第33話:九十九里浜ダンジョン
1.
あまり詳しくないのでこれが何の車種なのかは分からないが、ぱっと見でも高級車であることは分かる。
しかも新車っぽいし。
来客だろうか。
知人でこんな高そうな車に乗ってる奴はいないし(そもそも引越し先のことについて伝えてない。防犯上の理由で)、どこかの社用車とかだろうか。
高級車の7、8割は社用車として購入されているとどこかで聞いたことがある気がするし。
知佳も綾乃もいるし何か問題が起きている訳ではないと思うが、気難しいスノウもいるはずだ。
少し慌てて家に入るが、リビングではいつもの三人が何かしらの談笑をしているだけだった。
「……?」
困惑する俺に、知佳が「おかえり」と声をかけてくる。
それに続いて綾乃とスノウも。
俺もそれに「ただいま」と返すが……
「お客さんが来てるんじゃないのか?」
「え? 来てないわよ」
スノウはきょとんとしている。
隠しているという訳でもなさそうだ。
というかそんなことする意味もないし。
ということはここにいる誰かの私物なの? あれ。
「外の車のことなら、あれは社用車」
「社用車って……まさかうちの?」
「いえす」
知佳がなんでもないことのように伝えてくるが……いや、実際なんでもないことなのだろう。
この数日間で200億近い利益を出しているのだから。
車なんてどんなに高くても1000万とか2000万くらいだろうし。
……いかんな、金銭感覚がおかしくなってきている気がするぞ。
「相対的に見れば安い買い物って訳か」
「あれは2億くらいだから、そこまで安いって訳でもないけど」
「2億!?」
2億ってあれだぞお前。
1万円札が2万枚あるってことだぞ。
万に万をかけてようやく億になるんだぞ。
「ダンジョン探索者用のプロテクターに使用されている素材と同じものが流用されているんです。動力源もガソリンではなく魔石になっている最新モデルで、自動運転機能もついてるんです」
綾乃の説明に、俺は一つ思い出した。
「あー……あったなあそんなの」
そういえばニュースで見たことある気がする。
誰が買うんだよそんな
しかし車に限らず、ありとあらゆるモノがここ数年で急激に進化しているからな。
ダンジョンの出現――つまり魔石が発見されたり、その技術の応用が為されたりと。
もしダンジョンが現れることがなかったらもう少し落ち着いた成長速度だったのではないかと思う。
密かにそろそろ空を飛ぶ車なんかも出てくるんじゃないかと思っている。
「まあ、車はあるに越したことはないか」
ダンジョン管理局に行く時なんかもこれからは車で行けばいいし。
「それで、あんたは何してたのよ。どこか出かけてたみたいだけど」
「ちょっと野暮用でダンジョン管理局にな……スノウ、明日ダンジョンに行かないか?」
「…………」
スノウが驚いたような表情を浮かべている。
どうしたんだろう。
「あんたから誘われるとは思ってなかったわ」
「まあ、たまにはな」
実際伊敷さんに連行されてなければ誘うこともなかっただろうけど。
「どこのダンジョン?」
もし彼女が犬だったならば尻尾をぶんぶんと振っているのではないだろうかと思うほどのウキウキさ加減で詳細を聞いてくるスノウ。
「九十九里浜」
「……知らない地名だけど、名前からして海辺にあるダンジョンっぽいわね」
おや。
先程までのワンコっぷりが嘘のように消えたぞ。
「ああ、その通り。しかもお前の言ってた高難易度ってやつで、中にも海っぽいのがあったり砂浜があったりするんだ」
「じゃあ行かないわ。あんただけで行ってきてちょうだい」
「えっ。なんでだよ。一緒に来てくれよ」
「ボス相手じゃなければあんたでも問題なくやれるわよ。あまり深層に行かなければ平気よ」
明らかに嫌がっている。
知佳と綾乃の方をちらっと見るが、首を横に振られた。
どうやら二人にもこの態度が激変した理由が分からないようだ。
