第130話:あの日
1.
再び場面が切り替わる。
家の中。
電気が点いていないので恐らく全員が寝静まっているのだろう。
いや、違う。
俺は覚えている。
この夜のことを。
しばらくすると、両親の寝室からまず親父が出てきた。
だらしのない寝間着姿――ではなく。
カジュアルな格好ではあるが、そのまま外へ出られるような姿だ。
そして手には大きなトランクケースを持っている。
そして俺が寝ている部屋の方へ視線を向けてから、後ろを振り向いた。
「……悠、本当にいいのか? あいつに挨拶していかなくて」
「大丈夫。辛くなっちゃうから……私にとっても、あの子にとっても」
答えたのは母さん――なのだろう。
すぐに断定できなかったのは、初めて涙ぐんでいる声を聞いたからだ。
今思えば、俺は親父も母さんも泣いているところを見たことがない。
いつだって俺の前では平気な顔をしていた。
俺が2歳くらいの時には既に病気は進行し始めていたはずなのに。
「……そうか」
親父はそれに何かを言い返すでもなく、玄関の方へ向かって靴を履いて――
「先に車いってるから、最後にちゃんと確認しとけよ」
と言い残し、先に扉を開けて玄関から出ていった。
やっぱり、あの日なのだろう。
母さんが出ていった……俺の前から姿を消した、あの日。
親父が出ていった扉をしばらく見つめていた母さんは、俺が寝ている寝室の方を振り向いた。
「……ごめんね、悠真」
声になるかならないか。
辛うじて聞き取れるくらいの声で、呟いた。
――と。
向いている方向から、ぺたぺたと素足でフローリングの床を歩く音が聞こえてきた。
母さんはハッとした表情を浮かべる。
「あれ……かーさん?」
「――――」
もうわかっていたことではあるが、姿を現したのは小学校に入りたてくらいの頃の俺だ。
母さんは一瞬だけ笑っているような、泣いているような表情を浮かべ、そしてすぐにいつもの『母親』としての顔になる。
「こんな時間まで起きてちゃ駄目でしょ? おトイレいったら、またすぐに寝なさい」
「おでかけ? どこいくの?」
「……ちょっと遠いところ、かな」
「ふーん……」
悠真少年は自分の眠気に抗えないのか、母さんに言われた通りトイレの方へふらふらと歩いていった。
「ちゃんとしーしーしたら手を洗うのよ」
「んー……」
俺はおざなりに返事をして、トイレへ入る。
そこから、俺はもう覚えていなかったのだが――
トイレから出て、手を洗って、自分の布団へ戻って寝付くまで。
母さんは俺の近くにいた。
そして寝付いたのを確認した後、
「帰ってくるからね。悠真と、お父さんのところに」
そう言い残して。
母さんは家を出ていくのだった。
2.
場面は再び切り替わる。
今度も家だ。
俺が食卓のテーブルで宿題をしている。
10歳かそこらくらいに見える。でも宿題の内容的に小学6年生とかの時……かな?
