第64話:理性が崩壊した結果
1.
知佳は平然とそのまま小さい手にシャンプーを出すと「ん」とこちらに両手を差し出してきた。
「……なんだよ」
「座って。届かないから」
……わけがわからない……。
言われた通りにバスチェアに座ると、そのまま頭を洗われる。
どんなプレイなんだこれ。
そもそももう俺シャンプーはしたんだけども。
「かゆい所ある?」
美容院か。
「……耳の裏とか」
「ふーん。自分でかけば?」
「なんで聞いたんだよ!?」
わしゃわしゃとそのまま泡立てられる。
さっき洗ったばかりなので当然よく泡立つ。
「で、何の用だよ」
「お風呂入ろうと思ったら悠真が入ってたから」
絶対嘘だろ。
お前風呂に入るときバスタオル巻くのか。
「入ってたら普通出るまで待つもんじゃないか?」
「二人で入った方が効率的」
「二人同時に洗うんならまだしもお前に洗ってもらってるんなら変わらないんじゃ……」
「細かいことは気にしない」
そう言いながら少し頭を締め付けられる。
いや別に痛くはないが。
なんなんだ一体。
しかし美容院でも思うことではあるが、他人に頭を洗われるのって妙に気持ちがいいよな。
なんでなんだろう。
手付き的にはプロに比べればたどたどしいはずなのに、その美容院で洗髪されている時よりも気持ちよく感じるのも不思議だ。
「悠真」
「んだよ」
「見えてるけど」
「見るなよ!」
股間を隠す。
こいつには恥じらいという概念がないのか?
俺は未だに何が起きているのかわからなくていまいち身動きが取れないというのに。
目の前にある姿見には身長差がありすぎて知佳の顔しか見えていないが、普段通り平然としているのだろう。
というか本当こいつ小さいな……
自己申告では140あるとのことだったが本当にそれだけあるのかも疑わしいぞ。
こいつとの初対面の時も何の疑いもなく中学生だと思ったし。
今度きっちり測ってやろうか。
「はい。あわあわー」
謎のかけ声と共にシャワーを頭からかけられてシャンプーが流される。
俺を幼児か何かと勘違いしてないか、こいつ。
次はリンスを手に取る知佳に改めて意図を訊ねる。
「で、何か用なのかよ」
「別に」
そう言って振り向いていた俺の首をぐきりと前に戻して、今度はリンスを髪になじませていく。
「なんか変な感じ」
「そりゃこっちのセリフなんだが」
明らかに変な感じを受けているのは俺であって、変な感じを仕掛けているのが知佳だろう。
「何が変な感じなんだよ」
俺がそう聞くと、知佳は端的に答えた。
「生殺与奪を私が握っていると思うと」
「今の俺って死ぬか生きるかなの?」
確かに頭部って人間にとって……というか大抵の生物にとっての急所になるんだよな。
なのに理髪店なんかではあっさり頭を預ける。
なんなら刃物を持っている相手にだ。
そう考えるとめちゃくちゃ怖いような気もしてくるが、普段はそんなこと意識しないか。
それこそ今の知佳みたいにボソッと怖いこと言われない限りは。
俺が戦々恐々としていると、辛うじて鏡で見えている知佳の頬が少し緩んだ。
「冗談」
「お前って人をおちょくってる時が一番生き生きしてるよな」
「そう思うなら観察不足」
「少なくとも4年は見てるからな?」
4年も見てて観察不足ということはないだろう。
多分。
「ずっと見てたわけじゃないでしょ?」
「いや、そうでもないぞ――いてっ」
「あ、ごめん」
爪を立てられたのかなんなのかチクリと頭に痛みが走った。
どうやらわざとではないのでわざわざ言及するほどでもないが。
知佳は何かを確認するように、先程俺が言ったことを繰り返す。
「4年間ずっと見てたって……」
「俺の交友関係の狭さは知ってるだろ? お前以外の友人なんて数えるくらいしかいないぞ。見るにしたってお前以外に誰がいるんだよ」
「ああ、そういう……」
妙に納得されたがどういうことなのだろう。
いや俺としてもなんか知佳ならこういうことしかねないな、みたいな謎の信頼があるのであまり人のことを言えないのだが。
知佳のことは友人……だと思っていたが。
思うようにしていたが。
それにしては近いようで、しかしこいつとの距離感と考えると適切なような気もするし、正直よくわからない。
「……けど、流石にな……」
「どうしたの?」
「別に」
俺はシャワーで頭を洗い流す。
「あ、まだ途中だったのに」
「うるせい」
リンスを全部流しきって、俺は知佳の方を向く。
「……なに?」
俺を見上げ、首を傾げる知佳。
「前と違って、お前はわかってて来てるんだろ。だからこうなるのも織り込み済みだよな」
スノウはウェンディにけしかけられただけだが――
知佳は違う。
俺がいる風呂場にわざわざ凸ってきているのだ。
というか、ここ最近の積極的すぎる誘いに正直もう俺の理性は限界を迎えていた。
華奢な肩を掴むと、知佳は一瞬だけ体を震わせた。
だが抵抗はしない。
その素振りすら、見せない。
「……いいんだな」
「その度胸があるなら」
知佳の答えは端的だった。
もちろん、ここで引き返す度胸の方が俺にはなかった。
2.
