第34話:異様な気配

1.



 俺が地図を見て動くようになって、二時間程で10階に辿り着いた。

 ボスエリアは11階にあるので、スノウ無しで来るのならここが限界だろう。

 一度も安息地を利用していないが、二人ともさほど疲れていないのでそのまま探索をすることにする。


「しかし先程から何度か雑魚と遭遇しているが、難なく捌いているな」

「これくらいはなんとでもなりますよ。問題はボス級の奴です」

「それは私も厳しい。というより、一人でボスクラスを倒したのは一度しかない。君とのタッグでならやれそうなボスも何体かは思い浮かぶが、ここのは難しいだろうな」


 ……ボス一人で倒したことあるの?

 正直それだけで俺からすればかなり尊敬なんだけど。

 あのゴーレムにも首なし侍にも、一人で勝てるかと言われたら答えはノーだ。

 だがそんな未菜さんがいて、更に曲りなりにもそれなりの戦力になる(はずの)俺がいるのに難しいとは。


「そんなに強いんですか?」


 どちらかと言えば自信家の未菜さんが消極的なことを言うとは。

 二人でなら倒せる! くらいの勢いで来るのかと。

 負けず嫌いだし。


「強いと言うよりは厄介、だな。常に水の中にいるタコ型のボスなので決定打が無い。過去には電撃や狙撃で倒そうと試みた者もいるそうだが、結果は今私たちがここにいるということが物語っているな」

「へえ……今度本格的に攻略しに来る時はなんとかスノウを説得して連れてきましょうか」

「彼女なら……やれるんだろうな」

「多分ですけど。精霊ってとんでもないですからね。地球を氷河期にすることも出来るって言ってましたよ」

「恐ろしいものだ。その主人マスターが君のような善人で良かったよ」

「悪いことに使われてたら、と思うとぞっとしますね」


 とは言えスノウ自身の意思で拒否するとは思うが。

 それともある程度本気で命じたら行動も制限出来たりするのだろうか。

 今度聞いてみようかな。


「そういえば、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「なにかな?」

「未菜さんって、なんで正体を隠してるんですか? 現金な話、トップが未菜さんくらい綺麗な方だと知れたらダンジョン管理局の株が上がると思いますよ」


 姿を知られていないからこそのカリスマという人気もあるが、それを上回る程の美貌は持っているのだ。

 それこそスノウが動画投稿サイトで話題になっているように、いや、元々のネームバリューから考えればそれ以上の話題をかっさらうに違いない。


「……君はさっきから私のことをからかっているな」


 流石にバレたか。

 可愛らしく拗ねた様子を見せた未菜さんだが、質問にはちゃんと答えてくれるようで、


「理由は幾つかある。君の言った通り、私の正体を知った上で支持してくれる人もいるだろう。だがその逆もやはり存在はする。いつか公表する時は来るかもしれないが、少なくとも今ではない。あと、数ある理由の内の一つは単純に恥ずかしいから、だな。あまり注目されるのは好きじゃないんだ」

「じゃあ良いスキルブック見つけたんですね」

「ああ、うってつけだな」


 ふ、と未菜さんは笑う。

 背景の神秘的な鍾乳洞と、綺麗に澄んだ湖のようなものと併せて一つの絵画のような印象さえ受ける。

 同じ画角に俺が居て良いのだろうかと思う程だ。

 

「あともう一つ聞きたいことが」

「なんだ?」

「機密なら別に良いんですけど……10年前のことを。興味があるんですよ、俺。日本人初のダンジョン攻略者がどうやって攻略したのか。しかも15歳という若さ……いえ、幼いとさえ言えるような年齢で」

