第59話:お預けの理由

1.



「お兄さま……ぁ」


 熱っぽい視線を向けてきたフレアは、まるで我慢できないと言わんばかりに俺に抱きついてきて、そのまま俺に情熱的なキスをしてきた。

 唇どころか口腔内全てを貪るような勢いだ。


「ん……ふ……」


 途中途中でフレアが息継ぎするようにしてほんの少し離れる以外は、多分5分くらいずっとそうしていたのではないだろうか。


「は……ぁ……お兄さま……」


 離れた後もとろんとした目で俺を見つめるフレア。

 俺とフレアの魔力がような感覚が生まれている。

 本契約の準備段階は既に済んでいるということだろう。


 このままでは別の契約(意味深)を結んでしまうことになりそうなのでさっさと済ませてしまおう。

 既に魔力の扱いには慣れたもので、指先にそれを集まらせるくらいなら簡単にできる。


「さ、さあフレア、やるぞ」

「……はっ。すみません、フレアとしたことが、本題を忘れるところでした……」


 流石に反省したのか、フレアも大人しく着ていたパジャマの上着を脱いで、ちょっと幼い雰囲気の残る顔に見合わず豊かな胸がぷるんと揺れた。


 え、脱いで?

 別に脱がなくても、たくし上げてくれるだけでいいんだけども。

 ていうかなんでノーブラなのとか色々ツッコミたいことはあるが、とりあえず俺はサッと目を逸らした。


「何してんの!?」

「本契約の妨げになる服なんて邪魔なだけでしょう?」

「妨げにならないから! 別に妨げになってないから!」


 とんでもないことをしてのける子である。


「さあ、お兄さま。本契約の続きをお願いします」


 もうほとんどイっちゃってる目でそんなことを言われる。

 く……

 どうせ何を言っても無駄だ。

 下手に抵抗すると逆に俺が押し倒されそうだ。

 こうなったらやるしかない。


「いいか、いくぞ……」


 なるべく上の方を見ないようにしながら、本契約の為の紋様を描き始める。


「はっ……ぁっ……お兄……さま……ぁ……」

「切なげに俺の名前を呼ぶんじゃないよ!」


 ウェンディが言っていた。

 この本契約には快感が伴う、と。

 フレアがどういうわけか俺に強い執着心を持っていることはわかっている。

 ウェンディの時もそうだったが、一度そちらに転がれば止まれずにそのまま一番下まで転がっていってしまうだろう。


 フレアのもはや嬌声とさえ言っていいような声を聞きながら一心不乱に紋様を描いていると、何故俺はここまで頑張って我慢しているのだろうという気分になってくる。

 互いに合意の上なら問題ないのではないだろうか。

 既にウェンディとしてしまっているわけだし。


 ではもう我慢しなくていいのでは?

 本能に従ってしまっていいのでは?


 そんなことを考えている間に、紋様を描き終えた。


「お兄さま……これで終わり、じゃないですよね……?」


 上裸のまま俺にしなだれかかってくるフレア。

 あちこち柔らかい体が密着してくる。

 炎の精霊だからか、はたまた関係ないのかはわからないがフレアは体温が高めのようだ。

 

「フレア……」


 ぐらぐらと揺れる理性が「もう我慢しなくていいよ」に振り切れそうになるその瞬間、フレアがぱっと俺から離れた。


「え……」


 突然の転身に驚く俺。

 フレアはちらっと横を向いたかと思うと、小声で何事かを呟いた。


「……やっぱり起きちゃいましたか。これはの必要がありそうですね」


 小さすぎて聞こえなかったが、一体どうしたと言うのだろう。

 さっとフレアは上着を羽織ると、何事もなかったかのように俺に抱きついてきた。


「お兄さま――」


 耳元へ口を寄せて、小さな声で囁く。


「続きはまた今度です。すみません」

「え、ええー……」


 ほとんどその気になっていたというのに直前でお預けされて俺が悶々としている中、フレアは立ち上がって俺以外の女性陣が眠っているベッドの方へ向かう。


 ……生殺しにも程がないか?



2.