「やっちまった……」
2時間程度経っただろうか。
途中、不審に思ったのだろう綾乃が風呂場まで安否を確認しにきたりというハプニングを挟みながらも、結局俺は知佳との一線を越えてしまった。
「どんまい」
風呂桶に浸かりながら賢者になる俺の肩を何故か俺の膝の上で同じく風呂桶に浸かる知佳が叩く。
「お前も当事者なんだが。むしろお前が当事者なんだが!」
「合意の上だし問題ないのでは?」
何を言っているのだろうこの男は、と聞こえるようだ。
だが。
「いや、お前ももう知ってることだが、俺は既にウェンディに手を出してるんだぞ? その上でお前にも手を出してしまった。つまり俺はクズだ。人間のクズだ!」
「その件についてはウェンディと話がついてる」
「ウェンディと!?」
「フレアともだけど」
「フレアもなの!?」
俺の知らない間で話がついていたようだ。
何故? なんで?
「精霊達がいた異世界は一夫多妻制に抵抗がないと聞いた。私も別に抵抗はないし」
「百歩譲ってウェンディとフレアはそれでいいとして、お前までそれで納得していいのかよ」
「モテるなら仕方ない」
身も蓋もない話だ……
「そもそも精霊とは仲良くしないとダメなんでしょ」
「ん……まあそれはそうだけども」
「じゃあ気にしても仕方のないこと」
こいつの割り切り方、男らしすぎないだろうか。
「そもそもまだ私と悠真はそういう関係じゃないし」
「えっ」
「え?」
「……あんなことまでしたのに、違うのか?」
「あんなことまでされたけど、違うでしょ?」
当然だと言わんばかりに首を傾げる知佳。
いや待て待て。
「それはあれか? 俺がちゃんと告白してないからとか、そういう話か?」
「違う。こっちの問題……悠真の問題でもあるけど。私と初めて会った時のこと、まだ思い出してないでしょ」
「……初めてって、大学でのことだろ?」
「ハズレ。だからまだダメ」
あんなことまでしておいて!?
いやしかし、初めて会った時っていつのことだ。
「……なあ、俺ずっと隠してたんだが、実はお前のこと3年くらい前から好きなんだよ。いや、お前のことが好きだって気付いたのはここ1年くらいのことなんだけど」
「それは知ってる」
「知ってんの!?」
ならこいつは俺すら気付いていない俺の気持ちに気付いていながらからかい続けていたということか?
なんて魔性の女だよ。
「……確認するけど、お前って俺のこと好きなんだよな?」
「自意識過剰?」
「違うんですか!?」
「違わないけど」
違わないのかよ!
いや待て、俺のことを好きで、俺も好きならそれでいいんじゃないのか。
「ちゃんと思い出してくれたら、またその時に」
「うーん……」
知佳の口ぶりでは大学以前に会っているということなのだろう。恐らく。
だが全然俺の記憶に引っかからない。
少なくとも中学生以降くらいなら知佳はほとんど外見が変わっていないと思うので、流石にそれなら気付けるはずだ。
だとするとそれより前か?
いやしかし……うーむ。
「すぐ思い出せとは言わない。もう4年も待ってるから、いつでもいい。でも、いつかは思い出してほしい」
そう言って、知佳はちゃぷん、と口元まで湯船に浸かるのだった。
3.
