第92話:天才

1.



 はスノウ達には黙っておこう、という話になったので俺はいつも通り振る舞うようにする。

 演技は苦手だが――必要なことならそれくらいはするさ。

 シトリーと<本契約>を交わし、更に彼女が秘めていた真実を聞いた日の翌朝。


 昨夜に諸事情あってカフェインを摂取していた俺は眠ることができずにいたので、若干の眠気こそ感じつつも台所へ向かうと、既にウェンディが起きてきていた。

 まだ5時とかなんだけど、朝早いな。

 ちなみにシトリーはまだ寝ている。

 彼女もカフェインは摂取しているのだが……まあ別にカフェインを摂ったからと言って絶対に眠れないというわけではないし、泣きつかれたというのもあるのだろう。


 俺に気づいたウェンディがこちらを向いて、いつもの真面目な表情で挨拶をしてきた。


「おはようございます、マスター」

「ああ、おはよう」


 昨日シトリーから聞いた話が脳裏を過る。

 フレアを庇って真っ先にやられたのがウェンディだという話だった。

 もちろん、彼女はそれを覚えていない。

 だが……

 

「なっ……ど、どうしたんですか?」


 急に俺に頭を撫でられたウェンディが若干頬を赤く染めて後ろに下がろうとする……が。

 何かを考え直したのか、それを甘んじて受け入れるようにして頭を差し出してきた。

 

「何かあったのですか?」

「いや、何も。充電みたいなもん」

「……? 私でよければ、いつでも、いくらでも」


 ウェンディの髪はさらさらだ。

 最初は自分でもなんで撫でたくなったのかよくわからなかったが、手触りがよくてしばらく触れていると、「あー!」と後ろから声が聞こえた。

 後ろを振り向くと、寝起きのフレアがこちらを見ていた。


「ウェンディお姉さま、ずるいです! フレアもお兄さまに撫で撫でされたいのに!」

「フレア、皆さん寝ていますから、静かに。そしてマスターは私の頭を撫でたいのです」

「な、そ、そんな……!」


 何故か若干のマウントを取るウェンディ。

 それにわざとらしくショックを受けた素振りを見せるフレア。

 寸劇が面白かったのでちょいちょいとフレアも手招きをして頭を撫でてみる。


「はあ~」


 猫だったら間違いなく喉を鳴らしているだろうなという勢いで頭を擦りつけてくる。

 マーキングか? マーキングされてるのか?

 しかし俺も男の子である。

 こんな美少女にこんな慕われていて悪い気がするわけもなく。


 しかも両手に花である。

 その花が世界で一番美しいと言っても過言でない程のものなのだからすごい話だ。


 なんて事を考えていると、「朝から暑苦しいわね、あんたら。冷やしてあげましょうか?」と鬱陶しいものを見るような目のスノウも起きてきた。

 何度も言うが、まだ5時である。

 普段はスノウか俺が一番起きるのが遅いので(知佳は寝る時間によってかなり前後している)、こんな早い時間に起きてくるのは珍しい。


「早いな」

「フレアの声が聞こえてきたのよ。知佳と綾乃もそのうち起きてくるんじゃない? シトリー姉さんはあれで一度寝たらなかなか起きないけど」


 確かにウェンディを撫でているのに遭遇したフレアは結構な声量で驚いていたな。

 綾乃はともかく、半ば公認とは言え知佳に見られるのは流石の俺も若干の気まずさを覚える。

 ということで二人の頭から手を離すと、「あっ」とフレアが残念そうな声を出し、ウェンディも無言ではあるがどことなく名残惜しそうな表情を浮かべた。

 へへへ、夜になったら別のところを撫で……いや、朝からこういうのはよくないか。


 喉が渇いていたので水でも飲もうと思って移動すると、スノウの視線も一緒についてきた。


「……どうした?」


 あまりにも見られている気配があったのでそう訊ねてみると、スノウはまさか気付かれているとは思っていなかったとでも言わんばかりに赤面し、「別になんでもないわよ!」と怒って部屋へ戻っていってしまった。

 うーん、今日はツンデレのツンの日なのだろうか。


「スノウも早く素直になればいいのに。お兄さまもそう思いません?」


 邪魔者スノウがいなくなったことによってまた俺にひっついてきたフレアが俺を上目遣いで見ながら言う。


「ノーコメントで」


 俺はツンデレなスノウが割と好きなのだ。

 だって面白いし。



2.



「お姉さんに教えてほしいこと?」


 朝、全員が揃って各々の仕事をしている中(と言っても仕事らしい仕事をするのは綾乃と知佳だけなのだが。あとウェンディ)、俺はシトリーにとある相談をしていた。


「ああ、体術を教えてほしいんだ」


 普通の武術なんかは多分だが、ほとんど役に立たない。

 それはスノウとも話したことである。

 なにせ力が普通の人間のそれと違いすぎる。


 シンプルにスピードとパワーを生かして殴る方が型にはまった何かをするよりも強いのだ。

 もちろん、数十年単位で極めればまた別の話ではあるのかもしれないが……

 

 で、今回その話とちょっと違うことをしているのにも理由がある。


「ああ、シトリーって体術とかも強いんだろ? スノウからそう聞いてる」


 シトリーは精霊だ。

 魔力もかなり多い方だろう。

 つまり身体能力は俺と同じく普通じゃないはずだ。

 なのに体術に優れている――つまり身体能力お化け用の武術のようなものがあるのではないか、という目論見である。

 

「んー……お姉さんから悠真ちゃんに教えられるようなことじゃない、かも」


 普通に教えてもらえると思っていたが、シトリーはちょっと渋っていた。

 というか、教えられるようなことじゃない?

