第67話:悪夢

1.



「か……は……っ……」


 怖い。

 もう嫌だ。

 何故俺がこんな目に。

 なんで。

 なんで俺ばっかり。


 にたり、とスーツの男が笑う。

 顔がないのに、嗤っているのがわかる。


 スーツの男から放たれた光線が俺の重ねた俺の両手を貫通した。


「あ――」


 そのまま俺の身体も貫かれた。

 

 穴が――空いている。

 俺の腹に。

 どぼり、と血が溢れる。


 血が。

 命が溢れ落ちる。


 止めどなく。

 

「あ、あ――」


 血まみれの手が。

 自分のものでなくなっていくような感覚。


 遠くなっていく感覚が――


 ――死を間近に感じさせる。



「うおあっ!!」


 

 心臓が痛い程に脈打っている。


 ……なんだ今の夢は。


「ちょっと、大丈夫? すごいうなされてたわよ」


 胸を抑える俺に心配そうな表情で語りかけてきたのはスノウだ。

 一人ベッドで眠る俺をわざわざ見に来てくれたらしい。 


「……悪い、うるさかったか」


 俺がそう言うと、スノウは一層心配そうな表情を浮かべる。


「別にそういうわけじゃないわよ。一旦顔を洗ってきたら? すごい汗よ」

「……ああ、そうするよ」



2.



 洗面台の鏡をぼんやりと眺める。

 よく見慣れた平凡な男がそこには映っていた。

 嫌な夢を見たせいか若干やつれているようにも見える。

 

「トラウマ……ってやつか……」


 最初にゴーレムにふっとばされた時はほとんど記憶に残っていない。

 すぐに気を失ってしまったのが関係しているのだろう。

 しかしあのスーツの男との戦闘では全く違った。


 同じような体格の相手に正面からぶつかり合って完敗し、死にかけた。

 いや、もしあの時ウェンディが間に合ってなければ俺は死んでいただろう。


 もう終わったことだから、済んだことだからとなるべく気にしないようにはしていたが、深層心理はそうじゃないってことか。


 ぶるぶると両手が震えている。

 穴なんて空いてない。

 いつも通りの掌だ。


「ふう……」

 

 或いは昨日の夜――ローラとの戦闘で、本能的に死の気配を感じ取ったからそうなったのかもしれない。

 ……もしかしたらあのフレアの殺気のせいかもしれないけど。


「俺の取り柄ってのはこういうの図太いとこだと思ったんだけどな――」


 バシャバシャと顔を洗い、シャツも汗で気持ち悪いので脱いで洗濯カゴへ放っておく。

 ……そういえばあの中には今この部屋で寝泊まりする美女たちの衣服や下着のあれこれが入っているわけだ。


 流石に変態的すぎるな……

 あとあれにはティナのものも入っているので流石に手を出せない。

 俺の理性は正しく仕事をしているようだ。


 タオルで軽く汗を拭いた後、替えのシャツは出していないことに気付いて上裸のまま洗面所を出る。


 と、ベッドから離れたところにある机でコーヒーを淹れて待っているスノウが目に入った。

 スノウ自身の分はホットミルクだな、あれ。

 

「カフェイン、平気なのか?」 

「あたしが飲むわけじゃないから平気よ……って、なんであんた裸なのよっ」


 こちらを振り向いたスノウが赤面しながらぺしーん、とタオルケットを投げつけてきた。


「男の上裸見たくらいでうろたえるなよ……」


 同居してるんだから、これくらいは見慣れてもらわないと困る。


「あんたは少しは恥ずかしがりなさいよ!」

「俺の肉体に恥じるべきところなどない――ひやっ」


 むしろ見せつけるようにすると、乳首がピンポイントでひんやりした。

 こいつなんて地味な嫌がらせしてきやがる。


「っと、まだ朝の4時なのか。俺はもう目が覚めちまったけど、スノウは眠たかったら寝てくれていいんだぞ?」

「精霊なんだからその気になればずっと起きていられるわよ」

「まじ? すげえな精霊」


 昔は寝ないでずっと起きていられたらもっと色々できるのに……とか思っていたな。

 今じゃ寝るのはもはや一種の娯楽と認識しているので、暇さえあれば惰眠をむさぼるのもありかなと思っているが。


 スノウが物憂げな表情で続ける。


「……いつからこうなったかはわからないけどね」

「へ? いつからって……お前ら生まれたときからずっと精霊なんじゃないのか?」

「そう思っていたけど、そうだとしたらあたしたち姉妹の間で持ってる記憶に色々齟齬が生じるのよ」

「齟齬とか難しい言葉知ってるんだな、お前……」

「今度は完全に凍らせるわよ」

「わっ、タンマタンマ! 冗談だって! 悪かったって!」


 再び乳首がひんやりしてきたので俺は慌てて謝る。

 乳首とかうっかり凍らされたら取れちゃいそうで怖いんだよ。

 シリアスな話っぽいので腰を据えて話す。


「冗談はさておき、記憶に齟齬が生じるってのはどういう意味だ?」

「精霊として生きてきたんなら食事は必要ないし、睡眠だっていらないでしょ。でも確かに食事中に姉妹でした会話や、ベッドの中で両親に聞かされた話なんかの記憶があるのよ。これっておかしいと思わない?」

