第127話:石になった母

1.


「知佳、ちょっと話がある」

「ん」


 お祖父さんの仕事が終わるまでまだ時間もある中。

 母さんの話をした後、俺は知佳に声をかけて手招きをした。

 恐らくその理由も既にあっちはわかっているのだろう、特に何かを聞く様子もなくこちらへ来てくれた。


 他の人に聞かれるのは恥ずかしいので、とりあえず少し離れる。


「まあお前のことだから察してはいるんだろうけど、思い出したよ。幼稚園とかの時の話だったんだな、俺とお前が出会った時って」

「それで?」

「一つ謝りたいことがある」

「謝りたいこと?」

「当時はお前のこと、男だと思ってた」

「…………」

 

 流石に予想外だったのだろう。

 俺をジト目で見る知佳。


「まあ、女の子だってわかってても当時の知佳と今の知佳で結びつくかはちょっと微妙なところだけどな……お前ほど記憶力がいい訳じゃないし」

「他には何を思い出したの?」


 他には、か。

 恐らくだが、ほとんど全部思い出している。

 

「お前が幼稚園だかで本をずっと読んでることをからかわれたりハブられたりしてるのを知って、俺がずっと一緒にいてやるとか言ってたのも思い出したよ……」


 まあ、これに関しては男の子とか女の子とか関係なしにこういう事を平気で言っちゃうようなガキだったとしか言いようがない。

 

「……けどお前、途中から病院に全然来なくなったよな。引っ越したとかで」

「引越し先は市内だったけど、流石に幼稚園児が気軽に来れるような距離じゃなくなっちゃったから」

「市内だったのか……」

「小学校も中学校も高校も別々だったけど」

「だろうな」


 流石にそうだったら覚えているだろうし。


「……こんな簡単な真相なら、あんな風にはぐらかさずに言ってくれりゃ良かったのに。そしたら流石に一発で思い出してたぞ」

「……悠真のお母さんのこともあったから。お祖父ちゃんから少しだけ話は聞いてた。悠真と、悠真のお母さんはもう会えないくらい遠くにいるって。だから、私が言って思い出させるよりは自分で整理がつくようになってから一緒に思い出してくれればいいかなって」

「もう会えないくらい遠くに、ねえ」


 実は知佳には母さんが蒸発したという話を、大学で会って――再会して割とすぐにしている。

 だから他人の――特に女の考えてることは分からねえし、分かる気もねえ。あまり俺に構うな。的なことを言ったのも……黒歴史として覚えている。

 もちろん当時のことはその後ちゃんと謝罪しているが。

 

 それはともかく。

 母さんが居なくなったという話をした時、知佳の反応が僅かに鈍かったような記憶がある。

 重い過去を聞いてそうなったのかと思ったが、お祖父さんから聞いていた話だとまるで死んでいるかのような言い草なので認識が食い違ったのだろう。


 そしてどちらかと言えば、何も知らなかったガキの頃の俺より、直前まで医者として母さんのことを見ていたお祖父さんの言っていることの方が信憑性は高い。

 俺の認識下では母さんは居なくなっただけだが、知佳は俺の母さんが死んでいると思っていた。


 恐らくこういう認識の違いがあったのだろう。


 だからこそ尚更、敢えて俺が自主的に思い出すのを待っていたということか。


「で、まあ――昔のことを思い出して、そんで母さんが生きてるかもって知って……何かお前に対する感情が変わったかって言うと、何も変わんないんだよな」

「どういうこと?」


 ……こいつ、わかってて言わせようとしてやがるな。


「……変わらずお前が好きだってことだよ。言わせんな恥ずかしい」

「私の方が好きだよ。17年くらいずっと」


 普段の表情でそう言い切った知佳は――少しだけ口元を緩めた。


「……なあ、もしかしてお前が中学の頃に天鳥さんと一緒にカナダへ行かなかった理由って、俺か?」


 知佳は俺の質問に少し考えるようにする。


「自意識過剰?」

「ぐっ……」

「まあ、何割かは、そう」

「間違えてないならなんで無意味に刺したの?」


 天鳥さんからは知佳はやりたいことがあるとかなんとかで残ったと聞いていたが。

 何割かと言っているので全てではないようだが……


「内訳は10割だけど」

「全部じゃねえか!」

「どう? 重い?」


 見透かすような目で俺を見上げる。

 創一さんもそうみたいだったが、俺も一生こいつには頭が上がらないんだろうな。


「……軽いもんだな。俺が引っ張っていくんならまだしも、手を繋いで一緒に歩く分には何の問題もないだろ」

「それはよかった。でも悠真、あと一つ見落としてることがある」

「見落としてること?」

「なんで私が悠真ごときと一緒の大学にいたのかってこと。しかも東京の」

「ごとき!?」


 こいつ本当に俺のこと17年も好きだったのか!?

