第四章 性質

 いい女をゲットしたけりゃ、クズな男になれ。裏な界隈じゃよく言われることだ。でもよ? いくらいい女が欲しいからって、人はそう簡単にクズになれねえ。クズになるにはこう、とにかく歪み切ってどうしようもない何かを胸の中に持ってないと駄目なんだ。まあ、オレには縁のない話だよ。


 秋風に冬のにおいが混じり始めていた。冷たく澄んだ空気は空を高く見せている。もうすぐ十一月だ。オレが守護官の研修生になって一ヶ月が経とうとしてるんだ。

 七階建ての会別署の屋上にあるヘリポート。そこでオレは空を眺めていた。どこかで風がヒュウと鳴る。

「よぉ、ゴンちゃん。風が気持ちいいな?」

 オレの傍らには権藤彦九郎、通称ゴンちゃんがいる。守護官の白い制服を着てるんだが、太ってるからパツンパツンな感じになってる。もっともゴンちゃんに言わせりゃ、これで体にぴったりフィットしてるらしい。

「ん。そうだねえ……」

 オレたちはドクターヘリが来るのを待っていた。なんでも影人との戦闘で負傷した守護官が運ばれてくるらしい。ゴンちゃんはひっきりなしに額の汗をぬぐいながら、上空を見回している。このゴンちゃんの様子からすると、どうやらそれなりに重傷みたいだ。

「落ち着けよゴン。オレがさくっと治してやる」

「……ふ~」

 ゴンちゃんは大きく息を吐いた。白髪頭の丸い顔が赤みを帯びたみたいになる。どうにも焦れてるらしい。ちょっと落ち着かすか。そういう気持ちで聞いてみる。

「ところでよ、ゴンちゃん。カルテかなんかないのか?」

「カルテ?」

「カルテだよ。患者の情報が入ったヤツ」

「カルテはないが……」

 そう言ってゴンちゃんはタブレットを差し出した。画面にはこれから運ばれてくる守護官の情報が映っている。名前は剛田ごうだ一強いっきょう。顔写真を見れば、ラボでオレをいびりやがったあのウェイトリフティング体形の筋肉野郎だ。なんだよ、剛田一強って!? 剛田ってどんな分野だよ!? そこで一強だったら、なんかいいことあんのか!? わけわかんねー!! で、階級は守護巡査部長……階級?

「……なぁ、ゴンちゃんよ。オレが任官したらどうなるんだ?」

「どう、とは?」

「階級だよ。このゴリラは守護巡査部長みたいだな? で? オレは?」

「うむ。研修期間を終えて任官すると、守護巡査になる」

「守護巡査?」

 さえねえ名前だな。

「美雨もそうなのか?」

「そうだ」

「莉奈は?」

「桃川君は守護巡査部長だ。史上最年少で昇進したんだ」

 さすが莉奈、真面目だな。

「で、オレは守護巡査、と」

「うむ」

 そりゃねえよな?

「……なぁ、ゴンちゃんよ。オレは東大病院から教授のオファーを受けた男だぜ? そういう扱いでいいのか?」

「……」

「ところでゴンちゃんは何だ? ゴンちゃんの階級は?」

「私か? 私は守護警視正だ」

「じゃ、オレも警視正でいいや」

「え?」

「ゴンちゃんとおそろいだ。いいだろ?」

 オレってば謙虚だ。強欲とは程遠い存在なんだ。

「それからよ、治癒専門技官みたいなポストをオレのために作ってくれよ。もちろん特別手当も弾んでくれよな。ほんの気持ちでいいんだ。東大病院はオレに年俸五億出すと言ってたが……オレもそこまでは期待してない。な? ほんのちょっとの誠意でいいんだ。見せてくれよな?」

「う、む」

「ゴン。オレがいれば誰も死なない。死なせない。そうだろ?」

 パンパンとゴンちゃんの肩をたたく。

「そうだ。その通りだ……」

 ゴンちゃんは何かの覚悟を決めたようだ。

 遠くの山並みの上に小さな黒い点が現れた。やれやれ、やっと来たみたいだな。ヘリだ。オレをいびりやがったあの野郎が運ばれてきやがる。でも今のオレは医者だ。命を救いたい。そういう使命感が私情を上回っちまってるんだよな。

 ヘリが到着した。オレはさっそうと乗り込む。フライトドクターたちがオレを見る。どうしてこんなところに来るように言われたんだ?という怪訝な気持ちと、もしかしてそうなのか?っていう期待。それを感じるぜ。そうとも、ついに日本にも現れたんだよ!! そしてこのオレがそうなんだ!!!

 ところでオレをいびりまくりやがったゴリラ野郎はストレッチャーに寝かされていた。一言でいえば、かなりヤバい状態だ。ところでオレは医者だから患者様の自尊心に配慮する必要がある。だからじろじろ見たりしたい。とにかくゴリラの肉厚の手を取った。

「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」

 医療ドラマに出てくるイケメン医師にしか言えないようなセリフを平然と口にするオレ。マジかっけ~。治癒光を流し込む。つながれた手が淡い光に包まれた。剛田の体が治癒光を受け入れていく。顔が元通りになって、呼吸脈拍ともに安定してきた。

 目が見開かれる。切羽詰まった目だ。オレをジロリと見る。そこにはいらだちみたいなものが見て取れた。どうやらまたすぐに戦いに行くつもりらしい。

「いい、いい。寝てていいんだぞ」

 眠りをイメージした治癒光を流し込んだ。剛田は眠りに落ちる。心を落ち着かせるには寝かせるのが一番だ。もはやオレは医者。そうとしか言いようのない状態だ。さて、これでオッケーだな。

「たぶん、これで大丈夫と思います。念のため、病院の方でも検査していただけますか?」

 オレは未来の同僚たちに紳士的に笑いかけた。感動と尊敬の、好意的なまなざしが集まる。最高だぜ。オレはイケメン医師を目指してるからな。さっそうとヘリから降りる。

「どうかここで見たことはご内密に願いたい」

 ヘリに頭を突っ込んでゴンちゃんがオレの同僚たちに口止めする。いいね。オレのVIP感も高まるってもんだ。

 剛田を乗せてヘリは飛び去った。一仕事終えた。そういう気分だね。

「一磨君、ありがとう」

「お礼はいいから、さっき言った話、忘れんなよ?」

「わかっている」

 は~、やれやれ。一仕事終えた後の、なんか手持無沙汰な感じだ。こういうときタバコとか嗜んでるとカッコイイんじゃないか? でも医者のオレがなぁ? どうなんだそこらへん。

「桃川君たちとはうまくいっているようだね?」

 ゴンちゃんが後ろから話しかけてくる。

「あ? もちろんだろ」

 ちょうどいい機会だ。この際、聞いておくか。

「ところでゴンちゃんよ。一応聞いとくが、莉奈たちってオレんちにいていいのか? 親御さんたちは心配してないのかよ? なんならウチのおふくろに挨拶に行かせるぜ?」

「いや、二人はもともと会別署の守護官寮にいたから、その心配はない。青山君は会別市の守護官の数が足りてなかったから丸太市から単身赴任してもらったんだ。桃川君については……まあ、いろいろあってね」

「あ? いろいろって何だよ? ちょっと見せろ」

 オレはゴンちゃんのタブレットをひったくって、莉奈のページを開く。そして莉奈のプロフィールの一番下に特記事項があるのに気付いた。

『特記事項:影人事件孤児。両親及び姉を目の前で殺害された過去あり。要配慮』

「うわ、やっべ……」

 思わず口を突いて出た。ヤバイ。なんかオレ、ヤバいことした気がする。なんだっけ? 目の前で殺されたってことは死体を見たってことだよな? あのとき莉奈はたしか、「一磨くんはご遺体は平気なの? わたしはまだ、胸が苦しくなる……」とか言ってたはずだ。あれって、こういう過去込みの発言だったのかよ!? やっちまったな。オレ、やっちまったわ。マジ要配慮だわ。

「……おい、ゴン。莉奈が影人事件孤児って書いてあるんだが?」

「まあ、そういうことだ」

「今度から、こういうことはちゃんと報告しろよな?」

「え?」

 ゴンちゃんはきょとんとするが、地雷を踏み抜いた男にしか出来ない顔しているオレを見て察してくれたようだ。

「ああ……わかった」

「今度オレに『そんなの聞いてない』って言わせたら……どうなるかわかってんな?」

「……わかった」

 あのとき、莉奈は別にオレに怒ってなかった。だから大丈夫だ。オレ、知らなかったしな。だから大丈夫なんだ。莉奈は優しいし。うん、そうだ。セーフだろセーフ。

「じゃ、オレは莉奈たちと合流するから。なんかあったらまた呼んでくれ」

 オレはゴンちゃんに背を向けて手を振った。これがイケメンスタイルだ。

「ところで一磨君!」

「あ? なんだよ」

 かっこよく去らせろよ。

「幼稚園の話は聞いているかね?」

「幼稚園?」

「今度、会別署では市内の幼稚園児を招いてイベントをするんだが……」

「……それがどうした? それってオレに何か関係あるのか?」

「詳細は……桃川君たちから聞いてくれ」

 変なゴンちゃんだ。なにか言いづらいことか? でもオレには関係ねーよな、幼稚園児とか。まあ、好きにやってくれ。そういう感じだ。


 莉奈たちのいる訓練室に向かいながら、オレは考えていた。

 莉奈は影人事件孤児だった。これは衝撃の新事実だ。オレはもしかしたら、けっこう無神経なことを言ってたかもしれない。でも、知らなかったし、莉奈は優しいし、だから大丈夫なんだ。それはそれとして、莉奈が影人孤児で両親がいないとなると、何かこう……何か出来そうなんだよな。オレにとってすげえポジティブなことが。それって何だよ?

