第5話:本契約

「――え?」


 

 ガバッと体を起こす。

 ……なんで生きているんだ?

 それどころか痛みさえ感じない。

 

 死さえ覚悟したのに、生きているどころか怪我の痕跡が一切ない。


 そして俺にもたれかかるようにして眠っている白い少女に気づく。

 スノウだ。


 な、なんだこれは。

 どういう状況だ……?


「ん……」


 俺が身動ぎしたからだろう、スノウが目を覚ましたようだ。


「悠真!」


 俺が起きているのに気づくと勢いよく起き上がる。

 

「良かった、上手く治せたみたいね」

「治すって……スノウが俺を治したのか? ボスは?」


 スノウが黙ってとある方向を指差す。

 そこには広い空間と、その中央に立ち尽くすゴーレムの姿があった。


 どうやら倒したというわけではなさそうだが……

 どういう状況なんだ?


「……あんたが吹き飛ばされた先が運良く<安息地>だったのよ。こんな偶然、初めてだわ。絶対に死んだと思ってた」


 安息地。

 モンスターが寄り付かない、ダンジョン内に点在するセーフエリアだ。

 ……あのボスが出た時に地形が変化したが故に、ちょうど俺が吹き飛ばされた先に安息地があったということか。


 地形変化で生まれた壁に隠れて見えていなかったところに俺という弾丸が突っ込んだところでそれが露呈したと。

 ……幸運にも程があるだろ。


「……悪い、スノウ。どうしても見捨てて逃げられなかった……」

「それについての説教は後でたっぷりするわ。今はこの状況を切り抜けることが先よ」

「切り抜けるって……」


 安息地は小さな部屋のようになっていた。

 しかし入り口はゴーレムが俺を吹き飛ばして破壊した壁のみ。


 つまりそこから出ればまたゴーレムに補足される。

 さっきと同じ状況に逆戻りだ。


「……二人でダッシュしたらなんとかなったりしないか?」

「確かにそれなら僅かな可能性で、二人とも生き残れるかもしれないわね」

「ならそれしかない。最悪俺が囮に――」


 スノウがむにっと俺の口を手で塞いだ。


「いいえ、あんたは絶対に死んじゃ駄目なのよ」


 パッとスノウの手を取る。 


「……スノウだけ置いて逃げるなんてしないぞ」

「もう分かってるわよ。……安息地にいる今なら……1つだけ、確実に二人が助かる方法があるわ」

「なんだ、その方法は。俺は何をすればいい? 何でもする」


 スノウは何故か顔を赤らめた。

 そして俺をキッと睨みつける。

 

 な、なんで?


「本契約をするのよ。そうすればあんたの魔力の許す限り、あたしが本当の力を使える」

「魔力って……そんなの俺は持ってないぞ」


 なにせこちとら普通の大学生だ。


「なわけないでしょ。ダンジョンに入ったら魔力は非覚醒状態から目覚めるの。だから今あんたは魔力を持ってる。むしろ普通よりずっと多いくらいのね。普通の人間なら一秒ももたないでガス欠だろうけど、あんたの魔力量ならあのゴーレムを倒すくらいは出来るはずよ」

「よくわからないけど……そんなのでいいんなら、幾らでもしてやる! 今すぐしよう、本契約! どうやってやるんだ!?」


 俺はスノウの両肩を掴む。

 二人が助かる方法。

 そんなもの実践しない手はない。


「……ふー……」


 スノウは大きく息を吐いた。

 

「……口で説明するのは憚られるわ。目をつむりなさい。絶対に目を開けちゃダメよ。絶対に」

「そこまで言われるとフリかと思ってしまう俺がいるんだけども……」

「ダメったらダメよ!!」


 スノウは顔を真っ赤にして叫んだ。

 すごい剣幕である。


「わ、わかったよ。目をつむればいいんだろ」


 言われた通りに目をつむると、ひんやりとしたもの――多分スノウの手が俺の顔に添えられた。

 ああ、これまた額にコツンのパターンか。


 なんて思って油断していたら――ふんにゃりと。

 唇に柔らかい感触が当たった。


 流石にこれで目をつむれとの言いつけを守れるはずもなく、うっすらとまぶたを開けてしまうと文字通り目と鼻の先に目を閉じたスノウの整った顔が。

 唇に触れているのはもはや考えるまでもない。

 スノウの唇だ。

 

 よく見たらまつ毛も白いんだな。

 それに長くて綺麗だ。

 こんな綺麗だと化粧とかいらないんじゃないだろうか。

 

 というか何も考えられない。

 一体何が起きているんだろうか。

 

 思考も動きも完全に止まってしまった俺がされるがままでいると、徐々に二人の間に何か・・が繋がっていくような感覚が湧いてきた。

 

