第51話:全身全霊

1.



 スーツ姿の男――このダンジョンのボスがこちらに向かって右手を突きつける。

 その手の形は銃のハンドジェスチャー。

 つい最近に撃たれたという経験がなかったとしても、すぐに何が起きるのかは察することができただろう。


「――っ!」


 ティナを抱えて横っ飛びに飛ぶ。

 すると、俺たちが先程までいた地点を黒い光線のようなものが通過していった。

 射線にあったデスクやパソコンを当然のように綺麗に貫通している辺り、銃弾とは違って掴めたりはしないと考えた方がいいだろう。


 速度も拳銃のそれとは段違いだ。

 正直、この距離では見てから避けたり受けたりするのは不可能だろう。


 今のはわかりやすいモーションだったから避けることができただけだ。


「……にしても遠距離攻撃持ちかよ」


 スノウかウェンディが合流するまで逃げ続けるしか選択肢がないのに、相手が飛び道具搭載とはなんと運の悪いことか。


「ティナ、しっかり歯を食いしばってろよ。舌を噛んで怪我しても面倒みきれないからな」


 とにかく遠くまで逃げてなるべくこいつの直線上から逃れるんだ。

 

「ゆ、ユウマ? なにをするつもりなの?」


 お馴染み三度目の抱えられるティナが既に察している様子で質問してくるので、俺は短く答えた。


「走るんだよ」


 


2.




 抱えているティナにパシパシと腕をタップされる。


「――っ!」


 その瞬間に俺は斜め前に飛ぶ。

 すると、先程まで走っていた地点を黒い光線が貫いていく。

 抱えている体勢の都合上後ろを見れるのはティナだけだが、全力疾走している最中に喋ると危険だということで逃げている最中に思いついた光線の避け方である。


 スーツの男は遊んでいるのかなんなのか、俺たちを本気で追おうとはしていないようだ。

 

 舐めやがって、とは思うが実際この遊ばれている状態をずっとキープできるのが望ましい。

 正面から戦うことになれば勝ち目はないからな。

 

 しかし逃げ始めて5分は経ったが、二人が合流するまであとどれくらいかかるのだろうか。

 有名な話だが、追う側よりも逃げる側の方が精神的にも体力的にも消耗するのだ。

 かけっこやマラソンなんかで一度逃げる側になったことがある人には簡単にわかるかもしれない。


 今相手がどれくらい後ろにいるのか。

 あと自分はどれだけ逃げれば安全になるのか。

 この苦しみはゴールするまで続くのか。

 不安要素が出れば出るほど呼吸は乱れ、思考はぐちゃぐちゃになる。


 さらに言えばそのゴールがどこにあるのかもわからないこの状況。

 正直、いつまで逃げ続けられるかは全くわからない。


 そんなことを考えている間にもう一度腕をタップされる。

 条件反射で斜め前へ飛ぶと、すぐそこを光線が過ぎ去っていった。


 こんなことをもう何度繰り返しているだろうか。

 逃げる。避ける。逃げる。避ける。


 更には途中で何度かモンスターにも絡まれているので直線で逃げられている訳ではない。

 くそ、せめてボス部屋があるタイプのボスならまだ楽だったのだが。

 いやしかしそれだと逃げられないから一緒のことか。


 俺たちを残した辺り、あのボスにはある程度の知能はあるように見える。

 少なくともあの中で無力なのが俺とティナだということはわかっているのだろう。

 厄介な精霊二人は邪魔をされないようにどこかへワープさせた。


 今まで戦った三体のボスにそんな知能はなかったように思う。

 九十九里浜にいたタコ型のボスは不意打ちこそしてきたが、あれもどちらかを分断させようとしての結果ではなく自らが生き残るための選択だろう。


 しかしこのボスは違う。

 明らかに俺たちで遊んでいる。

 露骨な追い詰め方をしてこないのもその証拠だ。

 じわりじわりと獲物を追い詰めて楽しんでいる。


「左よ!!」


 抱えているティナが叫んだ。

 それと同時にぐいっと服の袖も左側に引っ張られる。

 反射的にそちらへ飛ぶと、俺たちのいた地点からを黒い光線が通過していった。


「……!」

 

 学習したのか。

 俺たちが何らかの合図で攻撃を避けていることを。

 利き足の都合なのかティナを抱えているのが左だからかなのまではわからないが、確かに俺は右に飛んで避けることが多かった。


 これもまた遊んでいたのだろう。

 避けられることをわかっていて、そこをそのまま狙っていた。

 だが少しずつこちらを追い詰めようとしている。

 

 徐々に死神の鎌が近づいてきている。

 

 掴まるのは時間の問題だろう。


 どうする。

 いつまでも遊んでくれるとは限らない。

 いや、今のから考えてもリミットはそう遠くない。

 それまでに二人が合流できるという保証もない。

 

 そもそもワープさせるってなんだ。

 トラップには気を配っていた。

 特殊な能力を持つモンスターのことも聞いていた。


 だがワープさせるボスが出てくるなんて流石に想定外だ。

 対応ができるであろうウェンディやスノウは初手で飛ばされ、俺たちだけが残された。


 どう足掻いてもどうにもならないのではないか。

 

 ――ここで死ぬのか?