 考えているうちに訓練室に着いた。

 この訓練室ってのは、とにかくでかくした体育館みたいなところだ。一面頑丈そうな板張りで、天井も高い。二階席も設けられてて、データを取りたい皆さんやヒマしてるヤツらが訓練を見てたりする。

 オレも二階席に上がって訓練室を見渡してみる。守護官の訓練と言っても、何か特別なことをしてるわけじゃない。筋トレしてるヤツもいれば、道着を着て組み手をやってるヤツもいる。かろうじて模擬戦用の操光兵器で実戦演習をやってる連中がいるくらいだ。これじゃあ、ほとんど普通の警察と変わらねえ。もっと近未来な感じにならねえかな。バーチャルリアリティであらゆる場所を再現して、そこに影人のデータを打ち込んだロボットを投入したりとかよ。

 訓練してる連中の中に莉奈たちを見つけた。二人とも白い剣道着を着て、手には模擬戦用の操光兵器を持っている。莉奈はいつもの光の長剣と光の盾。美雨は光の大剣だ。二人に挟まれているのは黒い剣道着を着た男。例の剛田一強をさらに一回り大きくしたようなマッチョだ。両手で槍状の操光兵器を構えている。見た感じだいぶベテランだ。ベテランのゴリラだ。ちなみに模擬戦用の操光兵器は、兵器同士なら弾きあい、人の体に当たったらスルーするというご都合主義な便利グッズだ。子供用のおもちゃとしても売り出したい一品だ。

 今度は二階席を見回してみる。そこでオレは、守護官の白い制服を着た一人の女を見つけた。年の頃は二十代の前半か? 他の人たちから離れたところで柵にもたれかかって電子タバコをフカしている。ちょっと話しかけてみるか。オレはずかずかとそのお姉さんに近づいた。

「よぉ、お姐さん。訓練しなくていいんスか?」

 お姐さんがオレを見た。そしてちょっと笑う。口元を皮肉にゆがめる感じの笑いだ。それが癖になってるっぽい感じだ。

「あたしはレベルⅠだからな。訓練しても意味ないよ。役得といえば、例のスーツを着なくてもすむところだけ」

「たしかに。あのスーツはヤバいっスよね~」

 髪を切るのがめんどくさいのか、長い黒髪が腰まで伸びてる。昔はキュート、でも年月と修羅場に磨かれて今のクールビューティーにたどり着いた、そんな感じだ。つーか、どっかで見たことあるような気がする。

「つーか、お姐さん。昔、会別川の川原で影人消したことないスか?」

「何年前の話? いちいち覚えてないんだけど……」

 オレが小五のときに、川原で見た守護官の人に似てる気がしたんだよな。もう五年くらい前になるわけか。

「それにしてもお姐さん、誰かに似てるんだよな~」

 姐さんがじっとオレを見る。だいぶ感情をすり減らしてきた目だ。でも別に嫌な感じはしない。不思議な目だ。

「ラボに灰島っていない?」

「ああ、いるっスね」

「あれが兄」

「あの野郎……ッ!」つい言ってしまった。「姐さんからも言ってやってくださいよ。あの野郎、オレをモルモット扱いしやがるんですよ!」

「へぇ~」

 興味なしかい!!

「ども。改めて、オレがレベルⅢの治癒系でおなじみ、闇堂一磨っス」

「灰島千景」

 千景姐さんと並んで、オレは金属製の柵にもたれてみた。莉奈たちの方を見ると、二人はベテランゴリラを相手に戦術の確認をしているところらしい。

「千景姐さん、影人どうスか?」

「どうって?」

「ほら、影人の体って温かくも冷たくもなくて、なんかゴムタイヤみたいな感触じゃないスか? あいつらマジなんなんでしょうね?」

「そんなの、あたしに聞かれてもなあ」

 莉奈が盾を押し出しつつ、ベテランゴリラの前に立つ。美雨はベテゴリの周りで円を描くようにステップを踏みながら、隙をうかがう。莉奈が戦線を維持して、美雨が遊撃する。二人の得意のスタイルだ。

「そういやアンタって七班だったっけ?」

「そうっス」

「二人とも、張り切ってるでしょ?」

「いや、まあ、ご覧のとおりっス」

 訓練場の一角に注意を促す。ベテゴリの背後を取った美雨が一気に間合いを詰めていた。ベテゴリは槍を横に薙いで美雨に距離をとらせるが、そのあいだに莉奈が間合いを詰めていく。

「張り切ってんね」

「っスね」

 千景姐さんは電子タバコを口にくわえて大きく息を吸った。それから大きく息を吐く。訓練場の高い天井に煙がただよって消えた。

「最初の一、二年はいいかもね。でも、それからだよ」

「それから?」

「だんだん分からなくなってくる。どんなに影人を狩っても、影人はいなくならない。いつのまにか『何のためにこんなことしてんだろ?』って考えるようになる」

 重っ! なんか重くねースか姐さん!

「あの子たちも、いつか疲れてしまう日が来るかもしれない」

 今のところ、それは想像しづらいが……たしかに絶対にないとは言い切れない。

「もし子どもを持つことが出来たら、守護官にだけはしたくないかな……」

 最後の一言はオレに言ったんじゃなくて、いつも考えてることがふと口を突いて出た、みたいな感じだった。

 初期のころは、警察や自衛隊の操光術に適性を持つ人たちを操光術者にしていたが、やがて人手が足りなくなり、国は満十五歳になった者全員に適性検査を課すようになった。それが今から十年前のことで、それ以前に満十五歳を迎えた人たちはこの検査を受けなかったことになる。

 間の悪い世代の、運の悪いヤツら。それがオレたち守護官ってことだ。

「……」

 なんも言えねえ。社会人ってのはヤバいな。こんなふうに他人の一生の一端を垣間見ないといけないんだからよぉ……。

 莉奈たちを見れば、ベテゴリが力押しを始めていた。莉奈たちは十分間合いを詰めて有利な立場を確保していたが、光の槍を縦横無尽に振り回すベテゴリに押され、再び元の位置に押し返されていた。戦略的に動くことはできるが、相手がごり押しを始めると戦線の維持が難しくなる。どうやらそれが莉奈たちの課題みたいだ。

「ところでアンタ、もう実戦はこなしたんだってね」

「え? ああ、そうっス。とりあえず二体、狩ったったぜ」

「高校の剣道部を巻き込んだって聞いたけど」

「そ、それは違うぜ姐さん! 巻き込んだんじゃねえ、あいつらの方から巻き込まれに来たんスよ! ダチの仇を取りたいってさぁ! で、オレはあいつらの心意気に打たれて協力したってわけっス。わかるっしょ? 男が漢に惚れるってやつだ!」

「最近ね……ここ二、三年のことだけど」

 無視か~い!!

「影人に触れる時間がどんどん長くなってきてる。前までは触れて五秒くらいでふわっと黒い霧になって消えてたけど、今は十秒以上、長い時は三十秒は触れてないといけない」

「えっ?」

 レベルⅠは影人を消すために影人に直接触れる。その触れている時間が長くなってきてる、と千景姐さんは言っている。それってどういうことだ?

「少しずつ彼らも進化を始めたのかもしれない」

 影人が進化? そんなことがあるのか?

「アンタも気を付けた方がいい。遊び半分で民間人を巻き込むと取り返しのつかないことになるよ? 『誰も死なせたくない』なら、もっと慎重になった方がいい」

 重ぉぉぉ~~い!! つーか、オレが剛田一強に言ったセリフって、もう守護官全員に知られてる感じなのか!? ちょっとフカしてみただけのセリフなのによ!?

「肝に銘じるっス、姐さん」

「ん」

 なんか説教されちまった感じなのか? でもさらっと終わったし、これはいい説教だ。

 一方、莉奈たちはベテゴリに押しに押されて、戦線が維持できなくなっていた。そして完全に分断されたところで各個撃破。光の槍の穂先が二人の体を貫いていく。

「あ~やべえ。負けちったよ」

「みたいね」

 ベテゴリは二人を近くに呼び寄せて、何か訓戒みたいなのを与えてるみたいだ。つーか莉奈たちより強いヤツってフツーにいるんだな。なんか舐めてたわ。守護官舐めてたわ。

 ふたりがベテゴリにお辞儀をする。訓練終了だな。

「それじゃ、行ってくれば?」

「うす」

 ふたりのところに行きかけたオレを、千景姐さんが呼び止める。

「最後に一つ。七班の別名を知ってる?」

「別名? 知らねえっス」

「『良識班』ね。余計な仕事を自分から抱え込みに行くから、アンタ、覚悟しといた方がいいよ。じゃね」


「ようようよう、お疲れちゃ~ん☆」

 オレはふたりの前に立ちはだかった。

「すげえじゃん。あのベテランのゴリラ、最後本気出してたぞ」

 とりあえず褒めてみる。あのベテランのゴリラがどういう立ち位置のヤツか知らんけど。

「一磨くん、見てたんだ」

「おうよ。つーか莉奈、ゴリラに力負けしたからって気にする必要ねえぞ。ゴリラは力が強いもんだからな。実戦じゃあオレもいるし、オレの治癒光があれば余裕で戦線を維持できんだろ」

「うん、そうね。頼りにしてるね、一磨くん」

 オレはぐっと親指をおっ立てた。おっけー任せろって意味だ。

「ねえ、一磨。ボクは?」

「ああ、美雨にも驚いたね。まさかあの美雨がマジメに訓練してるとか」

「もぉ一磨。ボクだって頑張ってんだよ? ほら見て!」

 ほら見てって、何を見せるつもりだよ!? 美雨は上着の前を緩めたかと思うと、そのまま諸肌もろはだ脱ぎになった。率直に言って、上半身にはスポーツブラしか残ってない。さすが美雨。さすがクレイジー。

「ほら、腹筋だって割れてるし、力こぶだってあるでしょ?」

 腕を曲げてぐっと力を入れる美雨。だが……。

「あ、ああ……たしかにすごい胸筋だ。めっちゃ鍛えてんな?」

「……一磨? これ、ボクのおっぱいだよ? 確かめる?」

「確かめる? 何をだ? なに言ってんのか、さっぱ分かんねえ……」

「美雨ちゃん。女の子があんまりお肌をさらしちゃダメよ?」

「はぁい!」

 そうだ莉奈。そのクレイジーに常識を教えてやってくれ。

「ところでよぉ、二人はこれからどうすんだ?」

「ボクたち、これからちょっとシャワーを浴びてくるからね! 汗かいたもん」

「そーか。シャワーね」

 オレも汗流しとくか。そう思って、ふたりの後ろをついていく。が、シャワー室の前で二人してオレを振り返った。

「ちょっと一磨? どーしてついてくるの?」

「え? シャワー室に行くんだろ? いやオレもさ、さっき屋上で一汗かいちゃってさ。汗流そうと思って」

「でも、こっちは女性用だよ?」

「細かいことは気にすんな。行こうぜ?」

「気にするよっ!!」

 オレは追ん出された。どーゆーことだよ? 特に美雨、お前の中の恥ずかしいと恥ずかしくないの境界ってどーなってんだよ!?


