第134話:来訪者
1.side柳枝利光
「……少し休憩するか」
柳枝は目頭を抑えて上を向く。
(長く書類とにらめっこしていると、伊敷の奴がダンジョンに逃げ込みたくなる気持ちもわかるな)
決して言葉に出しはしないが。
定期的にダンジョンへ赴いて、軽くモンスターと戯れてストレス発散をしたい気分になる。
第二回目一級探索者ライセンス試験受験者の選抜に、魔法講座のマニュアル作り。
考えるだけで頭の痛くなる案件ばかりだ。
悠真もしばしば言うように、柳枝はまだ現場にいた方が輝く人材である。
そしてそれはあの青年だけではなく、他の職員からもそういう声はちらほら届いている。
それでも柳枝がダンジョンへ入らない理由があった。
柳枝がダンジョン管理局の顔として<国民の英雄>を率先して受け入れるならば、国を挙げてINVISIBLEの正体を秘匿する。
そういう縛りを設けているからだ。
そうでなければ会社の社長という立場の関係上、身元などすぐに割れてしまう。
大きな力が関わっているからこそ、未だに未菜の正体は世間に公開されないのだ。
もちろんその越権行為に反発する声もなくはないが、大抵は世間に届く前に国によって握りつぶされている。
そして未菜が正体を隠していること自体にも理由がある。
彼女は自分が恥ずかしいからだ、と周りには説明しているが、本当のところは違う。
それは柳枝が彼女の祖父から言われた言葉だ。
まだ未成年――15歳だった未菜の育ての親であり、剣の師匠でもあった彼が伊敷の人並みの幸せを望んでいたのだ。
だからこそ柳枝は、既に没した彼の言葉を未だに守っている。
もちろん未菜はその真実を知っている。
知っているからこそ、現状を甘んじて受け入れていると言うべきか。
そして柳枝自身も、社長としての業務は業務としてこなして貰う他ないが、自分が矢面に立つことで彼女の隠れ蓑となれるのなら構わないと考えているのだ。
幾ら未菜が<気配遮断>という優れたスキルを持っているからと言って、10年近くその身をマスコミや世間の追求から躱し続けられた訳もない。
実は何度か、その正体をあともう少しで世間に公開される――というところまで来ているのだ。
それを上がなんとかするという条件の代わりに、柳枝は日本の英雄として管理局の顔となっている。
そうした方が自分たちの手を煩わせずにダンジョンという<金の成る木>をコントロールできるからだ。
知名度と実力の伴った現代の英雄。
国として手懐けない理由が存在しない。
そして、柳枝がそう気軽にダンジョンへ行けない理由。
それは単純で、ただ探索者としての能力が高いだけの伊敷未菜はともかく、ダンジョン政策の顔になり得る柳枝利光に死んで貰っては困るからだ。
探索者としての能力が高いというのを、『だけ』だと言ってしまう辺りが、上層部の認識が甘い部分である。
「ロサンゼルスの件は肝を冷やしたな……」
あれは国が未菜を――INVISIBLEを外交のカードとして使った結果の出来事である。
最悪、未菜は一人でならどんな相手からでも基本的には逃走できる。
誰かを庇ったりする必要がないのならまず死ぬことはないだろう。
それは柳枝が誰よりも知っている。
とは言え、明らかに異常すぎるダンジョン。
実力を信頼していたとは言え、心配はものは心配だった。
そこへ名乗りをあげたのが悠真だったのだ。
ダンジョン管理局として彼を担ぎ上げるのは上とアメリカとの取り決めのせいでできなかったが、最終的には彼が未菜へ手柄の全てを譲るという暴挙――そう言っても過言でないと柳枝は思っている――のお陰で事なきを得た。
悠真の報告ではアメリカ大統領にバレてしまったようなことを言っていたが、そもそも国の取引相手は大統領本人ではないので問題もないだろう。
というより、本人ではないどころか、そういう取引があったということを知らされていない可能性すらあると柳枝は考えている。
(今の大統領のことを嫌っている政治家も多いだろうしな)
大統領に隠れて手柄を挙げ、のし上がる。
そんなことを考えている輩がいないとも言えない。
結局のところ、その大統領に露見している訳なのであまり意味はなかったようだが。
そしてその大統領がこの情報を外交戦略の切り札として利用するような、愚かな真似はしないはずだという確信が柳枝にはあった。
誰だって人智を超えた存在に喧嘩を売りたいとは思わない。
賢い人間であればある程、だ。
現に、日本政府にもダンジョンの価値をよく理解している者たちは大勢いる。
なので悠真の存在を流石に認知はしているものの、一切のコンタクトを現状では取っていない。
