第7話

 スペランツァに滞在するラウネン国所属の騎士は、スペランツァを囲う城壁の上から、望遠鏡で迫り来る何かを確認した。


「な、何だあれ……」


「あんだよ? 可愛い姉ちゃんでもいたか?」


 軽口を叩いた騎士は、固まっている騎士の尋常ではない様子を見て、望遠鏡を奪い取り、覗き込んだ。


「……こりゃ、悪夢か……?」


 二千を越える魔物の大群は、真っ直ぐスペランツァに向かっていた。

 彼ら……いや、スペランツァにとっては悪夢であった方がはるかにマシであっただろう。


「鐘を鳴らせ! 魔物だ! 魔物の大群が向かってくんぞ!!」


 軽口を叩いていた騎士の命令で、警戒を知らす鐘がスペランツァの街全体で鳴り響く。

 常駐の騎士のみでは対処しきれない非常時、緊急時にしか鳴らされない鐘だ。


 街の人間は何事かと鐘を見上げたが、かなりの異常事態においてしか鳴らない鐘がなったことで、何かしら良くないことが起きたことに気付いた。


「冒険者ギルドに協力を要請して、王都のラウネン城に早馬を出せ! 街の皆をスペランツァから王都に避難させるんだ! 後は、隣の街に救援要請しろ! 無駄かもしんねぇがな!」


「お、俺達はどうするんだ……!?」


 固まっていた騎士は、軽口を叩いた騎士の指示を聞き正気に戻る。


「俺達は冒険者と共に魔物達の足止めをする!! 街の皆を逃がすためにな!!」


「足止めって……出来る訳ないだろ! あの数だぞ!? しかもBランク以上の魔物もゴロゴロいるじゃないか!!」


「やるしかねぇだろう!? 俺達は騎士だぞ! びびってんじゃねぇ!!」


 軽口を叩いた騎士は、魔物の大群の襲来を他の騎士にも伝達するため走り出し、固まっていた騎士は、これから死地に向かう恐怖で再び固まった。



*****



「一笑さん、起きて下さい。ご飯作りましたから、食べてくださいね」


「ん……む……朝か……」


 もはやヒモ状態となっている俺は、リーベに起こされて目覚める。


 長屋の一室であるリーベの部屋の窓からは、俺の心とは裏腹に明るい陽射しが差し込んでいた。

 明るさがうぜぇ。

 

 年下の美少女に養ってもらっている俺を羨む男共はごまんといることだろうが、前の世界で独りで生きてきた俺にとっては屈辱だ。

 何なら誰か変わってやるから、俺のスライム以下のステータスと寿命の短さをどうにかしてくれ。


 俺はズボンのポケットからカウンターを取り出し、数字を確認する。

 カウンターの表示は『1』。


「……ちっ……」


 昨日は人を笑わしたことのない俺にしては、あがいたつもりだ。

 どうにかリーベとシュティレを笑わそうとしたからな。



 だが、滑った。



 二人の冷たい視線。氷ついた空気。

 あんな耐えがたい辱めは生まれて初めてで、俺の心は即折れた。


 後でシュティレに弄られまくり、むかついて思わず拳骨をくらわせたのだが、俺の手の骨が折れずに済んだのは不幸中の幸いだろう。


 ちなみにシュティレは無傷だったよ。

 わかってはいたが、俺のステータスはただの受付嬢よりも、はるかに劣るらしい。


 俺が作ったばかりの黒歴史を頭から必死に削除しようとしていると、リーベが料理する音が聞こえてきた。

 自分のついでだろうが、俺のために朝飯を作ってくれている。


 相変わらず心地の良い音だ。


「さて、どうしたもんか……」


 俺の寿命は残り一日。

 人を笑わせずに今日が終わるか、【スキルカウンター】とやらを一度でも使えば――



 俺は死ぬ。



「いやああぁぁ!!」


「!?」


 キッチンからリーベの悲鳴が聞こえてくる。

 人類最強の一人であるリーベが悲鳴をあげる……つまり、かなりの異常事態だ。

 俺は走ってリーベの元へと向かった。


「どうした、リーベ! 大丈夫か!?」


 リーベは腰を抜かしてはいるが、怪我などは無さそうだ。

 何かを指差し、涙目になりながら俺に訴えてくる。


「むむむむむむ、虫!!」


 リーベが指差す先、そこには前の世界のゴキブリに似ている虫がいた。


「……こいつがなんだって?」


「だから虫ですよ!! 私は虫が嫌いなんです!! だって虫って気持ち悪いじゃないですか!!」


 リーベは虫を恐れて、俺の腕にしがみついてくる。

 何をこんな虫に怯えてるんだ……む!?


 リーベの柔らかい立派なスイカに、腕を挟まれていた

 俺は即座に俺のフランクフルトが立派にならないよう、頭の中で念仏を唱えた。

 

 仏教よ、ありがとう。

 きっと仏教は世の男のために生まれたんだ。

 俺はそう確信した。


 俺は精神を落ち着けた後、前の世界でのゴキブリのような虫を履いてたスリッパで殴り倒し、窓を開けて外へと放り投げた。


 この世界の虫がただの虫で良かった。

 スライム以下のステータスで倒せない虫ならとんだ悲劇が起きてたぞ。


「……お前、世界で四番以内の強さなのに虫も倒せんのか」


「Sランクだろうが苦手なモノはあります!!」


 それもそうか。

 俺は苦手なモノは特にないからその感覚はわからんが。

 特に女は虫が苦手なヤツが多いらしいしな。


「たまには俺を信じて頼れ、リーベ」






「お前に倒せないモノは俺が倒す」






 リーベの顔が、何故か急激に赤く染まりだした。

 それどころか頭から煙も出てるぞ。湯沸かし器か何かか、お前は。


「はぅ!? わわわわ、私はSランク冒険者なんですよ!? 守ることはあっても守られることなんてありません!! 大体一笑さんはスライム以下のステータスなんですよ!? 虫くらいしか倒せませんよ!!」


 手をバタバタさせ、俺を罵ってくるリーベ。

 ムカつくがここでキレたら、笑顔にさせるには程遠くなる。


「お前はその虫を倒せんがな。飯、出来てるんだろ? 持っていくぞ」


「……はぃ……」


 俺は出来上がった料理の皿を持ち、テーブルまで運び始める。

 顔を赤らめたままのリーベはあわあわ言いながら、両頬を手で抑えて固まっていた。

 何だ、こいつ。まぁどうでもいいか。


 リーベの作った朝飯は、食欲をそそる良い匂いだ。

 明日も生きてリーベが作った飯を食いたいもんだな。

 というより、死にたくないわ。


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