第132話:母と子

1.


 気がつくと俺は現実へ戻ってきていた。

 目の前で俺と知佳の額に手をかざしていた綾乃もハッとしたような表情を浮かべている。

 知佳は特に狼狽えてもいないようだが。


「どうしたの? 早くやりなさいよ」


 スノウが腕組みしながらこちらを見守っている。


「あんたのお母さんを元に戻す魔法を覚えるんでしょ?」

「あー、そういう感じになるのか……」

「?」


 スノウは首を傾げる。

 どうやら、先程体験していた幻想は現実世界では一瞬にも満たないようなものらしい。

 こりゃとんでもないスキルだぞ。

 スノウが認識できないほどの一瞬であれだけの情報量を叩き込まれるのなら、もし何かあった時もギリギリの場面で起死回生の一手を打つことだって可能かもしれない。


 

 とにかく、俺たちは幻想の中――過去で見たものを精霊たちにもつまびらかに話した。


「簡単な話――誰かの悪意が関わってるんなら、そいつ自身から解決方法を聞けば良かったってことだ」


 そもそもシトリーの言っていた話からも推測はできたことでもあるのだが。

 少なくとも、魔力を何らかの手段で外に出してやることで石化は解けるらしい。

 

 そしてそれ以前に両親の姿や幼い頃の俺の姿を見せられたのは、恐らく記憶の補完的なものだろう。

 知佳がなんとなくわかってきたと言っていたのも、俺の記憶をなぞること自体が魔法の完成に繋がると薄々気付いていたということらしい。

 石化する以前の母さんの姿を鮮明に思い出していれば、魔法の成功率自体は高くなる。


 要は俺が石化前の母さんを想起しつつ、魔力をなんとかして外へ出してやればいい。

 そういう魔法をイメージすればいい。

 

 魔法自体の方向性は決まったし、恐らくだが――やろうと思えばすぐにでもできる。

 <座標>という言葉や、虚無僧の正体。

 色々議論すべき事柄はあったが、満場一致でまず母さんの治療ということになった。

 ありがたい話である。

 しかし、それにも問題があった。



 それは……


「外へ出した魔力をどうするかが問題ですね」


 ウェンディがそう提言した。

 そう、まさにそれだ。

 あの虚無僧はそこら一帯が吹き飛ぶ、なんてことを言っていた。

 

 いや、その爆発の被害自体はぶっちゃけどうでもいいのだ。

 俺が全てを吹き飛ばしてしまった新宿ダンジョンの新階層ででもやればいい。

 そうすれば周りに及ぼす影響も最小限に留まるだろう。


 ダンジョンごと吹き飛ばすような威力だったら困るが……

 爆発や爆炎のスペシャリスト(?)であるフレアの見立てでは、そこまで壊滅的な威力になることはないだろうということだった。


「魔力自体に破壊効果を持たせても魔法として行使しない限りはそう大した威力は出ないのです」


 というのがフレアの意見だ。

 俺の<魔弾>ですら、魔力そのもののエネルギーというわけではなくああいう魔法という括りだしな。


 とは言っても、それこそ都市一つ壊滅する程度の爆発力を持つ可能性はある。

 フレアから見ればそれが大した威力ではないとしても、人間に及ぼす被害は甚大だ。


 ダンジョンの中でやることに越したことはないだろう。


 というわけで被害についてはクリアできる。

 だが、その爆発自体から母さんをどうやって守るか、が問題だった。


 なにせ爆発の起点が母さんになる可能性があるのだ。

 そうなればスノウの氷だろうがシトリーやウェンディの超スピードだろうが、どう足掻いても助けることはできない。

 なにせ爆風から身を守ることはできても、爆発する爆弾自体を保護することは不可能だからだ。

 もちろんその爆発そのものを無いことにはできるだろうが……それだと結局魔力は消費されず、意味がないということになってしまう。


「一度で全部魔力を出しきっちゃわないで、何度かに分けるって言うのはどうだ?」

「多分、駄目だと思う。ただの魔石からエネルギーを出すならそれでもいいかもしれないけど、素体が人間だから――魔力は減った分だけ増えちゃう。悠真ちゃんは自分でもわかってると思うけど、魔力量が多い人は回復速度も尋常じゃないの」