2回目の成長期が来るまでは結構チビだったからなあ、俺。
この頃だと既にもう母さんは全身が石化している頃だろう。
「あの、悠真さん……大丈夫ですか?」
「うん? 何がだ?」
「いえ……その……」
先程の場面ではずっと黙っていた綾乃が俺に話しかけてくる。
困ったように眉を下げる綾乃に、俺は謝った。
「悪い、心配してくれてるのはわかるんだけどさ……まあ、俺は大丈夫だ。もう乗り越えたことでもあるし、母さんは助ければいいだけの話だしさ」
「そう……ですよね」
この期に及んで俺は一つ誤魔化した。
綾乃も、本当に指摘したかったのはそこではないのだろう。
――帰ってくるからね。悠真と、お父さんのところに。
母さんはなんとかなるかもしれない。
結局、未だに何をどうすればいいのかはわからないが……
現状ではただ俺が、知らなかった過去の映像を見ているだけだ。
何の意味があるのかはわからない。
「今の所、手がかりになるようなもんはないよなあ……」
「私はもう結構見えてきたけど」
「えっ、マジで?」
知佳は平然と言った。
一応当事者なはずの俺が全然わからないのに、よくわかるな。
流石と言うべきか、なんというか……
「まだ確証はないから言わないけど」
「なんだよ、教えてくれてもいいのに」
「もし違ったら自由な考察の邪魔になるから」
まあ……それもそうか。
それはそれ、これはこれで切り分けて考えられる程俺も器用な人間じゃないし。
俺は俺で今見えている状況を自ら判断する他ないだろう。
「綾乃も頼むぞ、考えることに関しちゃ俺より……綾乃?」
綾乃はとある一点を見ていた。
俺もそちらに釣られて見ると、電子時計。
そしてそこには、見覚えのある時間と、見覚えのある日付がそこに表示されていた。
「まさか――」
世界が揺れる。
大きく、大きく、大きく。
「うわ!?」
少年時代の俺が慌てて机の下に隠れた。
今でも鮮明に覚えている。
この揺れは文字通り、世界が揺れているものだ。
世界中で同時にこの揺れが発生し――そして世界中にダンジョンが生まれた日。
日本時間で2013年9月17日火曜日、15時41分。
この日この時間。
世界の在り方は一変することになる。
揺れは一瞬で収まった。
この揺れ自体による被害はそう大きくはない――そう記憶している。
少なくとも日本国内では……だが。
元々が地震大国ということで、揺れに慣れていたということもあるのだろう。
震度としては確か日本全国で震度5強から6弱程度だったはずだ。
その一瞬で日本だけでも80万人以上の人々がダンジョンに飲まれ、世界中では推定2億人以上が犠牲となった。
現在、日本には32個のダンジョンが存在している。
俺があの日落ちて、スノウが攻略したものを含めれば33個だが……
それはともかく。
その32個のダンジョンの内の一つが、ここ豊橋にある今ではお城ダンジョンと呼ばれているもので――
この二週間後に親父がダンジョンへ人々を救いに行き、命を落とすことになる。
そしてその事実もそうだが。
今はそれよりも気になっていることがあった。
「今の揺れ……気付いたか、知佳、綾乃」
「……悠真くんのお母さんが<発作>を起こした時に感じたものに、なんとなく似ていたような……」
「だよな」
知佳も頷いている。
今の揺れがダンジョンの出現に伴うものだとして、母さんの発作と同時にそれが起きていたのだとしたら――
ダンジョンの出現と母さんの病気に関係があるのか?
魔石になっているという時点でダンジョンに関わりがあるかもしれないとは思っていた。
だが、母さんの体が魔石になり始めたのはダンジョンが出現する8年も前。
いや、もしかしたら気付いていないだけでもっと前からかもしれない。
だが……発作が起きる度にダンジョン出現時の揺れに酷似していたものを俺たちは感じていた。
そして今回の大きな揺れ――
「……ダンジョンの出現が、母さんのせいだって言うのか……?」
「ち、違います! そんなわけありません!」
綾乃が俺の手を握る。
「絶対違います! そんな……そんな人には見えませんでした!」
「でも、可能性としてはあり得る」
綾乃が感情的に否定するのに比べて、知佳は冷静だった。
「知佳ちゃん! そんなこと――」
「でも、悠真のお母さんのせいではないと思う。全く関係がないってことも、無いとは思うけど。偶然なのか、それとも第三者の意思が絡んでるのか――」
「そう……だな」
俺も母さんが自らの意思でダンジョンをこの世界に出現させるようなことをしたとは考えづらい。
この世界に出現してから人々へ恩恵も多くもたらしたダンジョンだが、やはり犠牲者は多く出ているのだ。
そんなことを進んでやるような人だとは思えないし――思いたくもない。
そもそも、性格的なものもそうだが、そんな事をできる知識があるはずもない。
「この過去を見てたら分かると思ってたことあって――それがまだ解決されてない」