「幼い……か」


 未菜さんは遠いところを見るような目をする。


「確かに当時の私は幼かった。精神的にも、肉体的にもな。かと言って今は成熟していると言えば柳枝やなぎに叱られそうだが」

「一緒のチームでダンジョンを攻略したんですよね。未菜さんがリーダーで、柳枝さんが副リーダー」

「実質仕切っていたのは彼だったがな。私は戦闘力だけを買われていたんだ。リーダーシップなんてものは皆無に等しかったよ」

「やっぱり当時から強かったんですか」

「祖父が剣術を先祖代々受け継いでいてね。本来父の代で途切れるはずだったそれを、私はたまたま継承していたんだ。剣道の大会なんかには家の仕来りで出られなかったが、私はそれでも満足していた。そうしたらダンジョンなんてものが現れたではないか。しかも近所に小規模なダンジョンが出来てね。政府にも見つかっていなかったそこに、自分の力を試すいい機会だと思ってひたすら潜っていたのさ」

「やんちゃですね……」


 今でこそ未成年は保護者と一緒じゃないと入れないとか、身分証明書が必要だとか様々な法整備や暗黙の了解的なルールが普及しているが当時はほとんど無法地帯だ。

 死者も大勢出ていたと記憶している。

 毎日ニュースで流れていたからな。

 行方不明者と死者数。


「まあな。それである日とうとう大人に見つかって、あれよあれよという内に柳枝たちとチームを組まされた。そこから先は大体柳枝が主人公となっている映画や何かで見るようなものと同じ流れだよ」

「その手の映画だと未菜さんは基本イカつい男性でしたけどね」

「そちらの方が世間的には納得も出来るだろう。当時15歳の小娘が実はリーダーでした、なんて今更言っても信じて貰えそうにもない」


 それが先程言っていた、その逆・・・というやつなのだろうか。

 俺はなんとなくで感じ取れたが、テレビ越しにともなるとまた話が変わってくるしな。

 話だけで聞けば確かに15歳の少女がダンジョンを攻略したパーティのリーダーでした、なんて到底信じられないかもしれない。


「どうでしたか?」

「どうとは?」

「あの時、未菜さんたちが攻略した愛知県の三河地方にあったダンジョン。どれくらいの難易度だったんですか?」

「……そうだな。何度も死ぬかと思ったよ。当時はまだ未熟だったからな。それに装備やメンバーの熟練度も低かった。公開されている情報なので知ってはいると思うが、あのダンジョンでメンバーのうち3名が命を落としている」

「……ですよね。すみません、嫌なこと思い出させてしまって」


 少し突っ込んで聞きすぎた。

 いくら自分がどうしても聞きたいことだとは言っても、流石に礼を欠いた行為だった。


「良いんだ。私でも気になることではあると思うよ。……さて、君の力も大体分かったし、もう少しだけ探索したら戻ろう。このままボスに行くのも吝かでないが――」

「流石にそれはやめときましょう」

「冗談だよ。私も二人でボスに突っ込むほと命知らずではないつもりさ」


 まあ……あの首無し侍みたいな奴だったら正直なんとかなるかもしれないとは思う。

 俺がひたすら奴を惹きつけて、未菜さんが隙をついて急所を両断してくれれば良い。

 首がないのでどこが弱点かはわかりにくいが、恐らくは縦に半分にすれば流石に倒せるだろうし。

 未菜さんなら多分それが出来る。


 しかし相手がタコだとそれは難しいよな。

 しかもでかいらしいし。

 たこ焼きにでもすれば良いのかもしれない。モンスターって食べれるのかな。

 

「――ん」


 未菜さんが腰の刀の柄に手をかけた。

 そして素早く周囲を確認する。

 俺も同じようなタイミングで、何かを感じた。

 それが何なのかは分からない。

 だが――


「下がれ!」


 未菜さんが叫ぶのとほぼ同時に、俺は彼女を抱えて後ろに思い切り飛んでいた。

 ほとんど反射での行動だったが、今まで俺たちが立っていた地面が凄まじい音と共にのを見て冷や汗を浮かべる。


 砕ける、とかではなく抉れる、だ。

 凄まじい威力を秘めていることがすぐにわかる。


「わ、私は一人でも避けられる。君は君自身を優先しろ」

「すみません、つい」

「だが礼は言っておく――そしてから目を離すなよ」


 すぐ傍にあった透明な湖から、巨大なタコが姿を現していた。



2.


