パンデミックの終焉に

仲よし子

第1話

 およそ2年に及んだ感染症の爆発的流行も、ワクチンによる免疫の獲得によりようやく収束に向かい、人々の暮らしは再び活気を取り戻した。

「バス旅行に行こう」

 私は離れて暮らす母にメールを送った。

 60を過ぎた母はいわゆるアクティブシニアで、パンデミックの前は年に一度は海外旅行に出かけていた。しかしいま、母の口から「海外」の言葉を聞くことはない。ワクチンを接種していないからだ。

 半年前、突然送られてきたメールの文面には驚いた。

「ワクチンによって遺伝子が書き換えらえる。危険」

「ワクチンで人がたくさん死んでる。因果関係は不明っていうけど、製薬会社が隠蔽してるにちがいない」

「テレビは感染症の危険をあおってばかり。そうしないと視聴率がとれないから」

 これは要約で、実際には誤字ばかりでひたすらに読みにくい文章だった。

 ああ、これが老いかと思う半面、昔からこういう人だったなと思わなくもない。とある健康食品の購買コミュニティーに属し、母の作るあらゆる料理にこの食品が使われていた。独特の風味に顔をしかめると、母の機嫌はとたんに悪くなる。食材となる肉や野菜は当然、国産・無農薬に限られていた。そのくせ最近では、「免疫力を上げるサプリメント」とやらを個人輸入で仕入れ、食後に摂取している。世界中で何億人と打っているワクチンを恐れ、得体の知れないサプリメントをありがたがる感性は私にはわからないが、母なりに「健康」を追い求めた結果なのだと理解している。

 しかし、このような母の健康志向にいちいち反発していた弟が、母の進化形のような考えの持ち主と結婚したことは皮肉としかいいようがない。小学校に上がる姪は、いっさいの予防接種を受けていない。私が義妹におおいに反感を覚えるのは、姪に対する無責任さではなく、私がいつか妊娠したときに起こりうる、万が一のことを恐れるからである。ちなみに母は義妹のことを「若いのによく考えていてえらい」と評価する。ここにも母の思想があらわれる。結果いかんではなく、主体的に判断したことに意味がある、と。

 まあとにかく、母は接種の権利を放棄した。感染症による死、死に至らないまでも発生し得る苦しみと、ワクチン接種によるそれを天秤にかけ、前者をとったのだ。私は賛同しないが、本人の決断なのだから仕方ない。問題は、私にまで同じ決断を迫ることだ。

 毎日のように送られてくるのは、副反応に苦しんでいる人の証言、接種後の死を伝えるネット記事、ワクチンの危険性をあおる医者のブログなど。特に母のコメントはなく、他者の言葉で投げつけられる「接種の強要はハラスメント」「接種を推奨する人間は国家の陰謀に加担する愚か者」などの文字列には正直、滅入る。母の健康食品コミュニティーは健在で、現在はSNSによってより広くつながっている。その世界ではこういう言葉が跋扈しているらしい。母の意図を察するならば、健康被害を防ぐという「親心」ということになるのであろうが、しかしそれは一方で、私にいつまでも感染リスクにおびえること、いや、感染リスクそのものを押し付けることであるのだが、そのことに無自覚なのには閉口してしまう。

 私は母の忠告を無視し、ワクチンを接種し、ちょうど抗体ができあがったであろうころに、そのことを報告した。

「なんともないならよかった」

 返ってきたのは、たったそれだけだった。何も起きなかったのが残念、と暗に言われているような印象を受けたのは、被害妄想だろうか。


 個人的な行動が、社会に波及するということを、私は身をもって体験していく。ついに接種率は対象者の70%に達し、政府は接種が完了した者に対する優遇措置を始めた。その一つが、旅行代金の補助である。

 当然、対象となるのは私だけで、母に恩恵はないのだが、トータルでは割安である。元来活動的な母は、冒頭のメールに対し、二つ返事でのってきた。旅行会社のキャッチコピーがいい。

