第35話:風の精霊

1.



「ご命令をどうぞ。マスター」


 成功……したのか?

 俺のことを主人マスターと呼ぶのは一番最初のスノウと同じだ。

 それに雰囲気も彼女に似ている。

 

「君は……精霊なのか」

「ええ、貴方の精霊でございます」


 目の前の女性は恭しく頭を下げた。

 スノウとは随分態度が違うが、こちらの方が正解なのだろうか。

 いや、今はそんなことはどうでも良い。

 精霊だと言うならば、今やって貰うことは一つだけだ。


「すぐそこの水場にボスが潜んでるんだ。タコみたいなやつ。なんとかして倒せないか!?」

「不可能です。仮契約状態ではボスを倒せる程の出力は出せません」


 ピシャリと断言された。

 一瞬頭が真っ白になりかけたが、すぐに考え直す。

 こんなことをしている間にも未菜さんは引きずり込まれているんだ。

 わざわざ数分もかかるような本契約をしているような時間はない。


「なら活路を開いてくれ! 水を押しのけるんだ!!」

「承知しました」


 つい、翡翠色の瞳を持つ精霊が指先を水面に向けた。

 かと思えば、突風が吹いてまるでモーゼの逸話のように湖が割れる。

 湖底にいるタコ型ボスの全容と、タコ足に絡みつかれて藻掻いている未菜さんが目に入った。

 まだ生きている。

 ならば助けられる。


 地面を思い切り蹴って、一気にボスの元へ向かう。


「――何故来た!?」


 未菜さんが俺に向かって叫ぶ。

 自分もギリギリの状態だろうに、それでも俺を案じるのか。

 尚更助けなければならない。


 未菜さんを捕まえている足の根本を掴んで、右手を手刀の形にして一気に突き刺す。

 ぬめぬめとした生暖かい感触が気持ち悪いが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 集中しろ。

 さっきも出来たのだから、もう一度出来るはずだ。


「ぐっ……おおおおお!!」


 一瞬の焼け付くような痛み。

 右の掌に火球が生まれ、タコ足が根本から吹き飛んだ。

 これで未菜さんを捕らえていた足はなくなった。

 しかしこれまでの緊迫状態が相当キツかったのか、未菜さんはいつの間にか気を失っていた。

 担いでこいつから逃げられるか?

 既にタコはこちらに気づいている。

 あの触手から走って逃げるのは幾らなんでも無理だ。

 俺一人ならともかく、気を失っている未菜さんを担いでの移動は危険すぎる。

 やるしかない。

 

 何発かは貰う覚悟で本体に近づき、先程と同じ要領で爆破する。

 しかし規模は比べ物にならない程大きく、だ。

 一撃で仕留めなければ俺が死ぬ。

 

 動き出そうとしたタイミングで、最初の触手が近づいてきた。

 避けている暇はない。

 耐えれるはずだ。

 何発か貰っても死にはしないと信じろ。


 ――と。

 俺に当たる直前で、足が切断されて吹っ飛んでいった。

 未菜さんは気を失っている。

 なら、と思って上を見上げると、こちらに向かって召喚した精霊が腕を向けているのが見えた。

 何の力かは分からないが、彼女がやってくれたのだろう。

 

 本体に近づく間にも何本も触手が迫ってくるが、その全てが俺に辿り着く前に切断されている。

 これだけの数をこれだけの精度で切り払うとは。

 仮契約状態でこれだと言うのなら、本契約したらどれ程の強さになるのか。

 

 遂に本体に辿り着き、全力で手刀を突き刺す。

 腕全体がタコの体内に入ったかというタイミングで、例の魔法を使う。


「く、た、ばれ――!!」


 身体中の魔力を一点に腕へ集めるイメージ。

 そしてそれ全てを炎に変え、爆発させる。

 激痛が走るのと同時に、今までにない規模の炎が炸裂した。


 ――が。


「……足りない……のか……!」

 

 炎は炸裂したが、タコ自体が大きすぎる。

 この程度の爆発の規模じゃとてもこいつは倒せない。

 もう一度やるか?