海辺だと何か不都合があるのだろうか。
……いや待てよ。
海を嫌がる一番シンプルな理由があるじゃないか。
「もしかして泳げないのか?」
するとスノウはギロッと俺を睨んだ。
すごい迫力だ。
小動物くらいなら視線だけで凍死させられそう。
「泳げるわよ! ……浮き輪があれば」
「それは俗に言う泳げないってやつなんだよなあ……」
意外な弱点だ。
今回のダンジョンには同行出来ないとしてもいつか海かプールにでも連れていってみたいな。泳げないスノウを見てみたい。
俺がそんなことを考えていると、そろそろと綾乃が手をあげる。
「泳げなくても水を凍らせてしまえば良いのでは?」
確かに。
それなら泳ぐ必要はないのか。
「あたし一人ならそれでも良いけど。氷の上を歩くのって大変よ」
それも確かに。
綾乃も納得したようだった。
しかしスノウが来ないとなると、俺と伊敷さんの二人で行くことになるのか。
確かにボスにさえ遭遇しなければ大丈夫そうだが。
まさかスノウなしでダンジョンに行く時が来るとはな。
そういえば伊敷さんは泳げるのだろうか。
いや、自分から九十九里浜を提案してきたくらいだし泳げるのだろう。
水着姿をぼんやり想像してしまうが、慌ててその妄想を打ち消す。
「……あんたまさか、未菜とかいう女と一緒に行くんじゃないでしょうね」
「へ?」
何故そこで伊敷さんの名前が出てくるのだろう。
絶対に渋るから敢えて名前は出さないでおいたのに。
女の勘というやつだろうか。
「いやその、黙っておくつもりはなかったんだ。もちろん」
誤魔化すことにした。
「……ま、別に良いけどね。あの後あたしもあの女についてちょっと調べたし。信用するかどうかはともかく、あんたに危害を加えたりはしないでしょ」
「調べたのは主に私だけど」
ああ、なるほど。
インターネットか何かで伊敷さん……つまり日本初のダンジョン攻略者について情報を集めたのか。
名前や存在そのものが疑問視されてはいたものの、英雄的なエピソードは幾つもあるからな。
確かにそれらを見れば安全な人物だということは分かるか。
……本当に安全なのかどうかはちょっと怪しいところだが。
俺も今日は呼び出されて強制的にバトルが始まった訳だし。
「それにダンジョンにも慣れてそうだったし。腕は確かでしょうね。まあ、あたしの方が強いけど」
と当たり前のように自分のことを付け足すスノウ。
らしいっちゃらしいけどさ。
2.
翌日。
現地集合と言うことで例の2億のモンスター社用車に乗って九十九里浜まで来たのだが、そもそも久しぶりに海に来た気がするな。
にしても高い車ってすごいんだな。
発進と停止がスムーズすぎて気持ち悪かった。
スノウにはああ言ったが、実は俺も海はさほど好きではない。
潮でべたべたするし。照り返しで日焼けするし。
友人と遊びに来る分には楽しくて良いとは思うのだが。
「伊敷さん。もういるのは分かってますからね」
後ろに伊敷さんの気配を感じて、俺は聞こえるようにそう言う。
「おや、驚いたな。もう私の<気配遮断>を完璧に見破れるようになったのか」
後ろから伊敷さんの声が届いた。
恐らく驚かすつもりだったのだろう。
驚かせるつもりはなかった、とか言いながらな。
「まあ……」
スノウのように万遍ない感知能力は流石にないが、伊敷さんと同じような能力で隠れている奴ならもう見つけられるかもしれない。
振り向くと、昨日手合わせを行った際の格好で伊敷さんが立っていた。
昨日は色々あったとは言え、やはりこうして見ると凛々しいやかっこいいが勝つ人だな。
「どうした、水着姿で来るとでも思っていたか?」
「まさか。見てみたいとは思いますけどね」
どんな水着でも似合いそうだ。
フィットネス水着のようなものでも似合いそうだし、ビキニなんて言うまでもない。
ワンピースのようになっているものでも良いだろう。
フリルの着いているものなんかも似合いそうだ。