 翌朝。

 俺が目を覚ますと、知佳とフレアがやたらと意気投合していた。


「それで、悠真はかっこつけてたけど下駄を履き慣れてないせいでそのままずっこけてた」

「ふふ、お兄さまらしいですね。素敵です」


 どこが素敵だよ。

 あまり大きな声で喋っているわけでもないし、わざわざ聴覚を強化してまで聞くような内容でもなさそうなのでそのままスルーしたが、ちょっとだけ聞こえたフレーズ的に2年前の夏祭りの時の話だろうな。


 あの時は色々大変だった。


 寝ぼけ眼でスマホを確認すると、30分程前に柳枝さんから着信があったようだ。

 

 早速折り返す。


『すまないな。そちらはまだ朝早いだろう』


 ワンコールで出た柳枝さんが開口一番謝罪してきた。

 朝早いと言ってももう8時を少し過ぎているくらいなので、むしろ俺が起きるのがちょっと遅いくらいだが。


「いえ、平気です。それで、なんでしたか?」

『ティナ・ナナ・ノバックという少女の件について、アメリカ政府から君達への伝言だ』

「……アメリカ政府から?」


 あまりいい覚えのないあのパットンとかいう男のことを思い出す。

 なんか面倒くさいこと言ってきたんじゃないだろうな。


『君の心配しているようなことはない。むしろ、パットン氏の無礼を侘びておいて欲しいと伝えられた。彼のも進めておく、と……君達一体何をしたんだ?』

「いや、事前に伝えた通りの交渉しかしてないですけど……」


 元々あのパットンというおっさんはそのうち切り捨てられるだろうとは思っていたが、対応が思ったよりずっと早いな。

 昨日の今日じゃないか。


「魔法については何か聞かれましたか?」

『ああ、それについてもこちらの要求を全面的に飲む、と。だから君達がよほど強い釘を刺したのかと思ったが……そうではないのか?』

「さあ……多少魔法で脅かしはしましたけど……」


 実は俺の後ろにいたフレアやウェンディが見えないところで般若の形相でパットン達を睨みつけていたとか?

 むしろそっちの方がありえそうだが、少なくとも最後までそんな様子は見せなかったしなあ。


「まあとにかく、管理局の思い通りにできそうならしちゃっていいと思いますよ」

『それはそのつもりではいるが……そういえば、三人目の精霊を召喚したとのことだったが』


 そうだ、メールで報告はしたんだった。


「日本に戻れるように色々手配しておいてもらえると助かります……」

『それくらいは言われなくともやるさ。君達には大きすぎる借りを作っているからな』


 ビル型ダンジョンと魔法についてのことだろう。

 確かにこれに関してはかなり大きなものになるとは思う。

 とは言っても今まで迷惑をかけまくっていたわけで、多分これからも色々あるだろうからその前払い程度に思っておいて欲しいが。


「ところで、管理局内で魔法を使えそうな人は出てきましたか?」

『既に私以外に二名使えるようになっている。その二名を教え役としてもう少し時間をかければ、簡単なものは全員が使えるようになるだろう』

「流石ですね」

『……簡単なものはともかく実用性の高い魔法についてだが、君のところの精霊が教えてくれるというのは本当か? 出来れば君自身が来てくれると助かるのだが……』

「え、俺ですか? いや、俺も使える魔法なんて限られてますよ」

『ふむ……そうか、そうだよな。いや、あのスノウホワイトという少女のことを考えると、あまり精霊を刺激したくないというのが本音でな……すまない』


 うーん。

 最初の印象が悪すぎますよ、スノウさんや。

 

「言ってもよほど無礼なことでもしない限りは逆鱗に触れるってことはないと思いますよ」


 多分。

 でも念の為管理局に行く時は俺もついていこう。

 そして基本的には一番温厚そうなウェンディを連れていこう。


 あのビル型ダンジョンにいたボスのような相手でもいない限りは平気だろう。多分。


『……ところで、皆城君。これは個人的な興味に過ぎないのだが』

「なんです?」

『例のビル型ダンジョン。実際に伊敷が入っていたとして、攻略できていたと思うか?』


 ……答えづらい質問だ。

 未菜さんは人類のレベルで考えれば間違いなくトップクラスだ。

 しかし単独であのボスを倒せるかと言ったら、多分難しいのではないかと思う。

 少なくとも俺は最初から奴が本気だったらあっさり殺されていた。

 

「ボスはワープさせる変な力を使ってきますから、それを無効化できれば可能性はあると思います。一人にされれば……伊敷さんでもやられるかもしれません」

 

 一人にされたら厳しいだろう。

 しかし大人数でタコ殴りにできるなら勝ち筋はあるはずだ。

 多分、だが。


『なるほど。参考になった』

「あと……ちょっと与太話として聞いて欲しいんですが」

『なんだ?』

「あのボスは意思を持っているように感じました」

『……意思を?』

「はい。最初、明らかに奴は俺に対して手加減……いえ、遊ぶような態度を取っていたんです」


 電話の向こうで少し考え込むような間が空いた。


『我々もダンジョンの専門家としてやってきたという自負はあるが、明らかに人をいたぶって楽しむようなボス……或いはモンスターと遭遇したことはない。狡猾なモンスターはいるが、それもあくまで彼らにとっての生存本能のようなものから来ているものだと考えている』