その理由の一つに、ダンジョン管理局と彼とが友好的な関係を築いているというものもあるが。
それでも彼らを利用しようとする厄介な老人たちもいるにはいるが、それを抑えるのもまた柳枝の役割だ。
そして柳枝は悠真のことを考えている最中、とある閃きを得た。
「……皆城君に警護して貰うという条件付きなら、俺もダンジョンに潜れるかもしれんな……」
実質プライベートでダンジョンに潜ることは禁止されているが、管理局の顔となった後も何度か仕事でダンジョンには潜っている。
過保護な程に実力者揃いの探索者でパーティを固め、多少強いモンスターが現れたところで引き返すという国民へ向けた攻略への意欲を示すパフォーマンスに過ぎないものだったり、新宿ダンジョンで行われた試験――あれも一級探索者になり得る実力者が大勢いたからこそ、柳枝が現場へ行くことを許されているものだったのだ。
その点、皆城 悠真が同行するという条件ならばどうだろうか。
国は接触をしていないというだけで、彼の実力については概ね把握している。
現状、国で唯一の特級探索者。
それが同行するならばプライベートでもダンジョンへ潜れるかもしれない。
(しかしダンジョンに行くにしても時間を作ることが先決だな。いつになるかわからなければ、彼も返答のしようがあるまい)
なんてことを思っていると、柳枝のスマホが鳴った。
画面を見てみると、相手は悠真だ。
ちなみにこの電話は、悠真が母親関連の役所的な手続きをダンジョンにも関係があることだから、とダンジョン管理局に丸投げしようとしている時のものである。
しかし。
柳枝がその電話に出ることはなかった。
仕事中だから――ではない。
出る前に着信が止んだからだ。
「……なんだ?」
かけ間違いだろうか。
それとも画面を誤ってタップしてしまったとか――
何にせよ、何かあるのならばもう一度かけてくるだろう。
そう思って、一応すぐに手に取れる位置にスマホを置こうとして。
スマホの表示が圏外になっていることに気付いた。
そして執務室の扉がノックされる。
コンコン、と。
何の変哲もないノックだ。
だが――
何故か柳枝は、その来訪者を部屋の中に入れるべきではないと咄嗟に思った。
だが、扉は柳枝が返事をする前に勝手に開いていく。
機密を扱うことも多いので、社員には必ず返事を聞いてから扉を開けるように伝えてある。
それを守らないのは――というより、守る必要がないのは未菜くらいだ。
とは言え、それくらいはマナーである。
それについてなんと注意をしようかと、柳枝は考えを巡らせるのだった。
2.伊敷未菜
「ふぅ……」
ここ数週間、未菜はずっと忙しくしていた。
ダンジョンにもほとんど潜れていない。
と言っても、それは本人にとっての基準に過ぎず、一週間に一度程度は行っているのだが。
プライベートで全くダンジョンに潜ることのない柳枝に気を遣う……という段階は7年ほど前に通り過ぎた。
もはや気にしても仕方がないというか、柳枝も頑ななのでどうしようもないと悟ったのだ。
正直なところ、もう世間に正体がバレてもいいかな、と未菜は思っているのだ。
柳枝自身がもう辞めたいというまでは受け入れようというのが下した結論だ。
「自由にやらせて貰っている以上、私から言い出すのもな……私が社長を辞任したら柳枝も続ける理由はないが、会社のことを考えて奴だけは残るだろうし……」
責任感が強いというのも考えものだ。
自分ほど自由なのもどうかと思うが、と未菜は冷静に考える。
傍若無人に振る舞ってはいるが、別に常識がないわけではない。
自分より強そうな人間を見たりすると喧嘩をふっかけたくなる厄介な性分ではあるが、そもそもそんな人間はそうはいない訳で。
といってもそれで実際に喧嘩をふっかけた事は今までに3回しかない。
その内、負けたのはたったの1回だ。
「……悠真君の会社に私も入れて貰おうか。ついでに柳枝も雇って貰えばすべて解決するんじゃないか?」
言ってみただけで、実行はしないが。
大抵のことはそれで丸く収まりそうな気もしないではない。
本気で相談すれば断られるとも思えない。
「魅力的な案に思えてきてしまうのは本当にそうだからか、それとも彼がいるからなのか――」
ちらりと壁にかけてある刀を見る。
ダンジョンの<新階層>でドロップしたモンスターの素材から作られた刀だ。
もしあれに値段という価値をつけるとすれば、未菜の財産全てを投げ売っても買えるかどうか、と言ったところだろう。
問題はその価値ではない。
そんなものをぽんと用意できる実力だ。
悠真に言わせれば、自分には精霊も居るからだ――と答えるだろう。
事実それは間違ってはいない。
