第25話:緒方綾乃の性癖

1.



「へー……社員なら誰でも無料で使えるのか」

「そうなんです。社員用のドリンクバーみたいなものもあって、それもいつでも飲み放題で」

「G○○gleみたいだな」


 会社設立、そして新宿ダンジョンが攻略された翌日の午前中。

 俺は綾乃さんと二人で出かけていた。

 印鑑の受け取りだったり機材の買い出しだったりをする為だ。

 ちなみに知佳とスノウは動画撮影・編集で忙しいので今回は留守番。

 道中、ダンジョン管理局の内情について色々聞いていたのだがかなり恵まれた環境のようだな。


 色々なものが食べ放題飲み放題だそうだ。

 最高の労働環境ではないだろうか。


「私はあまり利用したことないんですけどね」


 恥ずかしそうに綾乃さんが言う。


「なんで? 勿体ない」

「人混みが苦手で……」

「あ~……いるよなあ、そういう人」


 俺は比較的平気な方だが、例えば知佳なんかは人混みは駄目だな。

 スノウは別の意味で駄目そうだ。

 超目立つから。

 特に今日は、


「……時間的にまだ電車はかなり混むと思うけど、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。……多分」


 ぐっと気合いを入れるように大きな胸の前でガッツポーズのようなものをする綾乃。

 可愛らしいだけで全く勇ましくは見えないし、更に不安は増すばかりだが……本人が大丈夫と言うのならとりあえず大丈夫なのだろう。

 俺が車を持っていればそれを運転していっても良いのだが、残念ながら原チャすら持っていない。

 移動手段はもっぱら徒歩か電車かだ。


「社用車買っても良いかもなあ」

「社用車、ですか?」

「そうそう。今後もどこかへ行ったりすることはあるだろうから移動手段が必要になるだろうし、その度に人混みに行くのもなんだしさ」


 少なくとも今のところ社員が4人いるのだから、4人乗りの車を購入すれば良いだろう。

 あまり車に興味はないので適当に選ぶことになってしまうが、とりあえず後で社用車・オススメとかで検索してみようかな。


 ま、それもこれも余裕が出てきたらの話だが。

 魔石を売り始めるようになればある程度はお金にも余裕が出てくるだろう。

 というか早めに稼がないと給料も払えないし。


 そんなことを考えつつ歩いていると、遠目に駅が見えてきたが、毎回思う。

 なんで東京はこんなに人が多いのだろうと。

 人混みが特別苦手でもない俺でも、少し躊躇してしまう程度には多いからなあ……




2.




 電車へ乗り込むと案の定、同時に人が雪崩込んできて一気に満員になった。

 

「おっ、おっ、っと、っと」

「あっ」


 人の流れに押されて壁際まで追いやられる。

 綾乃さんと離れそうだったので反射的に手を握ってしまった。

 柔らかく小さな手。

 ザ・女の子という感じである。

 というかこれセクハラで訴えられたりしたらヤバイかな俺。


「やっぱり凄い人混みだな……」


 人混みが苦手だと言っていた綾乃が壁側で、俺が両手を壁についてなるべく人と触れ合わないようにする。

 図らずも壁ドンみたいな格好になってしまった。

 いや、あれって両手でやるものではないんだっけ。

 そもそも語源というか元ネタは全然ロマンチックなものじゃなかった気がする。


「あ、あの、ありがとうございます。社長」


 綾乃が斜め下からこちらを見上げながらお礼を言ってくる。

 ……さりげない(つもりでやってる)好意に素直に礼を言われると思ったより恥ずかしいもんだな。

 なので誤魔化すことにした。


「何のことだかさっぱりだな……それより社長ってやめないか? あと敬語も。なんかこそばゆいし」


 なんかそういうをしているようにも感じてくるけど。

 あと夜の繁華街なんかでシャッチョさ~んっ……てのは古いか。

 