 夕方、莉奈の運転する車に乗っかって、オレたちは帰ってきた。でもまだ家に入るのは早い。オレの中のなんとなくな感覚がそう言ってる。どうして勤め人どもは家に帰る前に居酒屋に立ち寄るんだろうな? 今のオレなら百パー理解できる。つまりワンクッション置きたいんだよな。そういう感じなんだよ。仕事に引きずりまわされた後に、自分の意志でちょっとしたアクションを起こす。それで一息つくわけだ。というわけで、オレは自転車にまたがった。

「よぉ、お二人さん。先に帰っといてくれ。オレ、ちょっと出かけてくるからよぉ!」

「ねえ、一磨っていっつもどこに行ってるの?」

「まぁ、なんだ。男のちょっとした息ヌキってやつかな?」

「なにそれぇ?」

「つまり美雨、お前の何倍もでかい胸を持った女に会いに行くってこったよ! じゃな~!」

 オレは力いっぱい、自転車を漕ぎ出した。


 夕方のケイトリンズカフェは今日も学校帰りの学生たちでにぎわっている。そしてオレはいつもの片隅の席で居心地の良さを感じていた。相方はもちろん深太先生だ。

「なぁ、深太先生よぉ」

「うん」

「昨日の夜からなんか辛気臭え場面が続いてんだよなぁ」

 まずは遠藤くんの母上殿が泣くのを我慢してたこと、次に莉奈の涙、美雨は世界を元通りにしようとか言っちゃってるし、今朝はゴンちゃんが脂汗を滴らせながらオレをヘリポートに引きずっていくし、千景姐さんは未来を悲観してるみたいなことを言ったこと。

 深太先生はオレの話を黙って聞いてくれる。はぁ、最高だぜ。やっぱ持つべきものは話を聞いてくれるダチだよな。

「つまりアレだよ。辛気臭えところがあんだよなぁ、守護官ってのにはさ。オレ的には肉体的にキツイってのは嫌なんだけど、それ以上に精神的にキツイってのが嫌なんだよなぁ。どんより暗い感じになっちゃってさぁ。周りのノリが悪いと楽しめねえじゃん。やっぱテンポよくポンポン話が進む感じじゃねえとな。そーだろ?」

「そうだね」

「というわけでよ、オレもちょっと考えてみたんだ。で、例えばこういうのはどうかな? 守護官には殉職者がいる。ってことは負傷した守護官ってのもいるんじゃないか? そいつらは今、入院してるわけだ。そこにオレが行ってよ、そいつらを片っ端から治しちまうってのはどうなんだよ? そしたら、こう悲壮感みたいなものも減るんじゃないか?」

 我ながら名案だと思った。

「それはどうだろうね」

「……なんでだ?」

「入院している人が、全員治してほしいと考えてるとは限らないってこと。影人との戦いに心が付いていけなくて、怪我が治っても退院したがらない。そういうケースもあるからね」

 マジかよ。守護官、けっこう病んでるな。

「もちろん、治りたいと思ってる人を治すのはいいことだ。ただ、そのときは慎重にやるべきだね。慎重にやらないと、心を病んでしまった人をさらに追い詰めるような状況が発生することになる」

「わかった。そこらへん、ちょっと考えてみるわ」

「うん。でもまだ研修期間中でしょ? まだ、そんなことまで考えなくてもいいような気もするけどね」

「まぁなぁ……。でも、オレもけっこうコミットしちまっててさ」

「そうか」

 コーヒーをすする。ほかの客の笑い声が聞こえる中で、なんか辛気臭い会話しちゃってる。深太先生にも申し訳ねえ。

「でもよぉ、いまさら守護官にならないとか言えんけど、それでもアレだよな。やっぱオレって病院にいた方が人様の役に立てるような気がするんだよなぁ……」

「どこも大変だよ」

「へえ、そんなもんか?」

「おまたせしました~」

 スチーブがオレの前にイチゴのケーキを置いた。

「おい、頼んでねえぞ?」

「ごほうびだよ。カズちん、頑張ってるみたいだし」

「スチーブ、お前ってヤツぁ……」

「で? カズちん、昨日はうまくいったの?」

「いったさ。全てはスチーブ様のおかげだ。神だよマジ」

「よかった!」

 忙しい中でも気遣いを忘れない。スチーブってのは人間関係の神だよ。

「ところで……」深太先生が入り口の方を指さした。「彼女は一磨の知り合いじゃないの?」

 振り返ると入り口の扉のガラス細工の嵌め窓の向こうに人影があった。色ガラスのせいでぼやけてるが間違いねえ。あの女だ!あのクレイジーだ!

 スチーブがつかつかと入り口に歩いていく。そして扉を開けた。

「おっとっとぉ!」

 見事なおっとと芸だ。あんなんコメディードラマでしか見たことねーぞ?

「あ、あの! 待ち合わせでっ!」言いながら店内を見回す。「あ、一磨っ!」

 大声でオレの名前を呼ぶ。客の何人かが美雨を振り返る。なんか恥ずいぜ……。パタパタとこっちに来る美雨。玄関のコート掛けにあったっぽいおふくろのコートを羽織って、見た目が微妙に不審者になってる。

「美雨……お前なにしてんだよ?」

「えっへへ~。一磨のこと尾行してたんだよ!」

「カズちん、知ってる子?」

「あ、ああ。前に言ったろ。オレに護衛が付いてるってよ。そのうちの一人だよ。青山美雨だ」

「はじめまして! 青山美雨ですっ! よろしくおねがいしまーすっ!」

 ペコリーとかいう効果音が付きそうなお辞儀だ。さすが美雨。コミュ力だけで世の中を渡ってきただけのことはある。

「で? 美雨、なんで来たんだよ? ここはオレの憩いの場所だぞ?」

「え~だってえ、一磨が『お前より胸のでかい女のところに行ったるぜ!』とか言ったから、ボク心配になったんだよ?」

 おい、ちょっとオレのセリフを改変してんじゃねえよ!?

「……ねえ、カズちん。胸のでかい女って、もしかしてぼくの母さんのこと?」

「ち、ちがう!」いや、ちがわねえが。「いや、待てよスチーブっ! やめろ、オレをそんな目で見るなっ! ちょっとしたジョークじゃねえかッ!!」

 クレイジーガールが! さっそく災厄をもたらしやがって……っ!!

「ねえ、一磨のお友達を紹介してよ!」

「あー、このイケメンがスティーブ・マックグッド。オレはスチーブって呼んでる」

「スチーブくん! かっこいいねっ!」

「うん、ありがと」

「で、こっちは黒ノ谷深太。深太先生だ」

「こんにちはっ! 青山美雨ですっ!」

 挨拶をすませると美雨は空いてた椅子に何の遠慮もなく座った。そしてメニューをざっと見て。

「スチーブくん! ボク、ストロベリーパフェ!」

「かしこまりました~」

 スチーブも注文を通しに行かなくてもいいのに。ほっときゃいいんだよ……。

「一磨っ!」

「あ?」

「ゴチになりまぁす!」

 さすがクレイジー。オレにたかりやがる。とんでもねえ。

「それでえ? ふたりでどんなお話してたのぉ? おせーて?」

 美雨が踏み込んでくる。オレの領域に、よ。

「まあ、いろいろだ。オレだっていろいろ考えてるからよ。それにこちらの深太先生は正確な前提情報を渡すと的確な判断をしてくれることで有名なんだ。お前も自分の未来が見えなくなったとき、相談するといいぞ」

「どゆことぉ? ダメだよ一磨。自分のことは自分で考えないと」

 クレイジーに説教されるオレ。

「ねえねえ深太くん。一磨のことだからさ、女の子の話してたんじゃないのぉ? ね、深太センセ、一磨って今まで彼女とかいたことある?」

「いないよ。一磨はずっとシスコンだったからね」

 深太せんせえッッ!!!!??

「あ、そうなの? あ、でも……そういえばそんな感じだったかも……」

 まて美雨、お前はオレのなにを知ってるんだ、言ってみろ。

「おまたせしました」

 イケメンウェイターがストロベリーパフェを運んでくる。

「いただきまあす!!」

 美雨はパフェにパクつき始める。オレは決めた。このクレイジーが食べ終わった瞬間に帰る。今日はもう帰るしかない。

「ん~おいちい~」

 美雨は一心不乱に食べている。このままグルメ動画が撮れそうだ。『出現! 大食いパフェ女M』とかいって。

「ああ、おいちかった! ごちそうさまでしたぁ!」

 いい食べっぷりだったな、じゃ帰るか。撤収、きょうは撤収だ。

「わ、わりいな。今日はもう帰るわ。深太先生、また話そうぜ。スチーブ、今日もコーヒーうまかったぞ! じゃな~」

「あっ、一磨っ! まってよ~」


 オレは自転車を押して歩いている。ちきしょう、なんでオレが美雨に歩調を合わせないといけないんだ。

「一磨、高校のお友達と会ってたんだね」

「あ、ああ、まあな」

「一磨、高校に行けなくなってさみしい?」

「残念だが男に損得勘定はない。漢ってのは与えられた場所で輝く生き物だ。与えられた場所でベストを尽くすもんだ。医者ともなればなおさらだ」

「ふふふっ、一磨らしいねっ」

 ちきしょう、美雨、マジでお前はオレの何を知ってんだッ!!

「で、美雨。お前はどうなんだよ?」

「ボク? ボクは中学三年生のころに任官したからね。ほんとは卒業式までいたかったけど、でも、ボクだって頑張らなきゃ。莉奈さんが頑張ってるんだもん」

 さすがクレイジーだ。とにかくポジティブだ。

「頑張ろうね、一磨! 世界を、元通りにしようねっ」

「あ~……」

「ベストを尽くす!だもんね」

「あ~そうですね~」

 と、ここでゴンちゃんに言われたことを思い出す。

「そういや、幼稚園って何の話だ? 今日ゴンちゃんから聞いたんだけどよ」

「幼稚園? あ、それはね~。今度、幼稚園の子たちを招いたイベントをやるんだ~。だからそのときにボクたちって、出し物で演劇をやることになったんだよっ」

「は? ボクたち?」

「そ。ボクたち、七班が!」

「いや、お前……オレに何の相談もなく……」

「ふふふ。それはゴメン。でもさ、きっと楽しいと思うんだぁ。一磨が影人の役をやってさ、ボクと莉奈さんが守護官役で一磨をやっつけるの!」

「楽しくねえよ!? 楽しいわけねえだろ!?」

「一磨」

 なんだ? めっちゃいじわるな笑いだ。

「一磨が影人役やるときさ、全身黒タイツ着てよね」

「は? なんでお前が決めるんだ?」

「だってボクが脚本兼演出担当なんだもん。莉奈さんに任されたの!」

 やば……なんかヤベー予感しかしないわ。なんとか着らずにすむ方法を考えないとな。


 オレの家に帰ってきた。家はひっそりとしてる。でもこの中には莉奈とおふくろがいる。家に帰ると誰かいるってのはいいもんだな。

「そうだ、美雨。ここでも訓練しようぜ」

「訓練?」

「突入訓練だよ。オレは正面玄関から、美雨は裏口から。真知子とかいう妖怪を制圧しようぜ」

「わけわかんないよぉ。でもいいよ!」

 さすが美雨だ。ノリのいい女だ。

 美雨が裏口に回り、オレは玄関の扉をそっと開けた。今のところ、何の物音も聞こえてこない。靴を脱ぎ、つま先立ちになって、廊下を進む。たぶん二人はリビングにいるだろう。莉奈は家に帰るとまずシャワーを浴びる。で、今頃はリビングでくつろいでるころだ。とすると、おふくろもリビングにいるということになる。あの女は莉奈のいるところに必ず現れるからな。

 リビングの扉の前に立った。誰かの話す声がかすかに聞こえる。たぶん莉奈だ。そおっと音のしないように引き戸を滑らす。ちょうど斜め前にソファに並んで座る莉奈とおふくろが見えた。莉奈は……おふくろに抱きついている。おふくろはそれが当然みたいな顔をして、莉奈の頭を撫でていた。

「お母さん……お母さん……」

 え? どゆこと? 莉奈、めっちゃ甘えた声出してんじゃん。そうゆうキャラだっけ?