 今度は腕が吹っ飛ぶかもしれない。

 しかしやるしかない。


「お下がりください、マスター」

「……え」


 いつの間にか、俺の隣に召喚した精霊が立っていた。

 

「そこで気を失っていた女性は上へ退避させました。後はお任せください」


 ぶわ、と風が巻き起こる。

 ボスの身体でくすぶっていた炎が一気に燃え広がる。


「私はウェンディ。風を司る精霊です。ボスを直接屠ることは今の私では不可能ですが、マスターの魔力がこれだけ高密度に込められた炎があるならば、煽る・・だけで十分ボスを倒し得ます」


 瞬く間にボスは身体全体を炎の包まれ、苦しむように燃える足を振り回すがそれらは全て俺たちに届く前に切り落とされていく。

 風。

 そうか、風か。

 風に煽られた炎は勢いを衰えさせることもなく、長時間に渡ってボスを焼き続けた。

 



「……助かったよ。ウェンディ……で良いんだよな?」

「はい、マスター。しかしお礼は不要でございます。私は貴方の所有物ですから」

「所有物て」


 ボスが燃え尽きるのを確認してから、俺たちは湖底から戻った。

 直後にずっと風で余所に押し寄せられていた水が戻っていった。

 仮契約前のスノウの力の規模から考えても、これだけも相当な力を使っていたのではないだろうか。

 

「召喚直後に無理させて悪いな」

「お気になさらず。それが私の使命ですので。それよりもマスター、右腕の治療をいたします」


 とことんスノウとは違うな。

 しかしこうも下手に出られると逆にやりづらくも感じるのは、俺が日本生まれの庶民だからだろうか。


「俺より先に未菜さんを……そこの女の人を治してくれ」

「肋骨が7本、両腕の骨折および筋組織の断裂、肺にも損傷があります。見た目以上に彼女は重症です」

「そ、そんなに……!? なら尚更早く治してくれ!」


 俺が死にかけた時もスノウが治してくれた。

 恐らく精霊には人を治癒するような力があるのだろう。


「彼女を治せば、マスターの腕を治す程の余力は残りません。しばらく時間を置く必要があります。それでもよろしいのですか?」

「ああ、もちろんだ。俺の火傷なんてツバつけときゃ治る」

「絶対にそれでは治りませんが……承知しました。では彼女から治療します」


 そう言うとウェンディは両手を未菜さんにかざす。

 視覚的には見えないが、今の俺なら辛うじて分かる。魔力が未菜さんに流れていっているんだ。

 しばらくすると、険しかった未菜さんの寝顔がだいぶ穏やかになった。

 

「後は待っていれば目を覚ますかと」

「ありがとう、助かったよ」

「……マスターの治療はあと三時間程待っていただくか、この場で本契約をすればすぐにでも治せますが」


 サラッと言ったが、この場で本契約はまずいだろう。

 周りにはモンスターがまだうようよいる。


「家に戻ろう。スノウに治して貰うよ」


 俺がそう言うと、ぴくりとウェンディの眉が上がった。


「スノウ? スノウと仰いましたか?」

「え? ああ、うん。氷を司る精霊なんだ」

「よく知っています。あれは私の妹なので」

「へえ、そうなのか。……え?」


 ……マジで?



2.