 確かにどれだけ精霊が大規模な魔法を使っても、数時間も体を休めれば元通りだ。

 爆発しない程度にちょろちょろ出しても、回復速度の方が上回ってしまえば意味がないということだろう。

 そしてシトリーが駄目だと言うってことは、多分母さんの魔力量から見て、回復量と爆発するしないの量がちょうどトントンくらいなんだろう。


 自分の意思で魔力を放出するのなら爆発を自身のイメージで抑えることもできるらしいが……

 それを今の母さんにやれと言うのも無理な話である。


「やるなら、体内に存在する魔力を一気に放出しきっちゃって――その間に石化が解けることを祈るしかないかな」


 というのがシトリーの出した結論だった。

 もちろん魔力を一気に放出するとなれば、最初の爆発からどう母さんの体を守るかという話にまた戻ってくる。


 しばらく全員でうんうん頭を悩ませたが、知佳やウェンディでもこの課題をクリアすることはできなかった。

 そんな時に手を挙げたのは綾乃だった。


「あの、スノウさん達に聞きたいことがあるのですが……」

「なに?」


 難しそうな表情をしていたスノウが顔をあげる。


「虚無僧は『12年前に妊婦だった女』と言っていました。あの時点での悠真くんは12歳、つまり悠真くんのお母さんが魔素を体内に取り入れて魔力が覚醒したのは、悠真くんがお腹にいる時ってことになります」

「そうね。それが?」

「悠真くんの魔力が多いのって、その影響もあるんじゃないですか?」

「……そうかもしれないけど、それがどうかしたの?」


 確かに――腹の中に居た時から母さんが膨大な魔力を持っていたのだとすれば、俺の魔力もそれに釣られて大きくなる可能性は十分以上にあるだろう。

 親父だってあれだけ動けていたのだ。

 接触度合いとしては、体内にいた俺の方が遥かに大きいわけだしな。


 だがそれがどうしたというのだろうか。

 スノウと俺は首を傾げる。

 だが――知佳はピンと来たようだった。


 綾乃が気付いて、知佳が気付いたのはだからだろう。


「私たちの魔力が異常な増え方をしたのは、悠真くんの魔力が入ることによって筋トレの超回復のような効果が出ていることにもある、と聞いた記憶があります。そしてこれは天鳥さんから聞いた話なんですけど……」


 綾乃はちょっと顔を赤くした。


「計測結果から考えて、繰り返せば繰り返すほど効率がよくなるらしいんです。悠真くんから受け取れる魔力量が増えるんだとか。それは他人の魔力に自分の体が順応してきているということなのだろう、と推測していました」


 そ、そうだったのか……

 道理で知佳の魔力が異常すぎる増え方をするわけだ。

 スノウたちはそもそも人間との接触でも魔力が増えるということを最初は知らなかったのだから、天鳥さんの辿り着いた答えについても知らなくて当たり前だろう。


「つまり、体内にいて爆発的に魔力の増えた悠真くんは、悠真くんのお母さんの魔力をたくさん受け入れることができるかもしれない……と思うんですけど、どうですかね?」


 言っていることの筋は通っている……ように思える。


「それって……どうなんだ? つまり母さんの魔力を全て俺の中に移す――そういう話だよな」


 スノウが顎に手を当てながら真剣な表情を浮かべる。


「……成功確率はゼロじゃないと思うわ。でも、危険も伴うわよ」

「危険?」


 別に、そんじょそこらの危険程度じゃ俺は平気だが――


「知佳や綾乃の例からもわかるけど人間はその人が持っている元々持っている魔力よりもある程度多めの魔力を体内に取り込むことはできるわ。でもそれにも限界があるのよ。風船に空気を入れすぎたら破裂するみたいに、魔力許容量も限界を超えると――」