「お母さん……大好き……」

 ……い、いや、莉奈だってこういうふうに誰かに甘えたいときもあるよな? そうだよな? しっかし、見られてると気づかれたら莉奈がかわいそうな気がするぞ。そっといなくなろう……。

 おふくろと目が合った。

「あら」

 おふくろおおおおお!!!! オレに気づくんじゃねええええええ!!!

「一磨、帰ったの?」

 莉奈がはっとして振り返る。オレはその表情をなるべく見ないようにした。

「あ、ああ。まあ、帰ったよ」

 オレは微妙な笑顔のまま、バックして玄関まで戻ってきた。外に出ると美雨とばったり出くわす。

「あ、一磨! 裏口のカギ、かかってたよ! 突入しっぱ~い☆」

「ざけんなっ、んなもんガッツリ蹴破っちまえよっ!!」

「もぉ~、そんなことできないよぉ~」


 夕飯の席。気まずい。はっきり言って気まずい。莉奈の視線を感じるが、莉奈の方を向けない。会話もぎこちなくなる。

 夕飯後、美雨は「じゃ、ボク、脚本を『執筆』してきまーす!」の一言とともに自分の部屋に引っ込んだ。永遠に完成しないでほしい。

 そんなこんなでオレは自分の部屋に帰ってきた。一人きりで考える。守護官のこと、そしてこれからのこと。

 守護官のこと。それはいい。それはこの際、もういい。でも、これからのこと。そう、莉奈がおふくろをお母さんと呼んでいた。それはいい。ここまではいい。いい傾向だ。どんどん仲良くなってくれていい。でもなんかひっかかる。もしかしてまた、オレは何か大きなことを見落としてるんじゃないのか? あのときのように、オレが治癒光で医者になれると気づいたときのように。何を見落としてる? 見落としてるもの、それって何だよ?

『お母さん』

 莉奈はオレのおふくろをそう呼んだ。そうだ、ここに! ここにヒントがあるんだ……。

 遠慮がちなノックの音がオレの思考を中断させた。

「はいよ?」

「一磨くん、入ってもいい?」

 莉奈の声だ。

「あ、ああ、いいぞ」

 莉奈がオレの部屋に入ってきてドキッとする。姉貴の寝間着を着た莉奈。姉貴とはちょっと方向性が違うが、しっかりエロい。

「どったんだよ、莉奈。まあ座ってくれ」

 莉奈をベッドに座らせる。

「一磨くん……」

「ん?」

「ごめんなさいっ!」

「ど、どうしたんだよ? なんに謝ってるんだ?」

「今日、わたしが真知子さんのこと、お母さんって呼んだのを聞いたでしょう?」

「あ? ああ、それがどうした?」

「わたし、一磨くんのこと傷つけちゃったよね? 勝手にお母さんなんて呼んで。お姉さんの思い出も汚して……。でも……でも、真知子さんは私のこと美香子さんだと思ってるのに、わたしは真知子さんのこと、真知子さんって呼び続けるのが苦しくて……。本当に、本当にごめんなさいっ……!!」

 悲痛な声だ……が……。

 いや、オレには全く分からないんだが? いったい莉奈は何に謝ってるんだ? むしろオレの胸はこんなにも感謝で張り裂けそうになってるってのによぉ?

「なあ、莉奈。マジに聞いてくれ。あの女の精神の平衡を保てるのはもう莉奈しかいないんだ。あの女を喜ばすためなら、もう何でもしちまってくれ。オレはかまわねえ。オレのことなんか考える必要ねえんだぞ……」

 この世界で一番意味のないもの、それはオレの感情だ。どうにでもなりやがれ。

「でも……」

「でもも何も、あの女は莉奈のこと本当の娘だと……おも……って???」

 娘? 自分の娘? 真知子は莉奈を『自分の娘』だと思ってる? そうか……そうだったのか……。やっとわかった。オレはついに答えにたどり着いた。なんだ、こんなことか。簡単なことだったんだ。

「莉奈!!」

「きゃっ!?」

 気づいたとき、オレは莉奈の肩をガツッとつかんでいた。そして莉奈の目をまともに覗き込む。

「莉奈、ガチのマジに聞いてくれ。ウチの養子にならねえか? 真知子の次女むすめになってやってくれねえか? この際、闇堂莉奈になってみねえか!? ちなみに言っとくが、ウチの総資産はギリギリ十一桁ある。おい、十一桁だぜ? それなりに贅沢もできるってもんだ。どうなんだよ莉奈。真知子の娘になってくれ。そしてオレの姉ちゃんになってくれ。なるって、そう言ってくれ!!」

「え……でも……」

「でもじゃねえ。莉奈、ご両親の思い出ってのは大切だ。二人は莉奈のこと、とても大切に思ってただろうな。でもだからこそ、莉奈は今、前に進まないといけないんだ。そして前に進むってのは人助けをするってことでもある。要するに、あの哀れな女を救ってやってほしいんだ。莉奈、お前にならできる!!」

「一磨くん……私のこと、知って……?」

「莉奈、お前だから言うんだぜ? 真知子の娘になってくれ。オレの姉ちゃんになってくれ。なるって、そう言ってくれ……!!」

 オレはストレートにしか投げられない男さ。莉奈はそっと肩を掴んだオレの手を外した。視線をそらして、じっとうつむいている。オレは莉奈の前に正座した。

「莉奈、マジだぞ。こんなにも莉奈を必要としているオレと真知子がいるんだぞ。見捨てないでくれ。莉奈、それは罪なことだよ。もしいつかオレたちの班が別々になったりして、絡みがなくなって、あの女を捨ててこの家を出ていく日が来たら。それは『終わり』ってヤツさ。いいのかよ? オレたちに希望だけを持たせていなくなっていいのかよ? 莉奈、お前はもう、この家の家族になるしかないんだよ。闇堂莉奈になるしかないんだよ。そうだろ?」

 莉奈の目にじわりと涙が浮かんだ。その涙にどんな意味があるのか、オレには分からない。でももしかしたら、オレの一世一代の大演説に心を動かしてくれたのかもしれない。それならどうだ? イエスという返事を、言ってくれるのか?

「ちょっと……考えてもいい?」

 希望は……つながった。オレはそう判断した。

「もちろんだ」

 オレは力強く言った。

「いい返事を期待してるぜ、莉奈」


 オレの人生にも運が向いてきたかな? 鼻歌でもフカしたい気分だ。そんなことを思いながら、オレは守護警察署の廊下をずんずん歩いていた。今日もびしっと背広スーツでキメている。莉奈と美雨は訓練。というわけでオレはゴンちゃんの執務室で茶ァしばいて、茶菓子でもむさぼったらぁ!

「よ~う!」

 オレの行く手に外ハネ髪のマッチョ日焼け女が立ちはだかった。ゴリラこと剛田一強の妹分、紫ノ原志有だ。みんなからはシユウと呼ばれてる。その後ろには細マッチョの打撃系、当麻次郎。あだ名はマジローちゃん。

「どうしたんだよ?」

「一応、お礼を言っとかなきゃって思ってさ。アニキを助けてくれてありがとな」

 なんて礼儀正しいんだシユウ姐さんは。姐さんはゴリラなんかじゃねえ、人間だ。

「なに言ってんだ、オレは医者として当然のことをしただけだな」

 よく見ると二人とも制服の袖から包帯がのぞいている。この分だと中も結構巻いてるのか?

「どうしたんだ? 怪我してるじゃねえか」

 ……じゃねえか、のところでもう治癒光が発動する。最近の治癒光ちゃんはせっかちだ。二人の身体を包んで、どうやら全快させたみたいだ。

「へえ、すごいな」

 自分の身体を眺めまわしながらシユウ姐さんが言う。どうやら身体から痛みが消えたみたいだ。

「まあな、それがオレだ」

「アタシらってさ、これでも武闘班って呼ばれてるんだ。でも、全く歯が立たなくって、逃げられちゃった。アンタも会ったら気を付けなよ。並みの影人じゃないから」

「オレの心配はいらねえ。オレは物理無効だからな」

「そか。で、借りは返しておきたいんだけどな? どお? お姉さんとイイコト、する?」

 派手に突き出た胸をぐいぐい強調しながらニヤニヤしてやがる。オレをもじもじさせてえなら、その手には乗らねえぞ? ついでに人員を確保してやるッ!!

「イイコト? ぜひお願いしたいね。具体的にはオレのいる七班って今度、幼稚園児の前で寸劇やらないといけないんだが、いっしょに出てくれ。子供たちの社会科見学に貢献するんだ。すげえイイコトだろ? とりあえず美雨といっしょに『街の平和はボクたちが守る!』って叫んじまってくれ」

「……うん」

 シユウ姐さんはにっこり笑った。いい笑顔だ。オッケーなのか? だがなぜ一歩下がった?

「そいじゃ、借りはいつか返すからな。じゃな~」

「お、おい! ちょっと待てェッ!!」

 シユウ姐さんは行っちまった。あとにはオレとマジローちゃんが残された。

「マジローちゃんは出てくれるのか?」

「……いや、それだけは勘弁してくれ」

 マジローちゃんはそれだけ言って、踵を返した。おい、なんだよ。いかにも普段は寡黙だがやるときゃやるみたいな雰囲気だしといてこれかよッ!? とんだヘタレヤローだな。マジつかえねー。おまえらそんなに美雨が怖いのかよ? ちきしょう!


 悲しみを紛らわそうと、オレはゴンちゃんの執務室で飲んだくれていた。主にお茶を。応接用の革張りでふかふかなソファに身体が沈み込んで、いつも心にかかるのはこれからどうしようということだけ。

「おい、ゴンちゃん。なんとかならねえか? オレが全身黒タイツを着らずにすむようにしてくれよ」

「うむ……」

 ゴンちゃんは上の空で鏡に向かって身だしなみを整えている。

「なにやってんだよ、ゴンちゃん。これからデートか?」

「これからこの署の全職員に向けて、先月の状況とこれからのことについての訓示をね、しないといけないんだ」

「へえ、このテレビ電話でやるのか?」

「そうだ。これが全職員の端末や部署のモニターにつながっている」

 ゴンちゃんは最後に襟を正した。

「そういえば一磨君。君の六階級特進と治癒専門技官の話、通ったよ」

「へえ、そいつはめでたいね」

「あ……あいさつ、してみるかい?」

 ちらっと上目遣いにオレを見たゴンちゃん。オレはうれしくなった。

「おい、ゴンちゃん。そういう既成事実を積んでおこうって魂胆か? なにがなんでもオレを任官させるために? うれしいね、いつからそんなタフな交渉ネゴができるようになったんだ? もうハムスターじゃねえ。立派なタイガーだな。もちろん、改めてみんなに紹介してくれ。オレが闇堂一磨守護警視正だってね」

