第2話 ちょっとした事件
梅雨の晴れ間の朝、僕の机に白い封筒が入っていた。始め、シュンへの恋文だと思った。以前にも僕の引き出しをポスト代わりにする女子がいたし、ちょうど翌日は彼の誕生日だったから。
だが封筒には『りく君へ』と書かれていて、下手な猫の絵が添えられていた。うわの空で1日過ごし、放課後になると隠れ家へと向かった。自宅には二人の姉と母親がいて、ランドセルの中も無法地帯だからだ。
公園は山頂にある寺の本堂の脇に位置していた。いつもより仁王像の視線を感じながらくぐり岩まで歩き、手紙を開封しようとした時、土階段からシュンの話し声が聞こえた。
「ここからの景色は最高なんだぜ」
シュンはマリーを連れていた。マリーは学級文庫の一冊に出てくるフランス王妃に髪型を似せたおませな女子で、クラスのマドンナ的存在だった。僕は慌てて封筒を岩陰に隠した。
「あら、りくくんもいらしたの? クッキーを焼いたのだけれど、あなたも召し上がる?」
マリーの手には桃色のリボンを幾重にも結んだ、光沢のある袋が握られていた。品のある笑みは居心地が悪く、大人の言葉を借りればこれが社交辞令ってやつなんだろうと感じた。
「ごめん、用事を思い出したから帰るよ」
僕は隠した封筒を回収出来ないまま、後ろ髪ひかれる思いで下山した。
翌夕、放課後のチャイムと同時に僕は駆け出した。心臓破りの坂道を一気に駆け上がり、ふぅふぅ言いながら岩陰に手を伸ばすと、封筒の感触が無い。
「畜生、マリーなんか連れてくるから……」
胸騒ぎがした。土階段を下り観音岩を拝んでから、反対側に回り込み目を凝らすが、白い物は見当たらない。
「りく、探しものか?」
シュンがやってきた。昨日の菓子袋を大事そうに握っている。
「別に……」
「昨日はごめん。一緒に食おう」
「いらないって!」
僕は右手でシュンの好意を払い除けた。ハート型のクッキーが地面に落ちて真っ二つに割れた。
「何するんだ」
「お前が悪いんだ!」
僕は腹いせに、彼が誕生日に欲しがっていたゲームのレアカードを失くしたと嘘をついた。
「それなら一緒に探そう」
栗毛の親友は、嫌な顔ひとつしなかった。
「い、家で失くしたみたいだからもういいよ。今日はハルのやつ遅いな」
罰が悪くなって明後日の方向を見るが、肝心な時に俊足の友は現れない。
「ハルは来られない。陸上少年団に入ったんだ」
寝耳に水だった。シュンだけが知っていた事がショックで、声が上擦った。
「そうか……名誉なことだな」
僕らの中で、陸上少年団は憧れだった。市内の各学校で速いやつの集まり、つまりエリート集団だからだ。送迎が不可欠で、誰でも入れるものではなかった。
「うん。あいつもっと速くなるぜ?」
「もう勝てないかな……」
寂しさが込み上げてきて、袖で鼻水を拭いた。
「泣くなよ、これからも二人でここに来ようぜ?」
「土が目に入っただけだよ」
「ははっ、鼻水が頬にのびてるよ」
シュンはいつもの調子で大口を開けて笑った。
だが翌日から鬱陶しい雨が続いて、しばらく山には登れなかった。シュンはマリーと相合傘で帰宅するようになり、夏休みに入ると僕らの隠れ家への情熱は冷めて、結局連れ立って登る事はなかった。
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