第53話 彼女
助手がADGsへとログインした時、ちょうど目の前で決闘領域が崩れ落ちる最中だった。
消滅する外壁の向こうから現れたのは、追いかけていた探偵の後ろ姿だ。
「ミノさん!」
しかし、声が探偵に届いている様子はない。
放心している様子の探偵に向かって、急いで駆け寄った。
「ミノさん! 無事だったんですね。良かったぁ……」
やはり、探偵は心ここにあらずといった様子だった。
助手は努めて明るく、声を掛けた。
「部屋に入ったら突然ADGsの中にいて、ログアウトもできないし、心配しましたよ」
「ああ……」
「もしかして……負けちゃいました?」
「まさか。勝ったに決まっているじゃないか。心配なんて十年早いぞ」
「ですよね~。ミノさんですもんね」
「肝心なことは分からずじまいで逃げられてしまったがね」
「逃げられた、ですか?」
浮かない表情をしていた探偵は、突然、力いっぱいに自分の頬を叩いた。
「この話はひとまず置いておくとしよう。先に彼女の安否だ。倉庫の奥の、その辺りに……」
「ああっ!」
助手は倉庫の片隅に倒れている彼女を見つけ、大急ぎで駆け寄った。
「どうしてお姉ちゃんが? 前にバイバイしたのに」
「その話はまた後でしようか。あいつらの後を追わなくては。ログアウトボタンは……戻っているな」
決闘前の時点では使用不可能になっていたログアウトボタンが復活していることを確認し、彼女のそばで座り込んでいる助手の背中に向けて声を掛けた。
「私は向こうに戻って、蒲田さんに連絡する。助手クンは彼女を叩き起こすんだ。おそらく、こちらで意識を戻さないと安全にログアウトできない」
「はい……、危ないことはしないでくださいね。自分で追いかけたりとか」
「私を誰だと思っているんだい。向こうの私の虚弱さは自分が一番知っているとも」
探偵は皮肉交じりのセリフを吐きながらログアウトしていった。
いつになく急いだ様子の探偵。
助手はなぜ、探偵がそんなに急いでいるのか知らなかった。ただ、探偵の焦りにだけは気づいていた。
探偵がログアウトして、初めに感じたのは背中の痛み。
ゲーミングチェアではなく、床からログインしていたのだから当たり前ではある。
周囲を見渡すが、例の女性に、助手、ちびっ子以外に人影はない。
やはり鴉の男には逃げられてしまったようだ。
ついでに、ログインの直前に見た、謎の立方体の装置も見当たらない。
急いで部屋の外へ走り出そうとした矢先、ついさっきの助手の言葉を思い出して足を止めた。このまま追いかけて、もし、見つけたとしても自分には何もできない。
探偵はスマホを取り出し、長らく使用していなかった電話帳を開いた。
一方、ADGs。
助手は彼女の肩をゆすり続けるが、中々目を覚ます気配はない。
その様子を、後ろからちびっ子が見つめていた。
「全然起きない……どうすればいいんだ」
「キスは?」
「キス!? いきなり何を言い出すのかな」
「お兄ちゃん知らないの? お姫様は王子様のキスで目を覚ますんだよ」
「お兄さんは王子様じゃない」
ちびっ子が面白がっているのは明らかだ。
しかし、助手にも、何かいいアイデアがあるわけではなかった。
あり得ないと思いながらも、やるだけタダなのでは、との思いも捨てきれない。
「キ~ス、キ~ス!」
ちびっ子の声にはやし立てられるまま、助手は目を閉じて震えながら彼女へと唇を寄せ……。
「……貫一くん?」
接触の直前で、正面から聞こえた声に、助手は飛び上がって後ろへ下がる。
ごちん、と、鈍い音が鳴って、壁に頭をぶつける。
「ぃてて……」
「どうして貫一くんがここに……?」
「その、助けに来た、的な。……ログアウトできる?」
「え、あ、うん。確認してみる」
彼女は気乗りしない様子でメニューを操作した。
その様子は、たくさんの失敗で、希望を持てなくなってしまっているようで、助手の胸が痛んだ。
「できる……できるよ! 貫一くん!!」
彼女の目が驚きに見開かれ、やがて喜びにつぶれていく。
おそらく、彼女は何らかの方法でログアウトを制限され、ADGsの中に監禁されていたのだろう。今の気持ちは察するに余りある。
「わかった。先にログアウトしてみて。すぐに追いかけるから」
「うん!」
助手は彼女がADGsからログアウトするのを見届け、自分もログアウトボタンをタップした。
視界が暗転する。
気づいた時には絨毯の上に寝転がっていた。
そして、ベッドの上で、彼女が体を起こしていた。
それを見て、なぜだか視界が滲んだ。
ふらふらとベッドへ向かう。ベッドの脇で膝をつき、両手を広げた。
自分がハグをしようとしていることに気づいた時、なぜか、助手の脳裏に探偵の顔が浮かんで、動きが止まる。
きょろきょろと周囲を見渡すと、背後で探偵が壁に寄りかかって、こちらを眺めているのが見えた。
動きが止まった隙に、彼女は助手の胸に飛び込んだ。
全身から感じるぬくもりに、ゆで上がる頭。
彼女が自分に抱き着いてきたという事実に、気づくまでには一瞬の間があった。
そしてまもなく、彼は彼女の頬を滴り落ちる雫に気付いた。
助手は彼女の頭を撫でた。優しく、慈しむように。
もう怖いことなどないと、彼女を安心させるために。
探偵は壁に背中をもたれさせながら、助手が自分の目的を達成し、契約を完遂する瞬間を見守っていた。
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