「ユウマ、前――!」

 

 ティナがもう一度叫び、俺はハッとする。

 進行方向にスーツ姿の男が立っていたのだ。


 顔はない。

 だが、その表情はにたにたと嗤っているように感じた。


 ワープしたのか!

 そりゃそうだ、最初からこいつにワープする力があることは予測できていたじゃないか。


 スーツ姿の男はこちらにハンドジェスチャーの銃口を向ける。

 

「くそ――!」


 一瞬反応が遅れた。

 左腕を黒い光線が掠める。

 ぶしゅ、と少なくない血が吹き出る。


「ユウマ!!」

「大丈夫だ、見た目ほどじゃない」


 反応が遅れたのもそうだが、ティナに当たるかもしれないと思って避ける動作が無駄に大きかった。

 そのせいで体勢を崩した。

 痛みはまだ感じない。

 アドレナリンが出ているせいだろうか。


「くそ……遊び時間は終わりってか……!?」


 いよいよもって死が間近にいるのを感じる。

 

「ユウマ、もうわたしは置いていっていいから! あなたまで死んじゃうわ!!」


 どうするか考え込む俺にティナがそんなことを叫んだ。

 気が動転しているのか日本語ではなく英語になっている。

 彼女もまた死を間近に感じているのだろう。

 いつまでも逃げ切れるものじゃない。

 それはわかっている。


「……男ってのは、守るべき女性がいた方が強くなれるのさ。覚えておきな」

 

 ティナを安心させる為に俺も英語で返す。


 ……仕方ない。一か八かだ。

 腹を括れ、皆城みなしろ 悠真。


 どうせ瞬間移動じみた移動で追いつかれるのなら逃げるのはもう意味がない。

 ならここで戦って時間稼ぎしてやるさ。


「ユウマ、なにを――?」


 スーツの男が再び右手を構えた。

 その瞬間に距離を詰め、思い切り腹に蹴りを入れてやる。

 ズドン、と重い音と共に、俺の方が逆に体勢を崩してしまう。


「かってぇ……!」


 なんてこった。

 手応えがまるでない。

 巨大なゴムの塊を蹴ったかのような感覚。


 直後、黒い光線が発射される。

 咄嗟に今度は右腕に蹴りを入れてやる。

 今度は腹と違って相手の方に衝撃が行き、光線が発射される寸前の右腕がブレた。

 光線は脇腹を掠めていき、背後のパソコンやデスクを貫く。

 

 距離が近いだけあって避けるまでの猶予は短い。

 だが、逆に近づいた分、少しでもこのスーツの男の腕の方をずらしてやれば簡単に避けることができる。


 神経のすり減るスピードは早くなるけどな。

 それに打撃がほとんど効かないのが想定外だ。

 まさかここまで手応えがないとは思わなかった。


 ギリギリの攻防が始まる。

 スーツの男が腕を突き出す度にそれを蹴るなり殴るなりして逸らす。

 

 だが――くそ。

 明らかに体術の技量に差がある。

 

 力も相手の方が上だ。

 仮にティナを守りながらの戦いでなくとも、勝ち目の無い戦闘だ。

 それをどこか本能の部分で理解していた。


 一か八か、召喚術を試してみるか?

 だがついこの間ウェンディを召喚したばかりだ。

 魔力が足りない状態での召喚はスノウとウェンディの二人も危険に陥らせる可能性がある。

 最初の頃、スノウは言っていた。

 まだ精霊の召喚は考えなくていい、と。

 もしキャパオーバーを起こせば俺の魔力が追いつくまでは精霊は戦えなくなってしまう。

 

 そして思考は突如やってきた鋭い痛みによって打ち切られる。


 ドシュン、と。


 嫌な音がした。

 右手を逸らした直後のことだった。

 俺のへその少し上のあたりに、奴の左手が銃のジェスチャーで押し付けられている。


 ――そりゃそうか。


 

 右手ばかりに注目していたが、銃のジェスチャーで攻撃してくるやつが片手しか使えないなんてことはないだろう。

 喉元までせりあがってきた生暖かい血液を辛うじて飲み込む。

 

 あー……やばい。

 これは間違いなく致命傷だ。


 とんでもない勢いで血が流れ出ている。


 膝をついてしまう。

 もう立っていることすらも辛い。

 

 死ぬのか。


 俺は。


「いやよ、だめ! そんなことわたしがさせない!!」


 ティナが泣きながら俺の傷口に触れると、ふわりとした暖かな光がそこを包み始めた。

 スノウに治療魔法を教わっていたのだろうか。

 しかしいくら才能があるとは言っても、その練度は精霊二人とは比べ物にならない。

 傷口は塞がる様子はない。

 多少血の溢れる勢いは落ちたが、それでも助かるほどのものだとはとてもじゃないが思えない。


 ティナがスーツの男の前に立ち塞がる。


「殺すならわたしからにしなさい! この人は絶対に殺させないわ!!」


 ……ああ。

 だめじゃないか。

 手を離したら。

 

 いやでも、もう俺は死ぬからワープさせられようがされまいが同じなのか。

 

 時間……稼ぎきれなかったな。

 せめてティナだけでも守りたかった。


「きゃっ!!」


 パチン、と乾いた音が響いてティナが吹き飛ばされる。

 俺しか戦えないことに気付いているのだろう。

 後でじっくりいたぶって遊ぶつもりなのか、まだ殺しはしないようだ。


「て……めえ……!!」


 俺が死んだらスノウやウェンディはどうなるのだろうか。

 また延々と地球のどこかをさまようことになる?