「きずなを取り戻す」

 物理的な距離だけでなく、思想的な距離も、遠くへだたった私たちを再びつなぎとめるのにぴったりの言葉だ。

 バスに乗り込み、高速道路を行く。マスクをはずした母は、上機嫌でカラオケのマイクをとり、昭和のアイドルの流行歌を歌う。女性客は体をゆらし、男性客からは歓声がわく。母は器量がいい。かつてアイドルを目指して地方から上京した経験を持つ。夢を追いながらアルバイトをしていた飲食店で父と出会い、夢を捨てた。とはいえ、あったかもしれない可能性を見てしまうのか、テレビに映る芸能人を品評する目は厳しかった。そして、その視線は容赦なく娘の私にも向けられる。母が「かわいい」というとき、それは造形的に母の目にかなうという意味であり、相手が娘だからとその審美眼がくもることはなかった。

 あれは小学校6年生のときだった。成長期の私は無限にわいてくる食欲にことごとく屈していた。すると母は言ったのだ。

「どうしてこんなふうに育っちゃったのかしら。ブスのうえにデブだなんて」

 その日から、私は食事の量を半分に減らした。次の身体測定のとき、体重が数キロだが減っていた。担任の教師がダイエットをしてるのではないかと心配した。私は否定しながら、内心歓喜した。幸いだったのは、私がその程度の減量で満足したことだ。より深刻に受け止めていたら、摂食障害を起こしていた可能性もあるが、いっそそのくらい病んだほうが母には伝わったかもしれない。初めてアイシャドーを買って、目が大きく見えるようにメイクをした私に「少しはマシになった」と言い放ったりしなかったかもしれない。最近では、自分のことを棚に上げ、ほうれい線が出てきていると指をさして笑う……。

 席に戻ると母はマシンガンのようにしゃべる。ウイルス禍から解放された母は、以前から付き合いのある友人たちと、温泉地やら、飲み会やら、すでにあちこちへ出かけているらしい。そのあっけらかんとした調子は、おどろおどろしい言葉を投げかけてきた母と同じ人とは思えない。むし返したくなる気持ちを封印し、私はかつてそうだったようにあいづちを打ちつづけた。

 昼食は名物の蕎麦だった。隣り合った老夫婦と和気あいあいと話す母。当然、話は感染症、そしてワクチンに話になってくる。

「私なんかは子供に手伝ってもらってすぐ予約したんですよ」

 老婦人がにこやかに話す。母はなぜか私のほうをチラチラ見ながら、声のトーンを下げる。

「ああ、そうなんですね。私はどうも怖くって……。打った直後に亡くなった人もいるでしょう」

「なに、どうせ年寄りはそのうち死ぬんですから、せいぜい若い人の迷惑にならないように役目を果たすだけです」

 かくしゃくとした老人は胸を張り、母はまるで虫を払うかのようにぞんざいに顔をそむけた。迷いもなく堂々とした二人に引け目を感じているようだった。それはそうだろう。かの言葉を裏返せば、母の行動は独りよがりで、若い人に迷惑をかけているのだと言っているのも同然なのだから。母は決して自分は愚かではないと思っているし、ある意味で勉強熱心であることに違いはない。それが素朴な使命感に圧殺されるさまを、私は黙って見届けた。

 食事が終わり、バスは山道を上っていく。母の肩ごしに見える窓の向こうの紅葉の、目もくらむような鮮やかさを、私は生涯忘れないだろう。

 

 旅行から数日たち、母からメールが来た。

「発熱」

 その翌日。

「肺に影。入院することになった」

 私はその報告を、小学6年生のあの日、保健室で体重計にのったときのような心地で受け止めた。

 ワクチンが行きわたり、もはや自制する必要がなくなった人々の行動はゆるむ。すると、未接種者の感染リスクはこれまで以上に上がる。海外の事例を見るまでもなく、少し考えればわかることだ。

 ワクチンを忌避する母を、意思を尊重するという建前で、説得せずに突き放したからには、覚悟はしていた。というのは買いかぶりすぎか。正直に言おう。私はこの瞬間を待っていた。

 自業自得。この言葉をいまこそ拍手とともに母に贈りたい。

 

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パンデミックの終焉に 仲よし子 @naka_yoshiko

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