第38話:わからない理由
1.
「……なあ、怒ってるよな?」
「別に怒ってない」
俺は知佳と機材の買い出しに来ていた。
スノウには必要ないにしても、俺と綾乃、そして知佳自身のもの――ウェンディにも必要になるかもしれないパソコン関係のものだ。
綾乃はさほど詳しくないし、スノウやウェンディはそもそも触れたこともない。
となれば知佳が行くしかないが、荷物持ちが必要になるということで俺が同行しているのだ。
車を出すほどの距離じゃなかったので今回は徒歩だ。
世の中には徒歩5分とかのコンビニに車で行く人もいるらしい。
だが俺としてはなるべく車を使いたくない。
だって自分で持つ初めての車が2億だぞ。
ぶつけたら死にたくなるに決まってる。
……ちなみにこの買い出し自体は昨日の時点で決まっていたことなのだが、今朝からどうにも知佳の機嫌が悪いような気がする。
あまり表情に変化がないので分かりにくいのだが、不機嫌なのだ。
今日は全然からかってこないし。
俺何かしたかなあ。
虫の居所が悪い日なんて誰にでもあるが、他の人への対応は普通に見えるんだよな。
俺だけになんだか当たりが冷たいというか。
そのままてくてくと先を歩いていってしまう知佳。
昔も一度こんなことがあったな。
そんな時はどうしたっけかな……
「知佳」
俺は先を行く知佳の手を掴んだ。
「……なに。買い物、いけないんだけど」
「ちょっと話そうぜ」
……で、近場の公園まで来たわけだが。
「まさか雨が降ってくるとはなあ……」
時期的にも梅雨なので降りやすいので仕方がないことなのかもしれないが。
あいにく、二人とも傘を持っていない。
綾乃に連絡して迎えに来て貰おうかな……なんて考えていると、知佳がこちらを見上げながら話しかけてきた。
「それで、話って?」
「ん……なんだろうな」
特に話したいことがあったわけでもないし、なんとかして機嫌を取ろうと思ったというよりは……
「話したかっただけなんだよな……」
「話したい?」
「そう。最近色々あっただろ? だからこう……体験を共有したいというか。いや、違うな……ほら、共働きの夫婦って帰って来てから今日は職場で何があった、とか軽く話したりするじゃん」
「そうなの?」
「……うちの両親はそうだったな」
「ふぅん……夫婦ね」
何か意味深長に呟く知佳。
あ、もしかしてこれって社長から社員に対するセクハラになるのでは……!?
「ああ、夫婦ってのは言葉の綾っていうか、イメージの問題だからな。別にお前にセクハラをしようとかそういう魂胆ではない」
「友達だから?」
「……まあ、そうだな」
知佳は終始こちらを見上げるようにして喋っている。
首が痛くなったりしないのだろうか。
「ちょっと屈んで」
「なんだ、やっぱり痛いの――」
か、と言い終わる前に。
知佳の唇が俺のそれに触れる。
バニラのような甘い香りがする。
「ち、知佳!?」
俺は慌てて離れる。
いつものようにからかおうとして偶然触れてしまった事故だろうか。
だって、それは流石にからかいにしては行き過ぎているだろう。
「嫌だった?」
じっと知佳は俺のことを見つめる。
黒瑪瑙のような瞳で、俺のことを見透かすように。
「嫌……とかじゃないけど。お、お前いいのかよ。俺とキスなんかして」
やばい。
顔が赤くなっているのがわかる。
「いいよ」
か、軽い……
「悠真となら、別に」
「俺とならって……お前なあ」
「びっくりした?」
とと、と俺から少し離れて知佳はからかうように言う。
「……びっくりなんてもんじゃないけどな」
「すごい顔だった」
「すごい顔にもなるわ」
「実は写真に撮ってたり」
「マジで!?」
「うそ」
知佳はどうやら満足したようで、いつもの様子に戻っていた。
結局何に対して怒っていたのかはさっぱりだ。
――もしかして知佳は……
……いや。
あの時のような勘違いだろう。
誰に対してもこういう距離感、ではない。
多分俺だけに対してだ。
それは分かっている。
だが、こいつにとっては距離感の近い友達で――俺にとっては大事な友人だ。
それで良い。
「ったく……」
雨は止み、太陽の光が差し始めていた。
どうやら通り雨だったようだ。
これなら綾乃を呼ばなくても済みそうだ。
2.
