第8話:トリガー

1.



「いいお湯だったわ~」


 ほくほく顔でスノウが風呂から出てくる。


「長かったな」

「だって気持ちいいんだもん」


 当然のように一番風呂を頂いたスノウは(別に一番風呂に拘りとかないからどうでもいいのだが)一時間半ほどお風呂を満喫していた。


 俺が用意しておいたジャージを着ているが流石にブカブカだな。

 身長も俺とスノウとで10センチ以上差があるのだから当たり前の話だが。

 

 ズボンの裾は折り曲げてあるが、腕は片手で折るのが難しかったのか気にしていないのかそのままなので萌え袖みたいになっている。


 超絶美少女が俺のジャージを着て俺の部屋にいるという状況。

 というかそもそも全裸でうちの風呂に入っているという状況の時点で正直頭がおかしくなりそうだったのだが、正直童貞の俺には刺激が強すぎる。


 しかしそのムラムラを解消させられるようなイベントはその後起きることなく、就寝時間になる。

 と、そのタイミングで困ったことが発生した。


 一人暮らしの部屋なので当然ベッドは一つしかないのだ。


「俺は床で寝るからスノウはベッドで寝なよ」


 あわよくばベッドで二人で寝ようと言い出してくれないかな言い出してくれ言い出せ頼む言い出すんだ!! と心の中で念じながら出した提案は「あら、いいの? ありがと」という全く含みのない受け入れの言葉であえなく目論見が外れてしまった。


 とは言え自分で言いだしたことなので今更どうすることも出来ずに忸怩たる思いを抱えつつも俺は床で眠りについた。


 翌朝、とある事件が起きることなど知りもせずに。



2.



「体バッキバキだな……」


 床でなんて寝たせいであちこちが痛い。

 今日、布団を買おうそうしよう。

 

 洗面台からはドライヤーの音が聞こえる。

 スノウが身支度を整えているのだ。

 今日はダンジョン管理局に行く。

 面接の予定も当然あったが、折を見てキャンセルの電話をしないとな……

 まさか当日になってキャンセルなんて非常識なこと、自分ですることになるとは思っていなかった。


 仕方ないことなので俺にはどうも出来ないのだが。


 それに、正直なところワクワクしていないとは言えない。

 元々の動機がどうあれ――俺は探索者になりたかったのだ。

 そのために体を鍛えたり様々な知識を積極的に取り入れていたのだから。


 結果は適性無しで探索者になれなかったとは言え、その道が偶然もう一度開かれたとなれば――男の子だもの、ワクワクするよねという話である。


 ちなみに俺が今何をしているかと言えば、朝食を作っている。

 食パンをフライパンで焼いているのだが、これがまた少し加減を間違えると黒焦げになってしまうので難しいのだ。

 しかしトースターよりも均一に焼けるのでオススメである。

 慣れない内は様子見しつつやれば大失敗もそうはしないだろう。


 焼き上がったパンを皿に移し、今度は目玉焼きを作る。

 卵を落としてしばらく待った後に少量の水を加え蓋をする。

 そのまま半熟まで蒸す。

 目玉焼きが出来上がるまでに冷凍してあるウインナーを6本出しておく。

 最後にこいつを焼けばトーストに目玉焼き、そしてウインナーと言うオーソドックスな朝食の出来上がりである。



 しばらくして丁度食卓に食事とコーヒーを並べた辺りでスノウが部屋の方へ戻ってきた。

 並んだ食事を一瞥してスノウは少女のように目を輝かせる。

 

「美味しそうね。こういう朝食、憧れてたのよ」


 そうか、漂ってる間は見ることはできても食べることはできないんだもんな。

 こういう朝食はかなりオーソドックスというか、割とある形だから何度も見てきたのだろうか。

 

「そりゃ良かった」

「……その」


 対面に座ったスノウが申し訳なさそうに伏し目がちに切り出す。


「昨日といい今日といい、色々任せっきりでごめんなさい。ご飯も作らせてばっかで」

「別にいいよ。飯作るの嫌いじゃないし」


 それに誰かの為に作るというのもこれまでにない経験で新鮮だ。

 と、スノウがテーブルの上のとあるものに注視していた。

 なんだろうと思って視線の先を辿ってみれば、先程淹れたアイスコーヒーだ。

 とは言え豆から挽くのではなくただのインスタントなのだが。


「どうかしたか?」

「コーヒーって飲んだことないけど、苦いということだけは知ってるのよ」

「あー、そういうこと。一応牛乳あるけど。ミルク入れると多少マシになるぞ?」

「……いえ、このまま飲んでみるわ。何事も挑戦だもの」


 苦いものはあまり得意ではないのだろうか。

 どこか緊張した面持ちでコーヒーカップを持って、


「……いただきます」


 昨日、本契約後にボスのゴーレムの部屋へ赴く際よりもよっぽど張り詰めた空気を醸し出しながらスノウがコーヒーに口をつけた。


「どうだ? やっぱりミルク追加するか?」

「……いえ、割と平気。むしろ美味しい……かも?」

「おお、イケるクチか」

「とりあえず苦手って訳ではなさそうね」


 その後も特に何事もなく食事が進んでいき、俺の方が先に食べ終わったのでスノウが食べ終わるのをぼけっと眺めながら待っていたのだが……


「んっ……はっ……」

 