 容赦がなさすぎる。

 鬼か。鬼なのか。


「……偶然、じゃないんだよな?」

「さあ?」

「くっ、こいつ!」

「悲しいなー、男の子だと思われてたとかならともかく、そうじゃないのになー」


 めちゃくちゃ棒読みだ。

 けど知佳の言い分を信じるなら、少なくとも俺があの大学へ通うと決めた後――どこかで知佳と出会っているはずなんだよな。


 ……今の所全然心当たりはないのだが。


「それはともかく――」


 知佳はスマホを取り出して、俺に見せる。

 そこに表示されている時間は16時45分。


「私も悠真のお母さんおばさんに久しぶりに会って挨拶したいかな」

「……だな」


 母さん、今の俺を――俺たちを見たら驚くだろうな。

 色んな意味で。



2.



「奇妙な縁もあったものだな。知佳と出会って――創一から聞いたか」

「……はい」


 病院の中、あまり広いとは言えない診察室へと通されて15年振りに会った知佳のお祖父さんは、当然と言えば当然だが記憶よりも老けていた。

 しかしそれでもまだ若々しさは感じる。

 動けなくなった時の為にと創一さんへ託していたようだが、まだ後20年くらいは元気でいそうな感じがする程だ。

 総白髪で、ひげは剃っているのかそもそも生えない体質なのか全くない。

 清潔感のあるいい先生なのではないだろうか。


 ちなみに、説明が難しいので精霊たちと綾乃には別の場所で待機して貰っている。

 この場にいるのは俺と知佳、そしてお祖父さんだけだ。


 今になってようやく思い出したが、永見先生と母さんが呼んでいたような気がする。

 もっと早く思い出してればな……

 まあ、そこまで珍しい名字でもないので変わらなかった可能性もあるが。


 永見先生は知佳によく似た、まるでこちらを見透かすような目で俺をじっと見つめる。

 いや、あるいは知佳よりも深いところまで見られているような。

 そんな気さえする程だ。


「……創一が今の君なら、と話した理由もわかるな……わかった。私も君のお母さんについての話を全て包み隠さずに教えよう」

「お願いします」


 まず、母さんの体が魔石になり始めたのは約20年前。

 これは創一さんから聞いていた話と一致している。


 だが、この時に出ていた症状の中におかしなものがあったと言う。

 それは――


「異常なほどの怪力……ですか?」

「そう。病人に無理させるわけにはいかなかったので詳しくはわからなかったが、少なくともそこらの成人男性よりも遥かに力が強くなっていた」


 知佳と目を見合わせる。

 一致している。

 シトリーの話と、永見先生の話。

 そしてそうだった場合に起こりうる事柄が。


 魔力が多すぎるが故に魔石と化し、そして魔力が多すぎるが故に身体能力までも影響を及ぼす。

 そして当然、それをコントロールする術も母さんは知らなかったのだろう。


「君のお母さんが君たちから離れた理由の一つがそこにあった。いつ君や夫を傷つけてしまうかわからない。それも、取り返しのつかないような怪我を負わせてしまうかもしれない、と」

「……なるほど」


 そしてそれ以外はほとんど創一さんから聞いていたのと同じだった。

 臓器から徐々に石へ変化していき、完全に魔石になった臓器は何故か通常と同じように働いていた。


 そのはずなのに徐々に体は蝕まれていき、吐血や嘔吐、激しい頭痛などの症状に襲われるようになったと言う。

 それらは大抵、自身の意思で制御できるようなものではなく、我慢しようと思えば怪力で周りのものを破壊してしまったりもしたのだとか。


 筆舌に尽くしがたい苦しみだろう。

 しかし母さんは俺の前ではそんな素振りを全く見せなかった。

 ――なんと強い人なのだろうか。

 ただそう思う他ない。


「体表まで石になり始めた時、症状は逆に収まり始めていた。しかし謎の怪力は消えず、石を隠すのも難しくなっていった」

「……だから母さんは俺の前から姿を消した」

「ああ……彼女からの提案だった。それで、君へ全てを隠していた私の罪が消えるわけではないが……」

「いえ、そんな、罪だなんて――」

「罪、さ。少なくとも君のお父さんが亡くなった時、私には君へこのことを伝える義務があったのだから。だが……そうはしなかった」

「それが親父との約束だったんでしょう?」

「私は君のお父さん――彼が小さい頃から知っていてね。昔は随分やんちゃしていたよ。何よりも曲がったことが嫌いな男だった。誰かの為に迷わず自分の身を投げ打つような――気持ちのいい子だったよ。そのお陰で、私のところで怪我を診ることが多かったというわけだ」

「親父が……」


 意外でもなんでもないが。

 そもそもそういう親父に憧れていたんだしな、俺も。

 だがずっと昔からそうだったのか……

 

「私自身、恥ずかしながら精神的にまいっていた時期があってね。そんな時も君のお父さんに救われたという経緯があったりする。だからこそ――今度は私が彼を助ける番だと思った。君のお母さんが身を隠す為の別荘を山奥に用意し、そこへ入って貰ったのだ。そしてそれから221日後……彼女は全身が石化してしまった。今も別荘のベッドに寝かせてある」