「ですよね……あのボスからは有り体に言って、人の意思のようなものを感じたんです。俺たちを離れ離れにする時の判断にしたって、偶然にしてはできすぎていた」


 機動力に優れるウェンディを真っ先にワープさせ、こちらがまだ状況を掴めていない内にスノウも飛ばしてしまう。

 そうして残ったのは戦力的にも機動力的にも劣る俺とティナの二人だ。

 

『ロサンゼルスのダンジョンに関しては出自がまず特殊だからな。不思議なボスがいてもおかしくはない、か。君の仲間……精霊はなんと言っている?』

「初めて見るケースだ、と」

『イレギュラーばかりだな……実はまだ不確かな情報なので外部には公開していないのだが、ボスがいないはずの階層でボスのような姿と見た、という報告が全国のダンジョンから上がっている』

「それって、九十九里浜の……」

『ああ、君と伊敷が行ったダンジョンと同じ状況だ。あれのみがイレギュラーなのだと考えていたが、今後そのような状況が増えるとすれば……』

「……混乱は避けられませんよね。そしてもしボスが他の階層もうろつくようになったら、探索者どころか一般人にも危険が及ぶことになる」


 なにせ攻略前の新宿ダンジョンや九十九里浜がそうだったように、一般人にもダンジョンは公開されているのだ。

 仮に多くのダンジョンで一般向けに公開されている1層にもボスが出るようになるとすれば……


『原因がわかるまではそう遠くない内に一般人の立ち入りが禁止されるかもしれないな。今の所1層での目撃情報はないが……』

「結局細かいことがわからないと不確かなまま運用することになりますもんね……」

『そういうことだ。もしかしたら探索者にも影響が出て、武器の所持と同じように探索者と名乗る為にも資格が必要になるかもしれないぞ』

「……そうなったらダンジョン探索を主軸にしている会社にとっては相当な痛手なんじゃ」

『正直言って我々にとってはそう大した痛手ではない。困るのは中小だろうな。資金も人材も足りなくなってしまう可能性がある』

「ダンジョン開発がそれで遅れたら、とか考えないんですかね」

『その点については心配ないだろう』

「そうなんですか?」

『ただ身体能力を向上させるだけだと思われていた魔力の新たな使いみちが分かったんだ。トップ層の探索効率が上がればそれだけ攻略速度も上がる』


 あ……そっか。

 元々魔力を多く持つ探索者は多い。

 ダンジョン管理局では魔力の多さで試験をしていたくらいだ。


「魔法の存在が公になれば魔力の存在も必然的に公になりますよね。その辺りのゴタゴタは……」

『しばらくは魔力というものを知っているトップ層と、一部の政府関係者のみの極秘扱いになるだろうな』

「しばらくは、ですか」

『魔法ともなれば明確に目に見えるものな上に、やはりわかりやすい。どうしたって長い間隠し通すことは不可能だろう。問題はその情報を専有している段階でどれだけ自分たちのアドバンテージを作れるか、だ』

「なんかよくわからない世界になってきますね」

『もしかしたらダンジョンの――いや、世界の在り方が変化するかもしれないぞ』


 まんざら冗談でもなさそうに柳枝さんは言った。

 腕に自身のある者が探索者となり、魔石という新たなエネルギー資源を集めているのが現状だ。

 そこから変わるとなると――

 俺ではちょっと想像がつかないな。


「……ところで、伊敷さんは何してます?」


 重めの話題を切り替えるように柳枝さんに聞く。


『君の方からは連絡していないのか?』

「してるんですけど、相当忙しいみたいで。流石に会社の方には連絡がいっているのかなと」

『特性上記者に追い回されたりはないが、正体を知っている各国の政府関係者なんかはそれなりに遠慮なく事情を聞きに来ると言っていた。それに事情を聞きに来たものでない者もいる、とな』

「……それって」


 俺たちと同じように刺客がやってきたりしているということか。


『心配するな。ダンジョンのボスならともかく、人間相手ならまず遅れは取らん。それこそ君のように銃弾さえ防ぐだろうさ』


 まあ未菜さんなら銃弾を斬ったりしてもさほど驚きはないが。

 

『とは言えそろそろあれも暇になるだろう。そうなったときには連絡をするように伝えておく』

「お願いします」


 未菜さんにも色々迷惑をかけているからな。

 直接お礼と謝罪くらいは改めてしておきたいものだ。

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