 そしてしばらくすると、つい、とスノウが離れる。

 そのタイミングで俺は慌てて目を閉じた。


 少し離れたところから、スノウの恥ずかしげな声が聞こえる。


「もういいわよ……というかあんたもしかして目開けてたんじゃないでしょうね」

「滅相もない」


 俺は慌てて否定する。

 スノウはしばらくジト目で俺を睨んでいたが、はあ、と溜め息をついた。


「……で、いまので本契約ってのは済んだのか?」

「なわけないでしょ。あたしだって死にたいわけじゃないの。これで終わるなら道中で済ませてるわよ。今のは下準備」

「な、なるほど」


 そりゃそうか。

 

「目をつむれ……っていうわけにもいかないわよね……ああもう、なんであたしったらこんな服装なのかしら。本契約後なら……ってその本契約の為に必要なのよね……」


 何やらブツブツ言った後、意を決したようにスノウはガバッとワンピースをたくしあげた。


「なっ!? なにしてんの!?」


 思わず目を背けてしまったが、生っちろい瑞々しい肌とかわいらしいへそ、そしてワンピース故にもちろんその下にある普段見えないはずの下着までばっちり見えてしまっていた。


「ま、まさか死を目前に盛って――」


 ペシーン、と額に氷の礫をぶつけられた。

 結構痛いんだけども。


「違うに決まってるでしょ! ……肌に直接魔法陣を描くのよ。魔力の源は基本的には血液だけど、練ろうと思うとへそを中心に練ることになる。そこを起点に主従契約を正式に結ぶことで<本契約>完了ってこと」

「つまりへそを中心にお絵かきしろってこと?」

「……その通りよ」


 なるほど、それでか。

 普通の服なら最悪上だけ捲くりあげればよかったが、ワンピースなので下から全部たくし上げないと腹は見えない。


そしてお絵かきをしなきゃいけないということはつまり、目を瞑ることさえ許されない。

 

「……なるべく下は見ないようにする」

「当!  然! よ! ていうか早くしてほしいんだけど! ずっとこうしてたらあたしが痴女みたいじゃない!」


 顔を真っ赤にしたスノウが叫ぶ。

 ごもっともである。

 待てよ。


「魔法陣描けって言われても……描くものがシャーペンとボールペンしかないんだけど」

「そんなので描いたら痛いでしょ! 指でやるのよ、指で!」

「デザインは?」

「もうあんたの頭に浮かんでるはずよ!」


 そう言われてみてハッとする。

 確かに描くべきものは何故か既に思い浮かんでいるのだ。

 不思議すぎる感覚である。


「……本当に……早くしてほしいんだけど……」


 先程まで荒ぶっていたスノウのテンションが、我を取り戻してきたのか静かになってきた。

 こうなると次の段階はリアルに暴れだしそうに感じたので、俺はとっとと右手の指をスノウの腹に触れさせる。


 その瞬間。

 指の先に、なにやら白い光が灯った。


「な、なんだこれ」

「あんたの魔力が可視化してるのっ……はや、くして……!」

 

 柔らかい――が、太っているわけではない。

 むしろスタイルは相当いい方だろう。

 しかし俺の腹とは全く異なる感触に一瞬戸惑ってしまう。


「はや、く……!」


 先程までの恥ずかしそうだったり怒ったりの態度とはまた異なるトーンでスノウに急かされる。

 なんというか、苦しそうだ。

 

 頭に思い浮かぶデザインに指を添わせていく。

 そして指が動くたびにスノウが苦しげに呻く。

 なるべく早く終わらそうと思って指を素早く動かそうとすると、


「ちょ、っと……早すぎ……る、から、もっとゆっくり……!」

「わ、わかった」


 どうやら早すぎてもダメなようだ。

 なんだか艶かしくさえ聞こえてきたスノウの声をなるべく意識しないようにして、3分ほどかけてようやく描ききった。


「で、できたぞ」


 俺がそう言うと、スノウはその場に崩れ落ちた。


「っ……はぁ……くっ……ふっ……」


 息を必死に整えているようだ。

 どうやら<本契約>というのは相当な苦痛を伴うらしい。


 なるほど、これは道中でできないわけだ。

 いつモンスターが襲いかかってくるかわからないダンジョンでこんな注意力散漫になりそうなことをしていたら命がいくつあっても足りない。


「だ、大丈夫か? だいぶ痛かったみたいだけど」


 俺が手を差し出すと、スノウはそれを握ってふらつきながらも立ち上がる。


「……平、気よ……。別に痛くはないし」

「……そうか」


 俺に心配をかけまいと強がっているのだろう。

 まだ頬が赤いままだし、ダメージは残っているはずだ。


「……これであんたもあたしも助かるわ。あのボスを倒して帰るだけよ」

「だな」


 些細なことかもしれないが、「あんたもあたしも」、と俺を優先して言うあたりがスノウの心優しさを象徴しているのだろう。


「なにわらってるのよ」


 可愛らしくむくれたスノウが俺の脇腹を軽く小突く。

 <本契約>前の絶望的な雰囲気は既にない。


 そしてその後すぐ、俺は精霊の――スノウの本領を目の当たりにすることになる。

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