第66話:仲直り
1.
「フレア、お前が言ってることには二つの無理が生じる。まずひとつは俺自身にその気がないこと。そしてもうひとつはローラにもその気がないことだ」
かなりセンシティブな内容なので小声で話しているのだが、本音としては大きな声で否定したいようなことだった。
そんな俺の真摯な意見を聞いたフレアはうんうんと頷いた。
よかった、わかってくれたようだ。
「なるほど、では二つとも問題はないですね」
俺はリアルにずっこけそうになる。
ダメだこの子、話が通じない。
「あのなあ……」
「まあ……今がチャンスですとは言いましたけど、今すぐ押し倒せということではないですよ、お兄さま」
押し倒せて。
そもそも押し倒さないよ。
怖いよ。
白々しい様子でフレアはそんなことを言うが、本当にそうなのだろうか。
妙な本気さを感じたのだが、俺の気のせいということにしていいのだろうか。
「そう難しい話ではありません。ローラさんから未菜さんへ向いている感情を、お兄さまへ転換させるんです」
「転換って……なんでそんなことするんだよ」
「このまま未菜さんへ感情が向いていたらまたお兄さまに危害を加えようとするかもしれないでしょう? せっかく生き延びるチャンスを与えてあげたんですから、アフターケアもしてあげませんと」
生き延びるチャンスて……
いや、フレアとしては『俺に危害を加えようとした』という時点で、俺が止めさえしなければローラをそのまま焼き尽くす動機こそあれどそれをやめる理由はないのだろう。
それで現状維持では危険だから変化を与えようというわけか。
「……けど、誰かを好きって気持ちってそんな簡単に変わったりしないだろ?」
言うは易し行うは難しの典型例ではなかろうか。
そう言うと少しだけフレアは寂しそうな表情を浮かべた――ような気がした。
「もちろん、ローラさんから未菜さんへの感情が本当に愛情だったらそうですね」
「……どういうことだ? ローラはさっき自分で未菜さんが好きだって言ってたじゃないか」
「ローラさんがお兄さまを3日間見ていたように、フレアもローラさんを監……じゃなくて観察してました」
何故言い直したのだろう。
あまりツッコミたくない領域がそこにはあるような気がした。
「その結果、ローラさんは未菜さんに憧れを抱いているとフレアは確信しました」
「……憧れ?」
「性愛ではなく、親愛……いえ、敬愛と言ってもいいかもしれません」
「つまりローラの言う好きだって言うのは、未菜さんと恋人になりたいとかそういうのではなく……」
「どちらかと言えば、未菜さんになりたかった、が近いですかね。子どもがヒーローに憧れるようなものです」
「けどそれってフレアの推測だよな……?」
「そうですけど、だってローラさんの目は恋する乙女のそれではなかったですから。結構信憑性高いと思いますよ?」
なんだ恋する乙女の目って。
俺にはさっぱりわからない概念だが……
ここまで断言されると確かにそうなのかもしれないとは思い始めてきた。
ローラが男の子っぽく振る舞ったのも、初対面の時の未菜さんの真似だと自分で言っていたしな。
それは恋愛対象になる為と言うよりは、憧れに近づく少年少女が取る行動に近いような気もする。
そしてフレアは核心をついた。
「お兄さま、女性の心の機微とか読めないでしょう? フレアを信じてください」
「……まあ……その通りではあるかもしれないしないかもしれない」
素直に認めると負けな気がする。
全くわからない……というわけではないと思いたい。うん。
いやでも決定的な読み違えの経験もあるしなあ……
「……わかった。フレアを信じるよ。で、俺は何をすればいいんだ? 俺の魅力でメロメロにするっていうのは冗談だろ?」
「現にフレアはお兄さまの魅力にメロメロですよ?」
「そ、そりゃどうも」
これだけ可愛い子にそんなことを言われれば悪い気はしないのが悲しき男の性である。
「とりあえず、フレアがちょっと種を蒔いてくるので、そこから先はお兄さまがお願いします」
「え? お、おう」
そう言ってフレアはローラに近づいていった。
どんな話をするのか気になったので聴覚を強化してみたところ、ちょうどそのタイミングでフレアがこちらを振り向いて人差し指をまるで「ダメですよ」とでも言うかのように横に振った。
……まあ魔力の流れを読める精霊なら盗聴しようとしてるのもバレるよな。
2.
