第2話:絶望の先に
1.
心臓が早鐘のように鳴っている。
いや――それどころじゃない。
胸が張り裂けそうなほど激しく脈打って、呼吸のたびに喉が乾いていく。
――俺はこの現象を知っている。
同じくこんな目にあって
あの男も、最初はこうだったと言っていた。
極限の恐怖が、体を内側から食い破ろうとする感覚だと。
10年前、世界中にダンジョンが突如として出現した。
今までに何人もの探索者が挑み、いくつかのダンジョンは既に攻略されているのだが――未攻略のダンジョンは一向に減る気配がない。
それは何故か。
とは言っても年に多くてもギリギリ二桁行くか行かないかくらいの数。
それが世界中に散らばるわけで、言ってしまえばダンジョンの出現に巻き込まれる可能性は宝くじに当たるより遥かに低い確率だ。
そして俺はたまたま運悪く、そのダンジョンの出現に巻き込まれた。
……ということなのだろう。
気づいたら、見知らぬ洞窟の中にいた。
さっきまで確かに駅前の歩道橋を歩いていたはずなのに。
「……死んだかな、俺」
声が、妙に虚ろに響く。
周囲を見渡せば、湿った岩肌がぼんやりと光を反射している。
どこから光が差しているのかも分からない。
ただ薄暗い空間が、どこまでも続いているだけだ。
ダンジョンの出現に巻き込まれる人間は宝くじに当たるよりも低い確率とは言え、やはり年に数人は出る。
そしてそれに巻き込まれた不幸な人々は唯一の例外を除いてそのまま行方不明か、変わり果てた姿で発見されているのだ。
だからこそ10年前、世界中に数百個のダンジョンが同時に出現し、それに巻き込まれた数万人の中で唯一生還した、特殊部隊に所属していたアメリカ人は未だに崇められているという訳だ。
……そんな彼も3年程前にダンジョンで命を落としているが。
「入り口が発見されるまで粘ればなんとかなる……かもしれないけど」
入り口が発見されて、誰かが攻略を始めて、俺のいる地点までたどり着くことができれば或いは生き残ることが出来るかもしれない。
しかしそれは無理だろう。
俺は特殊部隊の人間じゃない。
その上素手だ。
もし万が一モンスターをうまく凌ぐことが出来たとしても餓死して終わり。
今でこそダンジョンは攻略法が確立され、専用の武器や防具も入手出来る。
が、そんなものを普段から持ち歩いているのはよほどの変人だ。
というかその手の武器や防具は免許を持っていないと逮捕されるし。
もちろん俺がそんな都合のいい武器を持っているはずもなく、唯一持っている辛うじて武器になりそうなものはボールペンとシャーペンである。
……人が相手だとしてもちょっとした怪我を負わせられる程度だ。
俺が少年漫画に出てくる、舌で人を突き殺したり自分で投げた柱に乗って移動できるような殺し屋だったらまだしも、こちとらなんの取り柄もない天下無敵のザ・凡人である。
それに特殊部隊の彼が運良く生き延びたのは、培った戦闘技術や隠密行動のイロハのお陰と言うよりは、ダンジョン内で偶然見つけた<スキルブック>によるものが大きいと言われている。
スキルブックとはそれを読んだ者に特殊な力を与える本だ。
ダンジョン内のどこかに一つだけ存在していると言われている。
特殊な力と言っても火を吹けるようになったり肌が鉄のように硬くなったりと様々なのだが。
しかし攻略済みのダンジョンでさえ未だに<スキルブック>が発見されていない例もあったりするので結局のところは謎ばかりだ。
ちなみにスキルブックは一度使用すると燃えてなくなるので特殊な力を何人にも配ったりすることは出来ない。
ちなみに最初の生還者はパワーが途轍もないことになるというシンプルかつ強力な能力だったらしい。
……まあ彼が生き残ったのがスキルのお陰だとしてところで、もし万が一俺が同じ能力を運良く<スキルブック>を見つけて入手したとしても、生き残ることは出来ないだろうけども。
彼は手に入れた魔法のようなスキルに加えて特殊部隊として培った現実的なスキルも持っていたから生き残ったのだ。
「よりにもよってダンジョンで……俺は死ぬのか」
乾いた笑いが喉から漏れた。
冗談じゃない。
こんな場所で、こんな理不尽な形で人生を終わらせてたまるか。
ダンジョンにはモンスターと呼ばれる凶悪な
明らかにゴブリンにしか見えないゴブリンやどう見てもオークにしか見えないオークがいたりと、ダンジョンが実は人間の手によって造られたものではないかという説を提唱する者がいるが……まあそれは今はさほど関係ない話か。
ゴブリンだろうがオークだろうが普通の人間よりは圧倒的に力も強いし、皮膚も硬いらしい。
どう考えてもペンで勝てる相手じゃない。
もしうっかり
一応道は続いている。
というか、まるでこちらへ来いと言わんばかりの綺麗な一本道だ。
ここで朽ち果てたくなければ進むしかない。
「……一応、武器になりそうな石くらいは持っていくか」
心細いので頻繁に独り言を呟きつつ、少し壁にめり込んでいるが手頃な大きさの石を見つける。
握りこぶし大の、角ばった石だ。
これなら投げつければ多少は――いや、気休め程度だろうが。
石に手をかけ、ぐっと力を込める。
ぼこっ、と鈍い音を立てて石が抜けた瞬間――
ゴゴゴゴゴゴ――
突如、重い地響きが足元から響いてきた。
何だ、何が起きた!?
