第84話:憤怒と生還

1.



「……殺す覚悟、ね」


 腕の感覚を確かめるように拳を握ったり開いたりする人狼。

 どうやら完全に元通りなようだ。

 厄介な再生能力だな。


「口ではなんとでも言えるさ。それに、今の絡繰りも落ち着いて考えればそう難しいものじゃない。一時的に腕へ魔力を爆発的に集中させ、膂力を引き上げた。そう何度もできることじゃない――そうだろう?」

「……お前を殺す前に二つ聞いておく」

「殺される前に、の間違いだろう」

「スノウ達の記憶の一部を奪ったのもお前らなのか」

「……うん? 一部? ……いや、そうか、直前にがしていたことの影響か。化け物の親もまた化け物というわけだ」

「よくわかんねえが、とりあえずお前らの仕業なことは間違いないみたいだな。それじゃ次の質問だ。記憶を戻す方法は知ってんだろうな、お前」


 それを聞いた人狼は――とぼけるように肩をすくめた。

 

「さあ? ――……!」


 その顔面を拳でぶち抜く。

 足も腕も勝手に動いていた。

 ただ、こいつのことを殴りたいと思った。

 ごしゃ、と拳に骨が砕ける感触が伝わる。

 

 再生と共に離れようとする人狼の胸ぐらを肉ごと――いや、骨ごと掴む。

 ぶちぶちと筋繊維を裂いて、骨を砕かんばかりに握りしめて。


「が――はっ――」


 再生しかかっていた顔面をもう一度殴りつける。

 骨と肉と血が辺りに飛び散る。

 ビクビクと奴の体は引き攣るように痙攣を起こしている。

 

 だが、再生は止まらない。

 人狼へ変化していた体が元の病的な青白い肌と細い胴体、腕、足へと戻っていく。


「――っ! ――!」


 地面に押し倒して。

 奴の肉や骨や脳髄が地面とが、赤黒い土とぐちゃぐちゃに混ぜ合わされる。

 

「――!! ――!!」


 奴は口がないのに叫んでいる。

 いや、違う。

 叫んでいるのは俺だ。

 喉から血が出んばかりに叫んでいる。

 叫んで喚いている。


「お前が!! あいつらの家族の記憶を奪ったのか!! お前が!! 」


 奴が返事をすることはない。

 その前に俺の拳が砕いている。


「そして今も!! あいつらからまた奪おうってのか!!」


 もはや何を殴っているのかもわからない。


「ふざけるんじゃねえ――」


 こいつは見たことがないのだろう。

 想像すらしたことがないのだろう。

 スノウが――昔のことを思い出せないのだと言った時にどんな表情をしていたのか。


 それがどれだけ不安なのか。


「お前に――誰にだってそれを踏みにじる権利はねえんだよ!!」


 吐き捨てるように言った後――喉の奥からこみ上げてきた血を吐く。

 それほどダメージを受けていたという自覚はないが、そうではなかったようだ。

 思っているよりもリミットは近いかもしれない。

 ――或いは、この怒りの代償なのだろうか。


 全身に鋭い痛みが走る。


「くっ……ぐっ……」


 その隙に吸血鬼は再生を終えたようで、俺の下から逃れていった。


「……凄まじいな。そうか、君もあちら側の――化け物側の人間だったか」


 皮膚がまだ再生しきっていないようで、見た目はかなりグロテスクだが――ダメージが残っているようには見えない。

 くそ、そんなの反則だろ。


「精霊にしたってのは……どういうことだ」

「……君に言うつもりはないね。どうやらここで君を殺すのは無理そうだから――べらべら喋ってしまったことを後悔しているくらいだ」


 見れば、奴の体が端からボロボロと崩れていっている。

 ダメージがないように見えていたのは気のせいだったか。

 見てくれは再生していたとは言え、内部に蓄積していたらしい。


「自分が殺されるかもしれない時にはそこまでの力を発揮することはなかったのに、精霊がそうなるかもしれないと聞いて激昂するとはおめでたい……いや、随分平和ボケしていると言うべきか」


 吸血鬼の体が崩れていくサマは段々と加速していく。

 もう立っていることすらも辛そうだ。


「…………」


 こっちも満身創痍なのは同じだ。

 喉も枯れているようで、もう声すら出せない。


「一つ、そんな君にモチベーションを与えてあげよう」

「……?」

 

 モチベーションだと?