 

 破裂するわけか。

 スキルブックの2冊目を読んだ時にもそうなると聞かされているが、もしかしたらこれと原理は近いのかもしれない。

 

「その点、マスターがは効率が良いのです。に魔力が帯びている状態なので、無理なく馴染むということです」


 ウェンディが補足説明をする。


「……なるほど」


 そういう側面もあったのか。

 魔力を直に譲渡するんじゃ限界もわからないしな。

 今の俺たちが困っている内容みたいに。


 そもそもいつもやっている手段というのは俺が男で知佳たちが女だから成立していることだ。

 多分逆だと逆なりの方法や、同性同士でも全く手立てがないというわけではないのだろうが、俺と母さんの場合だと仮にそれが健全な方法だとしても石化している母さんには関係のない話である。

 そもそも魔力を一気に渡すというのには向いていないし。


「つまり、早い話俺が死ぬかもしれないけど――母さんも助かるかもしれないわけだ」

「……そういうことになるわね」


 スノウはどうせ俺がどうするかはわかっている、と言わんばかりに溜め息をついた。


「やるさ。失敗したときの代償が俺の命だってんなら、安いもんだ」


 ちょっとかっこつける為にそう言った後に、全員からかなりマジで怒られたのはまあ、別の話である。




2.



 怒られはしたが、やることには変わりない。

 ただし失敗したとしても絶対に死ぬなと言われているので、残念ながら死ぬ訳にもいかなくなった。

 親父がいたらなんていうかな。


 死んでも助けろ、と言うか死んでも死ぬな、と言うかのどちらかだろう。

 どちらかと言えば前者かな。

 俺の個人的な感情ではあるが、俺は親父と母さん両方の愛情を受けていたんだから――


 親父と母さん同士の愛情ってのは俺に向けられていたものよりも大きなものであって欲しいのだ。

 子供のエゴというか、ただの理想論かもしれないけどな。


 俺と母さんが親父の前で溺れていたら、親父にはまず母さんを助けてから二人で俺のことも助けて欲しい。

 そんな感じか。


 それはともかくとして。

 今の状況の説明をしよう。

 

 現状、完全に転移の為の移動手段と化しているウェンディには2つの転移石を持ってもらってまず東京まで飛んでいってもらった。

 そしてそこから俺だけがウェンディの元へ転移して、ダンジョンへ入る。

 最下層以下……新階層へ行くのには知佳か俺の一級、あるいは特級ライセンスが必要になるからだ。


 ウェンディたちも探索者ライセンス取ればいいのに。

 俺が近くにいなくても一級くらい余裕で取れるだろう。


 そして俺が<魔弾>で全てを吹き飛ばしてしまった階層へ到着した後に、スノウたちも母さんの体に触れながらもう一つの転移石を使い、俺たちの元へ転移してもらう。


 で――今に至るというわけだ。


「本当に綺麗さっぱり、なんにもないんですねー……」


 綾乃が唖然としていた。

 まあ、事前に聞いていてもこの光景はびっくりするよな。

 ちなみにちらほらモンスターは湧いていたのだが、ウェンディが瞬殺した。

 

 何度見ても凄まじいものである。

 俺も強くなっているつもりだが、やっぱり精霊に比べるとまだまだなんだよな……



「……さて、そんじゃやるぞ。念の為、みんなは離れててくれ」


 もちろん俺は死ぬつもりもないし、失敗するつもりもない。

 しかし万が一はあり得る。

 爆発自体を抑えるスノウと、エネルギーの相殺を狙えるフレアだけを残して他の四人は少し離れた位置に立っている。


 シトリーは回避行動はともかく防御行動に関して他の姉妹に比べると全くの無力に近いらしいのだが、ウェンディがいるのでそこは安心だ。

 仮に爆発した時、スノウとフレアが爆発を抑えきれなかったとしても、その余波くらいなら十分に抑えることができる。

 