 なんだかスノウの様子がおかしい。

 苦しそうというか……

 なんというか、色っぽい……?


 ……いや待て待て。

 朝から何を考えているんだ、俺は。


 俺が悶々とする気持ちを気合いで抑えている間にスノウも全てを食べ終わり、最後に半分ほど残っていたコーヒーを飲み干した。


「……っ!」


 ガチャン、と強くコーヒーカップが置かれる。

 というか、ほとんどテーブルに突っ伏すようにしてスノウが脱力している。


「スノウ!?」


 慌ててスノウを抱き起こす。

 女の子特有の柔らかな感触、そして仄かに高い体温――

 そしてとろんと潤んだ瞳。


「……スノウ?」


 ……様子が普通じゃないぞ。


「悠真っ」


 スノウが俺に抱きついてきた。


 スノウが。

 俺に。

 抱きついてきた。


 ……あまりに衝撃的すぎて取り乱してしまった。

 いつも着ているジャージなのに何故かめちゃくちゃ肌触りがいいようにさえ感じる。

 あと腕に当たっている柔らかい感触はま、間違いなく……

 いや待て落ち着け俺。

 ここで取り乱してはいけない。

 俺は鋼の自制心を持つ男。


 

 数十分後。


「…………」

「…………」


 俺とスノウの間に耳が痛くなるほどの沈黙が流れていた。

 流石に居た堪れなくなった俺がその場に高速で土下座をかます。


「申し訳ございませんでした!!」


 あの後もスノウはまるでまたたびをかいだ猫のように俺ににゃんにゃんと甘え続け、とろんととろけた声で俺の名を呼び続けた。

 多分普通の人間なら理性を保てていない。

 けど俺は頑張った。

 押し倒さずに我慢したのだ。


 ただ……ちょっと事故的なあれで乳を揉むくらいはしたかもしれない。

 いやしました。

 だから俺は謝るのだ。

 全身全霊で額を床にこすりつけて。

 

 我ながら土下座検定があったら間違いなく一級を取れるであろう綺麗な土下座である。


「顔をあげて。……あたしも……なんというか、ちょっと我を失ってたわ。それで責めるほど理不尽ではないつもりよ。あたしこそ……ごめん」


 正直全身を氷漬けにされて博物館行きというのも覚悟していたが、スノウは割と寛大に許してくれた。


「……なんであんなことになったんでしょうかね」

「敬語もやめて。多分あれは……昨日言ったもう一つの魔力を増やす方法が関係してるわね」

「もう一つの?」


 そういえばそんなことを言っていたような気がする。


「精霊と召喚主マスターとの間には魔力による強い繋がりがあるの。その繋がりは互いの感情で強くなったり弱くなったりもするんだけど……筋トレを同じようなもので、繋がりが太くなればなるほどあんたの魔力も連動して増えていくのよ」

「互いの感情……?」

「絆が深まったり……まあ、イチャイチャしたりするとってこと。特にく……くっついたりすると効果は大きいわね」


 イチャイチャ……確かに先程のはかなりラブラブなカップルがするようなイチャイチャだったが。

 スノウは顔を真っ赤にしながら続ける。

 

「それを円滑に行う為でしょうね。あたしはさっきその……あんたのことがたまらなく愛おしく思えたの」

「お、おお……」

「なによその反応」

「いやまあなんというかその、ありがとう……?」

「とにかく」


 俺の言葉にスノウはツッコミを入れてくれなかった。

 結構判定厳しいよね。


「さっきのは偶発的に起きたことよ。あまり気にしなくていいわ。多分トリガーはコーヒーね」

「コーヒー?」

「ええ。あれを飲んでからなんだか様子がおかしかったから。多分、精霊と召喚主マスターを円滑にさせる為でしょうね。日常的に摂取するものがスイッチになってるんだわ」

「……なるほどなあ」


 酔っ払って甘えん坊になる人がいるように、スノウはコーヒーを飲むと甘えん坊になってしまう。

 自分なりの解釈にはなるが、多分こういうことだろう。


 とりあえずあれだな。

 インスタンコーヒーは切らさないようにしようかな。うん

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