第36話:本契約の真実
ウェンディがゆっくりとベッドに脚を乗せる。
体重分だけマットレスが沈むのを背中で感じる。
表情は先程までと全く変わらないのに、じっと俺のことを見つめる翡翠色の瞳がやけに色っぽく感じた。
「……綺麗な瞳だな」
翡翠、と言っていることからも分かると思うが、まるで宝石のように綺麗な瞳だ。
透き通るような透明感を持っていながら、深緑の確かな意思を感じる。
吸い込まれそうな瞳、というのは比喩ではよく使われる表現だが、これ程までにその言葉の合う瞳もなかなかないと思う。
俺の不意の褒め言葉にウェンディはきょとんとした表情を浮かべていた。
これだけ綺麗な瞳なら褒められ慣れているだろうに、何を驚いているのだろうか。
「私の瞳が綺麗、ですか」
「ああ、だってそうだろ?」
俺が普通に頷くとウェンディは少しだけ微笑みを浮かべた。ような気がした。
「スノウの髪が何故白いか知っていますか?」
「え……氷の精霊だから?」
「その通りです」
え、そうなの?
我ながらかなりの適当さ加減だと思ったのだが。
「私たちのような力を扱う者は己の持つ力が身体的特徴として現れる傾向にあるのです」
「そういうことか……風を操るウェンディは瞳や髪の一部が翡翠のような色になっているのもそういうこと?」
「はい。私は瞳と髪の一部――一般的には、優れた者ほど分かりやすく特徴に現れると言われています。瞳なんかは目立ちにくい部類ですね」
そうなのか。
つまりスノウの方が能力的に優れている?
俺はそうは感じなかったけど。
本契約前での比較しか出来ないが、普通に同等クラスの力を持っているように思う。
翡翠のような瞳、か。
「俺は綺麗で良いと思うけどな」
「今までにそう言ってくださったのは私の姉妹と、両親だけです」
「へえ……この世界には今ウェンディの言ったような常識はないから、色んな人が褒めてくれると思うぞ」
「そうですか」
ふ、とウェンディの表情が柔らかくなった。ような気がする。
「スノウから話を聞きました。貴方のようなお方がマスターであったことは私たちにとって、とても幸運なことです」
言いながら、ウェンディは長く細い指を俺の身体に這わせてくる。
ぞくぞくするような快感が皮膚から伝わってくる。
しかしスノウから話を聞いたって……
どこからどこまでの話なのだろう。
あんなことやこんなことまで話されていたとしたらちょっと、いやかなり気まずいのだが。
「では失礼します」
そう言うとウェンディの顔が急接近し、柔らかな唇が俺の唇と触れる。
ふわ、とミントのような香りがする。
しばらくすると、スノウとの本契約時にもそうだったように二人の間でパスのようなものが繋がっていく感覚がじんわりと浮かんでくる。
ここがベッドということもあり、そのまま押し倒してしまいたい衝動に駆られるが――ギリギリで我慢する。
ややあって、ウェンディの顔が離れていった。
「初めて接吻というものをしましたが、なるほど、親愛の表現だと言われる所以も分かります」
ウェンディがそっと自分の唇に触れる。
そんな様子でさえアダルティだ。
「手順は覚えていますでしょうか、マスター」
「あ、ああ」
スノウとのキスから始まったあんな鮮烈な体験、忘れられるはずもない。
既に頭の中には描くべき紋様が浮かんでいる。
ウェンディは俺の隣に寝転がった。
「ウェンディさん!?」
「立っているよりは寝転がった方が描きやすいと思ったのですが、違いますか?」
「違わない……けど……」
男の寝ているベッドに寝転がるということがどういういことかわかっていない……訳ないよな。
つまりこれは俺を信じてこういう状態になっているということだ。
あるいは据え膳……いやダメだこういう考え方は。
よろしくない。非常によろしくない。
俺の葛藤を余所に、ウェンディはぺろんとパジャマをめくって下腹部を露出させた。
余計な脂肪のついていないなだらかな肌だ。
……しかしスノウのときは緊急事態だったからこういうことはあまり思わなかったが、ここまで綺麗な肌だと紋様を描くこと自体がなんだか背徳的なものに感じるよなあ。
「……マスター、あまり凝視されては私も少し恥ずかしいです」
「ごめんなさい」
指先に薄い緑の光が灯る。
スノウの時は白だったが、精霊ごとの属性に合わせて色が変わるのだろうか。
「……じゃあ描くぞ」
スノウの時は相当痛そうにしていたからな。
なるべく優しく(どう優しくすればいいのかはわからないが)するのを心がけよう。
「はい、お願いします、マスター」
相変わらず無表情のウェンディの腹につん、と指先を触れさせる。
その瞬間、ウェンディは眉をひそめて目を閉じた。
「んっ……」
やはり痛いのだろう。
なるべく優しくを心がけるのだ。
「くっ……ふっ……」
びく、びく、とウェンディの腰が震えている。
何かをじっと耐えているような表情だ。
……これさ。
俺の勘違いじゃなければもしかして痛いんじゃなくて……
いや、違うな。
俺が邪な目で見ているからそうなるだけだ。
「ます……たー……」
「ど、どうした?」
7割程度を描いたところで、なるべく優しくを心がけているのだが、それでも痛いは痛いようでウェンディに制止の声をかけられた。
