第126話:消えた母親の真実

1.


 母は俺が7歳の時に居なくなった。

 真夜中にごそごそと動いているのを、俺が物音で起きて。

 どこへ行くのかと聞くと、寂しそうな顔で言われたのだ。


「遠いところ」


 と。


 親父はいつか帰ってくる、と言っていたし、しばらくは俺もそれを信じてはいたが……

 子供はいつまでも純粋でいられる訳ではない。


 いつしか、母さんは俺たちを捨ててどこかへ行ったのだと思うようになった。

 そして、それが真実なのだと。

 母さんが居なくなってからの親父は大して変わらないように見えた。


 だが、出かけることが多くなっていた。

 俺もついていきたいと言うと、決まって親父は困った顔でこう言うのだった。


「また、今度な」


 と。

 

 そして俺が12の時。

 ダンジョンが出現し、親父はそこへ人を助けに行って――死んだ。


 母さんが親父の葬式に姿を現すことはなかった。

 

 別に母さんを恨んでいるとか――そういうのはない。

 ただ、俺はその時から疑問に思うようになったのだ。

 人の愛情とは何なのか。

 

 前日まで普通に俺や親父に接していた母さんは、何故俺たちを置いてどこかへ行ったのだろう。

 何故俺はあの時もっと本気で引き止めなかったのだろう。

 いや、引き止めたところで結果が変わっていたかはわからないが……



「……俺のお袋の話、ですか?」


 知佳の父親から言われた言葉に、俺はしばらく現実逃避をするように昔のことを思い出していた。

 

「ああ。君のお父さんは皆城 和真かずまさん――そしてお母さんは皆城 ゆうさん……違うかい?」

「……なんで知佳のお父さんがそれを?」 

「直接面識があった訳ではないがね。僕の父――つまり知佳あの子の祖父にあたる人が病院を経営している。君のお母さんは15年前まで頻繁にそこへ通っていたんだ」


 それを聞いて――チクリと記憶が刺激された。

 そうだ……

 俺はこの人の顔に見覚えがあって当然なのだ。


 そして、その記憶と年代に整合性が取れないのも当たり前。

 俺が見覚えがあると思ったのは、彼の顔ではなく、彼の父――知佳の祖父の顔だ。

 親子なのだから似ていても不思議はないし、あれから15年と考えれば当時の面影が知佳のお父さんに出ていてもやはりおかしな話ではない。


「知佳も結構父のところへ遊びに行っていたから、もしかしたらそこで面識があるかもしれないね」

「…………」


 ……髪の短い無口な男の子がキッズルームによくいて、しょっちゅう本を読んでいたような覚えはあるのだが、あれがもしかして知佳なのだろうか。

 いや、そう思ってしまったからかはわからないが、記憶の少年――ではなく少女には確かに知佳の面影があるような気がする。

 あれって確か5歳とか6歳とかの話だよな。

 7歳くらいの時にはもうあの子を病院のキッズルームで見ることはなかったような気がするが。


 そういえば、二年くらい前だったか、小学校上がる時に一度引っ越してるとか聞いたようなないような……

 時期も状況も合う……よな?


 まさかこんなところで知佳との出会いの謎が解けるとは。

 

「それで、母さんのことを知っているのは……創一さんがうちの母さんを診たことがある、とかそういう話なんでしょうか」

「いや、僕は医者ではないからね。父から聞いた話だ」

「父から……?」


 個人情報保護の観点とかどうなっているんだろう。


「プライバシーについて問題があるのはもちろんわかっている。けれど、父にとってもどうしても共有しなければいけない話だったんだ。なにせ、君のお母さんの命に関わることだったから」

「母さんの命?」


 確かによく病院へ通ってはいたが――

 命に関わるような重大な病にかかっていたのだろうか。

 そんなことは一言も……


「……まさか俺の……俺たちの前から姿を消したのは、重い病気だったから……?」

「半分正解で、半分外れだ。ただの病なら、父が僕へこの話をする必要はなかった……。君は、突拍子もない話を信じることができるかい?」

「……はい」


 突拍子もない話なんて、ここ数ヶ月で幾つも経験してきたことだ。

 ダンジョンに落ちて、精霊と出会って――死にかけたり託されたりしながら今がある。


「君のお母さんは、全身がになる奇病にかかってしまった。君のお父さんと、僕の父とが共同で持っている別荘に――彼女は居る」


 流石に、理解できなかった。

 

 俺はそれを知っている。

 よく知っている。


 つい昨日もを見たばかりなのだから。


……」


 

2.



 事のあらましはこうだ。

 母さんは今から約20年前から体調を崩していた。

 つまり、俺が2歳くらいの時か。


 その時は幾ら調べても原因がわからなかったそうだ。

 原因不明の腹痛に頭痛、全身が凝り固まったかのように動きづらくなり……15年前。

 つまり俺が7歳の頃には、嘔吐や吐血までするようになっていたと言う。


 その時には既にほぼ全ての内蔵が魔石になってしまっていたそうだ。

 だが、原因も何もわからない。

 そうなっているということだけはわかっているが、何故か石になっているのに臓器は臓器としての役割を果たしている。

 死にはしないが――ゆるやかに機能停止へと向かっている。


 そんな不思議な状態になっていたそうだ。

 元々俺の親父は知佳のお祖父さんと知り合いだったらしく、とても信頼していたそうだ。

 なんでも、親父が小さい頃しょっちゅう怪我をしてそのお祖父さんのところへ来ていたのだとか。


 創一さんとの直接の面識はないようだが、俺の親父の存在自体は「元気な子がいる」と聞かされていたそうだ。

 