「……その別荘はどこにあるんですか?」

「地図と鍵を渡そう……だが、期待はあまりしない方がいい」

「期待、ですか?」


 永見先生は言いにくそうにしながらも、俺の目をはっきりと見て言った。


「彼女の全身は完全に石になっている。臓器が正常に働いていた以上、生きている目もあるとは言ったが――そうなってしまってからは臓器の働きはおろか、心臓の鼓動さえ確認できていない。だから……」

「わかってます。それでも会ってみます」

「後悔するかもしれないのにか?」

「そうすると決めましたから」


 しばらく永見先生は俺を見ていると――ふっと穏やかな表情を浮かべた。


「君はお父さんにそっくりだな」

「えっ……そうですかね?」

「顔はお母さん似だがね。目はお父さんそっくりだ」


 うーん、そうだろうか。

 母さんの写真、一応残ってるけどもう長いこと見てなくてよくわからないんだよな……


「だからきっとなんとかなるんだろうな。そういうエネルギーを君からは感じるよ」

「はい、なんとかしてみせます。そしたら母さんと一緒にお礼をしに来ますから」

「楽しみに待っていよう」


 

3.



 さて。

 お祖父さんから地図をもらって、その15分後には俺たちはその地図にあった別荘へ到着していた。

 というのも、例のごとくウェンディがすっ飛んでいって、俺たちは転移石でそれに追随するというシンプルかつ一番速い方法を取ったからだ。


「悪いな、ウェンディ。損な役回りばかりで」

「損……ですか?」

「面倒だろ?」

「いえ、マスターのお役に立てるなら、全く」


 不思議そうに首を傾げるウェンディ。

 ……本気で言ってるな、これ。

 今度特別にご褒美(意味深)をあげよう。

 

 さて、別荘だが――山奥にあると言うのでどんなボロい建物なのかと正直ちょっと思っていたのだが、至って普通の別邸という感じだった。

 大きいわけではないが、隠れ家感あって良いな。

 そういえばさっきお祖父さんに言うの忘れていたが、ちゃんとこの別荘分の代金はお祖父さんへ渡すつもりだ。

 もちろん管理費なんかも込みで。

 親父と共同だと言っていたが、親父が死んでからはそうじゃないだろうからな。


 なにせ遺産は全て余さずこちらへ入ってきている。

 親父も大概だったようだが、永見先生もかなりのお人好しだ。


 鍵を差し込んで扉を開け、中にはいると定期的に永見先生が訪れて掃除でもしているのか、やはり思っていたよりもずっと清潔に保たれていた。

 あらかじめて聞いていた部屋へ、俺は早足に移動して扉を開ける。


 ――と。

 カーテンが閉められている暗い部屋に、ベッドと机。

 そしてその机の上には、恐らく母さんが目を覚ましてから混乱しないようにだろう、現状を示す為の書き置きが置いてあった。

 ……これ、親父の字っぽいな。

 というか、よく見たら和真と書いてあるので間違いなく親父が書いたものだ。


 ベッドの上には――毛布をかけられて寝ている人の姿が。

 赤紫に輝く石で象られた、としか言いようのない、紛れもなく――


「……母さん」


 15年ぶりに見たが、一目でわかった。

 色々とこみ上げてくるものがある。

 だが――まだそれが溢れるようなことはない。

 そうなる時は、母さんがもとに戻った時だ。


 魔石へと触れる。

 生きているという暖かさは感じることができない。


 少なくとも、俺にはダンジョンで見るそれと全く同じに見える。

 

「シトリー、何かわかるか?」

 

 俺に促されたシトリーが母さんに触れる。

 しばらくそうしていると――


「……少なくとも、生命としての活動は止まってない……と思う。お姉ちゃんでも直接触れてギリギリわかるくらい、本当に微弱ではあるけど、魔力由来の波を感じる。悠真ちゃん、お母さんは――生きてるよ」

「そっか……」


 俺はその場にへたり込みそうになる。

 よかった。

 本当によかった。

 なら後はもう、もとに戻すだけだ。


「治癒魔法や解毒魔法はどうだ?」


 だが、シトリーは悲しそうに首を横に振った。


「……もう試してみたけれど、それじゃ駄目みたい。少なくとも、現時点でこの状態が正常だって事になってるんだと思う」

「……なるほどな」


 治癒魔法や解毒魔法は、怪我を治したり毒を消したりする魔法だ。

 イメージ力によってある程度性質や効力に違いを持たせることはできるが、その大元を覆すことはシトリーにもできない。


 イメージ力で何でもできる魔法ではあるが――逆に言えば、そのイメージが及ばなければどうしようもない。

 そして現状、シトリーがどうしようもないなら……

 他の誰かがどうこうできることもない。


 魔法のイメージ、という点に関しては追随を許さない程のものがあるからだ。


「どうしようもない、なんて軽々しく言うんじゃないわよ」

「スノウ?」

「いい、この世で不可逆なことは生と死の因果だけなの。で、シトリー姉さんが生きてるって言ったってことはつまりどうにかなるってことよ」


 元気づけてくれたのか。

 不器用にも程がある元気づけ方だが……

 

「あの……」


 綾乃がおずおずと手を挙げる。


「もしかしたら私のでなんとかなる……かもしれません」

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