第32話:本当の顔

1.



「ここからは一本勝負と行こうか。つまり君が一本取っても君の勝ちだ、悠真君。内容は――参った、とどちらかが言うまで、でいいかな」


 流石に、ここまでくれば俺にも拒否権はあっただろう。

 だが、それ以前に興味が湧いていた。

 オークだの赤鬼だの天狗だのじゃよく分からなかった、俺自身がどれだけ強いのかという物差し。

 伊敷さんと本気で戦えばをしっかりと理解することができるのではないだろうか。


「俺が勝ったら……美味い寿司でも奢ってください」


 俺としてはぶっちゃけ負けても美味し……じゃなくてここまで来たならどうせなら勝ちたい。

 伊敷さんなら負けても仕方ないか、とは思うが負けたくない。

 多分根っこのところで負けず嫌いなのだろう、俺は。


「それくらいでいいなら幾らでもいいよ。君、コインは持っているかい?」

「え? ええ、ありますよ」

「ではそれを弾いてくれ。地面に落ちた瞬間が開戦の合図だ」


 ……なるほど。

 俺はポケットに入っていた10円玉を取り出し、伊敷さんにも見えるように上に向かって弾いた。

 キィン、と音がして高く舞った10円玉が地面に着いた。

 その音が耳に聞こえる前に、伊敷さんの姿は既に掻き消えていた。


 視えてはいない。

 感じることさえできていない。

 ただ、咄嗟に勘だけで首元をガードするとちょうど腕に竹刀が当たった。


「――っ!」

 

 バチィン、とその一撃で竹刀が割れてしまう。

 かなりの力が籠もっていたのだろう。

 そしてその音と飛び散った破片にまぎれて、再び伊敷さんは姿を消していた。


 空気を肌で感じて反撃――なんてこともできない。

 どうやっているかはわからないが、攻撃の予兆を一切感じなかった。


 竹刀だから砕けるだけで終わったが、今のがもし真剣だったら。

 あの首なし侍の斬撃は、恐らく俺を傷つけることができた。

 でなければわざわざスノウが俺の襟首を掴んで躱させることなどしなかっただろう。


 伊敷さんとあのボスの剣の腕を比較してどちらが上かなど俺には論ずるだけの技量もないが――

 多分、タダでは済まないだろうな。

 伊敷さんが持っているのが真剣だったとしたら。


「う、お……!」


 ふわり、と俺の体が宙に舞った。

 先程はいなされて投げられたが、今度は足払いか何かをされたのだろう。

 

 こうなると高すぎる防御力が仇となる。

 何をされているのかさえ把握できないのだ。

 いや、そうでなくとも理解はできないかもしれないが。


 背中を強打され、床に強く打ち付けられた。

 ベゴン、と衝撃吸収材でできた床が凹む。

 華奢な体に見えるが、伊敷さんも長年ダンジョンに潜っている猛者だ。

 当然、身体能力の強化だって俺よりスムーズにできるだろう。


 俺が未だにダメージらしいダメージを受けていないのは単に俺の魔力量が多いからだ。

 

 本当ならもう俺が負けている。

 この勝負、確実に俺が勝つ方法がある。

 

 それは伊敷さんのスタミナ切れまでひたすら粘ることだ。

 ただ俺は防御に意識を回していればいい。

 それだけで段々と彼女の攻撃の速度は落ちるだろうし、スキルだってそう長時間維持できるとは思えない。

 

 ――だが。


「それじゃ意味がないよなあ……!」


 食らってからのカウンターもダメだ。

 ただの耐久力に物を言わせた勝利になってしまう。

 なら俺が目指すのは、本気になった伊敷さんの攻撃が当たる前にカウンターすること。


 それができて初めて完全勝利と言えるだろう。

 

 その為には――


 俺は強く床を蹴って、大きく後ろに跳んだ。

 まずは距離を取る。

 そして、壁に背をつけた。


 攻撃が来る方向を絞る。

 これで後ろからはあり得ない。

 だが、前半分はどこからでも来る可能性がある。


 だから俺は、大きく手を広げて腰を落とした。


 どこから来ても対応できるように。

 

 次の瞬間。


「わっ!」


 俺は伊敷さんを抱きしめていた。

 ベアハッグというような形だ。

 

「ちょ、悠真君!?」

「すみません、伊敷さん。けどこれしかなかったんです」


 スノウは――伊敷さんがスキルを使っていてもすぐにその気配を察することができた。

 だが俺は全く感じ取ることができなかった。

 スノウにできて俺にできないことは何かと考えた。


 ……いやまあそれは色々あるのだが。

 こういう場合で一番関わってきそうなのは、魔力を感知するという能力だろう。


 ダンジョンでモンスターの位置を探ったり、ダンジョンへ入っただけである程度のモンスターの強さを察したり。

 もちろんそんなレベルでは俺もできないが――身体中の全感覚をフル動員して、という些細な違いを探した。


 そして――見つけた。

 恐らく伊敷さんや柳枝さんくらいの大きな魔力を持っている相手にしかまだ役に立たないが、明らかに異質な存在感を感じ取ることに成功したのだ。


 多分、この感覚が魔力なのだろう。


「――このまま力を込めれば俺の勝ちですよ、伊敷さん」


 流石に降参せざるを得ないだろう――と思ってそう促したのだが。

 

「…………」


 伊敷さんは黙ったままだった。

 彼女ほどの実力者になればこうなった時点で詰んでいるということはわかっているだろうに、何故……と思ってよく様子を見てみると、


「あう……」


 顔を真っ赤にして目を回していた。


「伊敷さん!?」

 

 

2.


