第三章 体温
いつも頭を突っ込んでる「自分の日常」ってやつから頭を引っこ抜いて周りを見渡してみると、この世界を自分の都合のいいように解釈してたことに気付く。オレがまだパンピーだったころ、この世界がこんなにヤバいとか知らなかった。でも別に知らなくてもよかったな。その方が平穏に暮らせるからな。警察官の日常には泥棒がいて死体があって、外科医の日常には生きるか死ぬかの人が腹にメスを入れられて横たわってて、そして守護官の日常には影人がいる。あいつらは今日もどこかで、元気に人を殺してるんだ。
田舎県にありがちなことだが、ファストフード店や回るすし屋や唐揚げ屋やコンビニ店やらが延々と並ぶ郊外の国道沿いをちょっと右か左にそれると、家と家の間がすっかすかで、その空いたスペースを田んぼや畑が埋めていたりすることがある。莉奈の運転する守護官専用のパトカーが走っているのも、ちょうどそんな場所だ。
現場に近づくと、普通のパトカーの姿が見えてくる。現場は田畑の間にあるちょっとしたスペースで、普段はゲートボールをするのに使われている場所のようだ。張られた警戒線の向こうでは、鑑識班が地面にうずくまって何かやっている。どうやらもう『事後』らしかった。真昼間からフツーに殺し。さすが影人先生だ。
パトカーを降り、警戒線をくぐった。親父の
遺体にはすでにブルーシートがかけられていた。その傍らには手を合わせる私服警官の姿。
「おい、見せろ」
振り返った私服警官が「なんだこいつ」な顔をするが、後ろの莉奈と美雨を見て、それから遺体のシートをめくった。
殺られたのはどっかのジイさんのようだ。これから畑仕事にでも行きそうな服装をしている。顔面はぐちゃぐちゃに殴打されていた。皮膚が裂け、肉がずれて、骨まで見えている。血はまだ乾いていなかった。ジイさんの手に触れてみる。冷たい。周りに気づかれないように、治癒光を流し込んでみる。反応はない。生きている人間にあるはずのものが、このジイさんからはなくなっている。それを感じた。つまり死んじまってる。
もう一度、ジイさんの顔を見る。ぐちゃぐちゃの顔だ。でも、不思議と怖くはないし、忌まわしくもない。なぁ、ジイさん。人生どうだった? 楽しんだか? 人間、死に方じゃねえ。どう生きたかだ。そうだろ?
オレはジイさんの体をブルーシートで覆った。
「おい、ここの責任者は誰だ?」
さっき遺体に手を合わせていた私服警官が前に出た。
「私だ。会別市警の藤田だ」
「どーも」
いかにもベテランな中年刑事だ。だがオレはビビらない。
「で? どうなんだ? アンタはどう見てる?」
「いっしょにゲートボールをしていた人たちの証言では、あそこの……」
と、藤田と名乗った刑事は、道路の下をくぐった用水路の暗がりを指さす。
「用水路の影から人の形をした黒いものが出てきて、彼に襲い掛かったそうだ。そして地面に押し倒した後、何度も顔面を殴りつけたらしい。詳細は鑑識の結果待ちだが、影人の犯行と見て間違いないだろう」
「よしわかった。あとはオレたちに任せろ。……おい、莉奈。指令室に連絡して、すぐに機動隊と陸自出向組を駆り出すように言え。ここいらをしらみつぶしに探索させるんだ。それから、周辺住民に不要不急の外出は控えるように言って回れ、とも言え」
「了解」
莉奈が例のワイヤレスイヤホン状の通信機で指令室に連絡をとりはじめる。
「ふう、やれやれ。しょうがねえ、やってやるかぁ……」
「一磨」
美雨がにこにこしている。でも、さわやかな感じじゃねえ。これは悪い笑いだ。
「今日も気持ちよく威張り散らしてるね」
「威張り散らしてるってなんだよ。実際、オレはえらいんだよ。指示も適確だったろ?」
「そーだね。だから明日はまた灰島さんの研究に付き合ってあげてね」
「くそったれ」
オレは七班のはずなのに、最近は出勤してもラボに預けられることが多い。何してんだと思ったら、どうやらあの灰島が治癒光の研究をしたいらしい。オレはモルモットじゃねえ。でも、署長の権藤も灰島の研究には賛成のようで、オレは七班として活動するより、研究室で実験台になる時間が長くなっていた。
「オレをモルモット扱いしないなら、いつでも品行方正でおとなしい一磨くんに戻ってやるよ」
「一磨、おとなしかったことなんてないじゃん! ふふふっ」
これはオレの勘だが、灰島に治癒光が何なのかなんて、分かるわけねえ。治癒光ってのは、ちやほやしてくれる温かい場所を好むんだ。
「美雨ちゃん、一磨くん、行くわよ。まずはこのへんをパトロールしましょう」
こうしてオレたちは影人とのエンカウントを目指して、このただっぴろい郊外の田園地帯をパトロールすることになった。
途中から機動隊や陸自出向組も加わった捜索が行われたが、結局、影人とのエンカウントはなかった。これがゲームなら、経験値が稼げなさ過ぎてキレだすプレイヤーも現れそうだ。莉奈の運転するパトが一軒の家の前に止まる。
「わたしたち、今日はここに泊まるから」
それはごく普通の和風な民家だ。これがいわゆる守護官派遣ネットワークってやつだ。守護官が影人の出現した地域に滞在できるよう、あらかじめ協力者を募って宿泊場所を提供してもらうって仕組みだ。初日に美雨が「ボクたち、どこでも寝れるよ」と言ってたのは、こういうことだったわけだ。
「いい感じの家だな。夕飯は期待してもいいのか?」
「一磨くんは帰宅。明日は本署に出勤でしょう?」
「えっ?」
「中丸さんに家まで送ってくれるように頼んでおいたからね」
莉奈が後ろを付いてきてたパトを手で示す。
「じゃーね、一磨ぁ☆」
オレを乗せたパトは、まずは国道に出るべく田舎道を走り出した。窓の外には、さっきまでオレたちがうろつきまわっていた田園風景が流れていく。なんで覆面パトじゃねえんだ。普通のパトだと、まるでオレが連行されてるみてえじゃねえか。運転しているのは若い警官。莉奈は中丸さんと呼んでいた。その中丸がバックミラー越しにちらっとオレを見た。
「君、闇堂君だよね」
「え? あ、そーっス」
「君ね、僕らの間で、研修生なのにイキり倒してる痛いヤツって言われてるの、知ってる?」
「マジすか」
ぜんぜん知らねえ。仮に知ってたところで態度を変えるオレじゃねえ。
「あんまり莉奈ちゃんたちに迷惑かけない方がいいと思うけどな~」
なんか嫌味な言い方だ。実際、莉奈と美雨はこいつらに人気がある。人気がある、それはいい。でも、そのせいでオレに対する風当たりが強いのはどうなんだ。だから言ってやる。
「つーか、中丸さん? 中丸さんって、守護官の着る強化スーツ、どう思ってます?」
「……どうしたんだ急に?」
「いや、オレ、アレいやなんスよねえ。股間がもっこりするし」
「はぁ?」
「しかも女が着てるとマジ卑猥じゃないスか? ある意味、裸より恥ずかしいっしょ」