盗み聞きを禁止され、手持ち無沙汰になった俺が少し離れたところで例の黒い棒相手に
「お兄さま、ローラさんからお話があるそうですよ」
……結局何を話してたんだろう。
伏し目がちなローラは何を考えているのかわからない。
そしてフレアが俺の耳元でこそっと囁いた。
「ローラさんは心身ともに疲弊していますから、彼女の母国語……英語で話してあげてくださいね」
「英語で?」
最近はキザったらしいとか言われてちょっと英語をしゃべることに抵抗を覚えているのだが……
まあそうしろと言われるのならそうするしかないか。
そのままフレアはエントランスの方へ向かおうとする。
「見ていかないのか?」
「もう安全ですから」
よくわからないが、フレアがそう言うのなら少なくともローラの方に俺を再度襲おうという気はないのだろう。
そのままフレアを見送り、隣で俯くローラに話しかける。
「……落ち着いたか?」
「あの……本当にごめんなさい。ボク……自分を見失ってたみたいで」
しおらしい様子のローラに謝られる。
何をどう話したかは知らないが、少なくともフレアや俺に怯えているということはなさそうだ。特にフレア。
俺自身に向けられている殺気ではないとわかってはいても無茶苦茶怖かったからなあ……
「構わないさ。お互い無事だったんだから、気にすることはない」
「けど……」
「日本じゃこんな言葉があるのさ――男に二言はないってね」
「……かっこいい……」
「え?」
何やらボソッとローラが呟いたが、しっかりとは聞き取れなかった。
「なんでもない。フレアの言う通りの人だって思ったんだ」
「…………」
フレアは一体ローラに何を吹き込んだのだろう。
少なくとも表情を見る限りマイナス方面のものではなさそうだが。
若干キラキラした目を向けられているのは多分気のせいではないだろう。
ローラが未菜さんに向けているのが憧れや憧憬だとして、それを俺に転換させると言っていたから大体そんな感じになるように誘導したのだろうとは思うが……
そこから先俺が何をどうすればいいかまでは指示されてないぞ。
ちゃんと上手くいくんだろうな。
そして話すネタがなくなった。
……しかし黙り込むのはあまり印象が良くないよなあ。
「明後日のダンジョンは楽になりそうだな」
「え?」
「お互いに隠していた手札が見えている状態になったんだ。これでおあいこってやつだろ?」
俺はフレア――精霊というカードを。
ローラは未菜さんしか詳細を知らないスキルというカードを。
未菜さんからも全く話が出なかったあたり、意図的に隠していたのだろう。
もちろん俺も精霊のことを隠していたので、本当の意味でおあいこだ。
……というか未菜さんは両方の秘密を握っている立場だったのか。
これは思っていた以上に心労がすごそうだ。
また今度、お礼代わりになにか奢ろうか。
「……ボクのスキルは
そう言って、ローラは掌の上に小さなブラックホールのようなものを生み出した。
いや、実際ブラックホールのように何かを吸い込みそうな感じはないのだが、そうとしか形容できない。
「このポーチに入れることができるのは重さは5kgまで。この入り口に入る大きさのものまでしか入られない」
「待て待て、機密みたいなもんだろ? 俺に教えていいのか?」
スキルの詳細を語り始めるローラに訊ねる。
未菜さんにしか話していないようなスキルだ。
そんなものをタダで聞いていいとは思えない。
「迷惑かけちゃったし……ユーマになら知られてもいいよ」
そう言って俺を見つめるローラの目はこれまでのものとは明らかに違っていた。
……マジで何言ったんだ、フレア。
後で詳しく聞いてみようか。
……いやなんか怖いから聞かないでおこうかな……
俺のあまり当てにならない直感がここは知らない方が幸せだと言っている。
「……けど、そのスキルであんな風に銃弾を曲げることなんてできるか?」
「見てて」
そう言うと、すぐそこに落ちていた小石を、黒い入り口に向かって落とす。
するとそこに吸い込まれるようにして小石は見えなくなった。
これがなんだと言うのだろうか。
するとローラはもう一つ小さなブラックホールを作り出す。
これ、何個も作れるのか。
「中身は全部共有されてるから、作った分だけたくさん入るってわけではないけどね。でもつながってるからこそできることもできる」
そのブラックホールから、横向きに小石がぽんと飛び出してきた。
「ポーチに入れたものは入れた時の全ての状態を維持するんだ。質量や温度、慣性まで――全て。だからただ落としただけの小石を横向きに発射することもできる」
……それってかなり凄くないか?
「
「それで俺の真裏や真横から銃弾が出てきたのか」
なるほど、そう聞けば合点が行く。
恐らく最初に眉間に狙いを絞っていたのも、ずっとその射線上にこの小さな入り口が浮いていたからだろう。
そして一度ポーチに入れてしまえば後はどんなタイミングでも、どんな場所からでもどんな角度からでも撃てる。
「……
何が凄いって、この使い方を思いついたのが一番凄いんだよな。
俺なら普通に何かを持ち運ぶ為のものだと思うだろう。
慣性まで保存すると気づけたとしても、こんな運用方法まで思いつくかは正直微妙なところだ。
「発想の転換って言うのかな。こういうの、俺はあまり得意じゃないから素直に尊敬するよ」
「……大したことないよ。ボクはただミナに追いつきたくて……必死だっただけだから」
「それが凄いのさ」
「え?」
「目標に向かって努力する人間を大したことないなんて言えるわけないだろ。何か一つのことを続けるってことはそれだけで凄いんだよ」
実はこの言葉、昔俺自身が言われたことの受け売りなのだが。
この言葉がなかったら俺の人生はガラリと変わっていただろう。
「……なんでそんな風に褒めてくれるの? ボクはユーマのことを……」
「鬱陶しいから、ちょっと懲らしめてやろうと思っただけだろ? そんなの誰だってあることさ」
もしローラが最初から本気だったら、曲がる銃弾の絡繰りを全く解けないまま集中砲火を食らっていただろう。
少なくとも一発目も二発目も、俺は全く理屈が理解できていなかった。
もし頭部に不意打ちであの銃弾が命中していたら、流石に俺もタダでは済んでいないだろう。多分。
「ちょっとした喧嘩をしたようなもんさ。けど、せっかく友達になれたんだ。これからもぎくしゃくしたままってのも寂しい。だから仲直りしようぜ」
俺は右手を差し出す。
その手をぱちくりとローラは見た後、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「……フレアの言った通りだね」
「……なんて言ってたんだ?」
さすがに気になって聞いてみる。
「ユーマはものすごいお人好しだって」
そう言って、ローラはぎゅっと俺の手を両手で握り、改めて謝る。
「……本当にごめんなさい」
「だから、気にすんなって」
俺は苦笑いして返す。
……とりあえずは仲直りできたってことでいいのかね。
どれだけフレアの思惑通りに進んだのかはわからないが。
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