 と、英語の勉強をしていたスノウが聞き耳を立てていたようで話に入ってきた。


「一回組み手でもしてみればいいのよ。そうしたら悠真もわかるわ」

「でも危ないでしょう? 悠真ちゃんがケガでもしちゃったら……」

「そいつ頑丈だから、大丈夫よ」


 ちらりとシトリーが俺の方を見る。

 心配そうな表情だ。

 本当に大丈夫? と。


 俺だって一応男だ。

 女性に殴り合いで負けてケガをすることを心配されて、それで引き下がるわけにもいかない。


「ま、スノウの言う通り俺頑丈だしさ。それよりシトリーがケガしちゃわないかの方が心配だって」


 とにかくそういう流れで、俺はシトリーと軽い組み手をすることになったのだった。



 広い中庭はこういう時に便利だ。

 ルールは寸止めで、互いに素手。


 特に構える様子もなく立つシトリーは隙だらけに見える。

 ちなみに立会人は現状、唯一暇しているフレアである。

 たまに綾乃の仕事を手伝っているのを見るので、完全に何もしていない訳ではないが。。


「では、お兄さま、シトリー姉さま、準備はよろしいですか?」

「ああ」

「ええ、いつでも大丈夫よ」


 俺達が答え――フレアが「では、はじめ~」と呑気な声で開始の合図をした。

 のと同時に、俺は突っ込む。

 シトリーは雷の精霊だ。

 それも、スノウが認める戦闘の天才。

 先手を譲れば何もできずに負ける可能性は十分ある。


 そして俺が本気で動けば、ボスすら反応できない速度で動ける。

 俺は一瞬にしてシトリーの後ろに回り込み、その肩へ触れようとして――


 目の前にシトリーの小さな手の掌底があることに気付くのが、一瞬遅れた。


「……は?」

「わ、早い! 悠真ちゃんすごい!」


 何故か俺だけでなく、シトリーまで驚いている。

 何がどうなってこうなったんだ?

 確かに俺は背後を取ったし、シトリーもそれに気づいていない様子だった。

 そして間髪入れずに終わらせるつもりだったのに。

 

 気づいたらカウンターを食らっていた。

 いや、寸止めではあるのだが。


「……何かの魔法、か?」


 そうでないと今の現象に説明がつかない。


「うん、そうだよ。流石悠真ちゃんだね」


 シトリーは聖母のような笑みで俺の疑問を肯定する。

 魔法だとして、今のはどういう絡繰りなんだ……?

 今の理不尽な速さ。

 感覚としては、未菜さんを相手にしている時のそれに近い。

 こちらの意識の隙をついての<気配遮断>、そして接近。

 なんというか、なのだ。

 目で追えないというか……

 

 俺が首をひねっていると、シトリーは諭すような表情と声音でレクチャーを始めてくれた。


「悠真ちゃん、魔法はイメージなの。お姉さんの力は雷――つまり電気でしょ?」

「ああ、それは知ってる」

「じゃあ悠真ちゃん、人の体がなにで動くか知ってる?」

「何でって……筋肉か?」

「そうなんだけど、その筋肉がどう動いているか」

「筋肉が……」


 脳からの司令が筋肉へ行き、動いている。

 そしてその司令というのは――電気信号だ。


「まさか……」

「うん、そのまさかなんだ。お姉さんは自分の体の周りに微弱な電気を放って、どれだけ速い攻撃にも一瞬でカウンターできるの。もちろん攻撃にも応用できるよ」


 いや、流石にそんなことできるはずがないだろう。

 ――とは言えない。

 魔法はイメージの世界だ。

 極端なことを言えば、できると思えばできる。

 もちろんそれには練度が必要だろう。

 だが、そこはスノウ達の長女であり、天才と称されるようなシトリーだ。

 

 それくらいのことは出来て当然……なのかもしれない。


「しかも、シトリー姉さまの攻撃には雷魔法が乗っているので、当たるとビリビリするんですよ、お兄さま」


 自分の姉のことだからか、ちょっと得意気にフレアが説明を加えてくれる。


「マジかよ」


 確かに、スノウが『格闘戦で姉さんに勝つのは不可能』と言うだけある。

 そりゃ無理なわけだ。


 人間の反応なんてどう足掻いても電気信号よりは早くなれない。

 極端な話、光速には反応できないのだ。


 もちろん魔法のイメージ――解釈によってはその限界を超えることはできるのかもしれないが、少なくとも生半可な事では難しいだろう。


 現状の俺ができるのは身体能力の強化のみ。

 動体視力や体を動かす筋肉を強化することで超反応をすることはできるが、更にその壁を超えて動けるシトリーには追いつけないということである。


 こちらが見てから脳が認識するまでの電気信号――よりも早く動くことができるのだから、そりゃあ未菜さんが使うこちらの瞬き中の<気配遮断>によく似た感じを覚えるわけだ。


 シトリーの動きは認識に起きることだが、未菜さんの動きは認識で起きること。

 

 こりゃあとんでもない話だ。

 だが。


 もし俺が、ここまでの精度とは言わずとも同じようなことができるようになれば、シトリーには敵わずともかなりのパワーアップになることには間違いないだろう。


 一応、ある程度の道は見えたということだな。

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