「それじゃあ……皆城さん?」

「悠真でいいよ。俺の方が年下だし」

「じゃあ、悠真くんで。敬語は……もう少し慣れたらなくなる、と、思います」

「ま、無理はしないでいいよ」

「あと、私のことは綾乃さん、ではなく綾乃と呼んでください。その……良ければですけど」

「わかったよ、綾乃」


 と。

 電車が動き出す拍子に、後ろにいる人たちがこちらへ体重をかけてきた。

 正直堪らえようと思えば堪えられた気もするが、後ろの人たちに少し気を使って俺も前へ進む……のだが。


 ふにょん、というかふよん、というかふよえんというか。

 物凄い柔らかさが、昨日も事故で感じてしまったとんでもない暴力的な柔らかさを再び感じることになる。


 ……しまった、綾乃のを考えてなかった……!


 見た目こそ小動物のようだが、その胸はグラビアアイドル顔負けのサイズだ。

 タイトスーツに身を包んでいてもなお一目でかなりのものだと分かる程の重量感。

 綾乃と俺自身の距離は満員電車の中では問題ない程度に離れているつもりではいたのだが、それでも俺の胸に綾乃の胸が当たっている。


 これ絶対気づいてるよな。

 綾乃こっち見てるし。

 あわあわしてるし。


「その、わざとじゃない。断じて。絶対に。信じて欲しい」

「は、はいいぃぃ」


 今からでも後ろを押し返そうかと思って少し力を込めると、後ろから思ったよりも反発があった。

 満員電車ってそういうもんだよな……

 ここで無理しすぎると魔力が変な反応して馬鹿力が発動し、後ろの人たちが潰れたスイカみたいになってしまう可能性もあるのであまり抵抗はしないでおく。


 仕方ない、この状況を甘んじて受け入れよう。

 断じて!

 胸の柔らかさを堪能したいという訳ではない!


 いやほんとに。

 マジで申し訳ないと思うんだけど、これ以上離れようとすると後ろでけが人が出かねない。

 電車から降りたら土下座をすべきかどうか悩んでいると……


 綾乃の様子が少しおかしいことに気づいた。


 苦しそうというか……

 なんか顔が赤くなっている?

 恥ずかしいからかと思ったが、息も荒い。

 もしかして本当に苦しいのだろうかと思って、流石にまずいと後ろの人たちに心の中で謝りつつ力を込めようとするとむしろ綾乃から俺の方にもたれかかってきた。


 ふよん、の感触を更に広く感じることになる。


 ……why?

 何が起きてるんだ?

 いや正直さっきまではテンパってた方が俺の中で大きいから俺の利かん坊な利かん棒も静かにしていたのだが、なんというか今の綾乃さんがなんとなく色っぽく見えるせいでそろそろヤバイかもしれない。


 流石に電車の中でそれはまずい。

 捕まる。

 俺の人生が終わる。

 綾乃がちらりと俺を見上げると、その瞳はどこかとろんと蕩けているように見えた。

 熱っぽい感じだ。

 体調不良だろうか。

 やけに色っぽいのは本当にやめて欲しいのだが。


 俺は口の中を噛んでいた。

 絶対口内炎になる。

 あの白い精霊の誘惑に耐えてきた俺だ。

 ここでほぼ初対面の女性に興奮するのはまずい。

 頼む俺の良心よ。

 最後の力を俺にくれ。


 やがて、間もなく目標の駅に到着するというアナウンスが流れた。

 

 た、助かった。

 素数を2から順番に1663まで数えていた甲斐があった。

 少し余裕の出来た俺が視線を下に向けると、不意にあるものが目に入った。

 