「というのは?」
「明確な治す方法もそうだけど、そもそもダンジョンがない状態で悠真のお母さんの体が魔石化した理由。過去を見ている分には、お母さんの魔力を感じることはできないみたいだから魔力が覚醒していたかどうかもわからない」
魔力が大きすぎる人の体が魔石化する――シトリーはそう言っていた。
俺は定期的に魔力を使っているので平気だった、と。
「……けど、永見先生の言っていた怪力だったり、シトリーから聞いた情報だったりと組み合わせるとやっぱり魔力が覚醒してたってことは間違いないんじゃないか?」
「多分。でもダンジョン無しでどうやって?」
「それは……」
そもそもダンジョンへ入ると魔力が覚醒するという理由もわからないのだ。
これは帰ったあとにスノウたちは聞いてみるべきだろう。
ぶっちゃけ、そういうものだという認識でしかなかった。
「ダンジョンには魔素というものが満ちていて、それを体内に取り込んだ生物は潜在魔力が覚醒する……と以前ウェンディさんから聞きました。精霊さんたちがいた世界にはどこにでも魔素があったから、誰でも魔力を持っている状態だったと」
綾乃が手を挙げる。
どうやら俺が聞いていなかっただけで綾乃はそうじゃなかったらしい。
「でかした綾乃! その魔素ってのが魔力覚醒の要因か……でもこの世界にはダンジョン以外には無いんだよな?」
「ウェンディさんはそう言っていましたが……」
ウェンディが言うのならその通りなのだろう。
スノウも、この世界の人間は魔力を持っていない、みたいなことを言っていたし。
要するに覚醒する因子である魔素がないのだから当然の話だ。
「てことは何かしらの要因で母さんの体内に魔素が取り込まれ、魔力が覚醒した……それも俺が2歳の時以前に」
「それを突き止めるにはもっと過去のことを見れないと……」
知佳は辺りを見渡してみるが……
そこには先程起きた地震に若干ビビりつつも、特に気にしていない様子の悠真少年が再び宿題を再会する姿しかなかった。
「こっちの意思で見る時間の操作はできないみたいだし」
「でも、悠真くんのお母さんをもし治せたとして、その再発を防ぐ方法はわかりましたね。悠真くんみたいにダンジョンへ潜るか、魔素を取り除いて魔力の覚醒状態から元に戻すか」
「ん……」
あれ、これは母さんに限らずかなり重要な情報のような気もするぞ。
特に、これから魔法が世界中に蔓延るようになると予想されている中――
魔法で何か犯罪を起こしたような連中から魔素を取り除いてやれば、ダンジョンへ潜りなおさないと一生魔法が使えなくなる訳だ。
しかも現在では誰でもダンジョンに入れるようになってしまっているが、そこの規制をちゃんとして犯罪歴がある人は入れない、とかにすればいいわけで……
これに関しては後で柳枝さんに伝えよう。
もちろん、魔素を取り除く方法というものがあればの話だが。
流石にそこまでは綾乃も知佳も聞いていなかったようで、この場で答えは出なかった。
「あの……悠真くんが以前言っていた、ダンジョンの中で出会った吸血鬼の人とかスーツの人たちが関わってるってことはないんでしょうか」
「なんだって?」
「悠真くんから聞いた範囲での話ですけど、その人たちがそもそもこの世界にダンジョンを出現させたような……そんな気がしたんです。それと、悠真くんのお母さんが関わっているという可能性は……」
「それは……」
無い、とは言い切れない……のか?
想像力を働かせろ。
どんな可能性があり得る?
そもそもあのスーツの男が現れたのはダンジョン化したビルの中でのことだ。
そして吸血鬼の男は新階層で。
どちらも俺の目から見れば新しいことだったが――
新階層についてはともかくとして、既存の建物がダンジョン化する、というのは本当にあれが初めてだったのだろうか。
もしそうじゃないとしたら。
もし、母さんが過去に知らず知らずの内にダンジョン化した建物に立ち入ったことがあったとしたら。
もちろん、何故そこでモンスターに襲われなかったのか、だとかどうやって脱出したのか、だとか色んな問題点はあるが、そういうことであればダンジョン内でしか魔力覚醒の起きないはずのこの世界の人間が、ダンジョン出現以前に魔力を持っていたことの説明にはなるかもしれない。
荒唐無稽な話だ。
結論ありきで無理やり筋道を作り出したに過ぎない。
とにかく、今考えた推測を二人に話そうとしたタイミングで――再び場面が切り替わった。
場所は家でも、病院でもない。
「こりゃ……まるで江戸時代だかにタイムスリップしたみたいだな」
刺股を手に持ち、頭をポリポリかきながらその光景を見やる親父。
そう、そこは今となっては観光名所と化しているお城ダンジョンだったのだ。
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