慌てて後ずさると、目の前の壁面が――まるで口を開けるように、
いや、割れたというより、最初からそこにあったかのように滑らかに入り口が出現したのだ。
「……は?」
呆然と立ち尽くす。
これは……罠か?
それとも――
恐る恐る中を覗き込むと広さは四畳ほど、天井の高さは3メートル程度の空間がそこにはあった。
そして、その中央には――石膏のようなもので出来た台座。
――その上に鎮座する、一冊の本があった。
心臓が、再び激しく脈打ち始める。
今度は恐怖ではない。
これは――期待と、信じられないという驚愕が入り混じった、奇妙な高揚感だ。
俺は震える声で、小さく呟いた。
「……スキルブックだ」
ドキュメンタリーで見たままの空間に、見たままの台座。
あれはかなり正確に再現されていたものらしい。
まさか、本当に、こんな偶然が――
足が勝手に動いていた。
吸い寄せられるように本へと近づいていく。
台座の前に立ち、その本を見下ろす。
古びた革の装丁。
しかし埃一つ積もっていない、まるで時間の外に置かれていたかのような佇まい。
俺は惹かれるように本に手を伸ばし、手に取った。
さほど分厚くはない。
精々が市役所で配られるパンフレット程度だ。
こんなもので本当にスキルが? と思う反面、体はほとんど自動的にページをめくっていた。
――言語は理解出来ない。
日本語ではないことは間違いないし、アルファベットでもない。
しかし内容は何故か一目で理解出来た。
文字が、直接頭の中に流れ込んでくる。
知識が、意味が、力が――
――授かる力は
精霊を呼び出し、共に戦う。
瞬間、本が青白い炎に包まれた。
驚いて手を離そうとするが、熱さは全く感じない。
炎は音もなく本を包み込み、そして――完全に消えてしまった。
灰にすらならない。
まるで最初から存在しなかったかのように。
今の炎は普通のものではないのだろう。
いや、そもそも今起きていること全てが普通じゃない。
しかしそんなことも気にならないまま、俺は――知識として流れ込んできた言葉を、無意識に口にしていた。
「……
途端、足元に魔法陣のようなものが浮き出た。
幾何学的な文様が淡い光を放ち、その中心に光の粒のようなものが集まっていく。
それは徐々に形を取っていって――やがて、それは人の姿になった。
光が収束し、輪郭がはっきりとしていく。
真っ白く長い髪を二つに括り――俗に言うツインテールというやつ――、透き通るような白い肌を持つ女性。
身にまとっているのは純白のワンピースのような服で、周りの岩肌に全く似つかわしくない儚さのようなものが見て取れる。
そしてつり上がった気の強そうな青い瞳が、真っ直ぐに俺を見据えていた。
息が、止まった。
いや、息の仕方を忘れたと言った方が正しいかもしれない。
息の詰まるような美人だ。
いや、美人などという言葉で言い表すことが適切なのかということすら考えてしまう程の圧倒的な美しさ。
人の言葉で形容することさえ烏滸がましいと感じてしまうような神秘的な存在だとさえ感じる。
現実感がない。
こんな存在が、本当に目の前にいるのか?
これは夢じゃないのか?
そしてその真っ白い美女はしばらく俺を見つめていたかと思うと――やや呆れたような、しかしどこか面白がっているような表情で、ぽつりと呟いた。
「――なるほど、
……普通で悪かったな。
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