「……」
「で、ぶっちゃけ、どーなんスか?」
「……何が?」
「莉奈のスーツ姿」
「は?」
「シコったりしてるんスか?」
「……」
「シコシコしてます?」
「……」
「シコ?」
「……」
「実際、シコリティ高くないスか? いいっスよねえ。ちなみに美雨はどースか?」
「……」
「美雨のシコ度ってどんぐらいやと思います? 莉奈を百とすると? 三十くらい?」
「そろそろ黙ろうかぁ」
めっちゃ声上ずってんじゃん! どういうことだよ! もしかしてマジにそうなのか!? ……まあいい。
「……僕は君じゃないから、そういうことはしないよ」
「オレだってしないっスよ。信頼関係、大事っスから」
「……」
「とにかく、ちょっとイキるくらい、いいじゃないスか。なんなら、今のうちにオレに媚び売っといてくださいよ。そしたら、ちょっとヤバめの場面ですげえラッキーなこと起こったりするっスよ? これマジ」
「なんなんだよ、このガキ……」
「えっ?」
「いや、こっちの話」
……もろ聞こえてるよ。でもまあ、どーでもいいか。そんなこともある。ところでそろそろケイトリンズカフェだ。
「あ、この辺でいいっスよ。パトで帰ったらおふくろがびっくりしちまいますから」
実際には、おふくろはオレに興味ないが。
「じゃ、おつかれ~っス!!」
ケイトリンズカフェは、学校帰りの高校生で埋まってた。オレもちょっと前までは高校生だったんだよな。カウンターの向こうには太めの体を軽やかに運ぶミズ・ケイトリンが見える。オレに気付いたスチーブに「いつもの」というジェスチャーを送り、いつもの席に向かった。
「よぉ、深太先生」
「やぁ、一磨」
オレは席に座り、声をひそめる。営業妨害にならないようにだ。
「今日もよ、死体を見てきたよ……」
「そう」
「医者志望のオレに言わせりゃ、死体ってのはそんな悪いもんじゃねえ。人生の総決算だし、こう、肉体からの解放? そんなもんを感じるんだよなぁ」
深太先生がじっとオレを見る。
「面白い見方だね」
「だろ?」
ここでふと、美雨と莉奈の顔が浮かんだ。
「そーいや深太先生。思ったんだけどよ、守護官が死んだって話、あんま聞かねーよな?」
「そうかな? 会別市に限っても、去年だけで五人、殉職してるよ?」
「は? マジ?」
「まじ。あんまり報道されないけどね」
「へえ、そんなもんか」
この前の戦闘を思い出してみる。美雨も莉奈も強かった。オレがいなけりゃもっと楽勝に仕留めてたんじゃないか? いうほど命のやり取りって感じはしなかったな。でも、まあいい。とにかく気を付けるか。オレ物理無効やけど。
「おまたせしました。本日のスペシャリティコーヒーです」
ウェイター姿のスチーブがやってきた。
「よぉ、イケメンウェイターさん。指名料出すから、座ってかね?」
財布から千円札をぴらっとさせる。
「すいません。そーゆーサービスはやってないんですよ~」
なんて完璧な営業スマイルだ。マジ完璧すぎる。
「ところでカズちん、ぼくがあげたドッグタグ、ちゃんと付けてる?」
と、オレのダチに戻りながらスチーブが聞く。
「もちろん、付けてるよ」
オレはネクタイを緩めて、ワイシャツの下から例のタグを取り出して見せた。
「これでオレも立派に葬式が出せる。ありがたい話だ」
「ふふ、そだね。じゃ、頑張ってねカズちん」
そしてスチーブはカウンターの方に戻っていった。スチーブ目当ての女子どもの視線ににこやかな笑顔を振りまきながら。オレも葬式を出す前にスチーブみたいなモテ方がしてみてえ。
「ところで深太先生。そろそろどうだろうな?」
「何が?」
「そろそろオレも影人に対する攻撃手段?みたいなものを持っておきてえんだが……なんとかならねえか? このままだとよぉ、マジ
「……まあ、なんとかならないこともないけど」と言って深太先生は眼鏡をくいっとした。「でも、それはいったん忘れた方がいい」
深太先生がじっとオレを見る。おい、この目はマジだ。深太先生が「やめとけ」とか「いったん忘れろ」とかいうとき、それは本当にやめといた方がいいし、いったん忘れた方がいいんだ。おっけ。
「わかったぜ深太先生。でもよぉ、ここいらでお役立ち能力を覚えておきたいところなんだよなぁ。なんかねーか?」
「そうだね。例えばこんなのはどうかな?」
深太先生は自分のタブレットを操作して、オレに渡した。そこには動画が再生準備の状態になっていた。オレは真ん中の再生マークを押す。
映っていたのは女だ。この顔は知ってる。ミリア・グレイだ。修道女の服を着てる。場所はどこかの草原。そこに木製の椅子を持ち込んで座ってた。その彼女の周りを幾人かの子供たちが取り囲んでる。どうやらピクニックにでも来たようだ。
子供たちはときどきカメラ目線になる。期待に満ちたまなざしだ。これからミリアがやることを楽しみにしてる。そんな感じだ。ミリアが両手を差し伸べた。岩の間から落ちてくる清水を受け止めるような手の仕草。やがてそこからふわふわと無数の光が湧きだした。治癒光だ。治癒光は風に舞うたんぽぽの綿毛のように、あるいは昼間にも光るホタルのように、あたりを漂い始める。子供たちはキャッと歓声を上げてその光を捕まえにかかった。光はふわりふわりと逃げ出していく。
どうやらこれがピクニックの余興のようだ。なるほどね、なんとも微笑ましい光景じゃねえか。それにしてもミリア・グレイ。自在に治癒光を操ってやがるな。もうこんなのは彼女にとって、ちょっとした手遊びみたいなもんなんだ。
「例えば」と深太先生は言う。「ある一定の範囲内にいる複数人を同時に治癒したいとき、その範囲内全体に治癒光を充満させるというのは効率が悪い。そこでこの動画がヒントになると思ったんだ。つまり治癒光に『近くにいる怪我人を治せ』『複数人いる場合には危険度に応じて優先順位を付けろ』という条件付けをしてこういう形で放てば、周囲にいる怪我人を効率よく治療できるし、一磨の消耗も抑えることができるというわけ」
「なるほどね……。さすが深太先生だ。さっそくイメージを練ってみるぜ……」
まわりにお客さんがたくさんいるから、ここでできるのはイメージを練ることだけだ。でもなんかいける気がすんだよな~。少しずつイメージがつかめていく感覚がある。
ふとテーブルの上の深太先生のタブレットを見る。動画が再生されたままになってた。ミリアちゃんが子供たちと一緒に草原を歩いてる。彼女の頭の上を治癒光が一つ舞っている。どうやら子供たちから逃げおおせた治癒光のようだ。子供たちはときどき不意打ちでジャンプして捕まえようとするが、そのたびにするりと上へ逃げていく。そしてまたミリアちゃんの頭の上に戻ってくる。なんつーか、少女向けのアニメにありそうな光景だ。小鳥がヒロインの周りを飛び回るっていう。違うのは小鳥じゃなく治癒光ってところだが。
「なぁ、深太先生。ちょっと思ったんだが……」
「なに?」
「治癒光ってさ、意志を持ってるのか?」
「どうして?」
「なんつーか、ほら、これ。なんかミリアちゃんに懐いてる、みたいな雰囲気あるんだが……」
「いいや。今のところ操光術の光が独立の意志を持っているというケースは報告されてないよ」
「そっか。そうだよな。いや、いいんだ」
なにはともかく、オレはイメージを完成させた。もういつでも実戦に投入できる感じだ。さすがオレ。そしてマジで頼りになるぜ深太先生。
帰宅すると、ちょっとした奇跡が起こっていた。今日はオレとおふくろしか家にいないのに、ちゃんと夕飯が用意されてたことだ。いい傾向だ。このままずっと、この調子で頭逝っててほしい。
「今日、お姉ちゃんたち、お泊りなんだって」
そうかい。それはよかった。ちなみにオレの実の姉であるところの美香子もお泊りが多かった。ヤツの場合は仕事じゃなく、単にビッチなだけだったが。あのころ、オレはつらかった。
オレは親父の部屋で
それはともかく、リビングでテレビを見ながらメシを食うことにする。録りだめていたネタ番組があるはずだ。なお、おふくろはもう自分の部屋に引っ込んでいる。最近、おふくろはネットの株取引を始めていた。どうやら操光兵器の開発をやっている企業に投資しまくってるらしい。全ては『娘』のため、というわけだ。だが……。ねえ、ママン。聞いてもいいかい? 実の息子のために使うカネはあるのかい? もしあるなら、現金という形で今すぐくれないか? でも、そんなことはありえない。わかってる。
「やっぱり、お笑いは面白いなぁ」
オレの人生に笑いをくれる人たちは本当に貴重だ。ありがたい話だ。と、オレのスマホに電話がかかってくる。かけてきたのは……美雨だ。
「はいよ」
『あっ一磨ぁ?』
「オレのスマホにかけたんなら、オレ以外の誰なんだよ? で? なんだ?」
『ふふふっ。一磨がさ、ボクを恋しがってるかなって思ってさ』
「それは嘘だな。莉奈が報告書の作成を始めたから、お前、ヒマになったんだろ?」
『えっへへ、バレた?』
とりあえずテレビの音を消す。
『一磨、今なにしてた?』
「治癒光のよ、新技を開発してた」
『うっそだぁ! テレビの音、聞こえてたもん!』
「聞こえてるんなら、聞くんじゃねえよ……」
『ふふふっ……』
受話器からはヤツののんきな含み笑いが聞こえてくる。
「それで? そっちはどーなんだ?」
『うん、楽しくやってるよ!』
「それはよかった」
ここでふと、今日、深太先生とした会話を思い出した。この会別市で去年、五人の守護官が殉職したという会話だ。本当に魔が差したとしかいいようがない。
「まあ、なんだ。気を付けてやれよ」
『……』
沈黙。あ、すべった。それは感触でわかった。
『え、なにそれ。心配してくれてるの?』
「……いいや? ぜんぜん?」
『もしかして……ボクのこと、好きになっちゃった?』
「あ?」
『へえ、そっかぁ! そうなんだぁ! あ、でも、どうかなぁ? 一磨だもんなぁ?』
殺してくれ。頼む。
『ふふふっ、ごめんごめん。ありがと。大丈夫だよ!』
「そりゃよかった……」
『それじゃあ、そろそろ切るけど……あ、そーだ一磨。今日、ボクと約束したこと、覚えてるよね?』
「ああ、覚えてるよ。美雨、お前を愛し続ける。約束する」
『ちがうよ!』
「オレにはお前だけだ。オレだけを見ていろ。ぜってえ離さねえかんな」
『もぉ、ちがうったら! 明日! ちゃんと灰島さんの研究に付き合ってあげてね! じゃね、一磨!』
電話が切れた。あ~めんどくせえ。椅子に座ってるだけとか、マジ無理なんですけど~。
翌日。ラボにて。
ついにオレは頭にヘンなヘッドギア状のものを被せられていた。いったい何がしたいんだ?
「灰島さんよ、楽しいスか?」
「楽しいね」
「こんなことして何になるんス?」
灰島はオレを指さした。
「タンパク質に出来て……」そして自分のパソを指さす。「シリコンに出来ないことがあると思うかい?」
「治癒光を再現したいんスか?」
「そうだ」
オレをモルモット扱いする灰島。どうやらこいつは治癒光を研究して、あわよくば再現する機械を作ろうとしてるらしい。普段、莉奈や美雨が使ってる光は標準光と呼ばれてる。標準光と治癒光は、似ているようで全く別のもの。治癒光の原理を解き明かして、研究者として名を上げるつもりか? 本来、野心を持ってるってのは悪いことじゃねえ。ただし、他人に迷惑をかけなければ、っていう条件付きだ。
ちなみにそんな灰島は、東皇大学工学部出身だ。なるほど、オレと同じで東大に縁があるようだ。親近感がわくじゃねーか。もっともオレは教授のポストをオファーされたわけだが。どう考えてもオレの方がすごい。
「たしかに、人間にできることは、いずれ機械にもできるようになるかもしれねえス。でも、実際に扱ってるオレに言わせりゃ、治癒光の半分は優しさで出来てる。残りは……まぁ、いたわりの心とか思いやりとか愛とか、そういう感じ。だから再現したきゃ、人の心を持った機械が必要っしょーねえ」
灰島はどうでもよさげにオレを見ている。
「君から、優しさとかいたわりの心みたいなものを感じないが」
「何言ってんスか。昨日も莉奈にベッドの上で言われたんスよ。『一磨くん、優しすぎるよ』ってね。今度からもっと激しくした方がいいんスかね~? あ~腰いて」
ガラスの割れる音がした。見ると、粉々になったガラス器具が床に散らばってる。どうやら眼鏡をかけた若い男(たしか田中って名前だ)がぶちまけたらしい。オレはいろいろと察した。つまりアイツは莉奈のファンだ。
「よぉ田中さん! もちろんジョークっスよ?」
田中はキレ気味の視線を送ってよこした。
「……いや~人の心って難しいっスね。どースか?」
灰島はオレを見ずにパソの画面を見てる。オレは特に何も感じないが、オレの頭に取り付けたヘッドギアで何かの測定を始めたらしい。
「あ~あ、退屈っスね~。灰島さんよ、オレの能力がレアなうちは、もっとチヤホヤしてくださいよ。じゃねえと、バックレ常習犯になっちまいますよ?」
「……とりあえず、これでも見てればいい」
灰島からタブレットを渡される。見ると、画面は一面、文字だらけだ。うわあ、めんどくせえ。オレは文字を読むのが苦手なんだ。でも、よく見ると報告者の欄に『桃川莉奈』と書いてある。んだよ、莉奈が書いたやつか。ちょっと興味あるな。
それにしても、なんか変だな。もしこの報告書が昨日の夜、美雨がオレに電話をかけてきたときに書いてたものだとすると、ちょっと長すぎないか? 「影人とのエンカウント目指してさまよい歩いてました」以外に書くことあった?
そう思って作成日時を見てみると、今朝の九時になっている。マジかよ、どうやら昨晩、何か新しい動きがあったみたいだな? しょうがねえ。オレだって七班の人間だ。知っておかねえとな。で、読んだ。
そしてオレは莉奈の報告書の中に一人の男、いや漢の姿を見出した。漢の名は遠藤志郎。
操光術なしで、つまり物理で影人を狩ることはできるのか? 答えはイエスだ。実際、人間を一秒で液状にできるというガドリングガンを五秒くらい当て続けたら黒い煙になって消えたとかいうレポートが海の向こうから届いたりもしている。遠藤志郎もそういう事実があることを知っていたんだろう。
遠藤志郎は犯行現場の近くにある武徳館高校の三年生で、剣道部の副将を務めていたという。そして昨日殺されたあのジイさんの孫だ。仇をとってあげたいと思っていたはずだ。あと自分の剣の腕を試してみたいというのもあったかもしれない。
遠藤志郎の推定死亡時刻は明け方。おそらく、いてもたってもいられず夜の田園風景の中を歩いたんだ。剣道着を着て、腰に日本刀を差して、虫の声を聞きながら。そして影人に出くわした。抜刀する遠藤志郎。暁の決闘の始まりだ。
高校三年生で剣道三段。剣の腕は並じゃない。おそらく善戦したはずだ。そして死んだ。操光術者でないのに『戦う』という選択肢を選ぶ。これは無謀か? 蛮勇か? オレの考えでは違う。彼は漢だ。英雄だ。
レポートには画像が添付されていた。開いてみる。遠藤志郎の死体写真だ。剣道着を着て仰向けに倒れている。顔面は殴られてぐちゃぐちゃだ。彼の近くに転がっていたという抜身の日本刀の写真もあった。
向こうは面白いことになってる。オレも行かないと。
「灰島さんよ、そろそろメシにしないスか?」
「……また逃げるつもりか?」
前に昼飯だと言って、そのままバックレたことを根に持ってるのか? どうやらそうらしい。
「わかったっス。しゃ~ないな~」
オレは自分の右の手のひらをじっと見る。
「今、イメージしてますよ」
オレがイメージしたのは宝石。淡く揺らめいて、優しい光を宿した小さな石。ネックレスにする大玉の真珠くらいの大きさにしておく。それを近くにあった表面が鏡みたいになった金属製の受け皿の上に落とした。コチリと気持ちのいい音がする。
「こいつをあげますよ。さしあたって今日は、こいつを研究してくださいよ」
灰島は手袋をした手で石を摘まみ、しげしげと眺める。
「あと、莉奈と美雨の『装着』が確認されたら……わかってますよね?」
この守護官用のタブレットを持ち歩けば、莉奈たちの居場所もわかるんだろうが、そうはしたくねえ。なぜなら『能力者』ってのはいつだって
「じゃ、いってくるぜ!!」
ラボを後にするオレ。灰島は止めなかった。
バスを乗り継いで、事件のあったゲートボール場にやってきた。やっぱ車じゃねえとカッコつかねえな。はやく免許取ろう。
ベンチに腰掛けて、コンビニで調達したサンドイッチを一口かじった。なんてのんびりしてるんだ。広々としていて、とてもいい気分だ。
昔、社会科の授業で習ったが、影人が現れてその存在が世界中に知れ渡り始めたころ、どっかの大学の先生が影人のことを『死が病院を抜け出して、徘徊するようになった』と表現したことがあったらしい。つまり、影人が現れるまでは、死は病院という日常から切り離された場所にいた、ということが言いたかったらしい。なるほど、わかるような気もするけど、とにかく今日という日はとても穏やかだ。小春日和の穏やかな日差しだ。とてもこのあたりに死が徘徊しているとは思えねえ。
カフェオレのパックにストローを突き刺してすする。そしてのどかな風景を眺める。本当にいい気分だ。
でも、しばらくいると、あたりはひっそりしすぎてる、そんな気もしてくる。たぶん、影人が出て外出規制が出されたからだな。『不要不急の外出は控えるように』というやつだ。あと、今朝ごろ遠藤くんが殺られちまったのも関係してるだろう。
見渡せば、遮るものがほとんどないから、向こうの山すそまで見通せるが、パトカーやら自衛隊の車両は見えない。莉奈のレポートには『これからローラー作戦を開始します』とあったから、昼前までにひと段落して、いったん引き上げたんだろう。
「さて、どうしたもんかな~」
と、お空に向かって言ってみれば、次の瞬間、オレは取り囲まれていた。男が六人。剣道着の上からジャンパーを羽織って、肩に竹刀袋をしょっている。
「おい、ここで何してる?」
リーダー格っぽい男がオレに前に立つ。背が高くて体つきはやや細め。でも見ただけで分かる。こいつの体は強靭なバネを秘めてる。顔立ちはやや濃いめなイケメン。剣道マンガで立派に主役を張れそうなヤツだ。
「お兄さんたちこそ、何してんスか? 外出規制が出てんでしょ?」
と言いつつ、オレは腕に巻いたブレスレットを見せた。
「あんた、守護官か」
「まあね。お兄さんたちは……」
察しはつく。間違いない。遠藤志郎のダチだ。同じ剣道部の連中だ。
「武徳館高校の剣道部の人たちスか?」
後ろの男たちが互いに顔を見合わせる。
「そうだ」
「っスか。遠藤さんってんでしょ? 報告受けてますよ。マジ男っス」
沈黙。肯定の沈黙。
「それで? かたき討ちっスか?」
「そうだ。悪いが止めても無駄だ。俺たちには俺たちの理由がある」
戦う理由がある、というわけだ。
「誰も止めてねーっスよ」
警察や陸自出向組はこの辺りからハケちまってる。こいつらを使わない手はない。ギブアンドテイクってやつだ。
「オレもちょうど、専用の肉壁が欲しかったところなんスよ。お兄さんたちを秘密の守れるお侍さんと見込んで見せますけど」
いつも懐に忍ばせてある親父の
「どースか?」
野郎どもは驚いてる。つかみはオッケーだ。
「レベルⅢの治癒系か? 日本にはいないはずだ」
「いま目の前にいるじゃねえスか。公表したらどっかの病院にとられちまうから、存在を隠ぺいして現場に張り付けとこうって算段なんスよ」
リーダー格の男は腕組みをして、値踏みするようにオレを見ている。
「どースか? オレたちで影人、狩っちまいましょうよ。今、この地区にはオレ以外に二人、守護官が入ってるっス。かたき討ちてえなら、その二人より先に見つけて狩るしかねえっスよ?」
リーダー格の男は腕組みをといた。
「わかった。やろう」
「そうこなくちゃ。オレは闇堂一磨」
「竹岡真十郎だ」
なんともそれっぽい名前じゃねえか。
こうしてオレたちはパーチーを組んだ。まずは作戦会議だ。
「まず、聞いておかなきゃだが、先生方。腕に自信ありスか?」
竹岡にジロリとにらまれる。愚問、ってヤツだ。
「得物は何です? 木刀?」
肩にしょっている竹刀袋は、やや強めに肩に食い込んでるように見える。
「これは型用の真剣だ」
なんだって? 銃刀法はどうした? でも、まあいい。今はひたすら頼もしい。それに遠藤くんも真剣使ってたしな。
「さすがだよ、先生方。それじゃあオレの作戦を聞いてくれ。はっきり言って超天才的な作戦ってやつだ」
正確には超天才的な物量ごり押し作戦だ。オレがレベルⅢの治癒系だからこそできる作戦だ。編み出したばかりの新技をこういう形で使えるのは愉快だ。
「……と、いうことなんですよ」
オレは説明を終えた。
「とにかく即死さえ避けてくれれば、この作戦は絶対うまくいく。いいスか?」
「わかった」
口数の少ない竹岡だ。他のメンバーも黙りこくってる。なんだかんだで緊張してるみたいだ。でも、いい緊張感だ。そんな気がする。そりゃそうだ。真剣で勝負するなんて、フツーに生きてたらそんな機会、一生巡ってこないしな。先生方はこの機会をモノにするつもりなんだ。影人と対峙したとき、遠藤くんもそういう高揚感を楽しんだかもしれない。
関係ない話だが、この国の自殺者は一時期、三万人を超えていたらしい。ただ、ここ十年ほどはずっと二万人を割っている。自殺を思いとどまったという男が、テレビのドキュメンタリー番組に出て、こんなことを言っていた。『あの日、僕はロープを買いに行って、その途中で死体を見たんです。影人に殺されたらしい死体で、顔面がぐちゃぐちゃになるまで殴られて死んでいました。それを見たとき、それから守護警察に通報してるときも、ぶわーっと頭の中にアドレナリンが出てて、それでなんか生きてるのが楽しいって思えたんです』なんとも不思議な証言だ。でも番組の中では割と好意的に受け止められていた。つまりそういうことらしい。
「そいじゃ、行きますか!」
こうしてオレたちは影人を探す旅に出た。オレたち七人のパーティーだ。
「ところでチーム名は『サムライセブン』でいいスか? 遠藤くんの代わりにオレが加入したみたいな感じで」
全員無言だ。つまりオッケーってことか? おっけ。
家のまばらな田園風景は、とにかくひっそりとしてる。昨日も一日、ここらへんをうろついていたから、オレにもだいぶ土地勘みたいなのができてるんだ。
「そういや誰か、遠藤くんの写真かなんか持ってないスか?」
先生方がオレの方を見る。
「オレだけが遠藤くんの顔を知らないってどうなん?と思ってさ」
先生方が顔を見合わせる。
「スマホに写真くらい入ってるっしょ?」
「いや、俺たちはスマホを持ってない」
「え? 誰も? マジ? なぁお侍さん方、ちゃんと現代に生きてます? 今はネットワークとクラウドの時代なんスよ? ちゃんとつながりましょうよ」
「後でお通夜に出て見ればいい。遺影が飾ってあるはずだ」
「遺影? お通夜?」
「そうだ」
なるほど、人が死んだんだ。そりゃ葬式くらいやるよな。当たり前のことだが、すっかり忘れてた。そういや親父と姉貴の葬式はオレの記憶からすっぽり抜け落ちてる。心が死ぬ前に情報がシャットダウンされたみたいだ。
「わかった。お通夜ね。今日中に片付けば寄ってみるよ」
オレは周囲を見渡した。
「それにしても、どこに行ったもんかな~」
昨日も一日歩き回って、結局、影人先生とはエンカウントしなかった。今日はどうなるんだろうな? そう思ってたら電話が鳴った。灰島からだ。
「ども。どしたっスか?」
『神社で七班二人の『装着』が確認されたようだ』
「おっけ、せんきゅうです!」
ナイスだ! さすがオレ! さすがの根回しだな!!
『それから、君の作った治癒光の石が消えたんだが……』
あ? 消えた?
「あい? 治癒光ってのは気まぐれなモンなんスよ! オレは消えるようにイメージした覚えはねえっス! また作りますよ! いいスか!? 切りますよ!」
電話を切る。でもよく考えたら、オレがバックレるために生成した石だから、目的を達成したことで消えちまったのか? さすが治癒光ちゃん。オレの心を読んでやがる。
「神社っス! 行きましょう! ってオイイ!!」
野郎どもはもう駆け出して、その背中が小さくなりかけてた。
「オレがいないと危ねえだろおがァ!! ちょっと待てってぇ!!!」
田畑のはずれ。色褪せた朱の鳥居をくぐり、雑木林の真ん中を突っ切ってる石畳を走った。雰囲気あるなぁ。最高のシチュじゃねえか。
「そろそろ見えるっスかね!? そいじゃ先生方、もう一度言っとくっスけど、即死だけはマジ勘弁スよ!! 致命傷を避ける!! これ最優先で!!」
「「「おう!!!」」」
いやぁ、気持ちのいい連中だ。
「あ?」
そこでオレは信じられないものを見た。影人がいる。その足元に莉奈と美雨がいた。莉奈は美雨をかばうように覆いかぶさり、影人はそんな莉奈を何度も足蹴にしていた。肩や腰のあたりを何度も何度も。
「や、やべええええ!!!」
オレは叫んでた。オレの声に気づいた影人がこちらに向き直る。美雨の頭を抱く莉奈の腕にはまだ力がこもってるように見える。間に合う!!
オレはイメージを練って、それから節分の豆まきのように無数の治癒光を放り投げた。宙に投げられた治癒光はやがてふわふわとオレたちの周りを飛び回り始める。深太先生直伝のオレの新技、治癒光虫だ。
「瀕死の重傷までなら、こいつらがいくらでも治すんで!! せんせえ方ァ!! 存分にやっちまって下せえッ!!!」
「「「おおおおおお!!!!」」」
ガチの日本刀を抜き合わせた野郎どもが影人に向かって殺到する。影人もまた野郎どもに向かって突進した。重いもののぶつかる不気味な音を真横に聞きながら、オレはそのわきをすり抜けて、二人のもとに走る。
「おいい!? 大丈夫か!?」
「う……」
ひざまずいて、まず莉奈を仰向けにする。口から血が出てる。うっすらと目を開けた。
「一磨、くん……。美雨、ちゃんは……?」
美雨の方は完全に気を失ってるみたいだ。スーツのお腹のあたりにこぶし大のしわが寄ってる。どうやら腹にボディーブローをブチ当てられたらしい。でも大丈夫だ。息はある。
「大丈夫だ。大丈夫だぞ」
ふたりの体から、熱気と血と汗のにおいが立ちのぼってくる。おい、『戦う』ってヤベえな。なんか舐めてたわ。オレはとりあえず反省した。
「今、治してやる」
治癒光を発動してみようとするが。
「あれ?」
頭の中にまで治癒光虫がほわほわ飛び回ってる。これはどういうことだ? 治癒光はマルチタスクには向かないのか? それとも、オレのスペックが足りなくて、一度に二つのことができないのか?
「だったら……」
量を増やすだけだ。両手から治癒光虫を量産する。さすがオレ。いくらでも増やせそうだ。でも、生まれた治癒光虫はなぜか真下にいる莉奈と美雨ではなく、お侍さんたちの方へ飛んでいく。なんでだよ!? どこに行くんだ!? 何かミスったか? 条件付けをミスったのか? オレの人生に修行パートが必要とか聞いてねえぞ!!
お侍さんたちの方を見てみる。どうやら善戦しているようだ。六人の侍と一人の影人。そしてその周りを治癒光虫がほわほわ飛び回っている。
「ぐうッ!!」
一人が鼻をつぶされた。後ろへよろめく。そこを追撃しようとする影人。しかし他のヤツが、踏み込みを入れようとした影人の後足を薙いだ。影人がバランスを崩す。その隙に潰れた鼻目掛けて治癒光虫が飛んでいく。ほわんと光ったかと思うと、潰れた鼻は元に戻っていた。
「うらあああああああッ!!」
影人の体は頑丈だ。でかいトラックのごついタイヤみたいな、ってやつだ。先生方はすでに技を棄てて、力にシフトしている。雄叫びとともに振り下ろされる渾身の一撃、また一撃。見ていて爽快感がある。でも。
「おいい! 先生方ァ!! あとどのくらいだ!?」
「黙ってろ!! うろたえるな!! 大丈夫だ!!」
こっちが大丈夫じゃねえんだよぉ! おいクソ虫ィッ! ちったァこっち来いやぁ……!
「一磨くん……?」
「あ、あー、いや、ちょっと手違いがあってよ。大丈夫だ、心配すんな。美雨もぜんぜん生きてっし」
「うん……」
莉奈はかすかに微笑もうとする。なんてけなげなヤツだ。いい女だ。調子に乗って頭をなでてみる。そして美雨。てめえはとっとと起きろ。
「おい、足りないぞ!!」
「あァ!?」
見ると治癒光虫の数が減りまくってる。もし光虫がいなけりゃお侍さんたちは全員死んでる。そういう減り方だ。もしかして虫め、自分らで勝手に優先順位を判断しやがったのか?
「ほらよォ!!」
節分の豆だってこんなにまかねえ。そのぐらいぶちまける。光虫が影人とお侍さんたちを取り囲むように、渦を巻いて飛び始める。
「がッ!!」
影人が小柄なお侍さんにのどわをかまして、そのまま持ち上げる。すげえ力だ。虫が小柄侍の首のところに寄っていって、一匹また一匹と首の中に飛び込んでいく。どういう仕組みか知らねえけど、あれで首も折れねえし、息もできるんだよなぁ。ほんと不思議だ。
竹岡が剣を上段に構えた。何か大技を遣おうとしてる。それが雰囲気で分かった。
「きいいいええええええッッッ!!」
なんつー掛け声だ。でも目にも止まらない速さで振り下ろされた剣は、影人の腕を四分の一ほど斬り進んだ。操光兵器を使ったわけでもないのに、影人にここまで傷をつける。竹岡の剣は本物だ。斬られたはずみに、影人はつかんでいた小柄侍を取り落とす。
「げほっ、げほっ」
小柄侍はせき込むが、光虫が首まわりに入り込んでいくと、すぐに立ち直って影人から間合いをとった。
「おい、莉奈。もう少しだ。もう少し待ってろよ」
莉奈に声をかける。
それぞれ構えをとるお侍さんたち。その真ん中には影人。影人は一人に狙いを絞った。そして突進していく。タゲられた細身のお侍さんは、それでも構えを崩すことなく迎え撃つ。突きを入れる。影人は止まらない。ふっとばされる細身侍。そこへ残り全員が影人の背中目掛けて斬りつけていく。えぐいほど統制の取れた動きだ。ふっとばされた細身侍もまた構えなおす。影人の動きも鈍ってきた。
「先生方ァッ!! そろそろ光虫を引き上げるスよ!! いいスか!? こっちを回復しねえといけねえス!! 大丈夫スか!?」
「おう、やれ。とどめは守護官がやった方がよさそうだ」
さすが竹岡先生だ。冷静な判断だ。いい判断だ。
「そいじゃ、いくっスよ!!」
オレは光虫を引き上げる。オレの手のひらに戻ってくる光虫たち。そしてオレは心をこめてイメージした。莉奈が、美雨が、とにかく元気になるイメージ。光が二人を包んだ。
「ありがとう、一磨くん」
莉奈が起き上がる。
「あれ……一磨?」
美雨もぱっちり目を覚ました。
「おい、とどめを頼むぜ」
美雨も起き上がってあたりを見回す。
「うん、わかったっ!」
すぐに状況を飲み込んだようだ。そして、気を失っても離さなかった操光兵器を握り直し、光の大剣をつくりあげる。
「美雨ちゃん!」
「莉奈さんっ!」
声を掛け合って、二人は影人の方に歩んでいく。影人を取り囲んでいたお侍さんたちの間を抜けて、そして一気に間合いを詰めた。
美雨が上段から頭部へ一太刀浴びせる。影人はだいぶ弱ってる。美雨の動きへの対応が緩慢だ。美雨を手で払おうとするが、美雨は姿勢を低くとってそれをかわし、横なぎに胴を斬りつけた。影人がたたらを踏む。美雨はそれ以上、深入りをしようとせず、落ち着いてバックステップで間合いを取った。
今度は莉奈が前に出る。盾を前面に押し出し、その影から一撃必殺の突きを狙う。そういう構えだ。影人は片膝をついた姿勢で動きを止めている。でも殺意は全く衰えてない。どす黒い何かが影人の表面ににじみ出てくる。そんな感じがする。
一瞬だった。影人は片膝をついた姿勢から一気にダッシュ。莉奈はそれを盾で受け止め、いなした。体勢を崩す影人。そこへ思い切り腰を入れた突きを放つ。光の剣が一閃し、それは影人の胸に深々と突き刺さった。
ドクン……と影人の輪郭が動揺した。そして影人の体はゆっくりと黒い煙へと変わり、やがて消えた。
やったぜ!!! やったったぜ!!! ゲームならここで勝利のファンファーレが流れてるところだ。なんとかなったじゃねーか。さすがオレ。
「うえ~い! おつかれちゃ~ん! やってやったぜ、おまえらサイコー☆」
とりあえずみんなの労をねぎらった。でもスベった。
「あの……」
莉奈がお侍さんたちに向き直る。
「ありがとうございました。助かりました」
「ありがとうございましたっ!」
美雨もぺこりと頭を下げる。お礼を言われて、お侍さんたちは急に挙動不審になる。どうやら莉奈と美雨のスーツ姿を直視できないらしい。おい、なんて純情な男たちだ。オレはますますこの連中が気に入ったね。
「やれやれ、めでたしめでたしだな。よぉ莉奈。これにて一件落着ってヤツか?」
「え、うん。そうね」
「だったらよぉ、帰りに寄っていきたいとこがあんだけど」
莉奈は「どこに?」と聞く代わりにオレを見た。
「遠藤くんのお通夜だよ」
莉奈はじっとオレを見た。
「そっか……。ありがとう」
ありがとう? 何のありがとうだ?
やってきた遠藤くんの家はひっそりとしていた。
「お邪魔します……」
引き戸を開けると、昔の家のにおいに線香のにおいが混じっていた。
「てか莉奈、勝手に上がっていいのかよ?」
「え、うん。たぶん大丈夫……」
オレたちはそのまま奥に通る。なぜかお侍さんたちはついてこない。
奥の仏間には喪服を着た一人の女性がいた。
「あら」
面長の気の強そうなその人は、弱々しい微笑を浮かべてオレたちを迎えた。
「来てくれたの」
すでに顔見知りみたいな挨拶。つまり莉奈は、昨日、遠藤くんの祖父さんの通夜に出て、遠藤くんの母上と会ってたってわけだ。さすが莉奈。マメな女だ。義理堅い女だ。
ところで仏壇には二人分の遺影が飾ってあった。一人は遠藤くんだろう。精悍な顔つきだ。いい男だ。実はお母さん似だったのか。で、もう一人は昨日のジイさん、ってことなんだろう。昨日は分からなかったが、好々爺って感じの気のいいジイさんだったみたいだな。そういう感じのツラだ。
「あ、あの……影人は討伐できました。だから……安心してください」
安心してほしいって感じじゃねえ。言ってる莉奈は苦しそうだ。たしかに、爺さんも遠藤くんも、もう死んじまってるもんな。
「こんな手で……」と言いつつ母上殿は莉奈の手を取った。「あなたも気を付けなさい。死んだら、だめよ……」
そのまま手を撫でる。母上殿は気丈にふるまっておられる。でも、誰かがちょっと突っつくだけで泣き出しそうな、そういう感じはある。それにしても莉奈、すげーな。ウチのおふくろといい、遠藤くんの母上殿といい、マジで
そんな莉奈の隣に、美雨は神妙な面持ちで座ってる。似合わねえ~。
母上殿はうつむいたまま莉奈の手を撫で続ける。その姿はまるでこう言ってるようだ。「いったい何のために、あの子を今日まで育ててきたのでしょう。こんな終わり方をすると知っていたら、あんなに苦しんだり喜んだりしたことに意味はあったのでしょうか」
他人には踏み込めない領域があって、医者はそれを悟ってる。莉奈、深刻に受け止めすぎるなよ? どのみち家族と同じように悲しむことなんてできやしない。医者ってのは分際をわきまえてるもんだ。
とりあえずオレはこのしんみりした雰囲気を邪魔しないよう、そっと席を外した。
家の前にはお侍さんたちがたむろしていた。
「よぉ、先生方。どーしたんスか? 入らねえスか?」
「俺たちは今夜改めて来るよ」
竹岡がそう答えた。空は秋の茜色に染まってる。もうすぐ夜なんだ。
「そーか。たしかに中はちょっとしんみりし過ぎてるし、その方が無難かもしれねえっス」
お侍さんたちの真似をして、オレも手ごろな庭石にどっかりと腰掛けてみる。
「それにしてもよぉ、しんどい話じゃないスか? 遠藤くんは祖父ちゃんの仇を取るためにベストを尽くしたってのによ? あんなふうにメソメソされたんじゃ成仏できないっしょ?」
実際には泣いてなかったけど、実質、そういう雰囲気だったしな。お侍さんたちは何も言わない。言わないが、肯定してる。そういう感じだ。でも遠藤くんの母上殿のことを考えると簡単に肯定するわけにもいかないってところか。
「あ。ちょっと日本刀見してくださいよ」
オレはそばにいた細身侍から刀を借りる。
「どうスか?
「あの、闇堂、さん?」
「お、なんスか?」
小柄侍だ。一度みんなの顔を見渡してから声をかけてきたな。つまりこいつは一年生だ。
「なんでそんなに元気でいられるんですか?」
「そりゃあ……オレもそれなりに修羅場くぐってるからっスよ。あの二人みたいに、今だに
適当にフカしてみる。まるでオレが七班の班長みたいだろ。実は研修生なんだぜ……。
と、そこへ莉奈と美雨が出てきた。
「あの……」
莉奈が、お侍さんたちを前に居住まいを正す。
「今日は、ありがとうございました。でも、助けてもらったわたしたちが言うのも変ですけど、操光術なしに影人と対峙するのは危険なんです。だから、もうしないって約束してください」
社会人モードの莉奈だ。凛々しい表情、嫌いじゃないぜ。
「わかった。約束しよう」
竹岡が返事をする。おいおい、簡単に約束しちまったな。ま、いい。そんな感じだ。
「じゃな、また会おうぜ先生方!」
任務完了だ。オレは先生方と再会を約し、莉奈の運転する車に乗って、意気揚々と引き上げた。
夜、自室に戻って一息つく。
腹いっぱいだ。もう食えねえ。今日、一日ぶりに娘たち(仮)が帰宅したわけだが、あれだけのごちそうを出してきやがった。さすがおふくろだよ。マジいかれてる。
それにしても今日は楽しかった。いい連中と知り合うことができたし、ちょっとしたスリルもあった。いい日、ってやつだ。
治癒光については完全にやらかしちまった感じだが、でもまぁ、なんとかなる。治癒光には、まだまだいろんな可能性がある。全てはオレのイメージ次第ってわけだ。そろそろ本格的に治癒光やってみるか。
オレは本当に久々に、机の前に座った。
新技を考えよう。オレは新品のノートを一冊下ろすことにする。ここに新技を書き込んでいくんだ。こいつを最強の黒歴史ノートに仕立て上げてやるぜ。
オレが決意を新たにしたとき、ドアをノックする音がした。
「うい~」
「よ、一磨っ!」
ドアを開けて、美雨がやってきた。
「なんだ? どうした?」
「どうした?じゃないでしょ? 遊びに来てあげたんだよっ」
なんつーか、女ってのはこんなフツーに男の部屋にやってくる生き物なのか? そうなのか? オレ男子校だから、そこらへんよく分かんねえ。
美雨がオレのベッドのへりにもたれて座った。
「ほら、カズマもここに座ってよ」
自分の隣をパンパン叩く。
「なんでだよ……」
「ほらほら!」
並んで座る。ついでに座禅を組む。ここには虚無がある。美雨に膝を叩かれて足を伸ばした。
「ねえ、一磨」
「あ?」
「ほんとのこと言うとね、ボクたちさっきまで、電話で怒られてたんだ」
「へえ? なんでだ?」
「ほら、誰かさんが影人討伐に民間人を巻き込んだから……」
「あァ!? 何言ってんだ? アレが民間人に見えたかよ? あいつらプロだ! オレたちは影人討伐チーム・サムライセブンだったんだよ! 影人を狩るために集結したプロなんだよ! わかるか?」
「でも、とどめはボクたちが刺したじゃん……」
「まぁそんなこともある。でも基本、あいつらプロだ。つまんねーことでキレんなって馬鹿どもに言っとけよ」
「やだよ。一磨が言えばいいよ」
ベッドのへりにならんでもたれて話してる。なんかダチみたいな感覚だ。ちょっと会話が途切れる。
「ね、一磨……」
「なんだ?」
「あのね……」
ちょっと言いにくそうにする。
「今日のボク、カッコわるかったよね……? 軽蔑した?」
「軽蔑? なんでだ?」
「だってボク……気を失ってたでしょ?」
美雨のスーツに、しわになって残っていた腹パンのあとを思い出す。
「つーか、美雨の寝顔とか、マジ見慣れすぎてるんだが……。それによぉ、女なんて男に守られてればいいんだよぉ」
とりあえず決め顔で言ったった。
「もぉ一磨、サイテー。でも……ありがとう」
ありがとう? なんのありがとうだ?
美雨はすっと立って、部屋の本棚から一冊マンガを抜き出し、そのままオレのベッドにダイブした。
「今日、ボク、ここで寝るね」
「は?」
「一磨には重大なミッションを与えよう」
急にどうした。やっぱあたまおかしい。
「莉奈さんに謝ってきて! ほら、一磨のせいで怒られちゃったんだし!」
「んだと……」
なんでオレが謝るんだ?
「それじゃ、頑張ってね~」
とか言いつつ、美雨はベッドの上をごろごろ転がってオレに布団に包まった。マジクレイジーだ。どうなってんだ……。
廊下に出たオレは莉奈のいる姉貴の部屋……ではなく、物置部屋に入った。真っ暗だ。真っ暗な中で例のガラケーを取り出し、『2』のボタンを押す。人間関係に迷った子羊を導けるのはこの男しかいない。
『もしもし? カズちん?』
「よぉスチーブ。今日もかっこいいな。声だけですでにイケメンじゃねーか」
『どうしたの?』
スルーかよ。まあいい。
「いや、実はよ……」
オレは今日の出来事をスチーブに物語った。オレの、そしてサムライセブンの栄光の物語だ。
「な? オレたちは悪くないよなぁ? そうだろ? 謝る必要なんてないよなぁ?」
『そういう問題じゃないでしょ』
「そういう問題じゃないのか!?」
そういう問題じゃないのかよ!?
『とにかく、その莉奈さんと話してきたら? 同じ班の仲間なんでしょ? だったら、改まってお話してみるのも大切なことだよ。『謝ってこい』なんてただの口実、ひとつのきっかけ作りだよ』
「そーなの!?」
『そ。とにかくお話してきたら? 人間関係って、何気ない会話だったり、まじめな会話だったりの積み重ねなんだよ? 一磨の考えてることや思ってることを伝えて、それから、相手の考えてることや思ってることを聞いてきたらいいと思う』
「よし分かった! 任せろ! 行ってくる!!」
『頑張ってね、カズちん』
人間関係なんて適当にやってれば、それなり前に進むもんじゃねえのかよ? オレには複雑すぎる。でも、やるしかねえ。
姉貴の部屋の前に立つ。何を緊張してるんだ。オレはクールだ。ドアをノックする。
「はい?」
「オレだ」
「いいよ入って」
部屋に入った。姉貴の寝間着を着た莉奈が、姉貴の机の前の椅子に腰かけてる。ちょっとぼんやりした目をしているのは、どうやら今まで物思いにふけっていたっぽい。どこか憂いを帯びた表情、ってやつだ。
「どうしたの?」
「どうしたの?じゃねえ。美雨が謝りに行けってさぁ」
「ああ」
莉奈は何のことか、思い当たったらしい。
「もういいの。たしかに怒られちゃったけど、でも、わたしたちは一磨くんたちのおかげで助かったんだもの」
さすが莉奈だ。話が分かる。
「さすが班長だ。話が分かる」
「でも、もう他の人を巻き込んじゃダメよ? わたしたちは守護官。みんなを守るための存在なんだから」
「わかってる。任せろ」
オレは姉貴のベッドに腰を下ろす。莉奈は椅子を回して、オレの方を向いた。よしスチーブ。見てろよ。オレはこれからオレの考えてることとか思ってることを話すぞ。
「今日のことなんだけどよ」
「うん」
「正直、オレはちょっと舐めてた。『戦い』ってヤツをよ。真面目にやらないといけない。そう思ったんだよなぁ……」
ちらっ。莉奈をチラ見すると、莉奈は真面目な顔をして聞いている。
「回復するのが遅れたのは、わざとじゃねえ。あれはちょっと条件付けをミスったっていうか……治癒光のヤツが勝手に優先順位を判断しやがった。あのお侍さんたちの方が『死に近い』、そう考えたっぽいんだよな、うん」
「そうなんだ。治癒光が?」
「そう、治癒光が」
「そっか……」
莉奈は真に受けてるようだ。いや、別に真に受けてもいいんやけど。オレにもそうとしか言えねえし。
「ねえ、一磨くん」
「ん?」
「一磨くん、ずっと『大丈夫、大丈夫』って言ってくれたでしょう? とっても嬉しかったし、安心できたよ」
「マジか。たしかにオレも医者の卵として、勇気づける系の声掛けについては研究してる」
もちろん嘘だ。
「ふふ。そうなんだ」
莉奈は笑いのツボが浅くて助かる。
莉奈は姉貴の椅子に姿勢よく座っている。でもなんか柔らかい雰囲気みたいな感じがある。とにかくそういうのがある。
「あとよ。遠藤くんのことなんだが……」
「うん」
「オレは遠藤くんはイイヤツだと思ってる。たしかにヤツはルールを破った。でも責めないでほしいんだよな。遠藤くんには仇討ちという理由があった。それが自分の命より大切だったんだ。あいつは男だ。そして漢になったんだ。そうだろ?」
「うん……そうなのかもね」
これは反応が薄い。男の美学とか言われても……な感じだ。
「でも、遺される人のことを考えたら……」
「そ、そうだな。まあ、そういう面もある、うん」
莉奈から妙な圧力を感じたぞ? でもよぉ、いつか莉奈にもわかってほしいもんだよな。遠藤くんはやるべきことに命を懸けて死んだんだ。だから悲しむんじゃなくて、誇りに思ってほしいんだよなぁ。
「ねえ……一磨くんは、ご遺体は平気なの?」
「死体のことか? 平気だぞ。医者志望だしな」
「そうなんだ。わたしはまだ……胸が苦しくなる……」
そうなのかよ。落ち着き払ってるから平気なんだと思ってた。そういえば報告書には遠藤の死体写真も添付されてた。例によって顔ぐちゃぐちゃのアレだ。
「そういや、報告書に遠藤くんの死体写真もあったけど、あれ誰が撮ったんだ?」
「……わたし」
「マジか。でもよぉ、死体ってのは別に悪いモンじゃない。その人がよ、頑張って最期まで生きた証なんだ。だからよ、心の中で『よく頑張ったよ。お前はいいやつだった』って言ってやりゃ、それでいいんだ。そうだろ?」
「……」
莉奈は何も言わない。表情にはどこか思いつめた感じがあった。あ、やばい。オレは踏んだ。なんか知らんけど地雷を踏み抜いた。さりげなく方向転換を図る。
「それでよ莉奈、まだ死んでないヤツがいたら、そんときはオレがいる。な? オレがいるだろ? オレが必ず癒す。オレが癒したくないと思っても、こいつらが勝手に癒しちまう。な? そうだろ?」
オレは両手で水をすくうときの仕草をして、治癒光をイメージする。泉の湧き水のように手のひらから光が湧き出てくる。
「こいつらが『癒したい』って言ってるんだぜ?」
ふわっと一つの光が莉奈に近づいていく。そして前髪を揺らしてほわっとはじけた。莉奈が少しだけ微笑む。でもすぐに……泣きそうな顔になった。
「お、おい。落ち着け、落ち着くんだ……」
莉奈のそばに行って、肩を撫でた。
「一磨くん!」
莉奈が俺の胸に飛び込んでくる。
「一磨くん……一磨くん……」
な、なんだよこれ。どういう、ことだ? びびりつつも、背中に手を回して撫でておく。男ってのは悲しい生き物だよ。こんなときでも、莉奈の背中とか肩が柔らかいとか、いい匂いするとか、オレの胸板にあたってるこの正体不明の感触については出来るだけ意識から遠ざけないとヤバいとか、いろんなことを考えちまう。「去年だけで五人の殉職者が出た」深太先生のセリフが頭をよぎった。やっぱ怖いのか? 莉奈でも? そうなのか? 『戦う』ってやべえな。オレは物理無効だから、そこらへん真面目に考えてなかった気がする。
とにかくオレは、莉奈が泣き止むまでずっと、その背中を撫でてた。
泣き疲れた莉奈をベッドに寝かせて、オレは莉奈の頭を撫でる。
「どーも、真知子の息子です」
「ふふ……」
莉奈が微笑んで、そして目をつむる。莉奈に布団をかけて、もう一度だけ頭を撫でた。さりげなく安眠効果のある治癒光を流し込む。莉奈はすぐに眠りに落ちた。穏やかな寝息だ。いい感じだ。たしかにずっと見ていたくなる寝顔だ。結局オレも、あの女の息子ってわけだ。なるほどね。でもオレはクレイジーじゃねえ。ただのシスコンなんだ。
それにしても守護官ってやべえな。なんか辛気臭い感じになってきたじゃねーか。なんとかしないとな……。
さて戻るか、と思って振り返ると、ドアが少し開いていた。その隙間から美雨がこっちを見てる。
「……おい、何やってんだよ?」
そう言いつつ部屋の灯りを消して、廊下に出る。
「えっへへ~。一磨が莉奈さんに変なことしてないか見張ってたんだよ~」
「なに言ってんだ、オレは紳士だぞ?」
「うん。そうだね」
そうだねって何だよ。そこは否定しろよ。男はみんなケダモノなんだよ。
オレの部屋に戻ってきた。オレの枕元には、美雨が読むとか言ってたマンガが投げ出されてた。どうやら結構早いタイミングでのぞきに来てやがったみたいだ。
「で、美雨。今日、マジでここに寝るの?」
「ん~? やっぱ止めとく。一磨がかわいそうだもんね~」
「別に、この前みたいにふとん持ち込んでもいいぞ?」
「ほんと!? やっぱり一磨は優しいね!」
そう言ってから美雨はオレの目をじっと見た。
「……なんだよ?」
「一磨」
「あ?」
「ほら」
両手を広げる美雨。
「だからなんだよ?」
「ボクにも同じことしてよ。莉奈さんに、したのと……」
心なしか頬が赤くなってる。つまり抱きしめろって言ってんのか? え、何? 何なの? いっぱしのオンナノコ気取り? そりゃ、生物学上はそうかもしれねえけどよぉ?
「……一磨もやっぱり男の子だよね。なんかがっしりしてるもん」
え? あれ、いつの間に? なにこれ残像? とりあえず美雨の機嫌を損ねないように、背中に手を回しておく。ちくしょう、美雨のくせに! 美雨のくせに! オレにこんなことさせやがってえ!
「ねえ一磨。ボクたちで莉奈さんを支えてこ? ボクたちだったら、きっとできるよ!」
「あ? ああ、そうだな。オレもシスコンの端くれだし、要するに年上フェチなんだ。莉奈を半端なく支えて感謝されるぞ。そしたらグヘヘな展開もあるかもしれねえ」
「ねえ、一磨」
「あ?」
「ボクも一磨より年上だよね?」
「え? 何が言いたいんだ? さっぱり分かんねえ。あ~分かんねえなぁ~」
「もぉ……一磨ぁ」
いや、それにしてもいつまでこの状態なんだ? 客観的に見たらどういうふうに見えてる? 考えたくねえ……ッッ!!
「ねえ、一磨」
「え?」
「頑張って……世界を元通りにしようね」
「……」
世界ってやべえな。守護官になる前は、いろいろあったけどそれなりに平穏な生活を送っていたはずなんだ。それなのに今はこういう会話が普通に交わされる世界にいる。いったいどうなってんだ。
「……それじゃボク、おふとん取ってくるね!」
やっぱり平穏な人生を送りたいなら、知らない方が幸せなことだってあるんだ。そういうことなんだ。オレは……もう手遅れなのか?
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