負所だという、勝負に関する独特の嗅覚が上手く作用したと言うべきだろう。
そしてもう一つの切り札。
それは――
「な――んで、オレの体……をォ……!!」
未菜の魔力ではそう長くは保たない。
だからこそ、何度も敢えて刀を弾かせることによって、こちらの攻撃は通用しないということを印象づけた。
<気配遮断>で一瞬の隙を突き。
<付与魔法>で確実に刈り取る。
長年ダンジョンに潜り続け、未菜は柳枝の分析力を吸収し、勝負へ対する本能的な嗅覚を身に着けた。
己の持てるもの全てを総動員し、一瞬だけ相手を上回り――その一瞬で勝負を決めたのである。
だが。
一つだけ誤算があった。
「馬鹿が――テメェは殺してやらァ!!」
もし、柳枝が生身ではない敵がいるという情報を未菜に共有できていれば違ったかもしれない。
だが、流石に上半身と下半身を分断されても意識を保ち、生きている人間がいると未菜も予想ができなかったのだ。
男の指先に光が灯る。
(――しまった)
脇腹の深い傷の影響もある。
それに先の<付与魔法>に全ての魔力を注ぎ込んでしまった。
死が迫る。
「――――」
男が発射した
「て……めぇは……」
紫髪の男が驚愕に目を見開いている。
そしてそれは、未菜も同じだ。
「何故、君がここに――」
「ヒーローは遅れてやってくるもんですから」
軽口を聞くその男の目はしかし口調とは裏腹に怒りに染まっている。
「よう、久しぶりだなスーツマン。ぶっ飛ばされる覚悟はできてんだろうな?」
大きな剣――アスカロンを構えた悠真が、未菜の前に立ち塞がっていた。
-------
作者です。
本日2話同時更新です。
このエピソードの前に章間話がありますので、ぜひそちらもご覧ください。
(明日更新時にこの後書きは削除します)
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