「指先の魔力が……弱いです。これでは粗が出来てしまうので……また最初から……」
「……まじか」
優しくしようとしていたのが裏目に出てしまったということか。
既に魔力の扱い方を多少は心得てる分、余分な気遣いが指先の魔力の方に現れてしまったのだろう。
指先に魔力を集中する。
以前は何も意識しなくとも勝手に灯っていた光だが、もちろんこうして意識することもできるようだ。
そして再びウェンディの腹に触れると、
「――っ!」
びく、とウェンディの体が震えた。
「なっ……! 大丈夫かウェンディ!?」
慌てて顔を見ようとすると、ウェンディは自分の腕で顔を隠していた。
隠しきれていない頬が紅潮しているように見える。薄暗くてよくわからないけど。
「み、見ないでください……」
「えっ?」
「あ、いえ、大丈夫なので、気にしないでください……」
しかし今の痙攣のしかたは普通じゃなかったぞ。
本当に大丈夫なのだろうか。
……まあ本人が大丈夫だと俺に気を使っているのだから、俺としてはその好意を無碍にするわけにもいかない。
魔力を灯し直した指先でなるべくゆっくりと紋様を描いていく。
「……っ……! ふぅ……っ……! んっ……!」
あれだけ表情を崩さなかったウェンディが今はもう完全に腕で顔を覆ってしまっている。
相当苦しいのだろう。
早く開放してあげたいが、早すぎても痛いというのはスノウのときにわかっているのでさっさと描いてしまうことはできない。
そして数分後、ようやくすべての紋様を描ききった。
「お、終わったぞ」
「っ……は、……はい、……んっ……マスター……、おつかれさま、でした……っ」
明らかにお疲れているのはウェンディの方なのだが、俺を労ってくる。
しかし途中でちょくちょく身を捩っていたおかげで衣服が乱れている上に、顔を隠して息が荒いとなるとこう……
男としての本能的な部分が顔を覗かせそうになるな。
ウェンディが復活するまで悶々としながら更に数分間待っていると、ようやく落ち着いてきたウェンディが改めて俺に労いの言葉をかけてきた。
「……お疲れさまでした、マスター」
「お、おう……」
なんかめっちゃ色っぽい気がするぞ、ウェンディ。
なんでだろう。
ただ痛いのを我慢していただけなはずなのに。
「……相当痛かったんだろうな」
「え? 痛い……ですか?」
「だって、かなりの痛みを伴うんだろ? この本契約って」
「……いえ、痛いどころか私達精霊にとっては、どちらかと言えば快楽に近いような感覚なのですが……」
どことなく恥ずかしそうにウェンディがそう言った。
「…………」
え?
快楽?
痛いんじゃなくて?
いやでも言われてみればそういう反応にも見える。
スノウの時もそうだ。
……マジで?
「あ、ふーん、そうなんだ。ならまだ痛いよりはよかったなー俺ちょっと用事思い出したから外でも散歩してくるわ」
ここにいたらまずい。
主に俺の理性が。
そうだったと考え始めるともう若いリビドーが止まらなくなってしまうような気がする。
俺が慌てて立ち上がろうとすると、ウェンディがくいっと俺の袖を引っ張った。
「……ウェンディ?」
「スノウから話を聞きました。魔力を増やす方法のうち、いくつかは既にマスターに伝えてあると」
……魔力を増やす方法のうちのいくつか……?
ダンジョンに潜るのと、精霊と仲良くなるのとで2つじゃないのか……?
「……そういえば、今の俺にはできない手段でなにかあるとかなんとか……」
「はい、そうです。ですがそのできない手段を今すぐにでもできる手段と代用する方法があるんです」
できない手段をできる手段と代用……?
「できない手段、の方は魔力を肌を通じて直接精霊に流し込み、私達との間にある魔力的な繋がりを鍛えるという方法です。他人に魔力を流すのにはある程度魔力の扱いに精通している必要があるので、今のマスターでは少し難しいかもしれません」
「な、なるほど……?」
魔法を使うときにスノウに一度やってもらったあれか。
確かに、同じことをやれと言われてもちょっと無理かもしれない。
「もう一つは肌ではなく、粘膜を通じて――魔力を多く帯びる体液を直接体内へ取り込むことです。できれば――」
ウェンディは己の下腹部に触れる。
「この紋様に近いところで」
……流石に俺でも言わんとすることがわかったぞ。
というか、この状況でこんな話をされればアホでも察することができるだろう。
つまり魔力を多く帯びる体液とは――
「そしてもうひとつメリットがあります。互いの欲求を解消できる、という大きなメリットが」
そのままウェンディはぐいっと俺の袖を引っ張って、ベッドに引きずり込んだ。
その時にうまく体勢を変えたのだろう。
まるで俺がウェンディの上に覆いかぶさっているような形になる。
「あ、あの……」
「ここから先、どうするかはマスターのご自由です。ですが私の望みとしては――」
先程触れ合った唇が艶かしく動く。
「このまま、マスターのしたいようにしてくださればと」
――拝啓、お母さん。
僕は今日、大人の階段を一歩登りました。
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