 ゴンちゃんはテレビ電話での通信を開始した。

「全職員諸君、署長の権藤彦九郎だ。これより月例報告を始める。まず先月の影人による被害状況の概説だが……」

 ゴンちゃんが説明をしている間、オレはネクタイを直す。びしっと決めてやる。オレがここにいるってアピールしないとな。

「さて、本日は一人の少年を紹介したい。現在研修中の、諸君もよくご存知の有名人であり、任官と同時に六階級特進が決まっている闇堂一磨君だ」

 パソコンのモニターの上に外付けされていたカメラを引っこ抜いてオレは自撮りを開始する。

「よう、ただいまご紹介に預かった闇堂一磨だ」

 ちらりとモニターの方を見る。イケメンな少年の、いや立派な青年のドアップが映っている。演説開始だ。

「なあ、お前ら。この世界で最強の職業は何だと思う? それはな、医者だ。医者こそ、この世界で最強なんだ。そしてこの世界でもっとも気高い職業でもある。

 医者は病気やケガを治す。これは誰にとってもマイナスなことじゃない。そしてオレこそが医学界の頂点に君臨しているんだ。なにせオレはレベルⅢの治癒系で、東大病院から教授のオファーが来たこともあるんだ。

 オレの親父も医者だった。偉大な医者だったんだ。いつも言ってたよ。患者さんの自尊心を尊重しようと。生けとし生けるものの尊厳を守ろうと。医者ってのはそういう使命感にかられちまってるんだな。そういう職業なんだ。お前たちもいちいち遠慮する必要はない。なんでもオレに相談してくれ。なんならほんのちょっとした怪我でもいい。お前ら、いつも頑張ってるじゃん。この世界をむしばむ影人と戦ってる。いいね。オレは使命感を持ってるお前らが好きだよ。悪くねえと思ったんだ。

 というわけで何かあればオレのところに来い。オレがすぐに治癒してやる。さっきゴンちゃんも言った通り、オレは任官と同時に六階級特進して守護警視正になる。お前ら、オレに敬意を払えよ。そうすりゃ……お前らが対価として受け取るのは、まさに神の恩寵ともいうべきものだ。オレを信じろ。オレは医者だ。オレは最強の医者なんだ」

 ここまで言ってオレは思った。この言葉に説得力を持たせたいってね。

「というわけで、オレの力を見せてやる」

 オレがイメージしたのは木漏れ日。この守護警察署のど真ん中に巨大な吹き抜けができたみたいに、最上階から地階まで光がすっと差し込む。やわらかい、ほんのりぬくい光が差し込む。微風が光を揺らして懐かしい匂いを運んでくる。そんなイメージだ。ふわっと足元から軽くなって、足取りが弾んでしまいそうな、そんなイメージだ。この建物が透明なコップになって、光は注がれて、光に満たされて、光があふれていく……。

 広域無差別治癒術式、名付けて『クロタイツキタクナイ』。

「レベルが一つ違うだけでこれだよ。オレはお前たちとは違う。オレはお前たちには見えてない景色が見えている。これが第三世代ということだ。そして男には二種類いる。何も言わずにやるべきことをやるヤツ。そしてこれからやることを全部言って全部実行するヤツ。オレは後者さ。そのオレが断言しておく」

 そして決め台詞。いくぜ!!

「オレが誰も死なせない! オレを信じろ!! いいか? オレを信じろ!!!」

 完璧に決まったぜ。オレ最高ッ!!

「……ということだ。何かあったら一磨君に相談しなさい。今回は以上だ」

 通信を着る。

「どうだゴンちゃん。オレは完璧に決めただろう」

「……ああ、そのようだ」

「六階級特進の話、通してくれてうれしいよ。ご褒美をやろう。この……」

 と言いつつオレは深太先生のケータイを取り出した。

「このケータイの緊急連絡ボタンの『3』に登録してやる。こいつに登録されてるといつでもどこでもオレと連絡が取れるんだ。怪我人が出たときとか、すぐにオレにつながるぞ」

「それはありがたい」

 オレはゴンちゃんの番号を登録すると、さっきの名演説の反響を確かめるべく、訓練室にいる莉奈と美雨のところに行くことにした。執務室を出る前、オレはふと気づいたことを言う。

「おっ、そうだゴンちゃん。剛田一強の話じゃゴンちゃん、痔なんだって? どうだ、さっきの光で治ったろう」

「え……」

「じゃな!」

 オレは手を振って執務室を出た。


 訓練室に入るとみんながオレのことを見た。仲間内でささやきあって、どうやらオレのうわさをしているみたいだ。う~ん、さすがオレ。気分いいね。

 莉奈と美雨を見つけて駆け寄る。

「よう! どうだったさっきの。名演説だったろう」

「もぉ、一磨。恥ずかしいったら!」

 と美雨。

「なに言ってんだ? 恥ずかしい? どこが? ところで聞いた通りだ、二人とも。オレは任官と同時に守護警視正になる。これからはオレのことを闇堂一磨守護警視正殿と呼べ。それから青山美雨守護巡査。これは命令だ。オレは全身黒タイツなんて着ないぞ。すぐに脚本を書き直すんだッ!!」

 ビッシイイイイ!!! き、決まったァァァァァ!!! さすがオレ!! かっこよすぎ!!

「やーだよっ!」

「は?」

「だって『任官と同時に』でしょ? だったらまだ研修生じゃん。研修生が正規の守護官に逆らえると思ってんのぉ?」

「な……なんだとぅッ!?」

 さすがクレイジー。変なところで頭がキレやがる……ッッ!!

「と、ゆーことで闇堂一磨研修生! これは命令です! 今度の舞台で影人の役をしてください! もちろん全身黒タイツで!!」

 ぐはあああッ!! ちくしょう……はめられたッ!!!

「お、覚えてろよ美雨ッ!! オレが守護警視正になった暁にはテメエッ!! 絶対オレに敬語使わしてみせるぞ……ッ!!」

「やーだよっ!」

「あ?」

「だって、どんなになっても一磨は一磨だもんねっ☆」


「……と、ゆうことがあったのさ」

「なるほどね」

 ケイトリンズカフェでオレは傷心をいやしていた。こういうとき親身になって話を聞いてくれる親友ダチがいるってのは、本当に幸せなことだよな。

「なぁ深太先生よぉ、守護官ってのはしんどい仕事だよなぁ。せっかくオレがいい感じの演説をしたってのによぉ。なぁ深太先生。オレってミリア・グレイに会えないかな? ミリアちゃんはオレと同じ能力者だし、会えば意気投合しちまうと思うんだよな。どーよ?」

「……うん」

「どうしたんだよ深太先生。何かあるのか?」

「ミリア・グレイは最近、過労で倒れたらしいんだ」

「あ? マジかよ? 治癒光使いも大変なんだな。できれば見舞いに行ってやりてえもんだ。っつーか、治癒光使いも過労で倒れるのか? 自分で自分を治癒すればいいだけだろ?」

「……一磨は守護官たちの前でいつでも治すって言ったんだよね?」

「あ? ああ」

「一磨、まじめな話をする。聞いてくれ」

 オレはいつだって深太先生の話は真面目に聞いてきたんだ。それなのに敢えて深太先生はそういう前置きをした。オレには分かる。これから半端なく大切な話が始まる。

「一磨、操光術の仕組みについては知ってるよね」

「あ、ああ。光脈に光路を通して、それで光素を外部に放出させるんだろ?」

「そう。そして四か月前、一人のレベルⅡ+の操光術者が亡くなった。彼は十年以上もの間、対影人の最前線に立ち続けたベテランだった。彼はその日の影人との戦闘の後、意識を失って搬送先の病院で眠るように息を引き取ったそうだ。こういうケースは他にも報告されてて、原因の調査が行われていた。ミリア・グレイの話はその延長線上にあるんだ」

「つまり?」

「操光術者が生涯に使える光量は有限だということ。そして、それを使い果たしたときに死ぬ」

 空白の時間があった。やがてその空白をケイトリンズカフェの喧騒が埋めていった。

「これはまだ公にはなってない情報だ」

「だったら……どうして深太先生は知ってんだよ?」

「それは察してほしい」

 そうなのか。深太先生のオヤジさんは地元ここ選出の衆議院議員だ。しかも、防衛族の期待の若手だ。そのルートから、ってことか。深太先生、やばすぎる。上流階級ネットワークに連なっちゃってる。

「レベルⅡ+は強化スーツによって光の放出量を増大させる。だから一回の装着と操光兵器の使用で消費する光量は大きくなる。そしてレベルⅢが一回の術技で消費する光量は、それよりさらに大きなものだと考えられてる。通常の守護官として活動する場合でも、五年は持たない。ミリア・グレイみたいに、来る者全員を治癒していたら、一年四ヶ月の時点で過労で倒れるという事態も起きる」

「……」

 ここへきて衝撃の新事実発覚じゃねえか!!

「じゃ、じゃあよ、オレ、東大医学部の教授になって東大病院に行ってたら、ヤバかったってことか?」

「そんなことないと思うよ。これは僕の勘だけど、半年に一回くらいVIPの治癒をして、後は周りからちやほやされながら、のんびり暮らせたんじゃないかなと思う」

「そうなのか?」

「うん。またチャンスあるんじゃないかな? 自分が何をしたいか、心の整理をつけてた方がいいね」

 なんでそんなこと言えるんだよ……。おい、深太先生、まさか……。深太先生は澄ました顔でコーヒーをすすっている。オレは……踏み込んでいくことができなかった。伊賀のジイさんが来訪したいきさつを、完全に聞き損ねた感じだ。

「さて」

 深太先生はソーサーにカップを置いた。

「これからどうする?」

 オレはこれからますます治癒光を使う機会が増えるだろう。そうすりゃ寿命も縮む。深太先生の見立てでは、オレはあんまり長生きできないらしい。だからと言って……それがなんだってんだ? おふくろは……たとえオレが死んでも、莉奈たちがいれば楽しく暮らしていくだろう。深太先生やスチーブは……きっと理解わかってくれるはずだ。だったらオレは……最期まで、惜しみなく与え続けるんだ。

 オレの中で治癒光が脈を打った。そんな気がした。『癒したい』そう言ってる。そうだよな相棒。やってやろうぜ。この世界を癒す。それしかない。そうだろ?

「……癒してやるさ、世界をね」

「そうか」

「深太先生。人間はただ生きるためだけに生まれてきたんじゃねーんだ。意味が無きゃ。命に意味を持たせなきゃ。オレには医者としての使命感がある。そしてその使命感に技術が完全に追いついている。なにしろ治癒光ってのはどんな病気や怪我も治すもんな。なぁ、深太先生。オレは完璧で完全な医者だ。そうだろ? だからオレを『記憶』してくれ。オレがオレとして生きることに実は何の意味もねえ。オレは医者になることで自分の人生に意味を持たせてえんだ。オレを止めるなよ、深太先生」

「わかったさ。一磨の意志を尊重する」

「あんがと、深太先生」

 どのみち、オレの人生に哲学なんてねえ。医者ってのは動物なんだよ。純粋な動物だ。目の前に患者がいればそれを治す。それが本能にまで高められてるんだよ。

「にしても不思議なもんだ。医学部は絶対に無理とか言われてたオレが医者に、それも最高の医者になれるんだからよ」

 オレは軽い感じでこの話題を閉じるために、テキトーにフカシてみる。

「なぁ深太先生、オレは医者になれるこのチャンス、逃すつもりねーぞ?」

「うん。一磨なら……そう言うと思ってた」

 コーヒーをあおる。そうだ、この際、深太先生に後々のことをいろいろお願いしておくか。

「ところで深太先生よ。前、オレに護衛が二人ついてるって言っただろ? で、一人がこの前会った美雨で、もう一人が莉奈っていうんだけどよ。おふくろはそいつをウチの姉ちゃんだと思い込んでるんだよな。しかも莉奈は影人孤児で両親がいねえ。どうよ? つまりそういうことだろ? というわけで莉奈にウチの養女にならねえかって言ってみた。そしたら考えさせてほしいってよ。オレもちゃんと考えてんだよ、オレが死んだ後のおふくろのことをよ。オレってばなんて親孝行な息子なんだろうな?」

「……」

「本来ならオレが死んで悲しむようなおふくろじゃねえんだ。それなのにここまでやる。オレも相当なお人よしだよ。まあ、そういう状況だから、オレに何かあっても深太先生のお力でそこらへん、うまいことまわしてくんねえか?」

「一磨。一磨はそれでいいかもしれないけど、まだまだ対応するべきことがあるんじゃない?」

「対応するべきこと? なんだそりゃ? なに言ってんだよ深太先生。大丈夫だ。オレが死んで悲しむヤツなんていねえ」

 ガチャアアン……と背後で音がした。振り返ればスチーブだ。足元にはコーヒーがぶちまけられ、白磁のコーヒーカップのかけらが散乱していた。スチーブの白いズボンもコーヒーで汚れている。

「よぉ、スチーブ。大丈夫か?」

 オレはスチーブの方に歩み寄ろうとして。

「ぐにょおおおおおおお!!!!??」

 スチーブに顔面を殴られて吹っ飛んだ。

「い、いでえっ!? ど、どーしたんだよスチーブ!?」

「出てって!!」

「え?」

「もう二度と!! ぼくの前に顔を見せないで!!」

 や、やべえ……ッッ!! スチーブが怒ってる。しかも今にも泣きそうだ。鈍感なオレも一瞬で気付いた。聞かれた。そして傷つけちまった。親友ダチを、よ。やべえッッ!! とにかくなんとかしないとやべえ……ッッ!!!

「ち」

 もう恥とか外聞とか気にしてる場合じゃねえ……ッッ!!

「ちがうんだスチイイイブうううううう!!!!」

 オレは全力でスチーブの足元にタックルをかました。親父のスーツがコーヒーに濡れるし、カップのかけらは腹に刺さる。でもそんなこと、気にしてる場合じゃねえんだッッッ!!

「許してくれええええッッ!! ちょっと可哀そうな自分に酔って気持ちよくなってただけなんだよおおおおお!!!! スチイブううううううううう!!!!」

 全力でスチーブの足にしがみついてるオレ。

「スチイブにッ!! スチーブに捨てられたらァァァッッ!! オレはマジに独りぼっちでさみしく死んでいくしかなくなる……ッッ!!! スチイブうううう、オレをッ、オレを捨てないでえええええええええッッッ!!!!」

 スチーブのおみ足にほっぺたを擦りつけまくる。オレも必死だ。

「一人でッ!! 一人ぼっちでッ! 寂しくてッ!! 凍えて死んじまうよぉぉぉぉぉッッ!!!」

 だが……。スチーブは絡みついたオレの腕から足を引き抜いた。

「……」

 そして、そのまま無言で、スタッフオンリーの奥に行っちまった。オレは取り残された。茫然とした。オレはいったいどうなってしまったんだ……。

 ここでやっと周りの視線がオレに集まってるのに気づく。

「み……見世モンじゃねーぞ!!」

 オレは席に戻った。

「深太先生、ヤバいことなった。深太先生の助けが必要だ」

「大丈夫だよ。僕の記憶する限りの一磨とスチーブから推して、すぐに仲直りできるから」

 さすが深太先生だ。深太先生の御言葉は、どうしてこうも深くオレの心に染みわたっていくんだ……? 深太先生のお言葉はいつだって全力で信じられる。ところで……。

「深太先生は怒ってないか? 大丈夫か?」

「別に。僕にはどうして一磨がそういうことを言うのか、見えてるからね」

 親友ダチだ。やっぱり深太先生はオレの親友ダチなんだ。オレは感動して泣いた。怒ってくれるのも、受け止めてくれるのも、一つの親友ダチの形なんだ。

「え、あ、すんませ、オレもやります!」

 そしてオレは床の片づけを始めたミズ・ケイトリンの手伝いに回った。


「あれっ?」

 帰宅してリビングに顔を出して一秒。美雨が気づきやがった。

「一磨、どーしたの? 口元にあざができてるよ? あ、背広スーツからコーヒーのにおいがする!」

「うるせーな。オレは男社会に生きてんだ。生きてるだけで、そりゃいろんなことがあるんだよ」

「ふ~ん? えいえいっ☆」

「突っついてんじゃねー!!」

 なんて女だ。さすがクレイジー。

 親父の部屋でコーヒーまみれの背広スーツを脱いで、部屋着に着替えた。再びリビングに戻り、滑り落ちそうな勢いでソファに座る。

「あ~……」

 台所では莉奈と美雨と真知子によるアットホームドラマが繰り広げられていた。そのやり取りを聞きながら、オレは夕飯を待つことにする。

 深太先生はすぐに仲直りできると言ってたが……オレはもう学校に行ってない。接点といえばケイトリンズカフェしかねえ。さて、どういうタイミングで行ってみるか。それが問題だ。

『ピンポ~ン』

 インターフォンが鳴った。

「一磨~出て~」

「あいよ~……」

 オレは立ち上がってインターフォンのモニターを覗き込む。そこにいたのは……。

「スチーブ!!」

 スチーブだ!! オレは玄関に向かって走り出していた。勢い任せに玄関の扉を開ける。

「スチーブっ! 来てくれたのか!!」

 スチーブはムスッとしている。スチーブが不機嫌そうなんてのは本当にレアだ。でも、そんなことはどうでもいい。スチーブが来てくれたんだ。ありがてえ。ありがってえ。

「ねえ、カズちん。今日、カズちんの家に泊めてよ」

 見ればスチーブは学校のカバンと着替えが入ってるっぽいスポーツバッグを両手に提げてる。どうやら今日はウチにお泊りして、明日はウチから登校するつもりみたいだ。最高だぜ。

「なに言ってんだスチーブ! ここはスチーブの家でもある! そうだろ!?」

 オレはスチーブからスポーツバッグの方をひったくって、ずかずかとリビングまで通った。

「おい、スチーブが来てくれたぞ!!」

「あ、スチーブくん! いらっしゃい!」

 さすが美雨。人見知りをしない女だ。

「あら、スチーブくん。よく来たわね」

 さすが真知子。社交的な女だ。

 問題は莉奈だ。なぜか口元に両手をあてて「え……カッコイイ」みたいなリアクションを取ってるんだが? え? 莉奈? そうゆうキャラなの? 違うでしょ?

「り、莉奈? どーしたんだよ……?」

「あ……っ、あの、かっこいいなぁ、って思って……」

「は?」

「ありがとうございます☆」

 輝くばかりのスチーブの笑顔だ。さっきの不機嫌な顔はどこへ行ったんだ?

「おい、ちょっと待て莉奈!! オレんとき、そんなこと言わんかったやん!!」

「そ、そうだっけ……あはは」

 笑ってごまかす莉奈。なんて照れ笑いだ。あの真面目な莉奈をこんなふうにしちまう。さすがだよ。さすがだよスチーブ。一瞬でこの家の主役に躍り出やがった。

「ね、ねえ、一磨。ボクは一磨もとってもカッコイイと思うよ~?」

 うるせえ美雨、黙ってろ。


 思いがけなく、いつもよりにぎやかな夕食になった。さすがスチーブだ。客あしらいのうまさには定評がある。むしろここはスチーブの家で、オレがお客に来てるんじゃねえかと錯覚するほどだ。

 おふくろも貴婦人気取りだったころを思い出して、オホホ、オホホと笑うのに忙しい。莉奈はといえば、ちらちらとスチーブの方を盗み見る。あの莉奈をこんなふうにしちまう、スチーブってのは本当に罪な男だよ。

「ところでスチーブ」

 オレはスチーブに笑顔が戻ってることに安心して話しかけてみる。

「店は大丈夫だったのか? 売り上げが落ちてたりしたら、おふくろ相手に訴訟を起こしてくれよな。監督責任?ってやつを追及してくれ」

 おふくろの前だが構わねえだろう。案の定、おふくろはオレのセリフを笑顔で流す。

「それは大丈夫」

 スチーブのにこやかな顔になぜか困惑の色が。

「むしろ次回作を期待する声もあったらしいから……」

「あ? んだそりゃ?」

「い、いや……。一磨は気にしなくていいよ」

「ねえねえ! 店は大丈夫だった?ってどゆこと?」

「いいか、美雨。これは男の会話なんだ。わかるか?」

「わかんない。あ、そか。一磨、コーヒーまみれで帰ってきたもんね。あと口もとにあざもあったし。男社会のごたごた?だっけ? ねえ、スチーブくん、何があったの?」

「え、ええと……」

「なあ、美雨。もう一度言おう。これは男の会話なんだよ。わかるか?」

「んーん、わかんない」

「あ、あとで! あとで話すね!」

 スチーブは笑顔で早々に話題を打ち切って、スプーンでシチューを口に運んだ。そつのないスチーブにしては分かりやすい動揺っぷりだ。こんなこともあるんだな。


 食後、オレたちはリビングのソファに座ってくつろいでいた。おふくろだけがいなくなってる。どうやら「あとは若い人たちでにぎやかにやりなさい」とばかりに自室に引っ込んだようだ。なんでオレ以外のヤツが絡むと、そんなに気を利かしてくるんだ、あのババア!!

「てか、どーだよ? ウチの地下にワインセラーがあるわけだが? オレの親父が集めたヤツだ。最高級品から気安いヤツらまで勢ぞろいしてる。どーなんだよ? 飲ってみねえか?」

「一磨? いいと思ってんの?」

「いいに決まってるだろ? なあ? スチーブ」

「だめだよ」

「おい、莉奈。オレたちはもう社会人のはずだ。浮世のつらいことを酒で流したいと思っても別に不思議なことじゃない。そうだろ? いいよな? いいって言ってくれ!」

「だぁめ!」

 なんてこった。オレは酒も飲めねえのかよ。つーか、いつもは清楚系な莉奈がスチーブのいるせいか、ちょっと「カワイイ」の方に寄せてるじゃねえか! まあ……いいぜ。スチーブなら、いいぜ、姉ちゃん……。

「あの、私、先にお風呂に行ってくるね」

「おうよ」

 莉奈がお風呂に言った。莉奈はお風呂が大好きなんだ。オレはおもむろにレモンソーダを口に含んで口の中を弾けさす。

「なあ」

 そしてスチーブと美雨に切り出した。

「オレたちでちょっとしたミッションをこなしてみねえか?」

「ミッション?」

「莉奈のお風呂を見学に行くってミッションだよ」

「カズちん、なに言ってんの? いいわけないでしょ?」

 スチーブはそう来たか。でも美雨は乗ってくるはずだ。この女のノリの良さを見ろ。

「美雨、お前はどうだ? やるだろ?」

「うん、いいよっ」

「だよな」

 さすがクレイジー。やったぜ。

「ねえ! だったらさ、ボクにいい考えがあるんだけど!」

「いいね、聞こうじゃねえか」

 スチーブは呆れたようにオレたちを見ている。オレたちのコンビ芸、その目に焼き付けろ!!

「まずね、ボクが偵察に行くの。それで一磨が行けそうだったら、ゴー!って合図出すからね!」

 確かに、曲がりなりにもこいつは女だ。まず同じ女が行けば、莉奈も油断するだろうな。

「おっけ! 任したぞ!」

 俺たちは廊下を這うように進んで、風呂場の前までやってきた。結局スチーブも付いてきてる。

「じゃ、行ってくる!」

「おう」

 美雨の潜入開始だ。オレは耳を澄ます。脱衣所と浴室の境目の戸を開ける音がした。オレはさらに耳を澄ます。

「美雨ちゃん。どうしたの?」

「えとね~、一磨が莉奈さんのお風呂を覗きたいんだって! 覗いていいか、ボクに聞いてこいって!」

 あんにゃろおおおお!! ふざけんじゃねえぞ!! クレイジークソビッチ!! さっそく裏切りやがってええええええ!!!!

「一磨くんに『だめ』って伝えてね」

「おっけ~りょうかぁい!!」

 終わった、何もかも。オレはいったいどうなってしまうんだ……。

「一磨、ダメだって!」

「さ、カズちん、帰るよ」

 スチーブに首根っこを引っ掴まれて、オレはリビングに引き戻された。

 レモンソーダをあおり、ポテチを口の中に放り込んでると、莉奈がお風呂から出てくる。いつも思うんだが、色気すげえな。莉奈みたいな清楚系がエロに全振りするとき、希望と絶望が同時に訪れる感じだ。姉貴のお寝間着もよおく似合ってる。

「さて、諸君!」

 オレは全員がソファにそろったのを見計らって言った。

「今日は思いがけなくスチーブをお客に迎えて、こういう楽しい時間を持つことができた! よかったな? これからもみんなで仲良くやっていくぞ! そういう決意を持って! さあ、飲もう! なんなら酒も徐々に入れていこう!」

 オレは挨拶したが、美雨はそんなことお構いなしだ。

「ねえねえスチーブくん。そういえばまだ言ってくれてないよね。今日、一磨に何があったの?」

「うん、それは……」

「おいおーい、まてまてスチーブ。まあいいじゃねえかその話は。男社会の修羅場の話を聞かせて女の子をびっくりさせるなんてよくねえことだぞ?」

「へえ? 一磨がボクのこと女の子扱いしてくれるなんて珍しいよねえ?」

 なんつう疑惑の目でオレを見るんだ美雨。

「お? そうか? そんなはずはねえぞ。いままでさんざん……」

「莉奈さんはカズちんから聞いてるの? この家の養子にならない?って話……」

 スチイブウウウ!!? 直球かよ!!!??

「……うん」

「そっか、そうなんだ」

 スチーブはちょっと言葉を切った。

「そのことでね、ぼくとカズちん、ケンカしちゃったんだ。深太が言ってたんだけど、カズちん『とにかく莉奈ってヤツをウチの養子にするんだ。これであの頭のおかしいウチのおふくろも少しは世間様に顔向けできる程度に頭がまともになるだろ。それによ、莉奈をウチの娘にしておけば安心だ。オレはいつでも心置きなく死ねるってもんだ。おふくろは別にオレに興味ねえからよ。あ? オレが死んで悲しむヤツ? そんなやつぁいねえよ』みたいなこと言ってたらしくてさ。それでぼく、悔しくってカズちんのこと殴っちゃった……」

「そう、だったんだ……」

「それは……殴って正解だよスチーブくん! 一磨っていっつもテキトーなこと言うから、それが誰かを傷つけるものだったら、その都度、ちゃんと言わなきゃだもん!」

 おい美雨、てめえ、どれだけ上から目線だよ?

「それにさ一磨、莉奈さんを養子にするってどうして思い付いたの? ご両親のこと知ってたの? 莉奈さんから聞いたわけじゃないよね? ボクだって研修が終わって任官したときに『知っておいてね』って言われて聞いたんだけど!」

「ああ、それは……まあ、ゴンちゃんから聞いたっていうか……」

「ゴンちゃん? 権藤署長のこと? 本当に?」

「いや、その……まあオレって守護警視正様じゃん? だからさ、守護警視正権限で個人情報を閲覧した、っていうかさ……」

「はあ……」

 スチーブが大きくため息。やめよう、スチーブ。オレはため息つかれると心がきゅっとするんだ。

「カズちん、プライバシーって言葉、知ってる?」

「ま、まあ聞いたことはあるが……。ほら、オレレベルの権力の前にはそんなもの意味ないっていうかさ?」

「カズちん?」

「なんというか、ほら、オレ、医者だから! いろいろと知っておかなきゃいけないっていうか……」

「か、ず、ま?」

 右から左からスチーブと美雨の顔が迫ってくる。たいへんな迫力ですよコレは。

「いや、わかった。オレが悪かったんだな? わかる、わかるよ!」

「一磨? こんなふうに叱ってくれるのって、と~ってもありがたいことなんだよう? ほら、そこにお座りっ!」

「オ、オレは犬じゃねえッ!! おい、莉奈! 莉奈は別に怒ってねえよな? ほら、ふたりに言ってやってくれ!」

「ねえ、一磨くん」

「えっ?」

「わたしは怒ってないよ。きっと一磨くんのことだから、その場のノリで偉ぶってたら、個人情報を見る流れになっちゃっただけなんでしょう?」

「うん……うん? えっ、いや……うん、そう」

「でもね、もしわたしが怒ってることがあるとすれば、それは一磨くんが自分をないがしろにするようなことを言ったことだよ。わたしの両親が亡くなってるって知ったすぐあとに、『まぁ、オレが死んでも悲しむヤツなんかいないよな』なんてどうして言えたの?」

「いや……うん、いや、ごもっとも」

「一磨くん。もっと自分を大切にしてあげてね。そうじゃなきゃ、一磨くんのことを大切に思ってる人たちのことを傷つけてしまうんだから。スチーブくんも、それを分かってほしいから、一磨くんのこと、怒ったんだと思う」

「いや、そのとおり。そのとおりでございます、はい」

「だからもう……『オレなんかいつ死んでもいい』なんて言っちゃだめだよ?」

 莉奈に……いや、姉ちゃんに説教されたぞ。くぅ~。心に染みわたるぜぇ!! 五臓六腑に行き渡るぜぇ!! なにかとっても優しいものがよぉ……。

「やぁい! 一磨、しっかられたぁ!!」

 うるせえ美雨、黙ってろ。今のオレには勇気があふれてる。今のオレなら何でもできる。本当に何でもできるような気がするぞ! なにか大きなトラブルが舞い込まないかなぁ! そしたらスカッと解決してやるのに!

 そんなことを思ったちょうどそのとき、深太先生のケータイが鳴った。見ればゴンちゃんからの着信だ。オレはソファから立ち上がって、ポーズをとった。そしておもむろに通話を始める。

「もしもぉし! よう、ゴンちゃん! どうしたんだ? 影人に? 守護官が? 一人が重傷を負っただと!? ああ、そうか、わかった。すぐに全員オレのところに運んでくれ。守護警察の車両で? わかった。オレの住所をそいつらに教えてやればいい。そう、そうそれだ! よし、待ってるからな!!」

 オレは通話を切った。

「これから負傷した守護官が来るらしいぞ! オレのかっこいいとこ見せてやるぜ! ったくゴンの野郎、ほんと人使いが荒いんだからな。でも、まぁいいか。オレとヤツは顎をタプタプし合う仲なんだからなぁ~」

「なにそれえ? イミワカンナイヨー」

 美雨、お前には分かんねえだろうな。でもオレにはわかるんだ!!


 庭に面したリビングのガラス扉を開ける。秋の空気がふわあっと吹き込んできた。耳を澄ましてみる。遠くから救急車のサイレンの音が聞こえる。でも別件だろう。こっちは守護警察の車で来るって言ってたしな。

「守護警察の車で来るの? 救急車じゃなくて大丈夫かな?」

「大丈夫だろ? オレの治癒光ちゃんなら。でも莉奈。いや、姉ちゃん。姉ちゃんがそんなに心配なら、オレはやるぜ?」

 オレは見えない弓を引いた。

「ヤバいヤツに当ーーーーーたれっ!!」

 治癒光の矢はキラキラと光の軌跡をつくりながら夜空に吸い込まれていく。そしていちばん高い位置までくると三つに分かれて、それぞれの方角に飛んでいった。

「おっ、どうやら三人同時にヤバかったらしいな。あとの二人はどんなんか知らんけど。とにかくこれで大丈夫なんじゃねえの?」

「一磨、テキトーすぎっ!」

「でも……それがカズちんのいいところなんだよね」

「そっか……そうかもね」

 オレの背後で美雨とスチーブのオレに対する評価が上がってた。オレは好きなんだ、評価されるってことがよぉ!!

 十分後、やってきた守護警察の車がオレの家の前に停まった。ワゴンタイプのヤツだ。助手席に乗ってた警察の機動隊から出向してきたっぽいヤツはキツネにつままれたような、いや、つまされたような、いや、どっちだよ!? とにかくそういう顔をしていた。

「どうです? 大丈夫スか?」

「あ、ああ。とつぜん光が降ってきて、そしたら全員、傷が癒えていたんだ」

「そうなんスよ。もしここにくるまでに容体が急変したら大変スからね。飛ばしておいたんス、治癒光の矢をね。ところで一人、重傷者がいるそうスけど、その人を診させてもらえません?」

「あ、ああ。後ろに乗っている」

 スライドドアを開けると、後部座席のあちこちに血がべっとりと付いていた。その真ん中にいたのは千景姐さん。真っ白い守護警察の制服が、真っ赤になってしまっている。でも……平気そうだ。

「よう、千景姐さん! お加減はどう?」

「……また死に損ねたよ。余計なことして」

「へえ、そうかい? でもオレは医者なんでね。治してくれって言われたら治すしかねえんだ」

 オレは後ろを振り向いた。スチーブに莉奈、美雨がいる。オレはこの楽しい夜を続けたいと思った。そしてできることならもっとにぎやかに。

「どうかな、千景姐さん。そして皆さん。今、オレんちではちょっとした気安い飲みやってんスけど。飲んでかないスか?」

「悪いが職務中だ」

 千景姐さんのとなりにいた機動隊員氏談。

「酒はあるの?」

 そしてこれは千景姐さん談。そうだよ、そうじゃなきゃ嘘だぜ!