「……やっぱり……ウェンディお姉ちゃん……」


 帰ってきた俺たちを出迎えたのはスノウだった。

 というか、ではなくウェンディを迎えたのかもしれないが。

 社用車という名の超高級車があって助かった。

 さすがに右腕がボロボロな俺に、魔女っぽい格好のウェンディと気を失っている未菜さんが電車なんかで移動していたら余裕で通報される。

 ちなみに帰りの運転をしてきたのはウェンディ。

 多分免許とか持ってないと思うけどこの際気にしないことにした。

 俺が片腕で運転するのとどっちがマシだったかと聞かれると微妙なラインだし。

 で、運転席から出てきたウェンディを引きつった顔で見ているのが珍しく玄関まで出迎えに来ていたスノウという訳だ。


 しかし何故スノウは引きつった顔なのだろう。

 姉妹……ということはウェンディから聞いたが。

 感動の再会とまでは行かなくとももうちょっと嬉しそうな反応すると思っていたのだが。


 とか考えていたら、ふっとウェンディがスノウに笑いかけた。


「久しぶりですね、スノウ」


 すると先程までの不安そうな表情が嘘だったかのように、スノウはぱっと笑顔を浮かべる。

 初めて見る表情だ。

 やはり姉妹ということで気を許せる存在なのだろう。


「ウェンディお姉ちゃん……!」


 たた、と走り出してスノウがウェンディの胸の中に飛び込む。

 それをウェンディは優しく抱きとめた。

 スノウの顔は見えないが、肩を震わせている辺り泣いているのかもしれない。

 良かった。

 やはり感動の再会じゃないか。

 

「私たちが待ち望んでいた<希望>は現れていたのですね」

「うん……!」


 希望?

 何の話だろう、と思いながらも姉妹の美しい姉妹愛を眺めていると、不意に空気感が変わった。


「それはそうと、スノウ。一体これはどういうことですか」

 

 ビクッ! とスノウの肩が震える。

 ……あれは……泣いている訳じゃなさそうだな……


「ウェンデイお姉ちゃん、あたし泳げないの……知ってるよね? だからその、ボスにさえ会わなければ安全だって思ったから」


 スノウが珍しく慌てている。

 流石の彼女も姉には頭が上がらないのだろうか。


「帰り道で聞きましたが、ボスのいる階層ではないはずなのにボスに襲われたとマスターは仰っていました。前代未聞の事態ではありますが、自分の苦手分野を克服しないで逃げた貴女にも落ち度はあります」

「はい……」


 おお……

 あのスノウが完全に萎れている。

 恐るべし、『ウェンディお姉ちゃん』。

 

「もしマスターが私の召喚に失敗したら、彼は命を落としていたかもしれません」

「は、はい……」

「はい、ではないでしょう」

「ごめんなさい……」


 スノウがしゅんとしている。

 あのスノウが!

 まさかこんな光景を見ることがあるなんて。

 

「しっかり反省しなさい。それから、マスターが負傷しています。治してさしあげなさい」

「はいっ」


 返事が良いな……

 明らかに主人マスターなはずの俺よりも姉であるウェンディの方を上として見ているような気がするぞ。

 しかしそれを突っ込んで後で痛い目を見るのは俺だと分かっているので、歩み寄ってきたスノウに黙って右腕を差し出す。

 魔力が流れ込んできて、徐々に火傷が引いていく。

 痕も残りそうにないのはどういう理屈になっているのだろうか。


「その……ごめん、悠真。あたしも着いてくべきだった」

「いや、ウェンディはああ言ってるけどさ。実際不測の事態だった訳だし、仕方ないって。ある意味俺たちを信じてくれてたから着いてこなかったようなもんだろ?」


 正直どうしようもないと思うし、俺も。

 ウェンディも言っていたが、あんなの前代未聞の事態だ。

 10年間全くそんなことがなかったのに急にあんなことが起きてしまうのだから。

 しかし実際にスノウも引け目には感じているようで、俺の前でもしょんぼりしていた。

 

 なので治して貰った右手でスノウの頭をぽんと撫でる。


「ま、あんまり気にすんなよ。結果生きてるんだからさ」

「……気軽に撫でないでよ、ばか」


 慰められていると分かったのだろう。

 多少いつもの調子に戻ったスノウは、小さな声だがそう言うのだった。



3.



 どうやら未菜さんはかなり体力を消費したようで、まだ目を覚まさない。

 あの後念の為スノウも彼女の身体を診てくれたが、問題なく治療は行われていると言う。

 柳枝やなぎさんに一報入れた後、今は客間に寝かしてあるので、そのうち起きてくるだろう。

 で……。

 それでは夕食にしようというタイミングで俺が立ち上がると、ウェンディがスノウに向かって「まさかマスターに食事を作らせていたのですか?」とお冠だったので、今はその姉妹二人が台所に立っている。


 そして知佳と綾乃はまだ状況を上手く飲み込めてはいないようだったが、とりあえず何故か俺を挟むように両脇に座って俺と一緒にテレビを見ていた。

 結局知佳と綾乃の二人ともなし崩し的にほとんど同居みたいになっているのだ。

 あれ、これにウェンディも加わるとなると一気に5人になるな……?