 あらゆる医者が母さんの正体不明の病に匙を投げた時、それでも父さんと知佳のお祖父さんは諦めなかった。

 とうとう肌さえ石になり始めた病の進行が加速する中、母さんが動けるうちに父さんと知佳のお祖父さんとで共同の別荘を購入し、そこへ移すことに決めたのだ。


 理由は――俺のため。

 自分の母親が石になっていく姿なんて見せたら、一生残るトラウマになってしまうかもしれない、と。

 まだ幼い俺を案じてそうしたらしい。


「そりゃあ……理由も言えないで消えるよなあ……」


 俺も逆の立場ならそうしていただろう。

 親父が度々出かけるようになったのは、その別荘へと赴いていたのだ。

 もちろん俺を連れていくことなんてできない。


 やがて――

 母さんは全身が石になり、動くこともできなくなった。

 生きているのか死んでいるのかさえわからない状態だ。


 だが、それでも親父は諦めなかった。

 石になっても臓器は働いていた。

 だから全身がそうなっても、きっと生きていると。

 治す方法が見つかれば、また家族みんなで笑って過ごせる時が来る、と。


「……そんで自分が死んでちゃ世話ないな、親父」

「悠真くん……」


 創一さんが俺を気遣うように肩に手を置いた。

 大きな手だ。

 親父とどっちが大きいのだろうか。


 動けなくなった母さんと、まだ子供だった俺を置いて親父は逝った。

 自分だって助けを求めていただろうに、助けを求める人の為にダンジョンへ潜って。

 死体は見つかってすらいない。

 恐らくだが、モンスターに食われたのだろう。


 馬鹿な親父だ。

 馬鹿な親父だが――

 母さんは生きている。

 そう確信していたからこそ、自分は命をかけて人を助けに行けたのかもしれない。


 もちろん他に何か理由があったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 俺には奥さんも子供もいたことがないから、何が正しくて何が間違っているかなんてわからない。

 

 そして親父が死んだ後も、知佳のお祖父さんが一人で別荘の管理を続けてくれていたらしい。

 しかし、人はやがて老いる。

 自分が加齢で動けなくなってしまう前に、知佳のお父さん――創一さんへと託したらしい。

 

 何故託した先が俺じゃなかったのかは――言うまでもないだろう。

 お祖父さんは死んだ親父の意思を尊重した。

 治るまでは俺に知らせることのないように、という。


 そして創一さんは、俺自身を尊重してくれた。

 この話をするべきだ――と。

 俺の目を見て思ったらしい。


 ……正直まだ全てを飲み込めたわけじゃない。

 俺たちを置いて蒸発したと思っていた母さんは体が魔石になってしまう奇病にかかっていて、今もどこかで石になって眠っていると。

 しかもそれが知佳のお祖父さんも関わっている。

 まずは話を聞くべきだろう。


「創一さん、知佳のお祖父さんに会わせてください。話を伺いたいんです」



3.



 面会はあっさりと叶った。

 知佳のお祖父さんは今年で74になると言う。

 だが、まだまだ現役で働いているそうだ。


 なので病院が閉まる17時まで待っていて欲しいと言われた。

 実はこの後も東京へ戻る前に少しだけお城ダンジョンへ潜る予定だったのだが、それを返上して時間を待つことにした。


 その間に、知佳を含め――俺は全員に事情を説明した。

 創一さんにも突拍子もない話と言われたくらいだ。

 知佳も流石に知らなかったようでかなり面食らっていたし、いつも冷静なウェンディですら動揺していた程だ。


「体が魔石にっていうのは、確かなの? 悠真ちゃん」

「ああ……まだ直接見たわけじゃないから定かではないけど、少なくとも知佳のお祖父さんはそうだと思ってるらしい」


 シトリーが何やら考え込むようにしている。


「もしかして心当たりがあるのか?」

「……魔力が特別高い人は、その消費が追いつかないと体の一部が魔石のように変化してしまう、という話を聞いたことがあるの」

「魔力が――」

「普通より多いくらいの魔力ならそれで済むけど、もしかしたら悠真ちゃんくらい魔力の大きい人だと、全身が魔石になってしまっても……おかしくはないかも」


 つまり、俺の魔力の大きさは親父からの遺伝ではなく――母さんからのものだった、という事か。

 まだ「かもしれない」の域は出ないが。

 なにせ、シトリーの言っていることが真実だとしても一つ大きな矛盾点がある。


「でもシトリー姉さん、悠真のお母さんがその奇病にかかったのは20年前なんでしょ? この世界にダンジョンができたのは10年前で――この世界の人間はダンジョンに入らないと魔力が解放されない。潜在魔力の時点でそこまで影響を及ぼすんだとしたら、悠真だってそうなってないとおかしいわよ」

「問題はそこなのよね……」


 スノウの指摘した通りだ。

 俺はダンジョンに入ることによって魔力が覚醒し、スノウを召喚することができた。

 そして召喚してからはスノウの大魔法や、俺自身も戦闘をすることによって魔力を発散している――なので体が魔石のように変化することがない。


 逆に言えば、潜在魔力の時点で魔石になってしまうようなことは無いはずなのだ。


 だが、母さんはどうだ。

 20年前の時点でダンジョンに入ったことなんてあるはずもないし、魔力が解放されていたとは思えない。

 

 しかし実際に体は魔石になっている。

 訳がわからない。

 訳がわからないが――


「シトリー。それで、全身が魔石になった人間はまだ生きてるのか? あと、それを治すことはできるのか? 例えば――治癒魔法とかで」

「……一度、みないとなんとも言えない、かな」


 会って、か。

 そうだ。

 俺は会わなければならない。

 

 15年前、俺の前から姿を消し――魔石になってしまった母さんに。

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