 これは俺というマスターが失われた後でも可能だという結論に達したことだ。

 だからもう俺は、自分の思うままにやるだけだな。


 シートを敷いて、その上に母さんを寝かせる。

 目を覚ましてすぐこんな荒野だったら、驚くだろうな。

 

 

「――始めるぞ」


 スノウとフレアが頷く。

 魔力を吸い出すというイメージ、そして元の母さんに戻すという二つのイメージは、既に綾乃の幻想ファンタジアによって完成している。

 

 ふわ、と青い光のようなものが母さんの体から出て――

 俺の体内へと吸収されていく。


「ふー……」


 ビビってるな、俺。


 こんな速度じゃ足りない。

 もっと一気にだ。


 母さんの体から立ち上る青い光が一気に大きくなる。

 まだだ――まだ。


 心臓の鼓動が速くなる。

 痛いほどに速く。


 体の節々が痛いような気がする。

 いや、錯覚なのか本当にそうなのかもわからない。

 許容量を超えて爆発する予兆なのか、全くそんなことはないのか。


 そんな迷いが頭の中に浮かんだ時。

 後ろから声が聞こえた。

 それが俺の迷いを吹き飛ばした。



「自信を持ちなさい。あたし達がついてるわ」



 膨大な魔力が溢れ出る。

 眩い程の光が辺りを包み――


 やがて収まった。


「はっ――」


 はあー……と大きく息を吐いた。

 感覚的には、ほぼ全ての魔力を吸い出したはずだ。

 それにしても凄まじい量である。


 少なくとも、フレアやウェンディが行使する大規模魔法に用いられている魔力の数十倍以上はあっただろう。

 

 そして……


 母さんの体は、元に戻っていた。


 赤紫色に光る魔石などもうどこにもない。

 元の綺麗な肌だ。


 まるで時が止まったかのような静寂。

 魔力によって俺が爆発四散しなかったのはともかく、もう一つのハードルがあるのだ。


 そもそも母さんは本当に生きているのか――目を覚ますのか。

 

 誰も喋ろうともしない、動こうともしない中。

 僅かに、母さんの瞼が震えた。


 そして久しぶりの光を懐かしむかのように、薄く目が開かれる。


「――――」


 あっさりと。

 本当にあっさりと、母さんは上半身を起こした。

 まるでただ昼寝していただけだとでも言うように。


 そして、俺と目が合う。


「あ……」


 母さん、と言おうとして、思い留まった。

 いつ完全に石化してしまったかまでは聞いていなかったが、母さんは少なくとも15年間俺とは会っていない。

 自分のガキの頃の姿を見て自分だとは認識できたが、逆にガキの頃の自分が今の俺を見ても自分自身だとは思わないだろう。


 それに、俺の容姿は親父に似ているわけでもないし――永見先生は母さん似だと言っていたが、自分に似ているかどうかなんて本人にはわからないだろう。


 つまり、母さんは俺を認識できないのではないか。

 知らない青年が自分のことを母親として認識しているような状態になるのではないかと思って、踏み留まったのだ。

 母さんは周りも見ないで俺のことをしばらくじっと見つめたあと、口を開いた。



「――悠真」


 はっきりと。

 俺の名を呼んだ。

 ぽん、と誰かに背中を押される。


「母さん……!」


 ちゃんと言えたかはわからない。

 涙と鼻でしゃがれて、普段の俺からは想像もできないくらい情けない声だっただろう。


 けれど、母さんの胸にすがりついて泣きじゃくる俺を茶化す人は一人もいなかった。

 俺はこの瞬間、15年ぶりに母親との再会を果たすことができたのだ。

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