 

 最初は二人だけだったはずなのにいつの間にかまあまあな大所帯である。

 

 あちらはあちらで積もる話もあるのだろう。

 あまり聞き耳をたてないようにしながら、俺はのほほんとテレビを眺める。


「……スノウのお姉さんって言ってたけど、あの人も精霊ってこと?」


 知佳があちらに聞こえないようだろう、小声で囁く。

 というか耳元で囁くのやめて欲しいんだけど。

 こしょばゆいから。


「そういうこと。今日召喚したんだ」

「ふぅん」


 知佳はそれだけ聞くと、他に特に詮索することはないようでそのままテレビを見る作業に戻った。

 俺の隣をキープしたまま。


 そんな俺たちを綾乃はちらちらと見ながら、何やら挙動不審な動きをしている。

 謎である。


 ……しかし、どの番組も新宿ダンジョンのことばかりを報道しているな。

 これに加えて九十九里浜のことまで知れ渡ったらこのお祭り騒ぎは更に継続されることになるのだろうか。


 ちなみに魔石はウェンディがしっかり回収してくれていた。

 というか、凍ったり燃えたりしても傷一つついてない辺り、魔石ってかなり頑丈なんだな。

 硬度的にはダイヤよりも上、なんて話も聞いたことはあるがただ硬いだけではなさそうだ。

 

「ん……」


 俺も流石に無茶しすぎたのか、睡魔が襲ってきた。

 しかしせっかく食事を作ってくれているのに、今寝るのは忍びない。

 いやでもねむ……

 

 …………。


 ……。



「ん……?」


 目を覚ます。

 寝起きでぼやける視界の中、ここが自分の寝室だということに気づく。


「んー……」


 どうやら食事を取らないで眠ってしまったようだ。

 今の時間は分からないが、かなり遅い時間に目が覚めてしまったのかもしれない。

 目が闇にもなれ、少しずつ鮮明になっていく中、扉がゆっくり開くのが目に入った。


「……目を覚ましていらしたのですね、マスター」


 部屋へ入ってきたのはウェンディだ。

 スノウから寝間着は借りているらしく、見覚えのある可愛らしいデザインのパジャマを着ている。


「今起きたところだ……何時?」

「夜中の二時です」


 とすると、結構長いこと寝ていたんだな。

 大体気を失ったのが19時から20時くらいだろうから。

 しかし今目を覚ましてしまうと寝れないよなあ。

 

「ところで、ウェンディはなにしに?」

「汗を拭こうかと思っていたのですが」

「自分でやるよ……ってて……」


 動こうとして、脚が筋肉痛のように痛むことに気づいた。

 いや、実際筋肉痛なのだろう。

 かなり酷使したからな……

 

「やはり私が拭きましょう」


 入ってきた時には気づかなかったが、ウェンディは濡れたタオルを手に持っていた。

 しかし今近づかれるとまずい事情がある。

 今は夜中とは言え、俺は寝起き。

 男性諸君は起きた直後の自分のデリケートポイントのことを思い起こしてみてほしい。

 どうなってる?

 つまりそういうことだ。

 毛布を剥がれ、いざ俺の身体を拭こうとした段階で、ウェンディは動きを止めた。


「あら……」


 見られてる!

 完全に!

 

なのですね」

「お、お陰様で……」


 なんと返したら良いのか分からないので意味の分からないことを言ってしまったが、ウェンディはさほど気にもとめていないようだ。


「ところで、マスターがよろしければ、早めにを済ませてしまいたいのですが」

「え……」


 それってつまり、ここでキスしてお腹を見せてもらうってこと?

 ベッドですよ? ここ。

 

「もちろんマスターが嫌だと仰るのであれば後日に回しますが」

「嫌ってことはないけど……」

「では……」


 ぎし、とウェンディがベッドの上に上半身を乗せる。

 無表情な上に、別に露出の多い格好をしているわけでもないのに。

 

 どうやら俺は今からかなり精神力を試されるようだ。

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