第4話 探偵事務所は○○の中
「ここが探偵事務所か……」
友人Aから探偵を紹介してもらった翌日。時刻は午前10時30分。
現在、貫一はとあるマンションの玄関前に立っていた。
表札には『長月』の文字が踊っている。昨日Aから話を聞いた通り。場所を間違えたというわけではなさそうだ。
「……ちょっと失礼だけど、事務所には見えないなぁ」
ここはあくまでマンション。
確かに、貫一が一人暮らしをしている部屋よりは明らかに立派そうだが、探偵事務所と聞いて、某毛利氏の事務所のようなそれっぽい建物を想像していたカンイチとしては、肩透かしを食らった気分だった。
というか、マンションのくせにエントランスに自動ロックのゲートがないのは防犯的にどうなんだ。探偵なのに。
貫一は表札を確認しながら、入り口のチャイムを鳴らす。
「……?」
しかし、中からは一向に反応がない。
もう一度チャイムを鳴らし、今度は玄関扉に耳を当ててみる。
中から、かすかにチャイムの音が聞こえてくる。故障しているというわけではなさそうだ。
そして、扉に耳を当てた際、カンイチにはもう一つ気づいたことがあった。
「開いてるよな、これ……」
扉には鍵がかかっていなかった。
もしかすると、普通のお店のように、自由に出入りしても大丈夫なスタイルなのかもしれない。そんな風に考えたカンイチは、ドアノブをひねる。呆気なく扉は開いた。
事務所の中は電気がついておらず、薄暗く、奥の様子を窺い知ることはほとんどできない。
外からの光で、辛うじて見える玄関口には、コンビニの袋に詰まったゴミと思しき物体が転がっていた。
カンイチはもう一度表札を確認した。
『長月』。やはり入る場所を間違えたというわけではなさそうだ。
ゴミを片付けたくなる衝動をぐっとこらえ、奥へ進む。
そして、玄関から十歩ほど進んだとき、つま先に何かが当たった。
「またゴミか……あれ? ちょっと待てよ」
靴下越しに感じる感触は、ゴミにしては重く、柔らかく、そして温かかった。
貫一はすぐさまその場にしゃがみ、その正体を確認すべく、手探りで触って確かめようとする。
「うっ……ううぅ……」
「っ、しゃ、しゃべった……! やっぱり……!?」
ゴミのような何かは人間だった。
床に倒れていた人間は、むくりと起き上がる。
「…………誰だい、べたべたと乙女の柔肌を……」
「そ、その、そんなつもりじゃなくて……」
「う、うぅ……頭も全身も痛い……。水……。さすがに飲んでから向こうで寝落ちはよくなかったか……」
人間は廊下の壁をペタペタと触り、スイッチを押して、廊下の明かりをつけた。
明るくなった廊下をふらふらと歩く人間の姿が、はっきりと見える。
それはパーカー姿の女性だった。
貫一は同年代男性平均よりもすこしだけ背が低い。女性は、そんな貫一よりも背が高く、体調が芳しくないせいか声はやや低めでかすれている。
男性サイズの大きなパーカー1枚を身に纏っただけで、柔らかそうな太ももを惜しげもなく晒している。そして、その足元にはコードが絡まったヘッドセットと、おまけにゴミ。
女性は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気にあおる。
「……それで、君は誰だい? 寝込みを襲う犯罪者なら、一人の市民として通報する義務があるんだけど」
「ち、違います。ここに探偵がいると聞いてきたんです!」
「ま、そうだろうね。本当はこちらに訪ねてほしくはなかったんだが……面倒臭い」
「すいません……」
女性は首を振って溜息を吐き、貫一を首をすくめた。
「まず一つ、大事なこと聞いておく。君、≪AGDs≫のアカウントは持っているかい」
「えーじー……何ですか?」
「VRゲームの≪AGDs≫だよ。……その様子だと知らないようだね。それなら回れ右して帰ってくれ。悪いがそういう決まりなんでね」
「え!? あ、いや、そのゲームなら一昨日始めたのでアカウントもありますけど……」
奇しくも、女性が口にしたタイトルは、昨日聞き込みを行ったVRゲームと同じだ。
「ほう、それなら、そこの椅子の上にあるヘッドセットからログインしてくれたまえ。向こうで待っているから」
そう言い残すと、女性は自己紹介すらせずに、自分のヘッドセットを片手に、のそのそと部屋の奥へと去っていった。
「どういうこと? 意味が分からない……」
気付くと、女性は既にゲーミングチェアに寝そべっている。ゲームにログインしたのだろう。
貫一の脳裏に浮かぶ数多の疑問符。
昨日は『少し変わった人らしい』程度のことしか教えてくれなかった友人Aを恨みたくもなる。絶対に『少し』じゃない。
貫一は半ば自棄になりながらも、ヘッドセットを手に取った。
「……とりあえず、行くしかないか」
両頬を両手で叩き、気合を入れて、貫一は個人認証を済ませて≪AGDs≫へとログインした。
飛行機の離陸にも似たわずかな浮遊感と共に、≪ADGs≫へとログインすると、そこは小道沿いのベンチの上だった。そして、目の前にはやや時代がかった立派な平屋の一軒家があった。
全体的に近代風なゲーム全体の世界観の中、古めかしくやや浮いた雰囲気の建物。きっと、あの建物が現実にあったとしても同じ印象を受けることだろう。
小道はその平屋の前で途絶えている。逆方向にはしばらく竹林が続いているように見える。
「この中ってことでいいのかな……?」
その疑問は門をくぐったところで確信に変わる。
平屋の玄関脇には『長月探偵事務所』と看板が下がっていた。
「どうして、ゲームの中に探偵事務所が……?」
「それは、私が仕事をするのにちょうどいい環境だからさ」
玄関扉の前には、一人の女性が待っていた。
燃えるような赤髪、平均よりも高い背丈。
「え……、え!? どうしてここに」
カンイチはその女性に見覚えがあった。
木製の杖とチェック柄の帽子はなかったが、間違いなく、一昨日聞き取りに応じてくれた女性だ。
「君はおとといの……。なるほどね。そういうことか」
「たしか、ミノさん……ですよね?」
「覚えてくれていたとは嬉しいね。説明の手間が省ける。……それでは、改めて」
呆気にとられたままのカンイチに向かって、ミノは頭を下げて大仰にお辞儀をした。
「ようこそ『長月箕(ながつきみの)探偵事務所』へ」
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