「<キーダンジョン>を探せ。それを攻略すれば……君の望みは叶うかもね。精霊達の記憶を取り戻すことも、さ」


 キーダンジョン……?


「な……にを……」

「それが君にとっても――僕らにとっても望ましい結果に繋がる。どのみち、君はそうするしかない」


 それだけ言い残し。

 吸血鬼は全身が崩れ落ちるようにして消えた。

 後には光の粒と、大きな魔石――そして一冊の本が残った。


 ――あれは。

 見覚えがある。

 いや、見忘れるはずもない。


 スキルブックだ。


 そう思うのと同時に、ガラスが割れるような音と共にが変わるのを暗くなっていく視界の中で認識していた。


 最後に聞こえたのは、俺の名を呼ぶ誰かの声だった。



2.



「…………ここは……」


 見慣れない天井だ。

 真っ白い天井。

 真っ白い壁。

 そして真っ白いシーツに――真っ白い髪の女神みたいな女。


「……スノウ?」

「悠真!!」


 不安そうに俺の名を呼ぶ声。

 何故スノウが俺を不安そうに見つめているのだろうか。

 それに、ここは……?


 ……いや、そうか。

 ぼんやり思い出してきたぞ。


 俺はダンジョンで吸血鬼だか人狼だかよくわからないムカつく奴を倒し――いや、殺して……その後に気を失ったんだ。


「どこか痛いところはない!? 怪我は全部治したけど、あんた3日も目が覚めなくて――」


 ぼろぼろとスノウの青い目から涙が溢れ出す。


「あたしがっ……守れなかったから……あんたが死んじゃうんじゃないかって……!」

「……死なないさ。怪我、治してくれたんだろ」


 体を起こす。

 3日寝ていたということで、随分体の筋肉が落ちているようだ。

 というよりは体がびっくりして動かしにくいということだろうか。


「ばかっ……ごめん……本当に……ごめんなさい……!」


 スノウが俺の胸に頭をうずめてきた。

 少し迷った末、肩を抱くようにする。

 ひんやりとした肌の感触が伝わってくる。

 だが、嗚咽と共に震える体からは確かな暖かさを感じた。


 バタバタと走るような音が、二人――いや、四人分聞こえる。

 改めて見ると、かなり高級な個室っぽい部屋なようだ。

 とは言え病院の廊下を全力疾走するのはまずいだろう、とか頭のどこかで考えてしまう。

 どうやら体の方はすっかり快調なようだ。


 まず扉から顔を出したのはウェンディだった。

 起き上がっている俺を見て、ウェンディは安堵するような表情を浮かべると共にふらりとその場に倒れ込んでしまう。


「なっ……」

 

 それを辛うじて受け止めたのがフレアだ。

 そして俺を見て、目に涙を浮かべている。

 しばらくして、綾乃と知佳も駆け込んできた。


 知佳は俺の顔を見るなり、まるで糸が切れたかのようにへたり込んでしまった。

 綾乃がそれを慌てて介抱しながら、俺の方を改めて涙まじりの目で見る。


「……悪い、みんな。心配かけた」


 色んな人に心配をかけたみたいだな。

 後でダンジョン管理局や、この分だとティナにも連絡を入れておく必要があるだろう。

 

 だが今は、とりあえず俺の為に泣いてくれている人たちを安心させることが先決、だろうな。


「もう大丈夫だ」


 こうして新宿ダンジョンの新階層探索は一旦、区切りがついたのだった。

 

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