 スマホを持った手が、不自然に下の方に伸びていて――綾乃のスカートの中を。


 咄嗟にその手を掴む。

 すぐに逃げようとするのを力ずくで抑える。


「……っ!」


 腕の伸びる方向を見ると、眼鏡をかけた、大人しそうな細いおっさんが必死な表情で逃げようとしている。

 そいつを睨みつけ、


「おっさん、次の駅で降りような」


 こちとらパワーには自信がある。

 痣にならない程度の力で確保することなんて容易いのさ。





「ったく……」


 やはり先程のおっさんは痴漢……綾乃のスカートの中を盗撮していたようだ。

 女性の駅員さんがスマホのデータを確認したところ常習犯だったようなので本当に救いようのない奴である。

 しばらく事情聴取を受け、ようやく開放される頃には二時間程が経っていた。


「すみません、トラブルに巻き込んでしまって……」


 綾乃がしょんぼりして謝る。

 あまりにも小動物っぽいその姿に、思わず頭を撫でてしまった。


「気にすんなって。あんなんあのおっさんが悪いに決まってる」


 むしろ気づけて良かったくらいだ。

 

「あ……その……」

「あ、悪い。なんかこう、つい」


 綾乃が俺の腕を見て何か言いたげだったのですぐに頭から手を離す。

 小動物ぽいからと言って頭を撫でるのは良くないよな。

 

「あいえ、その、嫌とかではなく……なんでもないです」

「?」


 さっきからずっと顔が赤いんだよな、綾乃。


「もしかして体調悪かったりする?」

「いえ、むしろ良いくらいと言うか! 平気です! 本当に!」

「あ、そう……」


 そこまで言うのなら本当に平気なのだろうけど。

 人混みが苦手と言っていたし、それで少し体温が上がっていたのかもしれない。

 帰りはちょっと距離あるけどタクシーにするか。

 そろそろダンジョン行って稼がないといけないな。

 明日か明後日あたり行けないかスノウに相談しよう。


「あ、あの、ちょっとお手洗い行ってきてもいいでしょうかっ!」

「いいよ、待ってるから」


 ああ、なんだ。

 尿意を我慢してたのか。




3.side綾乃



 トイレの個室に駆け込み、綾乃は胸を抑えて大きく息を吐いた。


「あ~ドキドキしたぁ~~~~!!」


 手を握って力強く引っ張っていってくれた腕。

 自分を守る為に身体を張ってくれた胸板。

 頭を撫でられた時の大きな手。


(思い出すだけでキュンキュンする……!)


 何を隠そう彼女は筋肉フェチだった。

 力強い男性というものに惹かれる質なのである。

 その点、悠真は綾乃にとってほとんどパーフェクトと言っていい存在だった。


 筋肉フェチとは言ってもボディービルダーのようなそれが好きなのではない。

 あくまでも日常でささやかな主張をしてくる男性の筋肉に、有り体に言ってを感じる性癖なのだ。

 元々探索者になりたくて身体を鍛えていた上に、力強さという点では悠真の上を行く人類はほとんどいない。それは筋肉とは関係ない部分の話だが。


 さりげなくしてくれる心遣いや、痴漢を捕まえた時のキリッとした顔。 

 筋肉フィルターがかかっているせいで色々と美化されている部分もあるが、現状でかなり綾乃は悠真にキていた。

 

 元々男性との会話経験自体が乏しいと言うのもあり、免疫が低い。

 それでなくとも悠真の身体は好みのタイプだ。

 顔も既に彼女の中では美化されているので俳優ばりのイケメンと認識している。

 つまり恋愛経験がゼロの綾乃は道中の様々なものでドキドキとしていたのをほとんど恋と勘違いしているのだ。


(それに他の人と違ってやらしい目で見てきたりもしないし……!)


 これは勘違いである。

 悠真は既にスノウとの経験を経て、そんじょそこらの刺激程度ならば我慢出来るだけの忍耐力を得ていただけ。

 それも決壊寸前だった。

 しかしそこを耐えきったというのも綾乃にとってはポイントが高かった。

 彼の口内炎との引き換えの好感度の高さである。

 

(どど、どうしよう。まだ顔が熱いのが治らない)


 パタパタと手で仰ぐ綾乃。

 それとは別で、トイレの近くで待っている悠真もまた先程の色っぽい綾乃のことを思い出して赤面していたのだが、お互いにそれを知る由はなかった。

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