「嗜好品として楽しむことはできたんだろ?」


 スノウは俺を見て、真剣な表情をした。


「一番の疑問はなんであたしたち精霊に両親がいるのかって話よ」

「……そりゃ精霊だって何かから生まれなきゃ存在はできないんじゃ」

「親的な存在がいるのは別に変な話じゃないわ。でもがいるのは変でしょ。あたしたちに妊娠って概念はないわ。少なくとも、普通の人間が取るような手段では子どもはできない。あたしが知らないだけならまだしも、ウェンディお姉ちゃんも精霊が子作りする方法は知らないって言ってた。そんなことあると思う?」


 子作りて。

 あまりにストレートな表現に思わず俺の方が照れてしまう。

 ……だが、確かに変な話だ。


「……じゃあお前らは最初から精霊だったってわけじゃなくて、なんらかの理由で後天的に精霊になったのか?」

「かもね。って話になってるわ。今のところ」


 ……それってかなり重要な話じゃないか?

 スノウとウェンディが二人で話していることが多かったのは、このことを話していたのだろう。

 そしてフレアも召喚されて加わったことによって、より違和感が浮き彫りになったというところか。


「けど精霊として生きてきた記憶もあるんだろ?」


 それに精霊としての知識だってある。

 召喚術についてだってスノウからあれこれ聞いたのだ。


「あとなんか……お前もウェンディも俺のことを思わせぶりな呼び方してたよな? 希望がどうとか……」

「それも今のところ、あんたの何がどう希望なのかあやふやなのよ。ただのスケベなのに」

「ひどくない?」


 散々な言われようである。

 スケベスケベって、俺は割と我慢できてる方だと思うぞ。

 ウェンディには我慢しきれなかったし、つい最近知佳にも負けたけども。


「だから今の所はあれこれひっくるめて大体保留。そもそもウェンディお姉ちゃんにわからないことがあたしにわかるわけないし」

「身も蓋もないけど、実際その通りではあるな」

「失礼ねあんた」

「お前が言い出したことなのに!?」

「冗談よ。元気出てきたじゃない」


 くすりとスノウは笑った。

 不意に見せるこういう表情がずるいよなあ、こいつ。

 

「心配かけて悪かったよ……昨日のことも」

「本当よ。まあ昨日のは不穏な空気を感じ取ってすぐにフレアが窓を突き破って飛び降りたんだけど」

「マジで? アメコミヒーローかよ」

 

 アメリカだからってそんなところまで再現しなくていいのに。


「あれ、でもどこの窓も割れてなくないか?」

「窓くらい単純な作りならあたしの魔法で治せるわ。割れただけで、粉々になったってわけじゃないし」

「へー……いろんな魔法があるんだな」

「あんたはそういう小手先を覚えるよりまず付与魔法エンチャントよ。あと単純に身体強化をもっと極めるのもいいかもしれないわね」

「付与魔法についてはからっきしだけど、身体強化については同意だな。もっと強くならないと」


 あのスーツ姿のボスの攻撃を受けられるくらいに。

 強く。

 

「ふぅん。いい傾向ね。どんどん強くなりなさい。そしてあたしに楽させなさい」

「もっと褒めてくれ。俺は褒められると伸びるタイプなんだ」


 スノウはそんな俺を見て、少し考え込むような仕草を見せた。


「じゃあご褒美をあげるわ」

「……ご褒美?」

「そ、ご褒美。なんでもいいわよ」

「な、なんでもって……」


 ほ、本当にいいんですか?

 後でやっぱりダメでしたって氷漬けにされたりしない?


「ほら、何がいいのよ」


 挑発的な笑みを浮かべるスノウ。

 あ、こいつもしかして高をくくってるな。

 俺が既にウェンディと知佳に手を出したスーパープレイボーイということをどうやらご存知ないようだ。

 知佳の許可もいただいているし、俺は精霊であるお前に手を出すことを恐れるような男ではないのだ。


「……日本に戻った時、トイレ掃除一回変わってくれ」

「へたれ」


 ぷっ、と馬鹿にするようにスノウは笑うのだった。

 こんちくしょう!

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