 それとも主を失ったというだけでこれからもそのまま生きていくことができるのかな。


 しかし本契約した俺がいなくなれば、いくらスノウやウェンディでもボスを相手にするのはキツイだろう。

 実際、ゴーレムやタコのボスにもそのままでは勝ち目がないと言っていた。

 どうなればティナだけではなく二人も死んでしまうのだろうか。


 スーツの男の右手が俺の心臓の位置にそっと当てられる。

 トドメを刺すつもりか。

 死ぬまで眺めているつもりかと思ったが、どうやらそれにも飽きたようだ。


 俺の次はティナが殺される。

 魔力供給源マスターを失った二人もそうなるかもしれない。


 帰ってこない俺たちに知佳はどんな反応をするだろうか。

 綾乃は? 未菜さんは? 柳枝さんは?


 色んな人を巻き込んだ挙げ句、全員を巻き込んで不幸にするのか。


「――そんな、の……許されないよな……!」


 スーツの男の右腕を右手で掴む。


 とうとう抑えきれなくなった血液が大量に口から出ていった。

 体が急速に冷えていっているのがよくわかる。


「捕……まえた……」


 息も絶え絶えに呟く。

 ぴく、とこちらの言葉がわかっているかのように、スーツの男が身じろぎした。

 俺とティナの体が触れ合っている間は二人を離れ離れにできない。


 ならば、俺とこいつが触れている間も同じことではないか。


「道……連れ゛に……してや゛らぁ……!!」


 俺が死ぬ時はこいつも一緒だ。

 それ以外に全員が助かる道はない。


 スーツ男が俺の顔面を殴りつける。

 先程よりも重い一撃なのは、死ぬ間際の抵抗に焦っているのか。


 絶え間なく降り注ぐ暴力に意識を――命を持っていかれそうになりながら、俺は魔力を空いている左腕にできる限り込める。


 付与魔法エンチャントの理屈を聞いた時から、考えていたことがある。

 物質に魔力を込めて強化をするのが難しいのなら、自分の体ですれば良いのではないかと。


 しかしそれと同時に、そのリスクを聞くまでもなくなんとなくわかっていた。

 魔力を込めすぎた物は崩壊する。

 器が耐えられる魔力にも限界があるのだろう。


 何故わざわざ自分の体ではなく、物に魔力を込めるのか。

 それは自分の体が崩壊してしまうようなことを避ける為だ。


 だが、どうせ死ぬのならそんなことは関係ない。

 

「――――!!」


 スーツの男が何かを叫んだような気がする。

 だが、その声は俺の耳には届かない。


「おおおおおおおおおおおあああああああああああああああ!!!!」


 最後の力を振り絞って、スーツ男の顔面を殴りつける。

 左腕全体が馬鹿みたいに痛む。

 まるで少し気を抜いたら爆発するのではないかとさえ思う。

 

 雷が間近で落ちた時のような轟音が響いて、大きくスーツの男が後ろに仰け反った。

 左腕はまるで炭化しているかのように黒ずんでいる。

 男の腕を掴んでいた右手にも、もう全く力が入らない。


 文字通り全身全霊の一撃だった。

 だが――


 スーツ姿の男は、何もない顔面の至るところに亀裂を入れながらも、明らかな怒りを滲ませて俺を

 目なんて無いはずなのに、睨まれているとよくわかる。


 今度こそ終わりだな。

 数秒後にはもう俺は死んでいるだろう。


 やるだけやった。

 流石にあれを食らってノーダメージとはいかないだろう。

 後はスノウやウェンディがなんとかしてくれることを祈るしかない。


 俺は目を閉じ、静かに最期の瞬間を待った。


 ……しかし。


 いつまで経っても光線が発射されない。


 恐る恐る目を開けると、そこにはスーツ姿の男が悶え苦しむ姿があった。


 どころか、先程まで腹部を襲っていた激しい痛みが消えている。

 穴も――塞がっているようだ。



「――申し訳ありません、マスター、ティナ様。本当に、遅くなりました」


 ふわ、と風が吹いたかと思うと、目の前には泣きそうな顔をした翡翠の瞳の女性がいた。

 

「ですがご安心ください」


 俺から視線を切る瞬間、ぞっとする程冷たい目をしていたウェンディが言う。


「もう終わっていますから」


 スーツの男が、まるでシュレッダーにかけたかのように手足の末端からバラバラになっていく。

 音もなく、ウェンディの代名詞である風すらも吹かない。

 数秒後には大きな魔石を一つ残して、ボスは消え去っていた。

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