13層最後の一匹になる全身を金属装備で固めたオークを殴り倒し魔石になったのを確認した後、俺はひと息ついた。
「これで後は14と最下層だけだな」
ローラがニコニコと笑顔で俺を労う。
「いやー、だいぶ早く終わりそうだね。ミナはもちろんだけど、ユーマがいてほんと助かるよー」
全15層からなるこの鉱物ダンジョン。
他のダンジョンの例に漏れず下に降りるにつれて段々と出現モンスターは強くなっていたが、(フレアは当然として)俺も未菜さんもローラも問題なく倒せていた。
今日は掃討を始めて3日目である。
予定よりもかなり早く進んでいる為、既に15層中13層まで来ているのだが、今日はちょっと残業して14層まで掃討し終えたら帰ろうということになった。
多少帰りは遅くなるが、一応ダンジョン内から連絡する手段はローラが持っていたのでそれでダンジョン管理局へ連絡し、そこから綾乃へ伝えて貰うという経路を辿ってみんなには既に伝えてある。
なんでも、15層に出現するモンスターは今までのものとは比較にならない程厄介なものになるのだとか。
あまり想像したくないのだが、メタル装甲のアリみたいなやつがわんさか沸くらしい。
動きも素早く硬いが、攻撃能力は大したことがなかったので攻略前はほとんど無視されていた存在らしい。
流石にボスを討伐する際に周りにいた奴は駆除したらしいが、それにもやたらと時間がかかったのだとか。
攻略時のパーティにはローラはもちろん、俺も未菜さんも(フレアも)参加していないのでこの四人で降りていった場合はもう少し楽だろうということくらいは想像できるとのことである。
ちらりと腕時計を見たローラが俺達に提案する。
「そろそろご飯にしよっか。ボクお腹ぺこぺこだよ」
「だな」
攻略済みのダンジョンはモンスターが湧かなくなる。
なのでその層全てのモンスターを掃討した後なら安息地関係なく身体を休めることができるのだ。
持参したレジャーシートを広げ、その上にフレアが作ってきた全員分の弁当を並べる。
なんと毎朝早起きしてホテルの厨房を借り、弁当を作っているそうだ。
そこまでしてくれなくても……と本人に言ったら「いいえ、これはフレアの仕事なのです!」と何故か強い語調で否定された。
いや、ありがたいんだけどさ。
めっちゃ美味いし。
ただ食べる時に凝視してくるのはやめて貰いたい。
あとなんか俺が何かを口に入れる度に怪しい表情というか、雰囲気が出ているのは気のせいだろうか。
しばらくして弁当も食べ終わり、少し落ち着いたら14層へ行こうという話の中でふとローラが話を振ってきた。
「そういえば、ミナとユーマはどうやって知り合ったの?」
一瞬俺はどう答えたものかと悩んだが、未菜さんはさらりと、
「仕事の関係でな。
ローラは少し考えるような仕草をした後、ぽんと手を打った。
「ああ、あのオジサン」
本人のいないところでオジサン扱いされる柳枝さんよ……
まあ35歳ってなるとそうなるのもやむなしか。
ローラは俺より一個下の21らしいし。
「アレの紹介で共にダンジョンを攻略している。ほら、以前言った九十九里浜の」
そして未菜さんはこちらをちらりと見てきた。
話を合わせろということだろう。
実際言っていることはあながち嘘ではない。
ローラは大げさに驚いてみせる。
「ヘー、二人でボスを倒したってこと?」
「いや、あと一人同行者がいた」
「てことは三人かあ。やっぱり凄いなあ、ミナは」
「私は大したことはしてないさ。彼ともう一人の力が大きかったよ」
謙遜する未菜さん。
そしてローラはそんな彼女を先程までとは打って変わってどこか物憂げな目で一瞬見る。
「君たちは……お似合いってやつなんだろうね」
それを聞いた未菜さんは慌てて否定する。
「え、えっ、私たちがか!? ローラ、何度も言っている通り――」
「恋人っていうのはボクの勘違いだって話でしょ? でもお互いすごく強い男女ペアなわけだし、やっぱりお似合いだと思うよ」
どこか影を感じる笑顔で、ローラはそう言うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます