第31話:お遊び
1.
その後も何分か押し問答があったのだが、結局押し切られて手合わせをすることになってしまった。
俺は一切何の装備も付けていない。
邪魔にしかならないからだ。
そして
一見かなり不公平なようにも見えるが、実際のところほとんどのプロテクターは意味を為さないし、下手に扱えない武器を持つよりは素手の方がまだマシだという判断の元による。
勝負は三本先取。
「竹刀では有効打にはならないだろうから、急所と言えるところを私が攻撃出来たらこちらの勝ち……ということで良いかな? もちろんこれは君の場合も然りだ」
「分かりました」
ここでゴネたところで意味はないだろう。
唯一このイベントを回避する方法はここから全力ダッシュで逃げる事だが、俺としてもダンジョン管理局との仲は良好である方がやりやすい。
しかし、まさか憧れの対象と模擬戦とは言え手合わせをすることになるとは。
言ってしまえば、伊敷さん――日本初のダンジョン攻略者という人物は、俺にとってはアニメや漫画の主人公以上の存在だ。
こうして会話をしているだけでも現実味が湧きづらいというのに。
「そう緊張しなくていいよ――単なるお遊びみたいなものさ」
「お遊び……ですか」
「君のタイミングで始めてくれていい」
正面、十歩ほど離れた位置に立つ伊敷さんが言う。
「はい――では行きます」
やるからには一本くらい取りたい。
そう思っていたのだが。
開始の合図をして、ふ、と伊敷さんが視界から消えた。
ピシ、と首筋に竹刀が軽く当たる。
「え……」
伊敷さんは俺のすぐ隣に立っていた。
「まずは一本、ということで良いかな」
「は、はや……」
速い……?
いや、違う。
ただ速いだけなら俺の目には見えるはずだ。
ボスの攻撃さえ見切れる程なんだぞ。
魔力で身体能力が強化されていれば一瞬で十歩の距離を詰めることは可能だろう。多分、俺もやろうと思えば出来る。
しかし見失う程の速さでと言われればそれは無理だ。
「悪いね、わざわざ三本先取にしたのは君の驚くところを見たかったんだ」
伊敷さんは茶目っ気たっぷりに少し舌を突き出した。
昨日も先程もそうだが、驚かせる、ということ自体が好きなようだ。
しっかりしているように見えるが、意外とやんちゃな人なのかもしれない。
「とは言え残りの二本も同じでは味気ない。種明かしをしようか」
次の瞬間、伊敷さんは元の立ち位置に戻っていた。
まただ。
見えない。
「簡単な話さ。私の<気配遮断>の力を使った。君が瞬きで目を閉じた瞬間にね」
「……そんなの無敵じゃないですか?」
見えないのも当たり前の話だった。
見えていない間に姿を消しているのだから。
しかし言葉で言うのは簡単だが、当然同じことをしろと言われても俺には不可能だ。
人間の瞬きなんて一瞬で終わるんだぞ。
<気配遮断>との組み合わせだと言っていたが、それでも簡単な技術ではないだろう。
「本気での立ち会いならば私は人間相手に負けたことはないよ」
……なるほど。
別に俺は戦うのが好きという訳ではないが、無敗だと聞けば敗かせてみせたくなるのが人間というものだろう。
瞬きするのがまずいのだったらそれを意識すれば良い。
しかし受け身でいればどうしても生理現象としての瞬きをしてしまうだろう。
ならばこちらから攻めるだけだ。
「行きます」
今度は宣言と同時に俺がダッシュした。
バキ、と床が砕け散る。
力を入れすぎた、と思った次の瞬間には俺の身体が宙を舞っていた。
視界が一気に反転する。
「――うおおおお!?」
そのままの勢いで床に叩きつけられる。
どうやら投げ方が上手かったようで、受け身は自然に取れていた。
そうでなければ床の方が陥没していたのではないだろうか。
そして仰向けに寝転ぶ俺の首元に竹刀が突きつけられた。
「一本目の絡繰りを聞いた者は大抵同じことをしようとするよ」
楽しそうに笑いながら、伊敷さんに助け起こされる。
ダメージは一切ないが……
今どうやって投げられたかも分からないぞ。
プロテクターを付けている以上、多分魔力自体は俺の方がある。
つまり力自体は俺が上なはずだ。
しかし一方的に翻弄されているのはこちら……か。
「……伊敷さん、提案があります」
「うん?」
元の立ち位置に戻った伊敷さんが首を傾げる。
「何かな?」
「今度からは寸止めでなく、急所に向かって最後まで全力で振り切ってください。大丈夫です。竹刀じゃ何がどうなっても俺は死にませんから」
「……ほう」
伊敷さんは俺の我儘を興味深そうに聞いてくれる。
「なるほど、カウンター狙いというわけか」
「…………」
あっさりと目論見を看破されてしまった。
いやしかし実際にそれしか勝ち筋がないのだから仕方がない。
自分の防御力にあかせた力業だ。
「うん、面白い。それでやろうか」
やはり戦闘狂の伊敷さんなら乗ってくると思った。
狙いがバレているのが不安だが、それしかないのだからそれでどうにかするしかない。
2.
「今度は伊敷さんのタイミングで来ていいですよ」
「では行こうか」
ふ、と伊敷さんの姿が消える。
咄嗟に首をガードすると、鳩尾に竹刀がとん、と当たった。
だが、痛みはない。
寸止めはしないように言った以上、これは攻撃ということではなく――フェイクだ。
しかしそれに気付いた時にはもう遅い。
すぐに竹刀を掴むが、その先に既に伊敷さんはいない。
――竹刀を捨てた?
脇腹に軽い衝撃。
だが姿は見えない。
背中へ再び衝撃。
当然のように姿を捉えることは出来ない。
痛みはない。
拳か蹴りで殴打されているのだろう。
……なるほど、無理そうだな。
思っていた以上だ。
注力したところで無理なものは無理……と。
なら少し趣向を変えてみよう。
「――なっ」
首へ迫っていた手刀を、掴んで止めた。
伊敷さんの姿をようやく視認することが出来る。
驚きに目を見開いているその顔面に、思い切りパンチを――叩き込む寸前で拳を止めた。
ぶわ、と拳圧で伊敷さんの髪が乱れる。
「……一本は取れたってことで良いですかね」
「ど……どうやって私の動きを見きった?」
伊敷さんは顔を伏せていて表情が見えない。
不思議なのだろう。
俺だってまさかこの手がうまくいくとは思っていなかった。
正直綱渡りにも程がある方法だ。
「スノウが伊敷さんの<気配遮断>中にも察知していたのをヒントにしました。多分彼女は魔力で感じ取ったんでしょうけど、俺には同じことは出来ない。なら魔力以外の何か――<気配遮断>を視覚で感じ取れないなら、肌で感じ取ろうと思ったんです」
「肌で……?」
「あれだけのスピードで動けば空気が押されて、風が出るでしょう? それなら伊敷さんの攻撃が届く寸前に感じ取ることが出来るんじゃないかって。けどそれが寸止め前提の速度だと弱くて感じられないかもしれない」
「だから最後まで振り切ってくれ、と言っていたわけか」
最初の一発目は<音>を聞いてやろうと思ったが無理だった。
あの首なし侍と戦った時、集中したら奴の動きがスローに見えた。
つまりあの状態は<視覚>が強化されていたと考えていい。
なら聴覚もできるだろう。
ということでやってみたのだが、音は全くと言っていいほど発生していなかった。
伊敷さんの抜き足も相当なものなのだろうが、それに加えてスキルの効果もあったのだろう。
<気配遮断>と言うくらいなので、聴覚や視覚はほとんど役に立たないと考えていい。
視覚に関してはもう分かりきっている通り、役に立たない。
どころかまばたきの瞬間を利用されたりして足を引っ張る要因にさえなり得る。
見ている、という思い込み故に一本目はあっさり取られた。
そして聴覚は先述の通りまるで役に立たなかった。
ならば他の五感――触覚で感じ取ろう、と言う訳だ。
「ふ、ふ……なるほど、出鱈目だな……」
と、そこで始めて伊敷さんの声が震えているのに気づく。
もしかして泣――
「おい、お転婆娘。社員から聞いたぞ。ここにいるようだな」
伊敷さんが泣いているのかどうかの確認はともかく、こんな場面を見られたらまずい!
そう思った俺が自分の身体で伊敷さんを隠そうとすると、その前に彼女が俺に抱きついてきた。
「なっ……なっ……!」
「あまり大きな声を出すとバレるぞ。私の<気配遮断>は他人にはかかりが悪い」
先程よりも声が……というかテンションの低くなった伊敷さんに思い切り抱きつかれ、俺がフリーズしている間に柳枝さんは中をぐるりと見回した。
明らかに俺と伊敷さんがいるところも見たが、こちらにはどうやら気づいていないようだ。
こ、これが<気配遮断>……なのか。
とんでもないな。
効果を俺にも適用することが出来るなんて。
しかし、伊敷さんは気づいているのだろうか。
幾ら防御性能に優れているとは言え、今の彼女はほとんど全身タイツだ。
胸や各関節は隠れているものの、他はそうではない。
ここまで密着されれば、肌のあちこちが、柔らかいあれこれが当たっているのだが。
「……たく、竹刀くらい片付けておけ。いつまでも子どもじゃないんだぞ……って、床が抉れているじゃないか。まったく、あいつは……」
すぐそこに落ちていた竹刀を拾い上げ、柳枝さんはまた離れていった。
元あった場所に竹刀を戻し部屋を去っていく。
「動悸が激しくなっているな。呼吸も荒い。体温も上昇しているようだ」
何故か俺から離れようとしない伊敷さんが耳元で囁く。
かなりこそばゆい。
だが悪い気はしない。
意外な癖を見つけてしまったかもしれない。
「興奮しているな。私もだ」
「こ、興奮って……」
「私より強い人間は世界のどこかにいる。それは今までも分かってはいた。だが、私の前に姿を現すことはなかった」
密着したまま耳元で囁かれる。
「私は今日初めて敗北した」
初めての敗北。
それはそうだろう。
対人では負けたことがないと言っていた。
モンスターにもそうそう負けはしないだろう。
ボスにも勝ったことがあるはずだ。
そんな彼女が、今日初めてただの人間に負けた。
それは理解出来る。
だが……それとこれと何の関係が?
「初めての感覚だ。こんなにも興奮するのは。君が欲しい」
まるで熱に浮かされているような声音でそんなことを言われる。
こ、興奮ってそういうことなんですね。
「この勝負、もし私が勝ったら付き合ってくれないか」
「つ、付き合う……とは……」
「買い物やお出かけに付き合って欲しいというわけではないぞ。分かってはいると思うけどな」
すい、と伊敷さんは俺から離れて、先程柳枝さんが拾って片付けた竹刀を再び手にとった。
先程までとは……明らかに空気が違う。
「ここからは単なる遊びじゃなく――本気で遊ぼうか」
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