 

 俺たちの間で緊張が走る。

 最初に出会ったボスのあのゴーレムよりもサイズは大きいかもしれない。

 足まで含めれば間違いなく最大だ。

 何故タコがこの階層にいるんだ。

 一番下まで降りなければ現れないはずでは?

 うっかり一番下まで来ていた?

 いや、そんなはずはない。

 地図を見て移動していたんだ。

 そのようなヘマをする余地はなかった。


「来ます!!」


 そんなことを考えている間にも、タコは触手を伸ばしてきた。

 凄まじい速度。

 しかし首無し侍程ではない。

 難なく躱すが、その威力は尋常でない。

 壁がまるでスポンジのように抉れるのだ。

 触手が長い分、遠心力が加わっているのだろうか。

 そもそもサイズから考えても相当のパワーを持っていそうだが。

 未菜さんは俺のように避けるのではなく、刀で脚を切り落としていた。

 あの芸当は俺には無理だ。

 

 しかし、気の所為か?

 明らかに俺の方に来る触手の数が多い。

 躱すだけなら大した労力でもないからまだ良いが、これじゃ逃げる暇もないぞ。


「未菜さんだけでも逃げてください!」

「君を置いていける訳がないだろう!」


 俺に来る分のタコ足まで切り始めた未菜さんに俺は叫ぶが、まあ案の定逃げてはくれないか。

 となると二人で逃げるか、二人で倒すかの二択しかない訳だが。

 タコは最初こそ姿を見せていたものの、触手での攻撃に注力し始めてからは身体の大部分を水面の下に潜らせている。

 あれを叩こうと思って水に入ればすぐに絡め取られて終了だろう。

 ならば逃げるしかないが――


 右へ動けば右側を。

 左へ動けば左側をタコ足が襲いかかってくる。

 掠っただけでも肉を持っていかれてしまうだろう。

 いや、百歩譲って俺は耐えれるかもしれないが、未菜さんは間違いなく無理だ。

 こんなの自動車の衝突に耐えられる程度のプロテクターがあろうがなかろうが変わらない。

 というか、タコのくせに明らかに足の数が8本じゃないのなんなんだよ。

 未菜さんが切り落としたものだけでも既に4本はあるはずだが、見えている範囲でも10本以上はある。

 それが絶え間なく襲いかかってくるので当然隙などほとんどない。

 こんなことになるんだったら多少無理を言ってでもスノウに来てもらうべきだった。


 何かしなければこのままではジリ貧だ。

 しかし俺に何が出来る?

 魔力が多いのでちょっと力が強いだけだ。

 ――いや待て。

 そうだ、魔法。

 一つだけ俺は魔法を使えるじゃないか。

 指先に火を灯す魔法。

 しかしあんなものでは意味がない。

 こいつの皮膚を焦がすことすら出来ないだろう。

 身体が感覚を覚えている。

 あの火を大きくして、それで怯ませることが出来れば、或いは。


「未菜さん、二秒任せます!」


「了解した!」


 俺は一歩下がって、魔力を練る。

 スノウから教わった魔法の概要は、こうだ。

 まず己の中に流れる魔力を意識する。

 それを指先に集める。

 発火するイメージを持つ。

 ただこれだけ。

 最初の魔力を意識するというところさえクリア出来れば誰でも簡単に出来るのだ。

 最初はと称して、俺も知佳も綾乃もスノウに微量の魔力を直接流し込まれた。

 それですぐに魔力を意識できたが、俺はその感覚を今となっては更に深く知っている。

 集中している時に身体能力が上がっている時も、未菜さんが<気配遮断>を使っている時も魔力が揺らぐ。

 その揺らぎを意図して大きくすれば――


「これで――どうだ!!」


 人と同じくらいのサイズの火の玉が出来上がる。

 そしてそれを水面からほんの少しだけ出ているタコ頭――本当は胴体だっけか?――に思い切り投げつける!