「高い……」
「……やっぱそうなのか? 一つのパーツに20万って、目ン玉飛び出るぞ全く」
結局あの後、俺だけが突然のキスに動揺しながらも普通にPCパーツを売っている店まで来たのだが……
「最近はマイニング需要なんかでグラボが高くなってるから、大変。魔石のお陰で電気代を気にしなくて良くなったからなおさら」
「マイニングやらグラボやらは俺にはよくわからないけど……金ならあるから別にいいんじゃないか?」
「おお」
知佳が俺の方をわざとらしく驚いたように見る。
「なんだよ」
「おーかねもちー」
「もうちょっとテンション上げて言わないと意味わかんないからな?」
「それじゃこっち」
知佳が俺の手を握ってどこかへ連れていこうとする。
女子と手をつなぐだけでドキドキしてしまうのだが、これは俺がおかしいのだろうか。
あと相手が知佳ということもあって、通報されないかという別の意味でのドキドキもあるかもしれない。
俺の手を引きながら前を歩く知佳はそんなことどこ吹く風で、俺をとあるコーナーへ連れてきた。
「……はあ!?」
俺の見間違いでなければ150万以上のパーツがそこには置いてあった。
置いてあるというか、展示されていた。
店内一品限りと書いてある。
「PCパーツ市場自体はダンジョンの出現でさほど変わらないから、一番高いのでもこれくらいのしかないけど……」
「なんでちょっと申し訳なさそうなんだよ。こんなの買っても使いこなせないだろ」
「私は使いこなせるけど」
「お、おお……けどな……?」
「ふーん」
知佳はぷいっとそっぽを向いた。
こ、こいつまさか……
「また話してあげないかも」
「お前わかりやすく調子に乗ってるな!?」
さっきはなんか……知佳との関係が悪化するのが嫌で本音を漏らしてしまったが、こうなると完全に言質を取られた形というか、もはやからかいの材料にしかならない。
「夫婦がどうとか……はっ」
知佳はわざとらしく何かに気付いたような表情を浮かべた。
お前の表情筋がそんなに動くの久しぶりに見たわ。
「セクハラ……!?」
「お前別に気にしてなかったよな!?」
そしてちらちらと俺と150万のパーツを交互に見る。
こいつ……!
「……わかったわかった。好きなもん選べよ。それこそ金ならあるしな」
「ひゅーふとっぱらー」
やはり無表情で抑揚のない声で適当に俺を持ち上げる知佳であった。
3.
「一つのPCに200万以上かかるってマジかよ……車買えるじゃん……」
結局。
後日届くものもあるので、纏めてその時に届けてもらうということで荷物持ちたる俺は何も持たずに帰路についていた。
「買えないでしょ? 同じものあと100個買わないと」
「2億する車なんてそもそも普通は選択肢に入らないからな!?」
結局、150万するパーツが一つしかないのとそもそも知佳しかそれを使いこなせる人材がいないので合計で200万するPCは1台だけになったのだが。
「にしたって、残りの3台のPCも40万くらいはするわけだからなあ……」
合計で320万。
最近金銭感覚がえらい勢いで狂っていっているような気がする。
前を歩く知佳が振り向く。
「実際、一般的な価値観で見ればともかく、会社の所有物と考えればそう高い買い物でもない」
「……まあ、それだけ稼ぐことにはなるだろうしな」
そういう意味ではそうなのかもしれないけど。
……にしてもすっかり機嫌が治っているな。
やはり知佳の表情は特にいつもと変わらない無表情ではあるが、雰囲気は明らかに出発前とは全然違った。
もしやあのキスで機嫌を治したのか?
……まさかな。
あまり意識するとまた顔が赤くなってしまいそうなので少し視線を外すと、歩道の植え込みにある少しだけ季節外れの白いツツジが、雫を反射して太陽できらめいていた。
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