「もちろん、あるぜ。ウチの地下にある巨大なワインセラーにめいっぱいね。高いヤツから気安いヤツまで、よりどりみどりだ。おい、千景姐さん、聞こえないのか? フランスからやってきた高級なヤツは言ってる。『なに? 余を賞味したいとな。よろしい。今宵は特別だぞよ』。そしてチリあたりから来た気安いヤツらの声も聞こえるだろう? 『さあ、お飲みよ、たあんとお飲み! さあさあ、陽気な気分におなりよ!』ってね。どうだい?」

「……行く」

「おい、灰島! 職務中だぞ!!」

「一名様ごあんなぁい!!!」

 オレは千景姐さんに手を差し伸べた。重みを感じて引っ張り上げる。千景姐さんの一本釣りだ! 餌は酒ェ!!!

「カズちん……」

 スチーブはすべてを見抜いた目でオレを見た。そうだよ、口実づくりだよ! 場にワインを出すためのなぁ!! お客様をお迎えしておもてなさないなんてあり得えだろぉ!? もちろん、オレは飲まねえよぉ? たぶんね! とにかく酒の匂いを嗅ぎたい気分なんだ!!!

 さあ、今夜はフィーバーするぜ!!!!


 朝起きた。オレはリビングのカーペットの上にうつ伏せで大の字っていう難易度の高い寝相で寝ていたみたいだ。はっきりいって昨日の記憶はあいまいだ。見渡すと、みんなリビングにいた。スチーブはオレのとなり、女性陣はそれぞれソファで寝ている。おい、オレに付き合ってくれたのか? 感動だぜ。スチーブ、かわいい寝顔だな、きゅんきゅんするぜ。莉奈の寝顔は安心感にあふれてて、癒されるね。美雨……お前は中学校男子か? そして千景姐さん、寝顔はどこかキュートな少女のようだ。かつては千景姐さんもキュートガールだったんだ。長い年月と修羅場の日々がキュートガールをクールビューティーに変えちまったんだ。

 ふう、なんて落ち着く空間なんだ。やっぱり家に人がいるってのはいい。ワインとソフトドリンクとポテチのにおいがこもって生活感がある。それがいいんだ。ん? 朝飯のにおいもするぞ。おふくろがもう何か作ってるのか? オレは台所の方を見た。そこにいたのは……。

 オレは思わず駆け寄っていた。

「おいおい! フミエさん! フミエさんじゃねえか!!」

 昔、ウチの家政婦をやってくれてたフミエさんだ! オレはフローリングの床をスサアアアッと滑る勢いでフミエさんのもとに駆け付けた。

「坊ちゃま、おはようございます」

「おい、戻ってきてくれたのか!?」

「ええ、奥様が呼び戻してくださいましてね。まあまあ、坊ちゃまも大きくなって! それにお友達の皆さんもおそろいで! この家にまた明かりがともったんですねえ……」

「そうだよ、そうなんだよマジで」

「思い出しますよ。旦那様とお嬢様にあんなことがあって、奥様にお暇を言い渡されたときのことを……。『もう私に家族はいない。お前ももう要らない』そう言っておいででした……」

 ……お、おっと、フミエさん! そこまでだ! それ以上はオレの心が削れちまう……。心の痛みにオレは思わず後ろを向いた。そこには誰かが立っていた。全体的にエロいシルエット、姉ちゃんの寝間着……。

「姉ちゃん!?」

「えっ!?」

 オレはダッシュで駆け寄った。

「姉ちゃんじゃねえか!?」

 そのまま抱きしめる。やわらかい、あったかい、いいにおいがするぅ、の三点セット!! 姉ちゃんだ!! ぜったいに姉ちゃんだっ!! オレは強く抱きしめまくった。頬をつねられながら引き剥がされるのを待っていた。

「か、一磨くん……」

 その声に思わずオレは自分の腕の中にいる人を見た。それは姉ちゃんじゃなくて莉奈だった。

「り、莉奈、だったのか……」

「う、うん」

 どうやらオレは一時的に狂気の発作みたいなのに見舞われていたみたいだ。オレも相当きてんな。いや、いい。そんなことはどうでもいいんだ。

「……よぉ、おはよぉ?」

「うん、おはよう……」


 すっかり朝になった。オレとスチーブ、そして莉奈と美雨で朝の食卓を囲む。フミエさんの朝飯は和風だ。そしてうまい。オレは昔を思い出した。まだなんだかんだで家族四人で食卓を囲んでいたころのことを。

 おふくろはまだ起きてこない。相変わらず気を利かしてるつもりらしい。そして千景姐さんはまだ寝てる。それもぐっすりと。相当疲れがたまってたんだろう。こういうとき治癒光でどうにかしようとするのは邪道だ。たっぷり寝るのが一番なんだ。というわけでそっとしとく。

「ところでよぉ」

 オレはたくあんを飲み込んでから切り出す。

「昨日の記憶があいまいなんだよなあ。なんかあったっけ?」

「一磨って……」

 じろりと美雨がオレをにらんだ。そして自分の胸をかばうようにする。

「ほんっと都合のいい頭してるよね」

「おい、ちょっと待て。ぜったい違う。ぜったいにそういうことはなかった? そうだよなぁ、スチーブ?」

「カズちんって……」

 スチーブがオレをジト目で見た。ついでに胸もかばう。スチーブがやるとなんか色っぽいな?

「ほんと都合のいい頭してるよね」

「いや、なんだよ!? 何があったんだよ!?」

「変態一磨!」

「酔っ払い!」

 ふたりからなじられる。でもオレにはマジに何にも覚えがないんだ。そう、覚えがないんだ。そういうことだ。なあ、それでいいだろ!?

「と、ところでスチーブ、今日、学校行くんだろ? 送ってくぜ、莉奈の車でよぉ! 久々にいっしょに登校しようじゃねえか!!」

 登校。本当に久々な響きだ。

「んでフミエさん! あすこのソファで寝てるのが千景姐さんだ。そっとしておいてやってくれよな。あとでオレがカイシャに休みますって連絡するからよぉ!」

「かしこまりました、ぼっちゃま」

 こうしてオレたちは意気揚々と登校することになった。


「よう! みんな元気にしてっかぁ!?」

 一年A組の教室の扉を引いた。懐かしい顔が並んでいた。

「「「一磨ァ! 一磨じゃねえかッッ!!」」」

 教室が一気に湧く。いつのまにかもみくちゃにされて、体中小突き回される。いいね、オレ大好きだよ、こういうの!!

「おい、一磨!! 聞いてくれ!!」

「どうしたんだよヨシミチ!?」

「おれ、わかったことあんだよ! なあ、どうして男にはタマタマが二つついてるんだと思う!? それはな、二人までオッケーっていう大自然からのメッセージだったんだよ!!」

「おい……それって……届いちゃってるじゃん……真理に、よ」

「だろ?」

 このノリだ。そうともこのノリなんだよ。思い出したよ。オレもこのクラスの一員だったんだ。それを思い出したよ……!!

 でも、オレを歓迎する波は一瞬で引いた。シンとした。みんなの視線がオレを見ていない。つまりはオレの後ろから入ってきた莉奈と美雨に気付いちまったんだ。

「「「う……」」」

 地鳴りの前触れ。

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」」」

 オレのダチたちは雪崩をうって莉奈と美雨に押し寄せた。つまりはウチの学校に女がいるってことに舞い上がっちまったんだ。やれやれだ。オレは一抹のさみしさを感じながらも、こんなときでも冷静な男の元に足を運ぶ。

「よう、深太先生! 元気か!? 昨日、深太先生も来ればよかったのになぁ! ほら、電話しただろ!? どうして出なかったんだよ?」

「いや、出たよ? 『イヤッフー!』とか『キャッハー』とか言ってたアレだよね?」

「え? そんな感じだった? そうなの? え?」

 昨日のオレはいったい何をやってたんだ。わけわかんねー。

「よう、一磨!」

「お、コージ! 元気そうだな!」

「なあ、一磨。真面目な話だ。おれ、どうしてもお前に伝えなきゃいけないことがあるんだ」

「お、なんだよ?」

 いつのまにかコージの後ろにクラスの連中も集まっていた。

「お前は……おれたちの誇りだ。守護官になって、この世界を守ってる。お前……すげえよ」

「コージ……みんな……ぐすっ。ありがとう。オレはお前らみたいなダチを持てて、本当にしあわせだ……!」

「ん? おい、ちょっと、お前これぇっ!?」

 腕を掴まれる。

「ど、どうしたんだ?」

「どうしたんだ、じゃねえよ! お前、なんだこの傷!? 大丈夫なのか!?」

「傷?」

 傷なんかあったかな? オレ、治癒系なんだけどな。そう思った瞬間、コージはオレの左腕にはめられてたブレスレットのスイッチを押していた。ぴかっとオレの全身が光る。おい、もしかしてこれ……!?

 光がおさまった。そして現れたのはタイツマン。白いタイツマン……になったオレ。

「「「ぎゃはははははは……!!!!! ぎゃはははははああああははあっは!!!!!」」」

 とてつもない爆笑が教室の中に響き渡った。


「じゃあなあ! 一磨、また来いよぉ!!」

 かつてオレの友人だったヤツらの声を背中に受けながら、オレは一年A組の教室を後にした。

「カ、カズちん、またね……」

 スチーブの声が耳をかすっていく。

「お、一磨。お前、来てたのか」

 ホームルームへと向かうゴリが声をかけてくるが、オレは「うあ」としか言えず、そのままふらふらと歩き続ける。

「はやくはやくぅ! ボクたち遅刻しちゃうよぉ!!」

 来客用スペースに停めた車の前で、美雨がぴょんぴょんしながら手招きする。久々に学校に来てテンションが上がっちまったらしい。後ろを振り返ると莉奈がどこかに電話している。どうやらヤツらがオレの『装着』をやったから、莉奈がなんでもなかったって署の方に報告してるみたいだ。オレはそれを見ていた。莉奈が通話を切って、追いついてくる。

「大丈夫だったみたいだな」

「うん。一磨くん、クラスメイトと仲いいんだね」

 いや、あんま言いたかねえが、莉奈の目は節穴なのか?

「ねえ、一磨くん」

「ん?」

 なんとなしに莉奈を見て、オレは驚いた。莉奈のオレを見る目がやさしかったからだ。そこにはオレに対するいたわり?そんな気持ちがあった。いや、それ以上に使命感のような熱いヤツも感じた。

「一磨くんのお姉ちゃんになる話ね、まじめに考えてみてもいいかな?」

「えっ」

 今までは真面目に考えてなかったのか? い、いや、いいんだ。とにかく真面目に考えてくれるんだからよぉ。これは前進だ。このチャンスを逃すべきじゃねえッ!

「もちろん。マジな話、莉奈のこと『姉ちゃん』って呼べる日を楽しみにしてるぜ」

「うん……」

 莉奈は前を向いた。

「それじゃあ、いこう?」

「ああ」

 オレは莉奈の背中を追いかける。オレはこの女を必ず手に入れるぜ。オレには姉ちゃんが必要なんだからなぁッ!!!!

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