だが、その精霊を使役できるだけの魔力を持ち、更にその精霊たちが付き従っているのも悠真自身の人徳にあるもの。
その上、個人の実力も人類最高峰。
魔力の多さは身体能力の高さだ。
悠真はそれを己の努力で身につけたものではないから、と言うが未菜から言わせればそんなものは関係ない。
本当に才能にあぐらをかいているだけならば、未菜自身もそうだが柳枝だってあそこまで目をかけることはないだろう。
「愛知のダンジョンでも、何か突飛なことをしでかすのだろうな……」
ユニークらしきモンスターが居たという報告は既に受けているが、何がドロップしただとかは直接会って話したいということだった。
恐らくとんでもないものを発見しているのだろう。
未菜はそう確信していた。
ちなみに、母親絡みの件はこの時点ではまだダンジョン管理局には伝えられていないのだが、ちょうど今この瞬間、悠真は柳枝へと連絡をしようとしていた。
「――ん?」
未菜は現在WSRで4位となっている。
最近はダンジョン以外の場所で魔力が増えているので一概にそうとは言えないが、ダンジョンへ潜っている回数も当然多い。
だからこそ気付いた違和感だったのかもしれない。
一瞬、ダンジョンの中だけで感じる空気――のようなものを感じたのだ。
それを未菜は自分がダンジョンに恋い焦がれているから感じた錯覚だと思った。
「……悠真君を誘って、新宿ダンジョンの掃討へ参加しようかな」
最近では彼自身が非常に強くなってきた事と、転移召喚なるものを使えるようになったということで、彼に対する精霊たちの過保護もなくなっているらしいし、上手くいけば二人きりで行けるかもしれない。
そんな邪なことを考えている最中――
「――!!」
未菜は弾かれるようにして椅子から立ち上がり、壁にかけてあった刀を手に取った。
直後。
社長室の扉がまるで爆破でもされたかのように内側へ勢いよく吹き飛ぶ。
それは先程まで未菜が座っていた机と椅子を吹き飛ばし、窓へとぶつかった。
ガイン、と窓にぶつかったはずなのに不自然なまでに硬質な弾かれ方をした机と椅子がバラバラになって床に落ちる。
「誰だッ!!」
刀を油断なく構えた未菜の前に姿を現したのは、奇っ怪な格好をした一人の男だった。
毒々しい紫色の短い髪に、ギョロリとした目。
全く似合っていないスーツに、ひょろ長い四肢。
耳や鼻にはピアスが大量についていて、思わず未菜は眉をひそめた。
ファッションとしてのそれらを認めないわけではないが、明らかに歪な付け方だったからだ。
その男自身の纏う異質な空気感と合わせても、まるで悪趣味なようにしか見えない。
「おッ、おッ、おッ~~~~!!」
突然男は金切り声を上げて体を仰け反らせた。
目は血走り、未菜を凝視している。
「女――だなァ! それに強さもこっちのが上っぽいしィ――当たりってことだよなぁオイ!!」
「……こっち? 当たり? 貴様は何者だ。何を言っている?」
未菜は一目でわかった。
この男は強い。
それも、普通では考えられないほど――異常に。
「連れ去れって話だったけどよォ――……手足の2本や3本、もいでからでも構わねえよなぁ。うん、構わねえ。生きてりゃいいことあるぜ、女!!」
「支離滅裂だな」
言葉が通じないわけではないが――会話ができる相手ではないようだ。
「ほいっ――とぉ!」
ひゅう、と音を立てて顔の横を何かが通過する。
そして鋭い痛みが走った。
「……!」
どうやら頬を切られたようだ、と認識する頃には、既に相手の攻撃は終わっている。
そのことを認識し、未菜の背筋が凍りつく。
攻撃を全く視認することができなかった。
「あ、やっべぇ。顔にキズはまずいかな。でも女だしなぁ……顔に傷つけなきゃ女とヤる意味ねえよなぁ……あの風を使う糞女の真似してやろうと思ったけど、案外ムズいもんだな。
(……風を使う女?)
未菜の脳裏に一人の人物が浮かび上がる。
「あの時オレがやられたみてェーに!! 体を先っぽから切り刻んでやりてぇんだよ!!」
ここにはいない誰かに怒りをぶつけるように、体を仰け反らせてその男は絶叫した。
そしてぐりん、と壊れた人形のように未菜の方を再び向く。
先程までの狂気的な色はすっかり抜け落ちていて、冷たい目で言い放つ。
「時間もねえし、死なねー程度にサクッとやられてくれや。精々色っぽく鳴いてくれよ?」
――この日を境に人々は魔法を求めるようになる。
世界が大きく変遷するきっかけとなったのだ。
36名の行方不明者と、413名の犠牲者の名と共に。
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