 

 しばらくして、伊敷さんは目を覚ました。

 強く締め付けてはいないのでオチた気絶したわけではないことはわかっていたが、何故急にあんなことになったのだろうか。


 目を覚ました伊敷さんは頬を赤く染めながら俺のことを睨んでいた。

 何故か俺が怒られる流れになっているような空気を感じたので、黙って何かを言うのを待っていると……


「き、君はその……破廉恥だ」

「ええ!?」


 何を怒られるのかと思ったら予想の斜め上からの非難だった。

 

「あ、あんな風に、み、未婚の女性を抱きしめるなど……!」

「それはすみません……けど伊敷さんから俺に抱きついてたのはいいんですか……?」

「あれはその! ……君は歳下だから、子ども、というか弟というか……でも予想外に男らしくてドキッとしたというか……」


 ごにょごにょと段々と声が小さくなっていく伊敷さん。

 最後の方はほとんど聞き取れなかったが、とりあえず伊敷さんからは何かしらの理由でOKだが俺からはダメだったらしい。


 まあ確かにあの時はあれしかなかったとは言え、誤解はされやすい決着の付き方だったかもしれない。


「……だが……負けは負けだ。本気でやって負けたのだからな。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」


 まだ顔は赤いままだが、伊敷さんはそう言って負けを認めた。


「いや別に煮も焼きもしませんけどね? 真剣だったらもっと速く決着がついてましたよ、実際のところ」

「その仮定には意味がない。私は本気でやった。だが君が勝った。武器がどうあれ、結果はそうだ」


 潔い人だな……

 

「しかし……負けてしまったか。これで私と君が付き合うという話もないことになったな。そもそも君が嫌がっていたのなら、元々目のない話ではあったが……」

「ええ!? いや、嫌なんてことはないですよ。むしろその……伊敷さんおきれいですし」

「お世辞でもありがたい話だな」

「お世辞じゃないですって。誰が見ても綺麗だって言うと思いますよ」

「口がうまいな、君は」


 何を言っているのだろう。

 この人は鏡を見たことがないのだろうか。

 あれ、でも自分が美人だと思ったりイケメンだと思ったりすることってもしかしたらないのかもしれない。

 今度知佳か綾乃にでも聞いてみるか。

 スノウは……あれは多分余裕で自覚できる規格外だからな。


「本当に冗談じゃないんですけどね……多分伊敷さんより綺麗な人なんて芸能界にもそうはいないですよ。というか見たことないですよ」


 それくらいには美人だ。

 芸能人の方々には失礼な話だが。

 

「……き、君なあ……」


 もにょもにょと顔を赤くしながら下を向いてしまった伊敷さんを見て、俺の中に何かが芽生えた。

 多分、俺をからかう時の知佳と同じような気持ち。

 た、楽しい……

 これは楽しいぞ……!


 しかしあまり調子に乗りすぎるのはよくない。

 相手は伝説だ。

 俺なんて吹けば飛ぶようなお方である。


「……ところで悠真君。明日は暇かい?」

「え、明日ですか?」


 暇か暇じゃないかと聞かれたら特に予定もない。

 

「多分暇ですけど……」

「今回は互いに参ったと言わせれば良いだけの戦いだったからな。真剣勝負ではあったが、探索者としての本領は対人ではなく対モンスターだ。そう思わないか?」

「え? まあ、そうですね。探索者なら」

「そうだろう。私は君の力をもっと見てみたいんだ。ダンジョンに行かないか?」

「ダンジョンにですか? 俺と?」


 マジで?

 あの伝説の存在とダンジョン行けるの?

 嘘だろ?


「もちろん行きます!」

「げ、元気だな……九十九里浜のダンジョンは知っているか?」

「はい、もちろん」


 千葉県にある九十九里浜。

 そこにもダンジョンがある。

 新宿ダンジョンと同じく10年前からあるものだ。

 スノウいわく、周りの環境に適応しているダンジョンは高難易度らしいので、中が水浸しになっていたり砂浜のようになっているあのダンジョンは難易度も高い方なのだろう。

 事実10年間攻略者は現れていない。

 ボスの目撃情報はちらほらあるが。

 巨大なタコのようなものらしいと聞いたことがある。


「あそこのダンジョンに行ってみないか? もちろんスノウホワイトさんも連れてきてくれていい。もちろんボスには手を出さない。一番下にさえ降りなければ遭遇することはないからな」

「でも明日ダンジョンにって……仕事は良いんですか?」


 今ダンジョン管理局は一番大変な時期だろう。

 なにせ訳のわからない奴らが新宿ダンジョンを攻略してしまったのだから。

 少し考え込むようにした伊敷さんは、ごまかすように空咳をした後にいい笑顔を浮かべた。


「……大丈夫だ」


 ビシッ、と未菜さんは親指を立てる。

 後で柳枝さんに怒られるんだろうなぁ……。

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