 ボゴウ!! と重い音を立てて炸裂した火の玉はどうやらタコを怯ませることに成功したようで、タコ足での攻撃が一瞬止んだ。

 その間に俺と未菜さんは水辺から大きく距離を取った。

 既にボスの姿はない。

 どうやら今ので引っ込んでくれたようだ。


「す、すごいな。今のはなんだ……!?」

「……たまたまです。もう一度同じことをやれと言われても、多分無理じゃないですかね」


 あそこまでの集中力を出すのはもう難しいだろう。


「……いっ……!」


 先程火の玉を出した右手が火傷している。

 流石にあれだけの火力には耐えられないのか。

 そこまで酷くはないが、後で水ぶくれになるだろうなあ、これ。

 その様子を見た未菜さんは痛ましそうに目を細め、


「君の手当も必要だろう。とにかく今のうちもっと離れ――」


 言い終わる前に。

 何故か俺を突き飛ばした。

 完全に油断していたので、踏ん張ることも出来ずにそのまま吹き飛ばされる。


「――なっ」


 タコ足が未菜さんを絡め取っていた。


 音もなく近寄ってきていたのか。

 それに俺は気づけず、庇われた。

 その代わりに未菜さんが囚われた。


「――君は逃げろ」


 物凄い力で締め上げられているだろうに、気丈な声で俺に言った。

 その後凄まじい速度で未菜さんが水中に引きずり込まれる。

 どぷん、と。

 嘘のように呆気ない音を立てて、場が静寂に包み込まれた。


「未菜さんっ!!!!」


 俺が叫んでも声は帰ってこない。

 彼女は俺の身代わりになったのだ。




3.



 目の前が真っ暗になったような感覚。

 理性が言っている。

 未菜さんはまず間違いなく助からないと。

 俺に助ける手段はない。

 水の中に引きずり込まれてしまったら終わりだ。

 

 先程のような小手先の魔法も意味がない。

 タコの本体が水の中にいる以上、そこまで届かせる程の熱量は出せないし、仮に出せたとしても水中にいる未菜さんにも影響がある。


 ――君は逃げろ。

 

 未菜さんはそう言っていた。

 いつかも同じシチュエーションだった。

 あの時は一度逃げて、やっぱり逃げるのをやめた。

 俺だけの力ではどうにもならなかったが、結果的にはそれが正解だった。

 だからと言って今回もなんとかなるか?

 あの時はスノウがいた。

 だが今は違う。

 頼りになる彼女はいない。


 ――いや、考えていても仕方がない。

 せめて俺にもスノウのような力があれば別だったかもしれないが、ないものねだりは出来ないのだから。

 水辺に向かって走り出そうとした時、とあることを閃いた。

 

 待てよ。

 根本的な話だ。


 

 


 俺は召喚術師で。

 彼女は精霊だ。


 成功するかは分からない。

 まだスノウからGOサインは貰っていない。

 しかしやるなら今しかないだろう。

 魔力が多い。

 それが俺の唯一の取り柄なのだから。


召喚サモン!!」


 叫ぶのと同時に――俺の目の前には女の人が立っていた。

 翡翠のような色合いのメッシュの入った黒く長い髪に、どこかスノウに似た顔立ち。

 スラリと均整の取れた身体。

 目つきのキツいスノウとはまた違って人を威圧するようなものはないのだが、どこか冷たい印象を受けるような、翡翠色の瞳。

 格好は、魔道士……とでも言おうか。

 魔女のようなとんがり帽子こそないが、黒いゆったりとしたローブで身を包んでいる。

 そして口を開く。


「ご命令をどうぞ。マスター」


 さあっ、と一陣の風が吹いた。

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