ということで俺としては本気で言っていたのだが、とうの伊敷さんは顔を赤くして、
「お、お世辞はやめてくれ」
と、なんだか怒ったような様子でズカズカとダンジョンに向かって歩いていってしまった。
いや、冷静に考えれば水着を見てみたいって、人によってはかなりのセクハラ発言と取られるよな。
イケメンでなければ許されない発言だ。
猛省。
俺は怒っている割になんだか足取りの軽い伊敷さんの後ろを着いていくのだった。
ダンジョンの中に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
大きな洞窟……鍾乳洞のようになっているようだ。
映像では何度か見たことがあるが、直接来たのは初めてなので少しこの光景に見惚れてしまう。
ダンジョンはつい10年前に出来たものだ。
数千年、数万年とかけて出来上がる鍾乳洞のそれとは全く質が違うのだと頭では理解していても尚、圧巻だ。
「凄いな……」
「幻想的だろう。比較的安全な一階はデートスポットにもなっているくらいだからな」
「聞いたことはあります。彼女なんていたことないので来たことはないですけど」
「君のパートナーもいないし、今の我々は二人きりだ。デートみたいなものだな」
「伊敷さんくらい綺麗な人とだと男冥利につきますよ。エスコートしましょうか」
冗談まじりにそんなことを言うと、伊敷さんは再び顔を赤くして怒った。
「ダンジョンでそんな冗談を言うものじゃないぞ。き、綺麗とか」
「そこは冗談じゃないですけどね?」
沸点のよく分からない人だ。
……あれ、もしかして褒められて照れてるだけか?
そういえば昨日もかなりチョロかったよな。褒め言葉に対して。
よし、支障が出ない程度に褒めまくって照れさせてやろう。
俺がそんなことを考えている間にも伊敷さんは特に迷う様子もなく歩いていく。
このダンジョンにも新宿ダンジョンと同じように地図があるので事前にダウンロードしていつでもスマホで見られるようにしておいたのだが、流石は伊敷さん。
どうやら地図など見なくても道筋は頭に入っているようだ。
と思っていたのだが、いつまで経っても下の階層へ行く階段に辿り着かない。
ちなみに道中でぶよぶよしたスライム状の雑魚を倒しているのだが、これがキモカワイイと一時話題になっていたことがある。
俺からしたらただキモイだけなのだが。
「そうだ、ずっと伊敷さん、と呼んでいるが、未菜と下の名前で呼んでくれないか?」
「え? で、ですけど……」
「嫌ならいいんだ。そうか、君は私のことが嫌いだから……」
「いえ、呼ばせていただきます! 未菜さん!」
「ふふ、冗談だ」
伊敷さん、もとい未菜さんは冗談っぽく笑った。
まずいな。
本当にデートっぽい。
いやでも意識してしまう。
「困ったな。今回は運が悪いようだ」
「え、運?」
「ああ。いつもは適当に歩いていれば下へ降りる階段が見つかるのだが」
……一体何を言っているんだ、この人は。
「地図ありますよね? このダンジョン」
「だって地図って分かりにくいだろう?」
当然のように言う伊敷さん。
もしかしてこの人、方向音痴なのでは?
日常生活を送る分には案内板や標識があるので普通は困らないのだが、ダンジョンの中だと勝手が違う。
案内板も標識も存在しないから地図に従って動くしかないのだが、その地図を読めない人はこうなってしまう。
という話をちらっと聞いたことがあるが……
まさか未菜さんがそのパターンだとは。
「……俺が地図通りに進むんで、着いてきてください」
「おお、悠真君は地図が読めるのか! 凄いな!」
目をキラキラさせて尊敬の眼差しで俺を見る未菜さん。
そんな純真無垢な瞳を向けられて、「いえ、大抵の人は普通読めるんです」とは流石に言えなかった。
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